逆の視点
「衿泉殿!陳鎌殿!」
いくら呼んでも無言の回答しか返って来ない。
そもそも、そんな事をしても無駄であると黎琳は直感していた。
あの時二人に働いていた力は見覚えある移動関連のものを応用したものだ。容易く声が行き届くような場所に移動したとは考えづらい。
「どうしましょう……?これでは……」
身動きが取れない。
仮に戻ってこれる状況なのならば、下手に動かない方が合流出来る確率がある。
けれど、それもきっと有り得ない。
恐らく彼らは結界の中あるいは狭間に呑み込まれたのだろう。そこから黎琳のように特殊な力を持たぬ二人が脱出出来るはずがない。
更に考えられるのは……――。
――鳥族の領域に侵入する形となったのだから、ただでは済まされない
背筋を悪寒が走った。
いつも以上に冷静さを欠いている自分がそこに居た。
どうしてこうも不安なのだろう。いつもだったら、自分に不可能な事はない、と自信を持てて居るのに。
「同じように後を追いかけられないだろうか、黎琳殿?」
「……っ」
たぶん追いかけられるであろうが……。
未知の領域である以上、中に巻き込まれた時点で何らかの傷を負うかも知れない。下手をすれば、命さえないかも知れない。
こんな自信のない状態で、どうやって先へ辿り着けようか。
「黎、琳?」
様子のおかしい黎琳を窺う春零。
「大丈夫だ」
作り笑いでそう言ってみるが、絶不調は治りそうもない。
「黎琳、貴方は不安なのですか?」
「そんな……」
図星を言われ、舌も上手く回らない。
「自分一人では押しつぶされそうなくらいの不安を感じている理由。春零が黎琳に教えてあげます」
すうっと春零は息を吸った。黎琳にとっては緊張の一瞬であったが。
「あの二人が――衿泉が心配で心配でたまらないから、ですね?」
どきんっと心臓が正直に跳ねたような気がした。張り詰めていた胸から苦しさが少しだけ和らいでいた。
――これが、心配している時の気持ちなのか?
「相手の事を想う気持ち。いつも衿泉が、黎琳に強く感じている気持ち」
過去に起こった出来事を回想してみる。そうだ、いつだって衿泉は離れ離れになると血相を変えてやって来る。
いつもなら心配される側である黎琳からすれば、心配する立場となるのはこれが初めてであるような気がする。まあ全然心配をしなかったわけではなかったが、自分のせいだと問い詰めなければならない心配は少なくとも経験していない。
――こんな苦しい思いを、今まで衿泉や、皆にさせていたのか?
知らなかった。
どれ程強さを持っていても、こんな思いが拭い去れる訳ではないのだ。当の本人は全然気にしなくとも、気付かぬうちに他者を苦しめて……。
何が応龍だ。
世界を救うべき存在が、身の回りの者の事でさえ気付かぬとは、笑える。
――私は、助けに行かなくてはならない。救世主として恥じぬようにあるために。そして――守りたいモノを守るためにも
膝から抜けていたはずの力が自然と戻っていた。ゆっくり黎琳はその場に立ち上がる。
「――二人はここで待っていてくれ」
「え!?」
「私が起こした事なのだから、私がけりをつけてくる」
「それでは、二人がああなったのは、黎琳殿の――」
有無を言わさず黎琳は気を炸裂させて、同じように結界にひびを入れた。
その中から溢れ出して来る力を我が身に集中させる。
先に消えた二人と同じく、黎琳の身体が薄れていく。当の本人は身体がここではない何処かへと引っ張られる感覚を覚えていた。
「いやぁ、黎琳!」
「黎琳殿!」
自分の名を呼ぶ声がどんどん薄れていく。
完全に中へと引き込まれた時、黎琳は結界の中にぽっかりと穴が開いているのを見た。果ての見えない真っ暗闇がそこに広がっている。
そこから加速して落下していくのを感じながら、目を閉じた。
遠くなっていたはずの声が近くに聞こえる気がする。
「……琳。黎琳!」
はっきり聞こえた。幻聴などではない。
閉じていた目をしかと開き、真上の顔を見つめる。
眉を顰めて見つめる春零と視線がぶつかった。
「良かった……」
ほっと安堵するなり、春零の身体が揺れた。反射的に起きた黎琳だったが、その反動で眩暈を感じてしまった。
後ろに傾げかけたその華奢な身体を支えたのは銀蒐だった。
数瞬おいて。
「春零は気を失ったようだ。倒れていた黎琳が目覚めた事で、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろうな」
「春蘭殿……」
払いのけるかのように春蘭は立ち上がった。
その彼女の後姿を見て、銀蒐が少し眉を顰めたかのように思えたのは気のせいだろうか。
「何故、一緒に来たんだ!?」
「黙って待っていられる程呑気じゃないよ。春零も、銀蒐も」
無言でこくりと頷く銀蒐。
「それで、ここは何処だ?」
「そんなの知ってたら苦労しないっての。そこら辺の宿から部屋を借りて、あんたを寝かすだろ、普通」
どうやら春蘭も相当苛立っているらしい。春零の意識が遠のいた所で、強制的に表へと出る事になってしまったからだろうか。
「にしても、気が付いて良かった良かった」
自らうんうんと頷く春蘭。横目でチラリと銀蒐を見やる。ばつの悪そうに銀蒐は目を逸らすのだった。
どうやら気を失っている間に二人の間で何かあったらしい。まあその辺の話は後でゆっくりと聞かせてもらおう。
今は到底そんな状況ではないようだから。
「また人間が……!」
「不浄な輩め!一体何処から入ってきたんだ!」
穏便済ませられないような雰囲気を漂わせる鳥族の者達がぞくぞくとやって来る。その手には斧やら弓やらがしかと握られていた。
背中合わせに三人は固まり、周囲を囲む彼らと対峙する。
思わず槍に手をかけようとした銀蒐に、黎琳が待ったとその手を掴んだ。
「黎琳殿?」
「お前達、またって言ったな?つまり、先に落ちた二人を掌中に収めているんだろう?やたらと歯向かったらどうなるか……」
ましてや陳鎌はその素性を知られていた時点で危ない。
「話の分かる娘だ。さあ、我々と来い!」
不本意ではあるが、言われるがままについていくしか出来なかった。
彼らの身の安全を確保するためにも。