罪の在り処
「人魚の長よ、私の問いに答えてくれ」
答えるのを躊躇う人魚の長。
「妖魔に吹聴されたか?」
「!!」
やはりそうだったか。
人魚達に春蘭の存在を最初から暴露しておき、邪悪な存在であるからもしここへと来るのなら排除しろとでも言ったのだろう。
その情報を鵜呑みにして周りが見えなくなってしまったのなら、筋が通る。
何故なら、今の人魚達やその長に妖魔らしい殺気を感じないからだ。一応妖魔という類の存在故に気配そのものは妖魔と変わらない。だが、人間を明らかにこちらから攻撃し、殺す事を愉しむことをしそうにない。血の気配を感じ取らせないのだ。
この泉を守るために人間を排除してきた人魚達。しかしそれは正当防衛だったと言えるだろう。
確かにこの泉は人間の欲望塗れた心に触れれば力を弱めてしまうだろう。
何人かが侵入している経歴もあるようだから、元々この泉の力はもっと強大なモノであっただろうし、人魚達ももっと多く生息していたのではないだろうか。
人間も人魚も共に被害を受けているのだ。それは恐らく人間と妖魔の間でも言えることだろう。
ただ互いに滅ぼさんと殺しあってはならないのだ。ましてや人魚のように人の話を聞けるような相手ならば。
「私の過去もあの妖魔に聞いたのか?」
「……その通り、だ」
重々しく人魚の長は頷いた。
これで明らかになった事。それはあの妖魔が自分の過去を知る者であり、その過去に何らかの関係があることだ。
――私を地上へと降り立たせた理由が今なら分かる気がする
つい最近まで地上に降りる事を許さず、天界へと閉じ込めていた七神が自分を地上へと向かわせた理由が。
知らしめたかったのだ。過去のようにただ敵を排除するだけではまた同じ悲劇が繰り返される事を。
そして本当の敵が何者であるかと言う事を。
――私達が本当に倒さなければならない標的は、あくまであの妖魔とその配下達だ
とは言え、本物の悪と化した妖魔も多いのだが。
要は存在そのもので判断せず、そのものの本質を見極めて判断しろと言う事だ。
「私が言うのも何なのだが、これからもこの泉を大事にしてくれ。きっとこの先も私利私欲のために泉を乗っ取ろうとする者達が居るだろう。でも、人間を極力殺さないでくれ。そこから悲しみの火種はついて、人魚もまた人間に殺され、その連鎖が広がっていくだけなのはもう分かっているだろう?」
「……我々は滅亡を覚悟した身だ。それを寛大な心で救ったのは貴方である事に間違いはない。その方の意に反する事など、我々一族の名が廃る」
言い回しはくどいが一応承諾してくれたようだ。気持ち的には複雑だろうに。
この時、黎琳は罪の在り処をしっかりと捉えた。
――ここらで一度報告をよこした方がよさそうだ
霧のせいで空は見えなかったが、その視線は確かに天へと向けられていた。
溜謎の名を持つ強大な力を持つ妖魔は闇に閉ざされた森の中を悠長に歩いていた。
よくよく見れば踏みしめる土は異様に赤みがかっていた。それはここにただの水分である雨が降らない代わりに血の雨が近頃降っていたからだろう。
「お前達も喜べ。あの龍の血によって命を永らえられる事をね」
木は無言で答えを表した。
この木が立派に生長することで根城への入り口は完全に覆い隠される。
ただの切り立った岸壁かと思われがちなその場所に彼女の居場所が存在していた。
中は真っ暗だが、彼女の瞳にはその道がしっかりと映されていた。
発見しづらいように幻影による扉を入り口にはつけてある。万一それが破られても吸血蝙蝠が阻み、ただの冒険家はそこで死すのみ。
妖魔は人間の肉を食べなくとも生きてゆける。だが、滅びゆくその様を見るのと、その肉の美味しさと言えばやみつきになってしまう。血をすすることで勝利の美酒を飲んでいる感覚に浸れる。
だけど、それほどたんまりと美酒を飲むのはまだもう少し先だ。
地下の奥底へと続く長い螺旋階段を下っていく。冷たい風が底から吹いてくる。
「このワタシの帰りを待っていてくれたのね」
底へと辿り着き、そこで待っていたそれに声をかける。
ずっと暗闇の中で待ってくれていたのだ。明かりくらい点けてあげなければ。
そう思い、空間に炎の灯火を灯した。
露になったのは鎖に繋がれた巨大な結晶だった。
揺らめき煌くその水晶の結晶の中には一人の少年が閉じ込められていた。
黎琳のそれと同じ銀の長髪を持ち、閉じられた瞼は開きそうもない。
普通の人間なら死んでいると言ったところだろう。だが、彼は龍だ。黎琳同じく長い耳の先端が髪の隙間から見えている。更に白い肌には血色があるのは明らかだった。この結晶の中で彼は確かに生きていた。
「黎冥、今日もまた採ってきたわ」
言うなり結晶に唇をよせる溜謎。口の中から溢れ出す龍の美酒。それが結晶の亀裂から染みこんでいく。
ドクン。
人間の血を取り込んだ黎冥の身体が鼓動した。
しばらく鼓動が続いたものの、やがてパタリと止まってしまう。
「やはりまだ足りないのね」
最初は変化すらなかった。復活は絶望的だと分かっていてもそうせずには居られなかった。
龍の血には蘇生作用があると聞きつけ、龍の隠れ里を探し当てては血を奪ってきた。それを必死で作った亀裂から流し込んできた。何十年、数百年と。
やがて自分の頑張りに応えるように少しずつ黎冥に変化が起こり始める。肌の色に血色が宿り始め、心臓の鼓動を始めるようになり、強く脈打つまでもになった。
そしてどうやら意識まで覚醒しつつあるようだ。
『……溜……謎』
何処からともなく声がした。
「ここに居ます。黎冥」
中から呼びかける愛しきあの人を今すぐこの手で救い出したいのに、まだ救い出せぬ苛立ちが募る。
『あの子は……何処に……?早く、迎えに……行かねば』
「あの子は必ずここへとやって来るわ。それまで何とか持ちこたえて」
最終的に彼を完全に眠りから解き放つためには彼女の存在が必要不可欠だ。
はっきり言って進んでやる気はしないが、これも計画を遂行するための一手だ。
だから、おびき寄せる。
運命の糸は確実に彼女をこの地へと手繰り寄せている。
今健在の彼の唯一の血縁である、あの応龍を。




