泉の意思
「な、何がどうなってるんだ?」
――私に泉の力が注ぎ込まれている……
ぐっとその拳を握り締めれば、強い聖なる気が溢れ出す。
これなら我を忘れている彼らを傷つける事なく鎮める事が可能だ。
何故ならこの力は妖怪や妖魔を倒す時に使う気のように攻撃的な要素を全く感じないからだ。
「くっ、この罪人だけでも!」
春蘭へと狙いを変え、手を伸ばす人魚の長。
「そうはさせない!」
両手を前へと突き出す。次の瞬間、眩い光線がそこから放たれ、人魚の長に命中した。その粒子は人魚達にも降りかかる。
幻想的なその光景に銀蒐と衿泉も動きが止まる。
全てが時を止められたかのように動かなかった。
人魚から逃れようと仰け反っていた春蘭もびっくりして目を丸くしていた。
光が止み、自分の手をぎゅっと握り締めた黎琳。何だろう、この気持ちは。妖怪や妖魔を倒したときよりも充実感のある、この感じは。
ようやく皆が我に返った。
泉が七色に輝いていた。そうかと思えば一匹の人魚が空中へと跳ね上がった。そのまま宙へと浮かぶ。
透けていることから彼の人魚は実体を持たない幻の類であることは明白だった。
『やめなさい、我らが命の源を代々守りし誉れ高き番人達よ』
「まさか、始祖様か!?」
「始祖様が」
長になど目もくれずに人魚達が次々と頭を垂れた。
泉から姿を現したこの人魚は、どうやら人魚達の遠い先祖らしい。
呆然と立ち尽くしている人魚の長に向かって始祖は言う。
『目を覚ましなさい、長よ。邪悪な簾を撥ね退け、真実を透し見よ』
同じく七色の光が長を包んだ。すると、身から出た錆ならぬ、身から邪悪な気が滲み出てきた。七色の光がそれを浄化することで、人魚の長に憑いていた悪しき気は祓われた。
思わず閉じていた目を開けた長は虚ろに春蘭を見た。
その目には敵意など存在していなかった。
今なら話を聞いてもらえるだろう。
「人魚の長よ、春零を離してくれ。あたしを罪に問いたいのならば、あたしを今この場で消滅させればいい」
「春蘭!」
「いいんだ。確かに罪を犯したのは事実だから」
にっこり笑ってみせる春蘭に一行は絶句した。
『その必要は無い、生まれてくるべき身体をなくしてしまった迷い子よ』
温かくその人魚は春蘭を包み込むように抱きしめた。同じ実体を持たない存在同士であるからか、その温かさはちゃんと春蘭には伝わったようだ。
『少なくともお前の連れはお前の消滅を望んでいない。だからこそ、唯一の血縁である妹も身体を提供しているのだろう?』
「……」
「そうですよ、春蘭。春零は春蘭と一緒に居てほしいんです」
願いを聞き届けた長が春零を解放してくれたようだ。全身びしょ濡れで髪もぺったりとしている。長い間水に浸かっていたせいか、指の皮も多少ふやけてしまっている。血色も悪いし、唇も紫がかった色に変化している。
自分のために受けた酷い仕打ちを彼女はどうしてここまで許せるのだろう。
「これからも春零と春蘭は二人で一つですよ」
ああ。
これこそが生まれたいと願った理由。
人から、心から愛されたいと思ったから。
生まれて初めて、頬を滴が伝った。
春零はずっと前から覚悟していたのだ。覚悟をしていなかったのは自分の方。
「そうね。春零はあたしが居ないと変な虫がついちゃいそうだし」
「!!」
顔を真っ赤にしたかと思ったら、春零は眉を吊り上げて怒り出した。
「そんなの春蘭に言われたくないです――」
この霧の中、気温はそれほど高くない。それが悪影響となったのか。
「はっくしゅん!」
大きなくしゃみをするなりその場に座り込む。
「春零!」
皆して駆け寄る。額を触ればやっぱり熱が出ていた。
「皆様、こちらへ。その方を寝かせましょう」
「……そう言って何かするつもりじゃないだろうな」
鋭い目が人魚に向けられた。
「大丈夫だ。安心して春零を預けられる」
「でもな」
「春蘭の言うとおりだ。それほど心配なら一緒についていけ」
「船を用意しましょう」
『あ……――』
泉の光が急速に弱まり始めた。それと同時に始祖の身体も消え始めていた。
「始祖様!」
『案ずるな。我は、泉と共にいつでもお前達を見守っている……。道理を、外れようと、すれば、また、正しに、参ろう――』
その言葉を最後に始祖は消え失せた。
――泉と共にある……。あの人魚の魂こそが泉の意思だったという事か
長に向かって言った始祖の言葉によって長の様子が変わったことに黎琳は疑問を抱いた。あれはただ単に上の権力にひれ伏したという類のものではなかった。
悪しき簾とは一体何をさしていたのか。
人魚と衿泉達が大移動を始める中、黎琳は動こうとしていた人魚の長の肩を掴んだ。
「話がある」
そう言うなり二人は大移動の列から外れた。
泉の近くにある自然の岩場の小さな洞窟の中で二人は対峙した。
「何故春零の中に居る春蘭の存在を知っていたんだ。あれは普段一人の『春零』として存在している者。知り得るはずのない情報を何故知っていた?」
「……こちらも聞きたい。何故泉の意思である始祖様がお前に力を貸した?あの力は人魚かそれを超越する存在でない限り扱いきれぬ。現にあの力を手に入れようとして何人の人間が蝕まれ、湖の底へと消えていった事か」
ここには二人以外誰も居ない。周囲に別の気配を感じないのを確認して黎琳はその正体を曝け出した。
黎琳の正体を知った人魚の長は勿論目を見開いたが、特に恭しい態度に変えることなく話を進める。
「応龍であったが故、か……。貴方はやはり妖魔と戦うために地上へと来てしまった」
薄く笑みを浮かべた人魚が言った。
「まさか始祖様が我々一族の滅亡を望んでおられるとは思わなかった」
「……言っておく。私はお前達が妖魔の一種と言って排除をする気は満更ない」
死を覚悟していた人魚の長は目を丸くした。
「泉の意思はちゃんと全てを悟っていたのさ。私が人魚達を殺さず、未来を繋いでくれると」