迫りくる闇の脅威
9月始めに学祭があり、それの準備などで多忙となるため、小説の更新が遅れると予測されます。
予め、ご了承下さい。
しばらく休息を取るだけで黎琳の傷は回復した。もう応龍の力を抑える必要がないため、普通に自分の力を使えるのは有難い事だ。
でも一行を取り巻く空気は気まずいものだった。どう話しかければいいか、誰しも戸惑っていた。
が、考えるのが一番嫌いな春蘭が春零の表層に現れ、一喝した。
「だああ、もう!普通に話せばいいじゃないか!普通に!あたしは応龍に特別敬意を払うつもりは全くもってないし、普通に黎琳として接すればいい事じゃないか!」
「……うん、それは分かってはいる」
ただ黎琳が応龍であるという事実に頭がついていってないだけ。
「黎琳も黎琳で普通にしてればいい!」
「私は普通にしてるつもりだ!」
普通にしたら完全に口数が少ないではないか、と春蘭は思った。
『春蘭の言い分はよく分かりましたよ。後は春零に任せて下さい』
「そうか?なら……」
素直に春蘭は引っ込み、春零が戻ってくる。
「黎琳、春零は貴方にとても感謝しているんですよ。春零は貴方に何度も救われた。春蘭を助けてくれたのも黎琳。未来への希望を持たせてくれたのも黎琳。全部今目の前に居る貴方のお陰です。春零は嬉しいです!黎琳とこうして仲間になれた事が!」
「それは私だって感じて……!」
珍しくも銀蒐が大声を発した。そしてばつの悪そうに目を逸らした。思わず本音が出てしまった、と言ったところだろう。
「二人だけじゃないよ。僕だってそう思ってるさ」
未だ目覚めぬ蓬杏の傍らで陳鎌も呟いた。
熱いものが目の方へとせり上がってくるのを黎琳は感じた。その微かに潤んだ瞳で、衿泉を見た。彼は言葉を発する代わりに大きく頷いた。かと思えば。
「お前は応龍であったとしても、俺達の仲間である黎琳に変わりない。お前らしく、居ればいい。俺達も今まで通りだ。何も、変わりはしない」
「衿泉……」
衿泉は黎琳を引き寄せ、ぽんっと叩くように頭を撫でた。
――やっぱり私は、お前達に出会えて本当に良かった
顔を埋め、小さく嗚咽を漏らした。
「!蓬杏……」
陳鎌の声に弾かれるように黎琳が顔を上げた。
とても目を覚ましそうな様子ではなかった蓬杏が身体を起こしていた。
「もう大丈夫なのか?無茶してまた倒れられたらまた困るからねぇ」
「……」
何も言わず、蓬杏は陳鎌の手首を掴んだ。
「……っ!?」
込められたその力は尋常じゃなかった。そもそも、子供である彼女には出せないはずの握力だった。このままでは圧迫されて、手首が使い物になくなってしまう。躊躇いつつも、陳鎌は彼女の手を振り払った。
しっかりと指と爪の痕が残った右手首を見、陳鎌が後ずさる。ゆらりと立ち上がる蓬杏の後ろで黒い靄が暗躍する。
「陳鎌は下がっていろ!」
前へと出る黎琳。
「ふ……うっく……うわあぁぁぁ!」
絶叫し、こちらへと突っ込んでくる蓬杏。駄目だ、完全に我を忘れて乗っ取られている。
あの靄を払えるのは黎琳だけだ。恐らく春零の歌でも引き離すまではいけない。あの靄はただならぬ妖気を放っている。いつものものとは比べ物にならない。少しでも触れれば、普通の人間なら伝染してしまう。
子供の突進をあっさり黎琳はかわした。
背後を取った所で、靄へと一発強めの気を放ってやる。
ドンッと音を立てて破裂し、その風圧で蓬杏が前のめりに倒れる。
「やったみたいだね!」
「いや、喜ぶのはまだ早いみたいだ……」
確かに靄は散ったはず。だが、蓬杏は未だ立ち上がり、黎琳へと向かおうとしていた。
