第七章:湯煙に潜む闇
少し更新ペースを落とします(ストックがなくなってきたため)
白い煙がもわもわ立ち込める。
それが羽衣のようになって、石畳の露天風呂の存在を包んでいた。
濡れた表面で足を滑らさないように、そろりと歩き、ようやく湯船に辿り着く。
そこから無礼者が思いっきり温泉目掛けて飛び込んだ。
バッシャーン!
「きゃあっ!?」
「ふぃ~、これが温泉って奴かぁ」
「もうっ!黎琳ったら、春零達以外の人が居たら迷惑ですよ!」
そんなお小言は無視して、生まれて始めての温泉とやらを満喫する非常識者。
暑い地方で熱い温泉とは、最初は暑苦しいと思ったが、こうして流す汗は気持ちがいい。
更に温泉に配合された様々な物質が肉体的に、そして精神的にも癒しを与えてくれる。
「癒されますね」
「ああ。極楽、極楽」
「に、しても……黎琳は、その……」
「何だ?」
「胸がでかいな」
「?胸の大きさがどうかしたか?」
普通に両手で寄せて見せる黎琳。
「女にとって、胸は男を落とすのにかなりの武器になるのさ」
「ふむ、そうなのか?……って何突然入れ替わってるんだ、春蘭」
「いやあ、あたしが話したい事があったから変わってもらっただけさ」
「で、話って?」
「うん、順を追って言おう――」
一方男子風呂の方では。
女子風呂同じく貸切状態で、三人がのんびり湯に浸かっていた。
「ふう、いいお湯だ」
「全くそう思う」
「ところで陳鎌殿、額当ては外さないのか?」
「あー……昔負った傷跡が残ってるから、見せたくないんだ」
「……まあお前の過去には俺興味ないけど」
しかしこれから交わされる会話は尋常なものではなかったりした。
「それよりもさ、温泉と言えば……何だと思う?」
あんなに意気消沈していた陳鎌が興奮気味で二人に問う。
「さあ……私の考えでは、温泉と言えば浸かりながら酒を酌み交わすとか趣があると思うが……。あとは名物、温泉饅頭や温泉卵とか?衿泉殿はどう思う?」
「……ほっとする」
――何か、思考ずれてませんか?
二人が共通で思った事だった。
こほん、と咳払いして陳鎌は高らかに答えを口にする。
「どれも違うぞ。正解は……覗きだ」
「!!」
思わず銀蒐は陳鎌の頭を湯船へと突っ込んでいた。
息が出来ない、と言わんばかりにもがく陳鎌。
流石に溺れられては困るので、ほどほどで解放してやる。水面からようやく顔を出し、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む陳鎌に銀蒐が珍しく怒鳴った。
「何考えてるんですか!不謹慎にもほどがある!」
「覗きって……あっちには黎琳と春零が……」
「前にもこの温泉には来た事があるのさ。楓姫やらの裸をしかとこの目で見せてもらった……」
「女の裸ってそんなに見る価値があるのか?」
「ある!ある!衿泉も一回経験すれば分かるって」
「私はどうなっても知りませんよ!」
うん、多分ばれたら今度こそ命が危うい。
やっぱりそういう事は出来ない、と断る前に陳鎌はがしりと衿泉の手首を掴んでいた。
「それじゃあ僕と衿泉で行って来るさ!」
「え!?いや、待て!俺は……!」
「いいから来る来る♪あとで銀蒐に思いっきり自慢してやるさ!」
拒否権と言う言葉を、誰かこいつに教えてやってくれ……。
そんなこんなで茂みの中をこそこそ移動し、辿り着いた女風呂。
とうとう来てしまった。来るつもりはなかったのに。
「さあて、見えるかな?」
ノリ気で茂みから顔を出して覗き始めた陳鎌の後ろで、衿泉は棒立ちしていた。
今までそんな事、考えてもみなかった。
女の裸を見たい、だなんて……。
まあ想い人が現れるって気持ちは随分前から意識をしていたが。
もう少し大人になれば、愛しさと同時に身体を求めていくのだろう。でもそれは今ではない。そんな見解だった。
――俺って、意外とお子様なのか?
陳鎌のようになるのが男として普通なのだろうか?いや、銀蒐は立派な青年だから、それは肯定出来ない。
前に集中している今なら逃げ出せそうだが……。
足が動かなかった。
「……」
何故か気になる自分が居た。
確かに黎琳も春零もそれなりに美人だし、身体つきも実に女性らしい魅力を放っていると思う。
「あ、煙が晴れて……見えた!」
「へ?」
素早く陳鎌が衿泉の顔を茂みへと突っ込んだ。
頬を掠める葉が痛かったので、文句を言おうとしたが、それは叶わなかった。
目の前に広がるのは薄く湯煙に包まれた空間。
そこに仲良く座る二人の姿。
だけど、一番目に留まり、見惚れてしまっていたのは――。
黎琳の下ろされた長い亜麻色の髪だった。
サラッとしていて、なおも艶やかであるその髪が実に美しかった。いつも以上にそう思えた。
そしてようやく露となっている身体つきに目がいき、あっと目を瞑ってしまった。
――やばい、顔が燃えるように熱い……
「ほうら、どうだ?感動のあまりに声が出ないだろう?」
満足したようで、陳鎌が得意気に言った。
これは決して許されるべき行為ではないのに、こうして見れた事が嬉しい自分が居た。
選ばれし者だけが見れない彼女達の本当の姿を見れたような気がして。
――何も意識しないで旅をし続けていた自分がおかしいようだった。
「さあて、見つかる前に退散しますか……」
元来た道を戻るべく、後ろを振り返れば。
やあっと陽気に手を上げている黒い熊の姿。
「うおうっ!?」
「馬鹿!」
思わず声を上げてしまった陳鎌を抱え、熊の攻撃をかわす衿泉。
「誰だ!?って今の声って……陳鎌とか言う奴のじゃ?」
「あっちで何かあったのか?」
そんな声が聞こえた。
まずい。
こんな状態で見つかったら一生の恥だ……!
武器もない事だし、今一番にすべきは。
とにかく逃げる事だった。
全速力で茂みを掻き分けて走る。一方の熊は四本足で同じく走り出す。
「やばい!追いつかれるぞ!」
熊の足は意外と速かった。
――ドオンッ
聞き慣れた音が聞こえた。
身の危険を感じ、衿泉が地面へ滑り込んだ。
次の瞬間、熊が陳鎌もろとも吹き飛ばされていた。
それまでの逃げ道がくっきり刻まれていた。茂みが気によって薙ぎ払われたのだ。
「私から逃げ切れると思ったか!馬鹿め!」
ハハハと高笑いして現れた黎琳に、衿泉は硬直。
「衿泉、無事だったか。陳鎌は?まさか熊に既に……」
「――……っ」
「?どうした、衿泉?」
「はあ、全く状況が呑み込めない鈍感は少し引っ込んでなよ」
遅れてやって来た春蘭が熊の下敷きになっている陳鎌をいとも簡単に引き抜くなり、
「何故こんな所に居るか、説明してもらおうじゃないか!!」
と何処からともなく鞭を取り出した。
まさに闇の拷問が始まろうとしていた。