タンザナイト――1―4
愛梨さんの部屋に戻ると、七尾さんがリビングの方から駆けてきた。
「遅いよあーちゃん。路地裏に彼のこと引きずり込んで美味しく召し上がってたんじゃないのって、そう思うくらい遅いわよ」
「そんなに遅くないしそんなことしてないよ。もう」
「え、じゃあ、貴方の方からあーちゃん誘って召し上がっちゃたのかしら」
頬を膨らませた七尾さんが、俺の方を観察するようにじっくりと見てくる。
先程は、エネルギーの流動によって髪も瞳も金色だったらしく、今は瞳こそ金色だが髪の毛は栗色なので、能力を発動させるつもりはないのだろう。つまりふざけているだけだ。
この世界の能力と言うのは、エネルギーの流動によって発生する物理現象の一種らしい。買い物へ出る前に聞いたことの一つだ。
「ねえ、陽平さん。もし、あーちゃんとあたしの二人から同時に迫られたらどうするのかしら。あーちゃんかしら、あたしかしら、それとも、二人とも残飯みたいにすてちゃうのかしらね」
七尾さんは艶めかしく微笑みながら舌なめずりする。
愛梨さんは溜息を吐くと、俺たちを置いて部屋の奥へ入っていく。
「あーちゃん可愛いよね。貴方はショートがお好みかなのかしら。どうする、あーちゃんに色っぽく迫られたら。耐えられるのかしら? それとも、とろっとろに理性溶かされちゃって情欲のままに貪っちゃうのかしら?」
目線を逸らし、なるべく話を聞かないようにしても体を押し付けてきて注意を引こうとしてくる。
耳を傾けてしまったが最後、すぐに能力を発動されて頭の中を読まれてしまうかもしれない。そんな危ない相手の危険な言葉を聞くわけにはいかない。
「いつまでもそんなところにいられるとご飯作れないから、せめて今買ってきたものだけでも渡してもらえると嬉しいな」
「七尾さんすいません、愛梨さんに急かされたんで、もう行きますね」
その場を去ろうとした時、七尾さんに舌打ちされる。俺は七尾さんに嫌われているのだろうか。
「桜子と何話してたの?」
「話してたというより、一方的に言葉攻め受けてただけですよ」
俺は両肩をあげ、苦笑いしながら答える。
「それでも私は嬉しいよ。それはきっと仲がいいってことだと思うから」
「愛梨さんっていい人ですよね」
「私がいい人? そんなことないと思うけど」
彼女は謙遜、と言うよりは自嘲気味な笑みを浮かべながら否定する。
「私はご飯作ってくるから、その間待っててもらえるかな」
愛梨さんに悪気はないのだろうが、そうして俺はキッチンを追い出された。
ただ待っているだけならいいけれど、あの手この手で危険なことを想像させ、それを無理矢理読み取ろうとしてくる人がいるという問題がある。
最も、愛梨さんがいても止まるかどうかわからないので、その場にいないというのが、彼女の友人である愛梨さんには悪いが俺にとっては理想だ。
「つまらない人ね。男ならあーちゃん押し倒してキスくらいなさいよ」
キッチンを出たとたんに下のほうから声がしたので見てみると、壁の影に隠れるようにして七尾さんがしゃがんでいた。
「そんなことしたら愛梨さんに迷惑だろ」
「大丈夫。迷惑に感じないくらい甘くて、気持ちのいいキスすればいいだけ。それに、あーちゃんはちょっと強引な方が悦ぶわよ」
大丈夫以降の言葉が大丈夫ではないと予想していたので、目を閉じ、頭の中で早口言葉を唱えていた。
七尾さんとの会話は、会話が成立しているにもかかわらず酷く疲れる。そんな経験は、俺の人生の中ではこの人が初めてだ。
俺はその場を離れてソファに腰掛け、大きく息を吐く。
「あら、あたしが初めて? それは嬉しいわね。けれどそうなると、あーちゃんは捨てちゃうのかしら」
