ナマケモノと冒険家
ナマケモノは言いました。
「そこの冒険家さん、ちょっと待ちな。哀れな俺に水を分けてくれねえか?」
冒険家は木の上にぶら下がっているナマケモノに気がつき立ち止まりました。
「悪いがこの水は私の生命線だ。そうやすやすとあげるわけにはいかない」
冒険家はどうやらジャングルの中で迷ってしまっているようです。ナマケモノの要求を大変申し訳なげな表情で断るとすぐに立ち去ろうとしました。
「冒険家さん、ちょっと待ちな。哀れな君は迷子と見える。ここは取引といこうじゃねえか。哀れな君は哀れな俺に水をくれる。哀れな俺は哀れな君に街までの道を案内する。どうだい?」
ナマケモノの提案に冒険家は声を高くして言いました。
「本当に帰られるのか?」
「もちろんだ。この森はいわば俺の家だ。自宅で迷うやつがどこにいる」
ナマケモノは自信満々な笑みを浮かべました。
「さあ、どうする?」
「わかった。水をやろう」
冒険家はナマケモノの言葉に快い返事をしました。
「じゃあ、今から降りるからしっかり受け取ってくれよ」
ナマケモノはそういうのが早いか、ぶら下がっていた手を離し木の上から落ちてきました。突然に落ちてきたナマケモノを冒険家は冒険家らしい反応速度で受け止め地面にゆっくりとおろしました。
「降りるなら木を伝ってくれ。心臓が止まってしまう」
「それは悪かったな。しかし、ナイスキャッチだったぜ」
「…まあよい。それより私の水をやろう」
冒険家はナマケモノの軽口には取り合わず、水の入った水筒を渡しました。ナマケモノは器用に蓋を取ると水筒を少しずつ傾け飲み干してしまいました。冒険家はその行動に驚き、声を上げました。
「おい!全部やるとは言っていないだろう」
しかし、ナマケモノはたじろぐことなく口元の水滴を腕で拭うと不敵な笑みを浮かべました。
「冒険家さん、落ち着きな。街はここから一キロほどだ。水がなくとも大した問題じゃねえ」
ナマケモノのもたらした情報に冒険家は再び声をあげました。今度はその声に喜色が含まれていました。
「一キロ!日が暮れる前に帰られるではないか。さあ、すぐに案内してくれ」
しかし、ナマケモノは一向に動く気配がありません。痺れを切らした冒険家が詰め寄ったとき、ナマケモノはようやく口を開きました。
「水を飲んだら腹が減っちまった。飯も久しく食ってねえからどうにも動けねえや。冒険家さん、悪いが俺が飯を食う間しばらく待っといてくれや」
「くそ。できるだけ早く済ませ」
苛立ちの隠せない冒険家もナマケモノの案内なしに森を抜けるのは困難だと考えて待つことにしました。
「なに、心配すんな。すぐに食べ終わるよ」
ナマケモノはそう告げると、周囲の落ち葉をおもむろに食べ始めました。しかし、言葉とは異なり、食事を終えるころには木々の隙間から覗く空はすっかりオレンジ色に染まっていました。
「冒険家さん、待たせたな。これでいい案内もできるってもんよ」
「ああ」
ナマケモノの遅々とした食事を横で見ていた冒険家はそれに対する苛立ち以上に自らの空腹に気がつき力の抜けた返事をしてしまいました。しかし、街に出ればそれも解決します。日が暮れるまでには何としても帰りたい冒険家はすぐに気を取り直してナマケモノに言いました。
「さあ、すぐに案内をしてくれ」
「あいよ。こっちだ。着いてきな」
満足げな顔つきのナマケモノは明るい口調でそう告げると、じれったいほどゆっくりとした動きで前に進みはじめました。そして、その珍獣の後ろに立つ男の顔には影がさしてゆきました。




