封印
山奥へ籠もった藍樺は、激しい火傷を負った我が子を必死で看病した。
その甲斐あって、彼はみるみる回復し、あの惨劇から三日後に意識を取り戻した。
『――、気が付いたのね。良かった……』
『母、さん?』
力の暴走のせいか、彼はその間の事は全然覚えていなかった。
こんな惨い話を我が子に告げられるほど薄情な母親ではなかった藍樺は口を閉ざす事に決めた。
けれども。
『母さん、――は?』
『!』
妹の姿がない事にすぐさま気付き、兄として心配する彼の姿が辛かった。
そう、彼女が居なくなって悲しむのは自分だけでなく、この子も――。
『許して……――を守れなかった私を許して……!』
元々母親である自分が天龍であり、神から目を付けられるかも知れないという話はしてあったので、子供ながら目覚しい察知能力で全てを悟った彼はそれ以上何も言わなかった。
それでも悲しみは抑え切れなくて。
ぼろぼろと涙を流して泣く我が子の姿を見ていると、ついついこちらの目にも涙が浮かんだ。
どうする事も出来ずに藍樺は彼を強く抱き締めた。
――私は、他者に何も言わせぬようにこの子を育てなければならないのね……
『う……ああ……あ!』
徐々に彼の身体から濃度の濃い気が流出し始めた。それらは最初こそ神聖なる陽の性質を持っていたが、掌を返したかのように黒く染まり始めた。
これはまずい……!
気を吸い取り、体内の気で浄化しようと試みたが、上手く行かない。
『ああああああああ……!』
みるみる増大していく力に圧倒される藍樺。駄目だ、完全に制御が出来なくなっている。
原因は恐らく妹を失った悲しみで情緒不安定になったせいだ。
機転を利かせて嘘をつけば良かったのに。迂闊だった自分に腹が立つ。
あのままでは、彼自身の命が危ない……!
――どうすればいいの!?私は、我が子をこの手にかけなければならないの?
ここまで強大な力で、制御がかからないとなれば、どんなに今の自分の気を当てても無駄だろう。
力を葬り去るには、彼もろとも葬らなければならない。
彼を殺さずに力だけを何とかする方法はないか必死に思考を巡らせる。
何てしていれば、強烈な気の球を浴びせられ、手短に造った山小屋から外へと吹き飛ばされる。
さほど時間的余裕はないようだ。彼の身体は信じられない程の熱を帯び、肌が溶け出している。
更にその痛みも加わってか、暴走は酷くなる一方だった。
――ごめん、香耀。私は出来る事をするけど、その後は、頼むわ
思念を遥か空の彼方、天界へと送り、藍樺は彼の懐へと突っ込んだ。
持てる全ての気を彼へと注いだ。もう限界などそっちのけで、生命を維持する分まで、余す事無く全てを注いだ。
それでも全てを抑え切れはしなかった。
ただ彼の動きを止めるのが精一杯だった。
そう、彼の動きを長い年月封じ込めるくらいが。
発生源が動けなかったのを境に、その強大な力は国中の各地へと散らばった。
下手をすれば今後国の中で様々な災いが起こるかも知れない。けれど、それ以上はもう手が及ばない――。
結晶の中へと取り込まれ、長い眠りへと着いていく彼を見送ってから、藍樺はその場に倒れた。
封印が解ければ、彼は再びその力を暴走させるに違いない。それを抑止出来るのは――。
――貴方だけ、よ……
夫はどんな風に自分を迎えてくれるだろうか。
自分の役目をきっちり果たした、とかつてのように優しく笑いながら頭を撫ででくれるだろうか――。
そんな事を考えて、藍樺は全てを投げ出した。
『けれど、私の魂はこの地に留まった。成仏する事を、許されなかった』
いつの間にやらだいぶ奥に進んでしまったようだ。
天龍はすぐ目の前に立っていて、その後ろでは椅子に座った黎琳の姿があった。
「黎琳!」
真っ先に駆け寄ったのは陳鎌だった。手を取ろうとした所で――。
バシッ!と乾いた音が響いた。
咄嗟に黎琳は陳鎌のその手を弾いてしまっていた。
「黎、琳?」
はっとして、黎琳は目を逸らす。気取られてはならない筈なのに、隠し切れないでいる自分がそこに居た。
皆の視線が痛い。やはり相当怪しまれているようだ。
が。
「同じものを、見せられていたようだな、黎琳殿」
「動揺するのも当然です。突然そんな応龍の秘密を知る事になるなんて――」
勝手に勘違いしてくれている二人に安心感を得る事が出来た。
一方、衿泉は黙って天龍をじっと見据えていた。何を言われるかと覚悟していたように唾を飲んだ藍樺だったが。
「あんたも、辛い思いをしてきたんだな」
その一言に不意打ちされてしまった。頭の中を駆け巡る記憶達。幸せだった遠い日。未だ運命に縛られている自分自身。
ずっと心の奥で制御してきた筈の思いがとめどなく溢れた。
――私は、捨てられたんじゃなかったんだ。ちゃんと、愛されていたんだな……
自分が半分の確率で救世主になるか、破滅者となるかの際どい存在である事を知った事よりも、母親と父親の事、そして兄の事を知れた事が黎琳自身にとっては一番の収穫だった。
両親の思いは確かに自分へと伝わった。これはきっとこの先光の道標となるに違いない。
すくっと立ち上がり、そっと後ろから彼女の前へと手を回した。
涙を流す母親に娘として何一つしてあげられなかったので、せめてこうすればと思った。
「今のお前なら、成仏出来るんじゃないか?お前は立派に私達へ伝えると言う役目を全うしたのだからな」
発した言葉通りに、彼女の周りに小さな光の粒が浮き出てきたかと思えばそれが天へと向かって剥離していった。自分の手をしばし見つめ、薄くなっていく事を確認した藍樺は薄く微笑んだ。
今まで、本当に長かった。けれど、まだ終わりじゃない。
あくまで自分が成し得なかった事を託すだけであって、事が終わった訳ではないのだ。
重荷を背負わせてしまったのではないか、とも思う。けれど、思った以上に娘を支える存在は大きいものだった。
最大の理解者を得た彼女ならば、きっと。
『有難う……。世界を、黎冥を、頼みます……』
疲れた自分を誘うように差し込む光。その先には――。
目を閉じてようやく彼の胸へと飛び込んだ瞬間、彼女の姿は跡形もなく消え失せた。