先程とは様子が少し違っていた。頭を抱え、虚ろにぶつぶつと何やら言っていた。それに耳を傾けてみる。
「な、ぜ……妾ばかりに……それを……――ああ、……こんな、こんな事が……あって……たまる、ものか……」
「しっかりするんだ、蓬杏!」
迂闊に近寄るのは危険である事を承知で、陳鎌が蓬杏の元へ駆け寄った。何かあってからでは遅いので、いつでも攻撃出来るように黎琳は抜かりなく構えた。
「妾には妾の、やるべき事があるのじゃ……。そなたは、心安らかに……」
「……――そうだ、蓬杏。君には僕を監視してもらわないと困るんだよ?」
その声がしかと聞こえたようで。
「――当たり前じゃ!!」
正気を取り戻すなり勢い良く頭を上げ、見事陳鎌の顎を打ってみせた。文句の一つ言いたくとも、打った部分がかなり痛くて言葉を発することすら出来なかった陳鎌。
逃げ惑うように蓬杏の身体から完全に黒の靄が外へと出てきた。
「引導を渡してやる!」
すかさず気をぶっ放そうとした黎琳に靄は語りかけた。
『応龍は一人居ればいい……救世主としてこの世に君臨するのはお前ではない……この俺だ!!』
「!!」
ここで怯めばまた誰かが操られる事態になってしまう。まだ話を聞きたい思いもあったが、それを振り払って黎琳は気を放った。風圧と光によって靄は完全に消え去った。
しばらくして、黎琳はその場に膝をついた。
「黎琳!まだ傷が治ってないんじゃ……!」
「ここでそんな戯言を言うておる阿呆は誰じゃ!」
身体を気遣った優しさが裏目に出た陳鎌。とっかかろうとした彼を無視して蓬杏が黎琳の前にしゃがむ。
「あの靄が妾に語った事は本当なのじゃな、黎琳?」
「……」
何も言わずに居ると、蓬杏は突然頬を引っ叩いた。乾いた音が小さく響いた。きょとんとした黎琳に蓬杏が仁王立ちで高らかに言うのだった。
「確かにお前達と会うまでは、救いを寄越さぬ応龍の存在を憎んでいたのじゃが、今は違う。あの時、じいややさっきの妖弧を追い払うために影に隠れて出来る事をしていたのじゃろう?妾はいつまでも誤解してわだかまりを作っているほどお子様ではないのじゃっ。……それに、妾をこうして自らの籠の中から出してくれたのは他ならぬ黎琳なのじゃ。恩人の正体を知ったところで、感謝の念は消えんわ。……――感謝、しているのじゃぞ!?そこっ!笑うでないわ!」
陳鎌だけならまだしも、衿泉、春零が微笑ましくそこに佇んでいたものなので、逆上して追い回し始める蓬杏。銀蒐は黙ってその様子を見ていたが、目だけはしっかり微笑ましく見守っていた。
きゃいきゃい騒ぐ一行を余所に、黎琳は少しずつその輪から遠ざかった。
――私はお前達に何度も助けられた。そして今ではとても大切な存在となった。お前達がそこに居るだけで、私の心は救われ、力が湧いて来る。けれど……
この先を進むにはただでは済まない。現に黎冥が干渉してきて、仲間同士で傷つけあわなければならない状況になりかけた。そんな危険な場所へ引き連れていくわけにはいかない。
……ここが、別れを告げる時なのだと思う。
仲間達が気付いたら間違いなく怒ってついてくるだろう。そう分かっていても、黎琳の別れの決心は揺らがなかった。
黎冥そして溜謎の狙いが自分であるとよく分かった以上、自分と一緒に居ない方が安全である事には変わらないからだ。もしかしたらこの戦いで自分は命を落とす可能性だってある。それを目の当たりにして悲しませたくはない。無謀な事に走らせたくもない。
――行こう、残された時間はもう少ない
一つ気掛かりとしたら、一番特別な存在となった衿泉にも別れの挨拶すら交わせない事だろうか……。
川を易々と飛び越え、黒の森へと黎琳の姿は呑みこまれていった。