上を見ると金色の瞳でこちらを見下ろし、怪しく微笑む七尾さんの顔があった。
髪まで染まるほどエネルギーの流動を起こさなくても、能力を発動できるというだったのかと思い知る。
「さあ、早速あーちゃんの前で、あーちゃんが泣いちゃうほどに、ゆっくりと、濃厚な、ディープキスでもしましょう。初めての」
「ちょっと待て、初めてってのは、七尾さんみたいな会話が成立しているのに疲れる相手がだ。そんなファーストキスの話なんかしてない」
俺はソファから離れ、きっぱりと七尾さんを拒絶する。
今のように何気ない言葉を抜粋されて、都合のいいように編集されたり、七尾さんの面白いように言葉を変換されてはたまったものではない。
七尾さんはソファを軽々飛び越え、怪しく笑いながらにじり寄ってくる。
「愛梨さ――」
助けを請おうとした時、七尾さんは突然加速し、その細い指を俺の口の中に詰め込むと同時に、勢いよく拳を腹部に打ち込んでくる。
その場に倒れそうになったところを七尾さんに抱えられた。
強烈な一撃のせいで涙で視界がぼやけながらもキッチンの方に目を向けると、愛梨さんは料理に夢中なのか、全く気付いていない。
「あぁら、だめじゃない。あーちゃん呼んじゃ。ご飯までまだあるのだから、あたしと遊びましょう」
耳元で優しく威圧するように呟かれ、咳き込みながらも頷く。
だめだ、この人の目的がまるで分らない。
「目的? そんなものないわよ。ただ、あなたと遊びたいだけよ」
「陽平君、どうしたの?」
キッチンの方から愛梨さんの声が聞こえてくる。
今、助けを請えばばきっと気付いて七尾さんを止めてくれる。
助けを求めようと口を開いた時、思い切り腕を掴まれた。
「余計なことを喋っちゃうと、うっかり殺しちゃうかもしれないわよ」
七尾さんは聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、抑揚のなく脅してくる。
「大丈夫。二人で愛を囁きあってたら緊張して咳き込んじゃったみたい」
それが事実だとでも言わんばかりに嬉しそうに話すものだから、愛梨さんはそれを信じたようで、子供を見守る母親のような顔で笑う。
「喧嘩とかじゃないならいいけど。そんなことしないでね」
「あーちゃん。喧嘩じゃないなら、キスはいいの?」
「キスもだめ」
了承を得られなかったからか、七尾さんは本当に残念そうな声を上げる。
「ねえ、陽平さん。あーちゃん可愛いと思わない? あたしは可愛いと思うの。貴方もあーちゃんのこと可愛いって思うでしょう」
可愛い、ああそうだ。と、肯定の言葉だけを頭の中に思い浮かべ、黙って頭を縦に振る。
「あたしはあーちゃんが好きなの。だから、あーちゃんの顔が悲しみや恐怖でぐちゃぐちゃに歪むところが見てみたいの」
七尾さんが何を言っているのか、何をしようとしているのか全くわからないし、たとえわかったとしても理解したくない。
鳥肌が立ちそうなほどの寒気を感じて体が震える。今まで生きてきた中で、味わう機会なんてあるはずもなかった狂気の二文字を全身で感じる。
「自分が助けようとした人を、自分が招いた友人に、目の前で惨殺されたら、あーちゃんどんな顔すると思う? 想像するだけで興奮してこない?」
俺の耳元で声を弾ませ、喜々として囁く。
身体能力を調整してもらったから、この状況を巻き返すことは出来るかもしれない。しかし、巻き返したところで愛梨さんからすれば、違う世界から来たと言う変な男が、突然友人に襲いかかっているようにしか見えないだろう。そうなれば、愛梨さんとも戦うことになり、金属操作とやらで間違いなく殺される。
