光と闇の天秤
『生まれましたよ、藍樺さん!』
『元気な子だよ、よく頑張ったもんだ』
老婆と彼女の孫と思われる年頃の娘が藍樺の子供を抱き抱え、彼女の奮闘を称えた。
ならず者達が集まるそれなりの規模がありつつも隠されている集落に辿り着いた藍樺はここに腰を下ろしてすぐに産気づいた。
それほど面識が無くても親切に人を呼んでくれた人達が居て、共に十数刻もお産に立ち会ってくれた優しい人がすぐ側に居て。
地上に生きる人達は神の知らない生きる意味を知り、他人にそれを教える素晴らしい存在なのだ。
荒れていた呼吸を整え、老婆が手にした赤子を抱く。
そしてようやくもう一つ、幸せが彼女の元に訪れていた事を知る。
生まれた赤子は何と――双子だったのだ。
『ああ……』
彼が残してくれたモノは一つじゃなかった。
幸せのあまり、藍樺は涙した。
この大きな存在を絶対に守りぬく。母として。
生まれてきてくれた小さな命を深く抱き締めて、藍樺は置いてきた夫にも見せたかったと思うのだった。
「双子?応龍って、一匹じゃなかったのかよ!?」
「正確な数など我々には知られている訳ではあるまいし、それもあり得るか、と」
ごく普通に流されている幻影だが、得られる情報はあれもこれも未知の事ばかりでは整理するのが困難だ。
先を急ぐかのように淡々と流される幻影に、衿泉は悪い予感を覚えた。恐らくこの先に応龍に関する、急を要して知るべき事があるのだろう。
と、何も前触れもなく幻影が薄れ、消えていった。
「あれ?次は何処へ行けばいいんだ?」
「……分からない」
藍樺の伏していた位置には道がなく、方向を指し示す手掛かりは無くなっていた。
が、再び幻影によって目の前に藍樺の姿が現れた。
『逃げるのよ!』
両手で二人の子供を引いて右方向の道へと駆けていく。
後ろから彼らを追う者達の声が聞こえたような気がした。
「追いかけるぞ」
「え?面倒だなぁ」
彼らに続いて一行も走り出す。
見慣れた石の洞窟がふいに開け、光溢れる空間へと辿り着く。
眩さに思わず、目を閉じ、それも慣れて目を開ければ。
そこには赤に染まった世界が広がっていた。
「きゃあっ!」
突然の事に一番驚き、銀蒐の胸に顔を埋め、光景から目を逸らす春零。誰だって普通ならそういう反応だろう。
足元に転がる死体の数は数え切れない。土も死体から流れ出た血液によって赤く染まっていた。家屋からは紅蓮の火が燃え盛っており、僅かに生き残った人達が大切なモノを奪われた悲しみに悲痛の叫びをこだましていた。
ここまで惨い事にはなってなかったが、自分の村が妖魔に襲撃された時の事を思い出し、衿泉は歯を強く噛み締めた。
帝王の臣下と元盗賊の長はこういう光景に慣れっこのように冷静だった。
地獄と化したその村の中心で対峙する藍樺と香耀が映し出される。
『こうなる前に回収したかったのだが……、もう母である藍樺でさえも止められない』
『何が起こっているの!?』
『暴走だ』
『暴走?』
『藍樺、お前には自覚がなさ過ぎる。龍と人間――しかも三流ならまだしも天龍と呪術師の血を引く者との間に生まれた子供だ。その身に宿る力の強大さは、子供に扱える代物ではない』
これが、運命の渦だったと言うのだろうか。
もう少し早くこの事に気付いていれば、何か対策をする事が出来たはずだろうに。こうして沢山の命が奪われる事も無かったであろうに。
母として頑なになってしまっていた自分が招いてしまった結果なのだ。
『藍樺、覚悟をしろ。あの子供二人は天へ連れ帰る。もし暴走が止まる気配が無いのなら――』
殺害する事も止むを得ない。
声に出さずに口の動きだけで香耀は宣告した。
その言葉一つで、藍樺は目の前が真っ暗になった。その場に崩れ落ちる。
それを尻目に子供を捜すために炎の中へと消え去る香耀。
――稔寧……ごめんなさい。私は、貴方との約束を守りきれなかった……
このまま手を拱いて子供が殺されるのを待つしかないのだろうか。
母として、守ってやりたい。けれど、それがこの世界の――この国のためにならないのならば……。
ふと一つの記憶が蘇った。
幸せだった日々の中で稔寧が教えてくれた事。
『強大な力は持たない方がいい。中にはその身で扱える代物でなく、破滅をもたらす事だってある。けれど、望まなくても持ってしまう者も多い。力は天秤と考えた方がいい。小さければその傾き――ぶれ幅は小さいけれど、大きければ大きいほどぶれが大きくなる。それだけ人に幸せをもたらす光となるか不幸や破滅を呼ぶ闇となるかが左右されやすいという事だ。仮に闇へと傾いてしまっても、光の比重を多くしてやれば、光に戻す事も可能なんだ。俺はその比重をお前から貰ってるんだよ。表立つのではなく、裏方で俺もその比重を与えてやりたい。望まずに闇へと傾いてしまった人達に――』
『光と、闇の、天秤……』
微かな、否、確かな希望を感じて藍樺は立ち上がる。
例えこの命尽きようとも。
自分に希望を与えてくれた、我が子に。
今度は自分が希望を与える番なのだ。
その場で精神を集中し、彼らが何処に居るかを掴む。
場所さえ分かれば香耀より先回りをすればいいだけだ。
そう遠くない場所に禍々しい気の渦を感じ取り、藍樺は飛ぶ。空中で天龍の姿へと戻り、早急に飛ぶ。
空から村を見下ろせば一目で彼らの場所が分かった。その周りだけ、気が最も闇属性であり、周囲のモノを破滅へと追い込んでいたからだ。
『私の気を、貴方達へ』
口を開き、気の塊を創り上げる。
そして容赦なくそれを我が子目掛けて打ち放つ。
背後を狙ったので、直撃は避けられない状況のはずだった。
だが、しっかり見切られていたようで、彼らに当たる前に破裂して消え失せてしまった。
流石は自分の血を引く子供、って所か。
『――、――』
我が子の名前を呼ぶ。
「……?応龍の名前、今呼んだよな?」
「何故聞こえないのでしょうか?」
名前の部分だけ都合よく聞き取れないようにしてあるように思えるのは気のせいだろうか、と衿泉と銀蒐は首を傾げた。
『貴方達は、この母の手で救います……!』
子供達はまだ五歳ぐらいの年頃とは思えない程の不気味な笑みを浮かべた。