清流の力
いくら負傷をしたとは言え、黎琳が黙っているのは何だか変だ。
違和感がして仕方が無い。
緊迫した空気が張り詰めている。
――……
「なあ」
「何だ」
素っ気無い返事はいつも通り。
「幻術で、何を見たんだ?」
「……!」
気を遣って遠慮するのはもうやめだ。
少しの変化も見逃さず、気になる事は全部聞く事にした。
あれほど取り乱していたのをそのまま放ってはおけない。
「私は、何も、見てない……」
「何でそうして隠そうとするんだ?」
「……衿泉、お前の辞書には秘匿と言う言葉がないのか?」
いつもなら軽く振り切れていたのに、追及が止まない。
やっぱり色々隠しているので痺れを切らしたって所だろうか。
「気分の悪い幻だった」
「俺が聞きたいのはその詳細なんだが?」
「何でそこまで……――」
途中で声が途切れた。黎琳の身体が微かに震えたのを感じ、どうしたのかと視線を後ろに向けた。
身体が感じていた。自分の体内に取り込まれていく神聖なる力を。
精神的な傷までも癒されていくような感覚だった。あまりの気持ちよさに黎琳は言葉を失っていたのだ。
信じられない。強大な力が溢れている。
「神聖な泉――気出泉の事だったのか」
「気出泉?」
「濃厚な気を感じるんだ。恐らく泉から溢れているのだろう。人魚が守護しているのはその気出泉を穢されないためなのだろう」
気出泉。
地下から湧き出る水と共に濃縮された気が噴出する泉を指す。
出てくる気はその出口が浄化された神聖なるものか、邪気によって穢されたものかで陰陽が分かれてしまう。つまりは泉が穢されれば、そこから濃縮された邪気が噴出し、辺り一体は妖気が蔓延る事となるのだ。ありがたいものではあるが、時には危険なものでもある。
ここは人魚の尽力により、ずっと神聖に維持されてきたのだろう。
――何と言う事だ。妖魔の一種にあたる彼らが人間の有益になろうことをしていたなんて
ただ害を成すのが妖魔であり、妖怪であると認識していた。
だけど……。
手短に気出泉の説明をした。すると銀蒐がぼそりと呟いた。
「それではまるで我らが人間の味方のようなものではないか」
全く以ってその通りだと思う。
都へ報告されるのは妖魔による凶行だっただろうから尚更だろう。
「話をしてみた方が良さそうだ」
「黎琳殿の言うとおりだ。もし純粋にそうならば話を聞いてみたい。何を思い、ずっとそうしてきたのか」
衿泉は何も答えなかった。
尚も気は流れてくる。とても心地がよくて、思わず緊張感をほぐしかけた時だった。
「ようこそ、人間達」
霧が一瞬濃くなったかと思えば急に消え失せた。
目の前には澄んだ水の溢れ出す泉の姿があった。円状に並び立つ人魚の姿もあった。
真ん中にはきらびやかに真珠を身に付けた格の高そうな人魚がこちらを見ていた。
透明感のある水色の髪に同じく水色の瞳を持った人魚だった。
「罪なき旅人達よ、歓迎致します」
「では聞こう。人魚の長よ」
銀蒐が一歩前に出た。
「罪人として連れて行った春零殿はどうするつもりだ」
「勿論、罪人として裁くのみ」
突如ザバアと音を立てて、水中から何かが飛び出した。
水に満たされた球の中に閉じ込められた、春零だった。はっとして三人が戦闘体制を思わずとってしまった。春零に何かされるのを黙って見てはいれない。
「春零は罪人ではない!」
「そんな事分かってる。問題は中に居るこやつな事くらいはな!」
ズズッと音を立てて水が何かを吸い上げた。水球からそれが排出される。
形のもたないそれがようやく形となって現れる。春蘭だ。
尻餅をついた姿勢だったが、自力で立ち上がり、黎琳に負けない威圧感を放った。
「あたしが元々邪気をもった妖怪と化していた事を罪だと言いたい訳だ」
「その通りだ。この娘は人質として利用させてもらうぞ。罪を償え、哀れな魂よ。そして還れ、天へ。あるべき場所へ」
さもないと春零の命はない――。
声に出さず、口の動きでそう言ってのけた。
――何が話の通じそうな相手、だ
衿泉は二刀のうちの一刀に手をかけていた。
――所詮妖魔は人の話に耳を貸そうとしない。やはり妖魔は悪だ。排除すべき人間の敵……!
「待て」
飛び降り、黎琳が歩み寄った。
「春蘭の魂は私の気によって浄化した。今は害のないただの精神体に過ぎない。お前達の守ってきた神聖なる泉を穢すほどの邪気も持ち合わせては居ない」
「そうやって上手く丸めようとしおって」
蔑む様な目は心の奥までも凍りつかせそうだった。
「我らは知っている。この娘はまだ邪気を隠し持ち、肉体であるもう一方の娘の隙を見て乗っ取ろうとしている事を」
「!?」
何故にそうも言い切れるのか。
「我々の情報網を甘く見るな。騙そうとしたお前達も同罪に問うべきだな」
長の発言に周りの人魚達が次々と頷く。
「待つんだ!当人の言い分を聞けば分かる!」
「何を言うか人間!騙し狐のように嘘を言う事しか知らぬ愚か者どもめ!」
駄目だ。興奮状態になっていて、話を聞けるような状態じゃない。
とうとう本格的に戦わなければならないようだ。
武器をとる衿泉と銀蒐に黎琳は小さな声で言った。
「人魚を一匹たりとも殺すな」
「!?」
銀蒐はこくりと頷いたが、衿泉は驚きの形相で黎琳を見た。
彼が反論しようとしているのは明白だった。口の動きだけで言ってやる。いいから言うとおりにしろ、と。
納得はしていないようだが、とりあえずは従ってくれるようだ。そのまま前へと顔を向けた。
ピチャンと滴が落ちた音を合図に衝突が始まった。二人が同時に泉へと駆け出す。人魚達が一斉に呪文を唱え始める。
呪文を唱え、術を発動させる前に気絶させる。衿泉は上手く逆刃を使って峰打ちする。
「おのれ貴様らぁ!」
長が奮起した瞬間、凄まじい気が黎琳を襲った。負の感情に支配されたその気は確実に黎琳を蝕もうとした。
まだ体調が万全でない自分にはとても防ぎ切れそうにないと思った時だった。
透明な壁が盾となり黎琳の身を守った。
「!?」
人魚の長はおののいた。
泉が黎琳に力を貸していた。淡い光を放つ聖なる気が黎琳を取り囲んでいた。