悲劇の主催者
「陳鎌!馬鹿!構えろ!」
遠くにそんな声を聞いた気がした。
目の前には巨大な身体を持つ蛇が迫っていた。
鋭いその牙を剥き出してこちらへと向かってくる。
何も知らない人ならば、これが元々人間の姿をしていた事など気付けないだろう。
――人はいつでも見た目で判断する
妖魔と人間の間に生まれた忌み子。そう言われまいとずっと人間であるかのようにそれをひた隠して生きてきた。
彼女だってきっと――同じなのだろう。
たとえその本意が自分を殺すためだったとしても。
本当の自分を、知られたくなかったから――。
その思いは痛い程によく知っている。
だから……。
――僕は、楓姫を殺せない
ガキンッ
そんな音と共に砂埃が舞う。
陳鎌がどうなったのか一行には全く分からない。
ただ静かに砂埃が収まるのを待った。
砂がみるみる地面へと還っていき、視界を再び開ける。
大きな大蛇の頭と陳鎌が接触していた。が、陳鎌は鉤爪で大蛇の牙を何とか何とか抑えていた。
蛇の毒が陳鎌の腕を伝っていた。
『何故……陳鎌なら殺せたはず。この位置なら目を潰して殺せたはずなのに、何故!』
「僕にはとても今の楓姫が本心で動いているとは思えない」
『違うわ、これこそがあたしの本性よ!』
「どうせ受け入れてもらえないなら死んだ方がましだ。そういう事なら、僕はお前を殺さない」
『!』
「現実から逃げては駄目なんだ。そう僕は気付けた。今度は、お前が気付く番だ。本当は辛いのだろう?苦しいのだろう?その本心を出す事を許されない事から逃げ出したいほどなんだろう?だったら僕に全て吐き出せばいい!全部聞いてやるさ!」
『分かり合えないよ。人間と妖魔とでは――』
人は妖魔を疎み、殺す。
妖魔は人を疎み、殺す。
それが激しくなってきたのは確かに最近ではある。
けれども、そもそも人と妖魔はずっと遥か太古の昔から戦いを続けてきているのだ。歴史に残るような大きな諍いではなかったけれども、昔から人と妖魔は対峙していた事に変わりは無い。
「分かり合えるさ……。僕は知っているのだから。そういう事が可能であることを」
黎琳達から見えない位置に立ち、そっとその額当てを外した。
『!』
「だから僕には分かるんだ」
『ああ……――』
大蛇の姿がしゅううっと音を立てて縮こまり、元の楓姫の姿へと戻る。
その間にちゃっかり陳鎌は額当てを元の位置につけ直していた。
「……信じていいの?あたし、受け入れてもらえるの?」
「受け入れるも何も、随分前から受け入れてるじゃないか。僕と出会い、盗賊団の仲間入りした時から――」
一筋の涙が楓姫の頬を滑り落ちた。
「あたし、本当は――」
ドスッ
鈍い音が響く。
家庭用の包丁が彼女の胸を貫いていた。
目を見開いたまま楓姫は砂の上へと崩れ落ちる。
「楓、姫……楓姫!」
呆然としていた陳鎌が慌てて彼女を抱え起こす。
傷口から噴水のように溢れ出る大量の血。四人も慌てて駆けつける。も、見ていられず、春零は目を逸らす。
「本当は……あたし……陳鎌、の、こと……好き……だっ……た」
「分かったから喋るな!」
止血を試みるも血は止まらない。
「陳……鎌……」
薄れ行く意識の中で彼女は思った。
本当はこうなると分かっていた。分かっていたけれど、やっぱりどうしても伝えたくて。
伝えられただけでもういい。
悲しませる事になるけれど、ごめんね――。
「楓姫」
すうっとゆっくり楓姫は息を引き取った。
「起きてくれ、楓姫。楓姫……!」
もはや抜け殻となってしまった楓姫の身体を強く抱きしめる陳鎌。
四人にも痛いほど二人の気持ちが分かり、何も言えなかった。
――こんな悲劇を生み出す者達を、私は許さない!
「そこに居るのだろう。出て来い!」
何も変化はないように思えたが。
「ふふふ……折角いい見物を土産に退散しようとしていましたのに」
岩陰から一人の男が出てきた。
数珠の飾りがついた眼鏡をかけ、山吹色の瞳を細めるその男の手には得体の知れぬ暗い緑色をした液体が入った瓶が握られていた。
咄嗟に黎琳は理解した。
「人を妖魔へ変える薬か……お前が作ったんだな」
「!?さっきの男も楓姫も、最初は人間だったって言うのか?」
「あたしも何だか妙だと思っていたんだ。何処からあんな妖怪を調達してきたのか、と。あんな大勢の軍団を率いて来たのなら盗賊の長であるこいつがすぐさま気付くだろうからな」
いつの間にやら春蘭が出てきていた。
「ああ、報告にあった失敗作でしたか」
「失敗作!?」
「そうです。元の身体の持ち主から身体を奪い、完全な妖魔と化してあちらの村周辺を滅ぼしてもらおうと思っていたのですが、邪魔をしてくれたようですからね」
「……許せない。楓姫殿も、春零殿や春蘭殿もこのような事にしておきながら……!」
意外にも熱くなっているのは銀蒐だった。
槍の先端にある鎖を解き、男目掛けてそれを伸ばす。
男は軽々飛びかわし、その鎖の上に着地したかと思えばその上を駆け、こちらへと接近した。
慌てて銀蒐が鎖を引き戻したが、間に合わず。
強烈な蹴りが銀蒐の顔を直撃していた。後ろに倒れた銀蒐に男は馬乗りとなって、瓶の中の液体を銀蒐の口へと近づけようとした。
「させるか!」
衝撃波によって男を弾き飛ばす。
「波動使い、ですか。これは厄介な」
「それは有難い事だ」
瞬時に黎琳は男の後ろへと回り込み、蹴りを入れる。衝撃波によって威力を倍増させてあるお陰で男は吹っ飛んだ。
彼の手から瓶が滑り落ちたのを確認し、衿泉がすかさず男の首筋に剣を当てる。
「お前の知っている事、全部吐いてもらおうか」
「……断ります」
「!?」
次の瞬間、男の姿は消えていた。
辺りの何処を見渡しても男の姿はない。
ただ、何処からともなく男の声が轟いた。
「どんなに抵抗しようと無駄です。もうすぐ溜謎様の願いは叶い、何もかもが彼女の手の内へと収まるのですから」
そして嘘のように男の声すらしなくなった。