掌で人は踊る
「予防線、とでも言うべきか……」
旅館を出たのはいいが、街全体の人々も操られているらしい。次々に纏わりついてくる。
妖怪や妖魔とは違うので、手加減してやらなければならないのが面倒だ。
気を連発して吹き飛ばすのが精一杯だ。
――まさかこれも狙いのうちか!?
数を減らせない事で思い通りに動けなくするのが作戦である可能性が高い。
チラッと後ろの旅館を見た。一つだけ電気が点いた部屋。そこで衿泉と陳鎌が刃を交えている。
どうやら外の方に気は向いていないらしい。
思わずその場で応龍の姿へと戻ろうとした黎琳だったが。
――何処から監視しているか分からないな……
念のために茂みへと潜り、そこで応龍化する。巨大なその姿が茂みの中から飛び出す。
追って来た街の人達に応龍の神聖なる気を浴びせてやる。
邪悪な術が消え去り、彼らは我に返る。
「わ、我々は一体……」
「あ、貴方は、応龍様……!?」
「お前達は悪しき者によって操られていたのだ。ここ最近何か変わった事はなかったか?」
「こんなの初めてだぁ。前にこんな事なんて一度もねえさぁ」
「変わった事、ねぇ。お茶を変えたくらいかしら?」
そう言えば、旅館で出されたあの濁った茶もつい最近変えたと言っていた。あれを飲んだのだ結局衿泉一人だった。
「そうか……」
通常の生活に欠かせないその飲料に細工をしておいて、あとは笛の合図で術にかけるだけ。なんと頭の回る仕掛けを施したものだ。
不可抗力とは言え、少し人を傷つけなければならないこの状況を奴なら楽しみそうだ。もっとも、一番楽しむであろうは「仲間割れ」だろうが。
「その茶を販売しているのは何処だ?」
「ちょ、町長の家だよ。あれを仕入れ始めたのは町長だからな」
龍の姿から銀髪と翡翠の目を持つ少女の姿へと変わり、人々が歓声を上げた。
特に何でもない事だと言わんばかりに髪を後ろへ掻き分ける黎琳。
「町長の家は何処だ」
「はい、あの赤の屋根の家です!」
暗がりで茶色に近い赤に見える屋根をした大きな家がそこにひっそりと佇んでいた。
心を落ち着け、気配を探る。
確かに中に一人ぽつんと誰かが居る。操られた住人ならば自分目掛けてのろのろと外へ出てきているのに、実に不自然だ。
――身の程を思い知らせてやる
龍の陽の気をその場を流れる風に乗せる。
一部の人間はその温かみを持った気を感じ、身体を躍らせた。
まだ術を解いていなかった多数の住人にこの気が届いた瞬間、彼らは我に返る。
「……?」
ざわつき始めた人々。
きっと異変に気付くだろうから――。
音も立てずに黎琳は住人達の側を離れた。未だ悪しき気配が消えない町長の家の前に立つ。
気配は感じていた。この玄関から今にも飛び出そうとする一人の人物の気を。
「何をしている――!」
まるで住人達に命令を下そうとしていたような口調で玄関から飛び出すなり口を開けたその人物の額に黎琳の掌が当たっていた。
身の危険を察しているのかそれ以上口を開こうとも、動こうともしなかった。
人の命を弄ぶ割には面白みのない奴だ。
「お前が罪も無い人々を操り、正義に戦う者達の邪魔をする者か」
自分があの一行の波動使いである事を悟られないように、よく素性を知らないフリをした。
再びふざけた余興の場を開いた主がクククと笑った。
「ただの人間達に手を焼いていたら、今度は応龍自らが出てくるとは……思いもしませんでした」
「お前の術は全て解いた。負けを認める事だな」
「それはどうでしょうか?」
「どういう意味だ」
「だったら一緒に見物しましょう」
その台詞に咄嗟に身を引こうとした黎琳だったが時既に遅し。
いつの間にやら陣を地面に描いていたらしく、術が発動する。そこに引きつけられ、彼と共に何処かへと飛ばされる感覚。
瞑っていた目を開ければ、さっき見た自分達の宿の部屋の扉の前だった。
「さあ!」
注意を逸らした隙に蹴りをくらってしまい、扉ごと中へと吹き飛ばされた。
「今度は何なんです!?」
春零の驚いた声が聞こえる。まずい、あまりこの姿をはっきりと晒したくは無かったのに……!
陳鎌と衿泉が吹き飛ばされてきた少女に目をやった。
満月の輝きを思わせる銀の長髪の持ち主。
ゆらりと起き上がり、見せた翡翠の瞳は強い闘志を宿していた。
その視線の先には、いつかの男。思わず陳鎌がそいつに向かって鉤爪を突き出していた。
が、怒りの一撃は単調でしかあらず、ひょいっと横にかわされて仕舞いだった。
「貴様……俺に、何をしたんだ……!」
言う事を聞かないその身体を必死に制御しようとしながら、呻く衿泉。
「あの茶を飲んだのが君だけだったとは意外だったよ。風呂上がりなら水分は欲しくなるもの。やっぱり見た目をよく改善してから使うべきだったようだ」
「春零殿、あの後水分補給は?」
「してません。ですから……手を出せてないじゃないですか」
そう、いつもならお得意の歌で補助する彼女が、ただ見守る事しか出来ない理由。
喉がカラカラで、歌声が出せないのだ。普段どおり喋る事には支障がないが、妖魔すらも魅了するあの鮮烈な歌声を出せない以上、術を解くのは難しい。
更にそんな状態で歌えば喉を痛めてしまう。そうなれば今後の戦力に大きな穴が空く。
仮に飲まなくてもそういう支障をきたしてくる事をこの男は計算済みだったようだ。
彼の掌でまんまと踊らされた住人達と自分達。
何もかもが彼の手の内である事が気に入らなかった。
――それに、街中に気を流したはずだが、衿泉の術が解けないのが解せない
口にしたのは恐らく同じ成分の茶であるはずなのだが。
――もしかして、量が関係しているのか?
衿泉は器の茶を全部飲み干した。その分作用がきついのかもしれない。
だったら対処法は簡単に出てくる。彼の側で応龍の気を放てばよいのだ。
しかしそれは簡単に敵側に目論見がばれやすいという欠点も出てくる。
何も気取られぬように出来るような都合のいい場所なんて、そうあるはずが――。
――あ
あるではないか。
「ところで、この子は一体誰なんでしょう?」
「奇跡の歌を紡ぐ娘、来い」
遠まわしに春零を呼びつけ、黎琳は強引に手を引いて再び部屋を飛び出した。
「逃げても無駄だと言うのに。応龍、お前ですらも今は我が掌で足掻いているようなものなのですよ……!」
パチンっと指を鳴らせば、衿泉の身体は勝手に彼女達を追いかけ始める。
「衿泉!待て!……くそっ」
「今は衿泉殿の元へ!もしかすると……!」
あの男に操られた衿泉が、あの二人を手にかけてしまう最悪の事態を銀蒐は想像してしまっていた。