酒に酔って
人魚の長と共に衿泉達が向かった岸辺に行ってみれば。
既に人魚と春零、銀蒐は仲良くなっているようだ。衿泉は少し離れた場所で一人器の液体を飲んでいた。
だけど、何か騒がしいと言うか、度を越した宴会のようになっているのは気のせいだろうか。
「全く、また酒に手を出してどんちゃん騒ぎをしておるのか……」
「え」
もしかして、全員が持っているのは酒を注いだ杯だったりするようだ。
そして春零、銀蒐、衿泉もかなりの量を飲んだようで、どうやら酔ってるようだ。
「人魚の世界も、人間の世界も付き合いって難しいですね~」
「全くだ~」
あのお堅い王付きの豪腕も、酒が入ればあれかと思ってしまう。
更に面白いのは、衿泉だ。
こちらに気付いて歩み寄ってくるのはいいが、足元はふらふら、何とも間抜けだ。
「あっ」
足元にあった小さな石に躓き、こちらへと飛びつく形となった衿泉に黎琳は押し倒された。
「ちょっと衿泉、離れろ!」
「黎琳~」
「長、助けてくれ!」
そう言った時にはもう黎琳の傍らに彼女の姿はなかった。同じように人魚の輪に入って酒をぐびぐび煽っていたりした。
人魚って、神秘的と言うより、何とも陽気な種族だと思う。まあこれは打ち解けられたらの話だが。
それよりも、酒に酔ったこの不届き者を何とかせねば。さっきから顔が胸の間に食い込んできているのは気のせいだろうか。
「この役立たずの下僕が!離れろと言ってるんだ!」
「離れない~。俺が、ちゃんと、お前を守るためによ~」
「……は?」
「なあ~、黎琳~。俺は~、お前が、何を、隠しているか~知らないけどぉ」
こつんっとなよなよしく衿泉は黎琳の眉間を叩いた。
「もっと、弱さを見せてもいいんだぞ~」
「……そのためにはもっとお前が強くなる事だな。何者にも負けないように、強くなれ、衿泉」
「だから、強くなろうとしてるんだよ~」
言うなり、衿泉は黎琳の手首をがっちり掴んだ。
離せ。そう言おうとしていた口に衿泉の唇が触れた。
「あ」
「あ♪」
「ほう」
人魚の長、春零、銀蒐が次々と小さく声を出した。
振りほどこうとしても解けなかった。やはり女と男の力の差は大きいものだと実感させられる。
それだけじゃない。唇から熱く、生命力を奪われているようで、身体に力が入らなかった。
「……っつ!」
止むを得ず、気によって衿泉を吹き飛ばした。
力加減を出来なかったせいか、衿泉はかなり奥まで飛ばされ、地面に落下するなり気絶した。
「ありゃ、衿泉が気絶しちゃった~」
「黎琳殿、今のは少しやり過ぎではないか~?」
ニヤニヤしながら言ってくるので、黎琳は氷の眼差しをお見舞いしてやった。いくら酒酔いしていても、その恐ろしさは強烈だったらしい。二人は一瞬で黙りこくった。
寝言のように衿泉は唸っているので、側に行って聞いてみれば。
「黎琳を、超える……あいつも、守る……そのために、強く――」
怒鳴りつけてやろうとしていたが、その気持ちは何だか萎えてしまった。
代わりに火傷でもしたかのような熱が身体中を駆け巡った。
「……あーあ」
「行っちゃいましたね~」
酒宴から抜け出す黎琳の背中を見送って二人は言った。
「ちょっとからかってやろうと思って、私は酔ったフリをしていたが、まさか衿泉が酒に酔うとあんな事になろうとはな……」
「本当~」
「春零殿、貴方酔うフリじゃなく、本当に酔っちゃってる……」
「銀蒐~お酒ぇ~欲しい~♪」
何て言ったかと思えば。
「……気付いているでしょうに」
ふいに冷静な声が響いた。
「春蘭殿。私と表立って話すのは初めてですな」
「そうね。あたしの事、そして春零の事を理解してもらえているようだから、安心したわ。以後よろしく」
ってそんな事を言うために出てきたのじゃないのよとノリツッコミを入れる春蘭。
「気付いていない感情をどうする事も出来ずに居るだけ。今日は酔わせてあげて欲しい。何も考えずに酔い潰れるのも心労を取るにはいい薬だ」
「……」
複雑な表情を浮かべたまま、銀蒐は春零の杯に再び酒を注ぐのだった。
賑やかな宴の席から少し離れた茂みの中で黎琳はうずくまっていた。
身体が、顔が火照っているのが分かる。別に酒すら飲んでいないと言うのに。
何とも言えない吐き気がする。とは言え、消化物を出したいと言うより、中に渦巻く感情の塊を吐き出したいと言うのが適切だろうか。
――私を、守る?たかが人間の下僕の分際で何を言うかと思えば……。あくまで妖魔にある程度は立ち向かえる力さえつければそれでいいのに。そもそも、私を超えることなど、ただの人間には出来ない……
けど、何故か嬉しいように思えた。
下層の人間に守られる事が嬉しい?そんなはずはない。
私が彼らを最終的には救わなければならないのだ。誰かに寄りかかる事など必要ではない。必要であってはならないのだ。
そう思ったら一粒の滴が零れ落ちた。
私は孤独だ。
上辺だけで「仲間」というものを作っていても、ただ一人立ち向かわなければならない。
そして最大の壁は――人間ではないこと。
隠さなければこうして居られない自分が嫌だ。
孤独で居なければならないのに、心の奥底ではこうした仲間を欲しがっている。
そのためについつい心を許してしまっているのだ。特に、衿泉には。
悟られてはならない。自分の本心を。自分の弱さを。
ふるふると頭を振り、もやもやした自分の思想を一旦追っ払った。そしてこれから先の事を考える。
――近況報告のためにも、一度ここで天界に戻った方がいいだろう。それから、私の過去についても何か知っている可能性が高い。あんな記憶をどうして私は覚えていないのか、不思議で仕方がない。恐らく七神が隠しただろうに違いないからな
夜は、深まっていく。黎琳の孤独を隠すかのように。