北の戦い
「衿泉、後ろは任せたぞ」
「言われなくとも分かってる。こんな状態になるのはもう慣れっこだからな」
四方妖魔に囲まれ、背中合わせとなる黎琳と衿泉。
そして同時に地を蹴り、目の前の敵へと迫る。
「「はあっ!」」
綺麗な扇状に薙ぎ倒される妖魔達。しかし感覚がずれていたのか、全く無傷の妖魔が一匹棒立ちになっていた。
しかし慌てる事なく二人は正面と背後から攻撃を加え、仕留める。
これで近辺の妖魔はあらかた片付いたはずだ。
「……衿泉、また腕を上げたな」
「流石は応龍と言ったところか、前より更に力が増してる」
それに、何だかいきいきしている気がする。それはきっと、もう隠したり出し惜しみする必要がなくなったからなのだろうが。
なんて思っていると、彼女は月のような銀のきらめきを亜麻色へと変化させた。いつもの――仲間達がよく知る黎琳へと戻ったのだ。
「だから、応龍扱いはやめろって言ってるんだ」
「事実だから仕方ないだろ」
堅物はこれだから嫌いだ、とため息を着く黎琳。
「……私は応龍という存在価値は好きじゃない」
「え……」
本音を語ろうかとした時だった。
『まさか応龍殿とは……何かのめぐり合わせか?』
大きな生物がのしのしと歩いてくる地響き。ここまでにどうして気がつかなかったのだろう。
蠢くは蛇を宿した黒い亀。そう言えばこんな生物、何処かの歴史書で見た覚えがある。
「私を知っているとは、これはかなりの大物らしいな」
「七神、な訳ではないよな?」
『この国の価値観だけで語るな、少年。世界と言うものは広い』
その言葉で黎琳はこの生物が国外の――隣国の聖獣であった事を思い出した。
四方を治める聖獣。北を司る、玄武。
「まさか古代から生きながらえていたとは初耳だ」
『我らは確かに滅んだ身だった。だが、輪廻の輪から突如外され、この地へと召喚させられたのだ』
「溜謎の仕業、か」
こんな周到な準備を何百年もの間やっていたのだろうか。
計画が最終段階に入って、黎冥を利用して――。
「何処までも小癪な」
本当に腹立たしい。溜謎にしろ、主神にしろ、過去の因縁は自分達だけでけりをつけて欲しいものだ。それに周囲を巻き込むなんてもっての他だ。
けれど、一番腹立たしいのは、助けを呼ぶ黎冥の声に気付けなかった自分自身でもある。
『我が力、とくと受けよ!』
前足を宙に上げ、勢いよく地面に叩きつけた。途端、地が割れ、黎琳と衿泉が分断されてしまった。
足場がこれほど揺れていると、目標に迂闊に近づけない。
そして地震のせいで、地下からやって来る振動にも気付けなかった。
「!!」
二人して地中から出てきた蛇に巻きつかれてしまった。
『口ほどにもない』
身動きの取れない彼らに、毒牙が襲い掛かる。
衿泉は必死で双剣を動かし、牙を受け止める。が、黎琳は動く気配がない。
――締められて、気を失っているのか!?
とても彼女の元へは行けそうにない。このまま喰われてしまうのを見るしかないのかと覚悟した。
が。
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
『は……!?』
次の瞬間、蛇の姿は一瞬にして消えた。否、赤い粒子となって破裂したのだ。蛇の身体を流れる気の流れを止めれば、気は行き場を失い、やがてその身から一気に溢れ出す。その勢いで蛇は跡形もなく吹き飛んだのだ。
着地し、瞬時に玄武の懐へと滑り込む。
「吹き飛べ!!」
気に吹き飛ばされ、玄武は仰向けに倒れる。その衝撃で締める力が緩んだ隙を逃さずに衿泉は蛇の首を切り落とした。しかし、流石の大物に耐え切れなかったのか、剣が刃毀れして真っ二つに折れてしまった。
玄武と言っても、所詮は亀、と言うところだろうか。短い手足でもがいてももがいても起き上がる気配はない。
しかし少々あれほどでかく重たい物を吹き飛ばす気を発生させるのは、骨が折れそうだった。右手が反動でじんじん痛んでいたが、黎琳は構わなかった。
「大口叩いた割には弱いな?こっちはぴんぴんしてるし、いつでもお前の首を切り落とせるぞ?」
「そこまで挑発する必要、あるか?」
「ある!」
自信満々に黎琳が威張るので、呆れてそれ以上物が言えなかった。
が、それが単なる意地っ張りからきているのではなかったらしい。
「どいつもこいつも私を誤認識するんじゃない!私は七神とやり合える程の力は持ってる!小娘扱いをされる筋合いはない!そして、私は私だ!応龍だなんて特別な扱いを受ける時もあるけど、私はこれが普通なんだ!過大評価も御免だ!今ここに在る私自身をよく見つめろ!」
固定観念に縛れるのを嫌う、彼女らしい怒りだった。
『面白い応龍だ。龍としての強大な力と、人間としての熱い心と、その両方を兼ね備えた、な』
とうとうもがくのをやめてしまった玄武。しかし、紡がれた言葉は黎琳の心に突き刺さる。
『しかし、お前の兄はどうだ?力も、心も、天性のものだ。今このような状況下となったのは、その天性が欠けてしまっているからであろう?何をしようが、お前はあの兄をお前のようには出来まい。あれを取り戻す事に命を賭けるなど、とんだ無駄だろうて』
「……黙れ」
『可愛い妹の名を呼んでいても、妹を認識する理性すら失われている。あれは助けるべきでない。滅ぼすべきだ。さすれば、地上も、天も、平和になるだろう。あれは完全な国の毒だ。情けをかければ、お前達は間違いなく闇に呑まれ――』
「黙れ!」
黎琳の感情に乗じて気が乱れる。
彼女が意図せぬうちに、玄武の首が気の圧力によって押しつぶされる。
瀕死の状態のはずなのに、玄武は最期まで話すことをやめなかった。
『いや、お前は……同じだ。お前も……消える、べき……だ……。呑まれる……前、に――』
血みどろになった自分の身なりを見て、黎琳はその場にへたり込んだ。
「黎琳!」
「来ないで」
駆け寄ろうとした衿泉を黎琳が制した。
すっかり忘れていた。
自分の中にも確かにある事を。
黎冥を暴走させている、闇が。
「私も、同じ……。だから、私には黎冥を救えない。そうだとしても私は出来る事は全てやりたいんだ。その上で――」
もし失敗して、自分すらその闇に身を委ねる事となってしまったら。
「私を容赦なく殺せ」