残された時間
「応、龍……」
声を出しただけでも胸が痛む。もしかしたら、胸骨が折れて、肺にでも刺さっているのかも知れないが。
「お前は休んでていい。動くな」
言うなり応龍は光り輝く気を放ち、衿泉の胸の傷を癒し始めた。少々痛みが伴ったが、身体の機能が確かに復活していくのを感じた。
傷跡すら残さず、衿泉の傷は完全に回復した。
「すまない、応龍」
「さあ、あの男も連れて、早く行け」
「……」
衿泉は陳鎌を抱え、去っていく。
『また邪魔をするか、応龍!……我々には成さねばならぬ事があるのだ!』
「黙って殺されるほど、人間も、他の妖魔も出来てはいない!」
衝撃波同士がぶつかり、激しい風を巻き起こす。
「私は使命として地上に降りてきたが、私個人としても、お前達の行いを許すわけにはいかない!」
『それが、貴方の兄を救うためだと知っても?』
「!?」
『直、彼は目覚めるわ。そして彼こそが本当の応龍として世界に君臨する。貴方は、邪魔なのよ』
「……」
『彼のために、ここで死ぬがいいわよぅ!』
黎琳はどうすることも出来なかった。
封印はいつか解けるとは思っていたが……。解けて、彼が目覚めたら、自分は厄介者でしかないのか、と。
歯を食いしばり、なけなしの波動を打つ。そんなのでは到底溜謎の衝撃波は受けきれない。
迫る衝撃波。どうすることも出来ないでいる黎琳。
その間に割って入り、衝撃波を受け止める一人の戦士が居た。
確実に仕留めたと思っていた溜謎は驚愕を隠せなかった。
目の前に立ちはだかる後姿。それは先程陳鎌を連れて逃げたはずの衿泉だった。
「ど、どうして……」
「俺は頼りっぱなしっていうのが嫌いなんだ。そもそも、応龍の存在も最初は鼻っから信じてなかったが」
再び双剣が構えられる。
「共に戦おう、応龍。諦める事は許されない、だろ?」
「……そうだな」
先程の会話を彼は何処から聞いていただろうか。
まあ特に問題はないだろう。あくまで今、自分は「黎琳」ではなく、「応龍」なのだから。
『二人まとめて消し屑にしてやるよ!』
来たる衝撃波に衿泉と応龍は構えた。
ところが。
「……!?」
突然衝撃波が消えた。そして顔を押さえ、その場に悶え苦しみ始める溜謎。
一体何が起こっているのか二人には分からなかった。
彼女の左目下にある黒月の刻印が痛んでいたのだ。
『くそっ……こんな時に……!』
今ならとどめを刺せる。
応龍が右手に気の球を生み出し、それを今にも投げつけようとした。
それを後ろから衿泉が抱きついて止めた。
「何を!」
「殺しては駄目だ!」
『ふっ……あんたのおかげで助かったわよ、ありがとね!』
次の瞬間、溜謎の姿は目の前から消え失せた。
『ふふふ……もうすぐよ、もうすぐわたくしとあの方が望む世界を手に……!貴方達は手を拱いて見ているがいいわ』
そう吐き捨てて溜謎は完全に消えた。
気配を辿ろうとしても、今の応龍には出来なかった。
完全に密着した部分を意識しているせいで、精神を集中させる事など到底叶わなかったからだ。
「何故……止めたんだ」
苦虫を噛んだ気分だった。
折角首謀者をここで潰せたかも知れないのに。
「そこで命を絶ってしまえば、全てが終わる訳じゃない……」
――そう言えば、あの姫も言っていたな
「その手を、進んで血に汚そうとするな、応龍。俺が――俺達が、ありのままの応龍そのものを支えるから」
「――……」
他の命を絶つ事は許されない、と言う事だろう。以前に黎琳自身が彼に教えた妖魔と人間の命の重さを確かに感じてくれていたようだ。
確かにおかしいと自分自身でも思った。昔とは違って、命の尊さをしかと思い知ったはずなのに。黎琳である時こそありのままの自分の意思で行動できるのに、応龍になると大いなる力に制されたように、殺意が湧いた……。
――もしかして、私、再び闇の渦に引き込まれようとしているのか……?
「……っ」
衿泉の腕を振りほどき、応龍は駆け去った。
去り行く応龍を衿泉は追いかけようとはしなかった。……否、その後姿をじっと見つめていた。
何せ、束ね上げられた、揺れるその髪型は髪色こそ違えど、黎琳と類似していたからだ。
後から思えば、彼女が着ていた服も黎琳のとよく似ていたような……?
――そんなまさか、な
応龍の姿が見えなくなったのを境に踵を返し、衿泉は近くの木陰に放置していた陳鎌の元へと向かった。
「よう……」
放置している間に意識こそ戻った陳鎌だったが、受けた傷は酷いものだった。これはまた傷跡がしっかり残ってしまいそうだ。出血は激しくこそないものの、このままでは貧血を起こしかねない。
「とりあえず、春零達と合流しよう。たぶん治療の出来る鳥族が誰か居るだろうし……」
「果たして、そこまで、持つかな」
「何弱気になってるんだ。いつものお前みたいに楽天的になってろって……」
ふと、衿泉は残された時間を意識した。
果たして、その範囲内で彼女達に追いつけるかどうかと言うところだ。
時が止められるのならば、そうしたい。けれど、それは叶わない。
――くそっ。俺が要らない事を言ったから、応龍は去ってしまった……。どうすればいい?もし、このまま助からなかったら
「何、泣きそうな、顔してんだ」
ようやく見せたいつものへっちゃら顔。それでも衿泉は顔の歪みを戻せずに居た。
と、そこへ。
「男のくせに、何を泣きそうになってるんだ、この下僕がぁ!」
男勝りな怒声と共に、黎琳が茂みの中から登場した。
「黎琳!じいやはどうした!?」
「……もう少しの所で逃げられた」
まさか殺した、だなんて、今の衿泉に言えるはずもなかった。
「酷い傷だ……何があった?」
「説明は後だ。こいつを、早く……」
「だから、泣きそうになるな!鬱陶しい!」
文句を言いつつも黎琳は手先に気を集中させ、陳鎌の傷を包み込んだ。
応龍としてここに居るわけではない以上、魔法のように即座に回復させる事は出来ない。地道にゆっくりと傷を癒していく。
それでも数分すれば傷もしっかり治った。
「ありがとう、黎琳」
「……」
黙って黎琳は踵を返して歩き出す。連れないなぁと言いながらも陳鎌は自らの力で立ち上がり、後を追う。ほっと胸を撫で下ろした衿泉もその後に続いた。
――こうしていつまで一緒に居られるのだろうか、皆と
そう黎琳は一人、胸中で焦りを感じていた。