東の戦い
「はあっ!」
槍を一振りし、その風圧で妖魔を吹き飛ばす。
体制を崩した敵へたたみかける。
「これで最後だ!」
顔面に一発拳を叩き込み、降参させた勇敢な少女――春蘭は誇らしげに鼻を鳴らした。
鎖にかかった獲物を解きながら、銀蒐は小言を言う。
「春蘭殿が無茶さえしなければもう少し効率よく戦えたものを」
「力の出し惜しみなんてしてる場合じゃないのは事実だからな!あらかた片付いた事だし、黎琳の所へ行こう」
本当に効率が悪いのだ、この少女は。
これから本戦を控えていると言うのに、この有様。妖魔がゴロゴロ辺りに転がっているだけならいいのだが、あちこちに隕石でも落ちたような穴や、倒れた木々が目立つ。別にそこまで本気を出す必要はなかったと思うのだが。
そして春蘭の手の甲は赤くなっていた。本人は気にしていないが、後で春零が困らないか銀蒐は心配だったのである。
「身体はもっと大事にすべきだ」
「そうだな……あたしの身体じゃないし。ご心配どうも」
ひらひら手を振る春蘭。
完全に油断していたそこへ巨大な生物が襲い掛かってくるとも知らずに。
「春蘭殿!!」
振り返った時にはもう遅く、その細い首を掴まれていた。
「かはっ!?」
『同志よ、何を人間などに屈服している?』
同志などと言いふかすのは、深海の青をした一匹の龍だった。一瞬黎琳の親族かと思ったが、すぐに纏う同族の気配に春蘭はその正体を見抜いた。
「お前も手駒にされた妖魔か……!」
『そうだ。しかし元がお前などとは到底格が違うがな!』
振り下ろされ、そのまま地面に激突する。
『我に背くと言うのなら、その魂引き抜いてやろう』
その爪が虚空を掴んだ。しかし春蘭の魂の先端を確かに掴んでいた。
「ああああっ!」
上へと持ち上げられ、春零の身体から春蘭の魂が無理やり引き剥がされる。
『身体もろとも滅ぼしてくれるわ!』
「そうはさせない」
槍を振りかざす銀蒐だったが、全く相手にされてなどいなかった。
手で受け止めるかと思えば、反射良く尾が真後ろから鞭打った。飛ばされ、その身体は木に激突した。
「銀蒐!」
身体を動かしたくても、動かなかった。半分以上魂が離反してしまった今、もう春零の身体を使う事が出来ない。
心の中で未だ意識を取り戻す気配のない春零が早く気付く事を祈った。
『人間など、到底我の足元には及ばない。この我を止められるのは神のみだ!何故なら我は四神が一人、青龍であるからだ!』
冷気が集まり、放たれる。
避ける事も出来ず、このまま二人して氷漬けにされるのを覚悟した時だった。
目の前に突如大樹が生え出し、それが盾となって冷気を受けた。凍りついた大樹は濃い緑を維持したまま盾のごとく微動だにしなかった。
『何者……!』
うろたえる青龍に今度は無数の蔦が絡みついた。
動きが止まった今が最大の好機だった。春蘭が再び春零の身体へ入る事を試みた。
ところが。
背後から最後のとどめと言わんばかりにきつい一撃を受けてしまった。その反動で春零と春蘭は完全に分離されてしまった。
「それ以上生人を穢すな」
七神の証を引っさげた女が春蘭にそう言い放った。
『穢す?あたしは黎琳にしかと浄化された身だ』
「そういう問題を言っているのではないのだよ」
もがく青龍などお構いなしに緑を司る神は告げる。
「お前が彼女の心の中に生き続ける限り、彼女はずっとお前に依存して生きていく。それがどういう事だか、分からないとは言わせない」
『!……』
春零は「先」を見据えられていないのだ。過去、そして今現在の状態に頑なに縛られている。
「先」がないのなら、あるのは――孤独と絶望、破滅
分かっているつもりだった。つもりだったのに、こうもしがみついてしまっていた。否、忘れていたのだ。
夢心地からようやく現実へ引き戻されるこの時が、やって来てしまったのだ。
「ん……」
春零が意識を取り戻し、その場で身を起こした。虚ろなその瞳で春蘭の魂が離反しているのを見た瞬間、悟ったらしい。ぼろぼろと大粒の涙を零し出した。
「春蘭……もう、春零とは……居られないのですか?」
『……あたしが居なくても、もう春零は大丈夫。違うか?』
横目でチラリと想い人様を見てやる。からかっていると知って春零は頬を膨らませた。
『七神にはずっと黎琳は黙っていたらしい。そこの妖魔に引き剥がされてしまったついでに強制連行らしいし』
「ちょっと待ってください!あと少し、この戦いが、あの闇の応龍を倒すまでは……!」
「既に延長はしてもらったはずだろう、あの意外にも情け深い我らが応龍より」
「……!」
話し込んでいるうちに、蔦が破られていく。
ブチィッとあからさまな音を立てた頃にようやく気付いたが、遅かった。
『この青龍を無視するなど、許さん!』
狙ったのは春蘭でも緑晶でもなく、春零だった。
意識が戻って間もないせいか、春零は反射良く動く事が出来なかった。
『春零……!』
咄嗟に動いた春蘭。
今自分の魂そのものを保っている内なる気を解き放った。
流石の青龍も春蘭の捨て身の攻撃をまともに受け、仰け反る。その隙を逃さずに緑晶がその肢体に薔薇の茨を突き刺した。
噴き出す血をまともに浴びる春零。
目の前に居る魂のみの姉の姿は紙のように散り散りに破れていた。その欠片の状態で、春蘭は春零を見、微笑んだ。
後ろでようやく目を覚ました彼に、たった一言遺す。
『春零を、ずっと……見守って……』
覚悟していたはずなのに、涙が一粒目じりから零れた。
そして春蘭は淡い光の粒子となって完全に魂が崩壊した。もう彼女の分子を持った者にさえ会えない。生まれ変わっても、双子として生を受けてくれる事もない。幸せも何もかも、来世への希望さえも奪われてしまった。
冷ややかに見ていた緑晶に春零は詰め寄った。
「春零は……春零はこれからどうすればいいんですか!!春零にとって春蘭は……春蘭は!」
「今この状態が永遠に続くとでも思っていたのか。現実逃避にも程がある。世界をどうのと言う前に、まず自分の存在のちっぽけさと愚かさを知れ。世界を見据えるなど、お前には早すぎる」
「なっ……」
反論する事も出来ず、潤んだ瞳で緑晶を睨みつけた。
「悲しみに暮れている時間も惜しい」
最後の一発を浴びせて踵を返し、緑晶は行ってしまう。
事の始終を見ていた銀蒐は黙って春零の背後に立っていた。
「春零だって……本当は――」
残りははっきりとした声にはならなかった。