西の戦い
「桜、紅……」
信じられない、と言わんばかりの呆けた顔。
地面に着地し、迫り来る死の森の瘴気に神聖たる炎を浴びせてやる。炎に触れれば浄化されてしまう事を悟り、瘴気が退く。
その勢いに乗じてやって来た妖魔の大群もたじろぐ。全くこれほど大量の妖魔を隠していた事に気付けぬ応龍も、まだまだ節穴だ。
これに触発されて、妖怪の発生も活性化しなければいいのだが。
『ソ、ソコヲ退ケ!』
恐怖に回らぬ舌を無理やり鳴らす妖魔。桜紅は軽く笑みを浮かべつつも、威圧する睨みをきかせる。
「誰に向かってそんな口をきいているのかしら……?」
次の瞬間、その妖魔が真っ赤な炎に包まれた。
『ギャアアアアァァァァ!』
皮膚が、肉が焦げて炭となる。ふうっと息を吹きかければ、呆気なくその形は崩れ去り、灰が宙を舞う。
地面に僅かに残った蒸発した血の跡を見て、他の妖魔は焦りを隠せなかった。七神指折りの温厚な性格だと言われている火の七神がまさかここまで出来るとは思いもしなかったのだ。
「口の利き方も知らない、不浄な輩めが地上を徘徊するなどあってはならない事。……滅します。悪く思わない事」
「浄化せよ!」
『ヤ、ヤメテクレ!我々ハタダ……!!』
口答えなど許すはずがなかった。
香耀の起こした風が炎の威力を更に増大させる。たった一匹に点けた火種が次々と燃え移る。
地獄の底から轟くような悲鳴。肉の焼ける酷い臭いが辺りに充満する。それが風に乗って二人の鼻腔を刺激する。しかしそれも慣れてしまえば平気なのが怖い所だ。
燃やす相手がなくなった炎はみるみる小さくなっていく。
残るのは真っ黒の炭の塊。それも風に吹かれて崩れ、土へと還っていく。
『オ、ノレ……我々ヲ……ドコ、マデ……苔ニ……スレ、バ……――』
『コノ恨ミハ、……晴レヌ、永遠、ニ……』
妖魔の残留思念がその無念を途切れ途切れに語って消える。
死の森の広がりが著しく低下している。これで西はしばらく心配なさそうだ。
「次、行くぞ」
「貴方に指図される覚えはないわ」
「……行きましょう、七神、桜紅様」
「そこまでへりくだれといった覚えもないわ」
「……分かった。次へ行こう、桜紅」
納得したように桜紅は頷く。七神として天界に共に居た時には、仲むつまじかった二人なのだ。ここで喧嘩などするなどもってのほか。
再び意気投合できた喜びを互いに噛み締めながら、他の方角の援助へ向かおうとした時だった。
『何処へ向かうつもりなんだね?童を差し置いて』
何処からともなく声が轟いた。
いつの間にか背後に巨大な白の虎が居た。隣国の伝説で語られる聖獣の一匹、白虎の姿をした妖魔だ。向こうの神曰く、聖獣は今はもう役目を終えて居なくなったに等しいと聞いていたが。
「ほう、幻影か」
『幻影などではないわ、若き神々よ。童達聖獣は魂をここへ呼び寄せられ、望まぬ鎖に囚われてしまっただけ』
「そんな事が出来るほど溜謎は成長しているのね……」
あの烙印によって動きも制限されているはずなのに。これも生まれ持った才のせいなのだろうか。
一介の狐ごときに御せられるなど、聖獣としての威厳が許さないだろう。が、鎖を解かぬ限り、その命に背く訳にはいかない。意を互いに理解できても、争いは避けられない。
これが、溜謎の更に陰湿になったやり方なのだ。
「悪いが、いくら鎖に縛られているからとは言え、手加減はしない」
『もうそんな事はどうでもいい。童を楽しませておくれ……!』
白虎は地を蹴り、疾風の如く駆けた。巻き起こった風が壁となって、香耀と桜紅を分断させる。
そして牙を香耀へと向けた。
彼女は焦らず、その四肢の間を通って回避した。
背後をついた所で、かまいたちを飛ばす。が、思った以上に毛が厚いせいで、身に傷をつけ損なってしまった。せめてもの救いが、その尾を半分ほど切断したくらいか。
悲鳴を上げ、血の噴き出る尾を追い掛け回す白虎。のた打ち回るようで、動きが読みづらい。
「!」
桜紅はもろに白虎の爪を喰らってしまった。脇腹から血飛沫が舞う。
苦々しそうな表情を浮かべた桜紅だったが、すぐに立て直して呪を唱える。
「風は我が力にすれば、絶好の糧!」
白孤の足元に小さな火種が落とされた。白虎に渦巻く風の流れがそれを最大限に増幅させ、爆発に等しく燃え上がった。
『ぐぎゃあああぁぁぁ!』
火達磨になった白の虎にもはやその面影はない。呻きもがくので、香耀と桜紅は数歩後ずさった。不意打ちをされてはこちらにかなりの負傷を与えかねない。
『こ、このままで……終わると、思うな!』
言うなり白虎は纏う風を更に強めた。炎はまさに火柱となって凄まじい熱を帯びていた。
どうしてこの局面で風を強くしたのだろうか。あの炎が強まれば強まるほどその肉体・魂でさえ燃え尽くされる時間が短縮される一方なのに。
こんな威力のものが――。
「まずい……!白虎は身を滅ぼすほどの熱風をこちらへ発射させるつもりだ!」
「!!」
『共に永遠の眠りへ誘ってやろうではないか!』
最大限の出力で、炎が発射された。その瞬間、白虎の姿は塵となって消え失せた。炎は周りの緑の森を赤く焼き染め上げて二人へと迫ってくる。
いつもの本調子なら避ける事など造作もなかっただろう。しかし、香耀は疲労と傷のせいでこれ以上風を発動させられそうになかった。桜紅も先程の傷が痛み、呪を唱えられそうにない。
精一杯の力で真横に飛び退いてみたものの、完全には避け切れなかった。
熱風が二人を襲う。服に炎が燃え移り、露出した肌を焼く。
「ああっ!」
そのまま前のめりに倒れる二人。
意識こそ失ってはいなかったものの、とても今は動けそうになかった。流石は白虎の攻撃だ。七神の身体にここまで傷をのこすとは……。
「桜紅……他の方角が心配だ」
「ええ。蒼翠が無茶やってないか……」
言ってる側から彼担当の南の方角から爆発音が聞こえた。地がビリビリと揺れる。
「……少し、休もう。それまでは何とか持ちこたえてくれると信じている」
「分からない、そこまで人間の力を信じられるのか」
「七神は知らなすぎるだけだ。人間の本質本来の力を」
確信に満ちた香耀の口調に、桜紅は顔をしかめながらも、しばしの休息に目を閉じた。