天界からの逃亡者
「どうして貴様はいつも調子に乗るんだ!!」
「調子に乗った事は認めるけどさ!逆にどうして僕だけ怒られているんだよぅ!」
「日頃の行いが悪い」
「衿泉の言うとおりですね」
「全くだ」
誰も陳鎌の味方をしようとしない。何と冷たい人達だ、と悪態をつくと、今度はそっちから睨まれる始末。
「助けて欲しいなぁ~、ねえ黎琳」
期待の眼差しで振り返れば、そこには誰も居なかった。
「あれ、黎琳は何処行ったんです?」
「黎琳殿は確かにそこに居たはずなのだが……」
「ちゃんと見てなかったんですか!?」
「……不甲斐ない。私がもう少し注意をしていれば」
「そんなに遠くには行ってないはずだ。探してみよう」
辺りを捜索しようとした衿泉らに釘を刺したのは蓬杏だった。
「忘れたのか、皆の衆?黎琳は応龍じゃぞ?もしかすると何処か遠くへ気分転換に散歩でも行ったのではないか?」
「!応龍なら何処へも飛んでいけますものね……」
探しても無駄かも知れない、という考えが浮かび、動きを止める衿泉。
本当にそうなのだろうか?
前にも何度か姿が見えない事はあった。でもそれは都合の悪い事があったりする時だけだ。とは言え、応龍としての正体が知れた今、都合の悪い事なんてあるだろうか。もしあるとしたら……。
――……ここまで来て、それをするかよ、あの馬鹿!
「のんびりしちゃ居られない、出発するぞ!」
「どうしたと言うんだ、衿泉殿?」
「そうだよ、黎琳はどうするって言うんだよ!?」
「違う、あいつは先に行ったんだよ!」
また油断していた自分への苛立ちを仲間達にぶつけるのは腹違いだと自覚していた。けれど、ここまで馬鹿な事をさせるほど自分達が頼りない存在であると言われているようで悔しかった。彼女の事だから、そんな風に思わせるつもりはさらさらなかったのだろうが。
言葉の意味を解釈した皆の表情から血の気が引いた。
「妾が……妾が操られたせいじゃ」
「別にあんただけのせいじゃないと思うよ?僕だって混ざってるんだから、今度は僕の可能性だってあるんだから」
「責任転嫁の話をしている場合ですか!!」
口ばかり動かす二人に一喝する春零。と、意識の奥から彼女の姉がせり上がって来た。
『春零、あたしに変わらせろ。敵陣に乗り込むんだから、それまでにフラフラになっては困るだろ?』
「あ、春蘭。お願いします」
春蘭の言うとおりに春零は引っ込んだ。
蓬杏にはまだ春蘭の存在の話はしていなかった事を思いだし、銀蒐が説明に入る。
「春零は身体を共有する双子の姉の魂が宿っているので、二重人格のようにころころ変わるので、ご注意を」
「そういう話を何故今頃するのじゃ!?」
「前から話そうとしていたけど、そっちが自由奔放過ぎて機会がなかったんですけど?全く我儘に育った姫のお守りとは、陳鎌も苦労するなぁ」
「そうだと思うよね、春蘭嬢!?」
「何処まで脱線したら気が済むんだお前等!」
ぴりぴりしている衿泉の鶴の一声。押し黙って広げかけていた荷をまとめる。
と、一番切羽詰っている様子だった衿泉の手が止まった。
「どうしたんだ?」
そう春蘭が声をかければ、鋭い目が近くの木の後ろを捉えた。
「いつからそこに居た?」
「!」
「別に敵意がないようだったので、放って置きましたが、いつまでそこにいらっしゃるのだろうかと思ってましたが」
どうやら銀蒐も気付いていたらしい。
隠れきれない事を悟り、影は蠢いた。現れたのは美人の女。黒髪を団子にまとめあげており、橙の瞳が鋭くも何処か優しい印象を受ける。纏う服は白基調の絹のものであったが、あちこちに傷や血のしみがあった。
「一体それはどうされた?」
「……少し喧嘩をしたものでね。それより、あの子の後は追いかけない方がいい」
「!黎琳を知っているのか!?」
黎琳の事を知っていると言う事はこの女、只者ではない。思わず身構えてしまう衿泉。
「忠告はした。死にたい者だけ、進むがいい。それをあの子は望んでいないと分かった上で進む事がどれだけ愚かか、その身を持って思い知るがいい」
去ろうとする女を春蘭が引き止めた。
「あたしはあんたを何となく知っているような気がする」
「当然だろう。お前にその体術を身につけてやったのは他でも無いこの我だ」
「!!」
この女が体術を使いこなせるようには思えなかった。装飾品などがはっきり言って邪魔だろうし、足もまともに振り上げられなさそうだった。
ところが、そんな思考を読み取ってか、女はそこにあった木に向かって足を振り上げた。少しの地響きの後に、木は根こそぎ奥へと倒れた。見かけによらず、かなりの破壊力の持ち主である事は十分に分かった。
が、傷が開いてしまったのか、その場に彼女はうずくまってしまった。
慌てて春蘭が駆け寄り、春零へと交代する。春零はまたもや理由を後回しに傷を癒すために歌わなければならない事に、一瞬顔をしかめたものの、このまま放っておく事も出来ずに歌を紡ぐのであった。
癒しの歌が彼女の身体の傷を塞ぎ、回復させていく。歌にそんな力が宿るとは思っていなかったらしく、彼女は物珍しそうに春零を見ていた。
「すまない……。助かった」
「無理は厳禁ですよ?……それで、春蘭に体術を教えたってどういう事です?貴方は黎琳に関係があるのですよね?只者ではない貴方がどうして――」
「我が名は香耀。元七神の一人だ」
「「!!」」
「地上への定期的な視察の時に、まだ幼い子供だった死人の魂を見つけた。活発に遊ぶ子供を見て、呟いていた。あたしも春零を影から支えられるように強くなりたい、と。その願いに惹かれ、我はついついその者に我が体術を伝授した。それを機に成仏したものだと思っていたが――」
『鎖のような闇の呪縛が、あたしをこの地上へ繋ぎ止めていたのさ』
春零の精神のみにしか聞こえないはずの声が、元七神の一人である香耀には当然のように聞こえているらしい。普通に会話を繋げていく。
「それほどに黎冥と溜謎の怨念は強い、と言う事か……」
『死人の魂だけでなく、今生きている者達を道具にして、弄び、捨て置くその残酷な様をあたし達は目の当たりにしてきた。その状況を見て、七神が何も手を出さないとは言わせない。……あんたはどうせ黎琳を追うんだろう?』
「頭の回る娘なことだ」
至った結論を香耀は言った。
「我も共に行こう。……本来なら許される行為ではないだろうが、我は既に七神ではない。ただの香耀として、この力、使おうではないか。我も、あの子を悲しませたくはないし、死なせたくもない」
「香耀、とか言ったな。黎琳の元へ追いつける確率は?」
「何、我の風を使えば簡単な事だ」
そう言って、香耀は右手を高らかに上げた。するとそれを中心に空気の流れが出来上がり、凄まじい風圧が一行の身体を宙へと浮き上がらせる。
風は空中で船のように形作り、それに一行は乗せられた。
「さあ、あの山の中へと入るぞ。今一度聞こう。覚悟はいいか?」
「勿論です!」 「当然」
「当たり前だろ!」 「言うまでもない事」
「覚悟ならとうにしておるのじゃ!」
それぞれの返事が返ってきた所で、一行は帰ってこれるか分からない闇へ通じる道へと入っていくのだった。