つまり、現状ではどちらにせよ、死ぬ。
俺の異世界転生物語は、助けてもらった人の友人のせいで終わるのかよ。
「あら貴方。殺されそうだというのに怖がらないのね。死ぬのが怖いというより悔しがっているように聞こえるのだけど」
生き残るためには何をすればいいか。助けを求めようとすれば、頭の中を読まれているために呼ぶ前に殺される。抵抗すれば愛梨さんに殺される可能性がある。
「あーちゃんがあたしを守るために、自分の手で貴方を殺す。泣きながら貴方の頭蓋骨を砕き、腹部を切開する。それもいいわね。あなたはどうかしら」
何かこの状況を打開する方法があるはずだ。だが、どれ程考えてもその方法がまるで思いつかない。
あるはずだと、俺が勝手に妄信しているだけで本当に殺される道しかないのか。
そうか、俺が不死身になれば解決されるんだ。
「面白いこと考えるのね。人間、窮地に陥るとそんなことしか考えられなくなるものなのかしら」
「ああああああああ!」
七尾さんの耳元で思い切り叫ぶ。
彼女の能力は、考えたことを読み取ることが出来る。ならば、考えるより先に行動すればいい。思考を呼んでくる相手に対して、アニメなんかではよく使われる使い古された手段だ。
七尾さんは耳を塞ぐために両手を塞ぎ、俺は自由になる。それと同時に体は支えを失い、床に叩きつけられる。
「どうしたの陽平君!」
流石におかしいと思ったのか、愛梨さんはキッチンを離れて駆け寄ってくる。
「本当よ、いきなり耳元で叫ぶなんて。叫ばれる側の気持ちになってみなさいよ」
ならば貴女は他人の性癖の為に殺されそうになる側の気持ちになれよ。そう思いながら七尾さんを睨みつける。
「あら、そんな熱い眼差しであたしを見つめて。それほどあたしにきがあるのかしら。嬉しいわ」
この人は愛梨さんの前では本性を表そうとはしないのか。
「そんなことよりあーちゃん、ご飯はまだかしら」
「うん、あともう少しかかるかな」
「そうなの、ならあたしはもう少し陽平さんと遊んでいるわ」
そう言って何も考えずに、ただ楽しんでいる様な笑みを浮かべる。
「それはいいけど。陽平君、盛り上がっても叫んだりしないでね。多分聞こえないと思うけど、一応お隣さんいるんだから」
殺されそうになった俺が注意されるのは些か理不尽では、と思いながらもしぶしぶ了解の返事をする。愛梨さんは何も知らないので仕方のないことではあるけれど。
愛梨さんはキッチンへ戻ったが、そこからこちらを優しそうな表情で見つめてくる。これはなんだろうか。見ているから騒ぐなという圧力か、それとも子供を見守る母親のような感じなのか。
「陽平さん、次は何して遊ぼうかしら?」
七尾さんは何事もなかったかのように無表情で訊ねてくる。
「どういう意味だ」
「あら? さっきまではあれ程のりのりで遊んでくれていたというのに。もうあたしに飽きたのかしら」
「なんだ、あんたはさっきのは全部遊びだったとでも言うのか」
舌なめずりすると、俺のことを見下すようににやりと笑う。
どうやら、強制参加の茶番劇に付き合わされていただけのようだった。できればもうこの手の強制参加イベントは拒否したいところだ。
安心したからか、呆れたからかソファに腰掛けると溜息が出る。
「でも、全部嘘だったわけじゃないわよ」
その言葉を聞いて反射的に七尾さんを睨みつける。
「そんな怖い顔しないでよね。別に貴方を殺す気なんか最初からないわよ。あーちゃんの泣き顔は見たいけど」
七尾さんは不純物のない純粋そうな笑顔を浮かべる。
最も、綺麗かと聞かれれば、混じりっ気のない綺麗な欲望と答えなければ、綺麗とは言えないものだけど。




