蛇の牙
「楓姫さん、一体どうして……!」
「そうだ、楓姫殿。何かの冗談では?」
返答はない。
ゆっくりと楓姫は腰に提げてある袋から複数の短剣を取り出す。
彼女は本気だ。そう悟った一行は身構える。ただ一人、陳鎌は除いて。
「言っておくけど、あたしは手加減ナシだからねぇ♪」
言うなり短剣が投げつけられる。それぞれが四方に飛んでかわす。
それを合図に控えていた下っ端が次々と襲撃にかかる。
「衿泉……背中は、任せたぞ」
未だに震える足でゆらりと立ち上がり、敵を見据える黎琳。
本当ならば安全な場所へと送ってやりたかった所だが、この状況下ではどうしようもなかった。手負いを庇いつつ戦うよりも、少しは戦力となってくれた方がこちらとしても有難い。
「いいから黎琳、倒れるなよ」
取り囲んでいる数は十。一応手には棍棒が握られているが、飛び道具はないようだ。
――すぐに蹴散らしてやる!
俊足の双剣が容赦なく彼らを襲った。早すぎて黎琳も目に見えないほどの素早さだった。
何だかそれを見ていると楽しそうに思えてきて。
自然と身体が軽くなっていた。
「衿泉ばっかりずるいぞ!私もやってやる!」
「!あまり無茶を――」
「それっ!」
ドオンッと地面に黎琳の放った気が炸裂する。
円状に風と気が広がり、周りを囲っていた下っ端どもをひっくり返させ、一掃する。
地面で頭を強打したのと気をまともに喰らったことで全員気絶していた。たとえ気がついてもまともに戦える状態ではないだろう。
自分達の危機は脱した。
次は仲間の援護だ。
「銀蒐!」
「衿泉殿!」
そこから西の方向で銀蒐と春零が先程の自分達と同じく取り囲まれていた。
四人が勢揃いし、下っ端どもを蹴散らす。
「そっちがその気なら」
たんっと地を蹴り、飛び上がる。
「こっちも本気でやらせてもらうぞ!」
掌に集中し、気を球状に凝縮させる。
それを楓姫目掛けて投げつけようとした時。
「やめてくれ!」
突然前に飛び出た陳鎌。慌てて黎琳が回避し、すぐ隣の地面に気が炸裂してしまう。
乾いた砂が舞い、辺りを黄色く彩る。
かろうじて楓姫と陳鎌の居場所は認識出来たが、影しか見えていないので容易く攻撃は出来ない。
――陳鎌、お前は情けをかけるつもりなのか?
案の定、陳鎌は楓姫の肩に手をかけ、必死の説得を試みていた。
「どうしてだ!どうして楓姫、お前が僕を裏切る!?あの日会った時からずっと、お前は僕を――」
微かに彼女の唇が動いた。
「――」
それを聞いて陳鎌ははっと目を開いた。
次の瞬間、砂を巻き上げる竜巻に呑まれていた。
「うわあっ!」
「陳鎌!?」
風圧と砂のせいで息が出来ない。
このままこの状態が続けば長くは持たない。
危うく意識を手放しそうになっていた所で竜巻が嘘のように弾けて消えた。その反動で陳鎌は思わず尻餅をつく。
風が舞っていた砂を下へと押さえつける。辺りの視界が一気に良くなる。
「陳鎌殿、大丈夫か!?」
「……僕よりも、楓姫は――」
途中で言葉が途切れた。
その視線の先に確かに楓姫の姿はあった。
両腕が白く光る鱗を帯びた姿が。
後ろから薄く大きな白蛇の影が伸びていた。
「これこそがあたしの本来の姿!」
カッと眩い光が一瞬差し込み、次の瞬間には楓姫の姿は完全に大蛇の姿へと変化していた。
大蛇は雄叫びを上げると、こちらへと突進してきた。
単調なその攻撃を左右散り散りにかわす。
――数を先に減らすべきか……
衿泉、春零、銀蒐が大蛇に手こずっている間に黎琳が駆ける。その方向には先程の妖魔。
「我ヲ倒シタトテ、アノ女ハ戻ラヌ!」
「お前は黙って消えろ」
地面に対して平行に飛び、妖魔の鳩尾に気を帯びた拳を突き出す。
ドズッ
妖魔はびくともしなかった。
突き出した拳は妖魔の軟らかい胴体によって包み込まれてしまっていた。
「しまった……!」
「イヒヒヒヒッ!イイ突キダガ、通ジヌ!」
勝ち誇った笑みを浮かべた妖魔はそのまま黎琳を体内へと引き込もうとする。このまま取り込む気なのだ。
どれだけもがいてもとてもとれそうにない。
その手が何かの核心に触れた。規則的にドクンと脈打ち続けて血を全身に送り出す器官である、心臓に。
血管がうずく。
「ふっ……あははははははっ」
黎琳の高笑いでようやくその状況を理解する衿泉達。
全員が絶望のあまり狂喜したのかと思った瞬間だったが。
「わざわざ自分の弱点までこの私を導いてくれてどうも……!」
岩を砕いたのと同じ容量で中身を炸裂させる。
「ギャアッ……」
心臓が破壊され、叫びの途中で絶命する妖魔。
中に流れていた血液が噴水のように溢れ出した。どす黒い血が辺り構わず飛ぶ。
前は何とも思わなかった妖魔の返り血。
――何て
黎琳は思った。
――何て私は汚れているんだろう
妖魔の血によって汚れた手、顔。
『やはりお前達があのお方の意思を邪魔する者達なのだね』
「……!!」
黎琳以外の全員が息を呑んだ。
後ろで指示を出している存在がある事がここで完全に証明されたからだ。
手の甲で出来るだけ返り血を拭き取り、吠える。
「お前からはあの方と呼ばれるその存在についての情報を聞かせてもらおうか!」
『やれるものなら、ね!』
言うなり大蛇は高く飛び上がった。
そして薄く紫がかった煙を吐き出す。
「きゃあっ!」
「くっ……」
銀蒐と春零がまともにそれを吸い込み、異常を訴える。
「身体に……電気が、流れてるみたい」
「動けない……!」
何とか毒霧を吸い込まずに済んだ黎琳と衿泉が着地した大蛇へと駆ける。
『無駄よ?そんな事したって』
特に何も反応を示さず衿泉が剣を薙いだ。
ところが。
カキッと硬いものに刃物をぶつけた音と火花が散っただけで、大蛇の身体には傷一つつかなかった。
予想外の事に隙を見せた衿泉の背に大蛇の尾が迫る。
「ふざけるな!」
黎琳が渾身の力を込めて気を放つ。
『!?』
大蛇の身体が風圧によって浮き上がる。
「腹を斬るんだ!」
「!」
瞬時に指示通り衿泉は双剣を振り払った。案の定比較的軟らかい腹はぱっくりと切れた。
『ぎゃあああぁぁぁ』
痛みに絶叫しながらも大蛇はその牙を向けた。
今までずっと親しんでいた少年へと。