一途な心
薄暗い牢の中に閉じ込められた衿泉、春零、銀蒐の三人。見張りとして彼らを監視しているのは先程の女、楓姫。
相変わらず衿泉は閉じられたその目を開けようとしない。熱も下がっていないようだし、まだ安静にしてなければならない。
だが、こんな所にじっと居るのは、体温を逆に奪いすぎて危険だ。
「ここから出してもらえませんか。このままじゃ、衿泉が……」
「無理だね。どうせ用が済んだらとっとと出てってもらうんだから、それまで我慢しなよ。……連れが、大切な人が心配なのは分かるけど」
彼女の言葉が核心を突いた。
「本当はあっちの女が心配なんでしょ?」
「!!」
掻き爪の攻撃を受けた彼女が毒に冒されたと言うのだ。挙句の果てに、今この場所には居ないのだから無論心配で仕方がない。
と言えども、武器などは全て取り上げられているので、無理やり脱出するのは不可能だ。ましてや病人を抱えてなら。
言葉を失くした二人に楓姫は更に追い討ちをかける。
「無駄だよ。例えここから出られたとしても、あの女は助からないだろうね」
スッと血の気が引いていくのを実感した。
彼女はもう、死んだと言うのか。あの圧倒的な力を持つ、波動使いが。
そうではないと信じたい。何故なら、どんな危機でも彼女は平然と乗り越えてきたのだから。ただの人なら絶望的な場面も切り抜けてきた。今回もまた上手くやっているだろうと思いたい。
――春零、これで良かったじゃない。邪魔者が消えてくれて。衿泉はもう貴方の掌中にあるも同然……
何処かで声が囁く。
違う。
こんなの本心じゃない。
今、彼女が居なくなっては駄目だ。
彼女を失った衿泉は恐らく深い悲しみに包まれる。春零ならその埋め合わせが出来るかも知れない。けれど……。
悔しいけど、彼女と同じ型には嵌まらない。
『やっと気付いたか……』
「!?、春蘭……」
暫く出て来なかった双子の姉が表層へと現れる。
『その答えは後で聞く。ここからは、剣士様の見せ所だ』
「?」
言うなり、春零の身体は春蘭の意識の元にその場へと座り込んだ。
隣では俯き、今にも泣き出しそうになっている銀蒐の姿が。
――こんな所で手こずるなら、妖魔の殲滅なんて到底出来ないだろう……。しかも大きな戦力であった黎琳殿を失ってしまった以上、尚更……
まだまだ力が必要である事を突きつけられたような感覚。
彼女は知っていたのだ。人間の中では一段上手の強者でも、妖魔の前ではさほど戦力にはなり得ない事を。だから応龍を求め始めた。
けれど、何もかもを応龍に頼ってばかりではいけない。ただ応龍に全てを任せるのならば強さを求める必要はないのだから。自分達の守るべきものは足手まといでも自分達で守りぬかねばならないのだ。そう彼女は道を示してくれていた。
けれど、その導き手はもういない――。
だが、ここで足踏みをしている場合でもない……!
奥歯を噛み締め、銀蒐が吠えようとした時だった。
のそりと左背後で起き上がったそれが鉄格子に手をかけ、噛み付くような勢いで吠えたのは。
「でたらめばっかり言ってんじゃねえよ!!」
「!!」
全員がびくっと肩を震わせた。
先程まで瞼を固く閉じて眠っていたはずの衿泉が起き上がっていた。
「衿泉殿、身体はもう大丈夫――」
「黎琳はな、こんな盗賊ごときにやられるほど弱かないんだよ!どんなに危機に陥っても現状を打破する力を持ってんだよ!俺は信じてる!黎琳がまた、無事である事をな!」
よくよく見れば、まだ熱が下がっていないのか青緑の瞳が潤んでいた。手足も小刻みに震えており、意識を保っているのがやっとと言ったところだ。
全くこんなに力説する力は何処から来ているんだろうか。
熱くなっているせいで銀蒐の言葉にすら耳を貸さない。
『信じる……。もしも毒に冒されたのが春零だったら、同じような事を言ってくれたでしょうか?』
春零の問いに春蘭は答える。
「……さあね。あたしにはよく分からない。けど――」
あの真っ直ぐな目が全てを物語っている――。
唖然としていた楓姫だったが、一間置いてぷっと吹き出した。
怒りも頂点に達して暴れ出そうとしたが、彼女が吐いた台詞に度肝を抜かれた。
「合格よ。あたしの完敗♪」
「はあ?」
思わず三人が口を揃えた。
「だ~か~ら~、あたしが負けだって言ってるの。出してあげる」
言うなりあっさりと鍵を開ける楓姫。鉄格子の扉が開かれた。
「行っちゃいなさいよ。あの娘の所へさ♪」
「……何が目的だ」
隠し持っていた短剣を懐から取り出し、切っ先を楓姫の喉元へと向ける。
両手を挙げ、彼女はごく普通に言った。
「何にも目論みなんてないよ?ただ――必死に彼女の身を案じるその想いに惹かれただけ♪」
「?」
怯む事なく楓姫は動いた。近くにあった木箱の上に座る。その表情は何やら切なそうな、悲しそうな顔をしていた。
「憧れって言うのよね、こういうの。あたしも同じ……。同じように人に想いを馳せている。けれど……、あたしのはきっと叶わないだろうしね♪」
何やら彼女も色々と複雑らしい。
憐れむ、とでも言うのか。衿泉が言葉を紡ぐ。
「諦めたらそこで終わりだ。大切なのは、信じる事だろう?信じれば、きっと奇跡だって起こせる。お前もその相手の事、強く信じてみろ」
「行こう、衿泉、銀蒐」
「あれ?もしかして、春蘭殿?」
「さっき入れ替わった。春零の方がいいのか?」
「……いえ、別に」
「……無駄口叩いてないで、行くぞ」
「あの娘は陳鎌の部屋に居るよ♪そこから右に行って、一番奥の部屋だよ~」
ひらひらと手を振り、見送る楓姫。
三人はこのまま彼女を置いて行ってもいいものかと一瞬躊躇ったが、まずは黎琳の無事を確認する事が先決だ。迷いを振り切って走り出す。
見回りに配置されていた団員達が三人を見るなりぎょっとした。どうやって楓姫の監視の元から抜け出したのだと思うからだろう。
武器は没収されていて、あるのは衿泉がたまたま没収されずに済んだ短剣のみだ。これではまともに戦うのは難しい。
「逃亡してるぞ!捕まえろ!」
「一応相手は生身の人間だし、手加減してやりますか」
バキボキと骨を鳴らす春蘭に二人は恐ろしさを覚えながらも、その身一つで団員達に突っ込む。
刃を避けつつ拳や蹴りを食らわせ、気絶させる。衿泉は細くも出来上がる隙間を潜り抜けて一足先に団員の塊を通過した。
――お前なら大丈夫だろうと信じてる。だから、返事をしてくれ……!
「黎琳!」
彼の切なる声が廊下にこだまする。