濁った茶
「……!!…………!?……」
「だからやめておけと言っただろう……」
春蘭によってきついお仕置きが挙行されている。
それを横目に呆れる銀蒐。その隣でどうしてあそこまで春蘭が怒っているのかいまいち分からず首を傾げる黎琳だった。
やがて怒鳴るのも疲れてきたのか春蘭が鞭を捨てた。
「ふうっ。いいか?今度やったらもう命は無いと思いなさいよ!」
「りょ、了解しましたっ!春零嬢!」
「……」
「衿泉、返事は!?」
「は、はい!」
「よし、これであたしの気は済んだ」
言うなり春蘭は引っ込み、ようやく春零に戻った。
事の始終は把握していたようで、顔を真っ赤にしながら二人に訝しげな眼差しを送った。
勿論この騒動はこの宿中に伝わっているので、客や従業員の目も冷ややかだった。
――人生の汚点だ……
落ち込む衿泉。
「に、しても。この近くに熊が住んでいるだなんて聞いた事もないぜ」
はたかれたせいで赤くなった頬を擦りながら陳鎌が呻くように言った。
それは衿泉も微妙に違和感を抱いていた。温泉の周りは森ではなく、あくまで「茂み」だ。木と言える様なモノはないし、周囲に源泉はあったとしても、水を補給出来る場所はないだろう。何せ周りは緑一つない山肌なのだから。
だとすると、あれはやはり、妖怪、いや、妖魔かも知れない。
「それより、喉が渇いたな……。そこの姉さん、茶を頼む」
「は、はい……」
注文を受けた従業員の娘はいい迷惑だろう。
「はあ、ようやく解放されたなぁ」
風通しの良い竹で作られた椅子にどっかり座る陳鎌。あまり反省している感じがしないのは気のせいだろうか。
しばらくして人数分の冷たい茶が運ばれてきた。
くるなりそれを一気飲みしようとしていた衿泉だったが、中の茶に違和感を覚え、口をつけるのを躊躇った。
「?どうした?」
「見れば分かる」
差し出された茶を見れば、異様に緑に濁っているように思えた。
においは普通の茶と同じのようだが。
「前はこんなのじゃなかったけどなぁ?」
「あれ?お客さん、前に来た事、あります?」
「え?ああ、一度だけ、な」
「つい最近いい茶葉を売り出してくれる業者が定期的にここへ訪れるようになったものだから」
「……僕は前の方がいいと思うんだけど」
文句を従業員に聞こえないような小声で呟く。
見た目が見た目なので、口にするのはやめておくことにした。
喉が渇いた、と言った衿泉のみがその茶を口にした。味は全然普通の茶と変わらず、見た目さえ気にしなければ飲めない事はなかった。
結局衿泉は中身を全部飲み干すのだった。
「よっぽど喉が渇いてたんだね、衿泉?」
「全部お前のせいだ!」
八つ当たりで足の甲を蹴ってやった。
あまりの痛さに転げ回る陳鎌はさておいて。
「ところで、黎琳。応龍に関する遺跡ってのは具体的に何処にあるのか知ってるのか?」
「知らん」
「知らん、って……」
「人魚の長もそこまで詳しくは知らなかったらしい」
――本当は香耀に教えてもらったのだが……そこまで詳しくは聞き出せてなかった
「だったら情報集めが必要ですね」
「手っ取り早く、聞き込みでもしますか」
「だったらいい考えがあります!」
「応龍の遺跡、か……。もしかして、銀蛇の洞窟を指して言ってるのか?」
何気に会話へとのめり込んできた陳鎌のその一言に食いつく一行。
『それは何処だ!?』
「そう遠くない。この温泉町から出て、高台を下って西に少し行った場所にあるけど……」
「けど?」
「あそこに入ると呪いをかけられてしまうとか、良からぬ噂だらけだ。とても救世主となり得る存在である応龍に関係している場所とは僕は思わないけど。それより、どうして君達がそんな大掛かりなモノを求めているのかに僕は興味があるね」
「貴方に話す義理はありません!春零達に酷い仕打ちをしておいて、更に覗きだなんてする人に信頼して教えられませんから!」
何一つ言い返せない。
「春零殿、まあ落ち着いて」
意外にも銀蒐が割って入ってその場の空気の乱れを補正した。
「とりあえず、今日はそういうのをなしにして、明日じっくり考えよう」
「うむ、名案だ」
「今日は束の間の休息を思う存分楽しもう」
「……そうですね」
ずっと張り詰めていては気がおかしくなりそうだし、たまにはこういうのも悪くない。
思い思いに五人はそれぞれの休息を楽しむために繰り出した。
席を立ったのを確認して、残された茶を片付け始めた従業員の娘。
昼下がりで誰も居なくなった玄関広間。誰も居ない事を安心に従業員の娘は証拠隠滅のために茶を素早く処分する。
「口をつけたのは一人……流石はあのお方の邪魔者達ですね。警戒心が強い」
「!!」
何処からともなく彼女の後ろには男が立っていた。
そう、数珠飾りのついた眼鏡が印象的な、楓姫を殺した犯人が。
「い、言われたとおりに、したわよ。だから、弟を……!」
「ええ、返してあげますよ」
「お姉ちゃん!」
物陰から彼女と同じような容姿をしたまだ幼い男の子が飛び出す。駆けて来た弟に姉が両手を広げる。
その道中で男がぼそぼそっと何かを呟く。
姉がしっかり弟を抱きしめる。
「良かった、無事で……――!?」
異変に気付いたときは既に遅かった。
酷にも突き刺さった鉛筆に倒れた姉。冷ややかな眼差しで息絶えた姉を見つめる弟。
死体を特に憐れんだりすることなくモノのように運び出す男。
そう、人間なんて、所詮ただのモノにしか過ぎないのだ。大いなる存在の前では。
だから心だなんて、人間には必要ない。
「……心があるから、馬鹿な事をほざく奴が後を絶たないのですよ。自らの存在の在り方こそが間違いであると気付かせてあげましょう。ねえ?」
裏手の茂みに死体を放り出した。
脳裏に浮かぶはあの邪魔者達の死に様。仲間に裏切られた時の顔が楽しみだ。
衿泉の体内で、濁った茶の作用がじわじわと押し迫っていた。
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