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-タンザナイト-  作者: プレイヤー1
タンザナイト――3
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タンザナイト――3―6

 気がついた時には日は高くに昇り、ブランケットがかけられていた。


「昨日は夜更かしでもしてたのかな、陽平君」


 俺の側で愛梨さんがしゃがみ込んでいた。気のせいか、この人はこういう時いつも俺の側にいるような気がする。いや、気のせいか。


「そういうわけでは、ないです」

「へえ、困ったこととか、悩み事があるんだったら聞くよ? そう言うのは話しちゃった方が楽になると思うから」


 それもそうなのだろうが、果たして話して良いものかと悩み、今はいいと答えを出す。


「そっか、残念」


 そう言って立ち上がり、キッチンの方へと向かう。


「ねえ。困ったことがあったら何でも聞くよ、相談に乗るよ。力になれるように尽くすから、もっと頼ってくれてもいいんだよ。ね、陽平君」


 悩みのある相手への何気ない励ましの言葉。そのはずなのに、何故かうっすらと寒気を感じた。


「それとね、陽平君。もしかしたらなんだけど。……やっぱりいっか、まだわかんないし」

「なんですか、すっごい気になるんですけど」

「ううん、何でもない。気のせいかもしれないし、思い違いかもしれないから。わかったらその時に話すね。多分、そんなにかからないと思うから」


 気にはなるが、近いうちに話してくれるというのだから、今問い詰めるより向こうから話してくれるのを待つことにした。といっても本音を言えば今すぐ知りたい。


「そういえば。陽平君のだよね、冷蔵庫に入ってるジュースって」

「一応、貰い物ですけど。愛梨さん飲みますか?」

「んー、いらないかな。それより、どんな人に貰ったかって、そっちの方が気になるな」

「えー、そうですねえ。どんな人、か」


 甘いものが好きな人、それもそうなのだろう。愛梨さんは味を知っているだろうから、そのくらいわかるはずだ。なら、何を言えばいいのか。見た感じの年齢と、性別、身長あたりだろうか。


「そう、どんな人か。例えばそうだね」


 言葉がそこで途切れたので、例文が出る前に答えようかとも思う。


「――例えば、甘いものが好きだったり、甘い香りがしたり、私より小さかったり、緑の手袋してたり、髪の毛が少しカールしてたり、綺麗な顔だったり、色は蒼かったり、そんなことだよ」

「俺が昨日、誰といたか知ってたんですか」


 口の中にある僅かな唾を飲み込んで訊ねる。


「知ってた、わけじゃなくて、さっき知ったかな。洗面所に行ったとき、微かに越前さんの匂いしたから。半信半疑だったんだけど、本当に一緒だったなんてね」


 自分では気づかなかったが匂いが移っていたようだ。

 確かにあの部屋は甘い匂いがしていた。しかし、慣れてしまったからか、いつの間にか気にならなくなっていた。


 焼肉屋へ行って焼き肉の匂いが移るのと同じように、あれだけ甘い匂いのする部屋へ行ったのなら、その匂いが移るのは当然じゃないか。


「すいませんでしたっ」


 別に愛梨さんと付き合っているわけではないので謝る必要はなさそうだが、先程、どこぞの誰かに相手が男性にも関わらず、なかなか理不尽に怒られたので先に謝っておこう、とそういうことだ。


 顔を少し上げて愛梨さんを見てみると、どうにも難しい顔をしていた。困ったような、悩んでいるような、そんな顔だ。


「ほら、顔あげて。私はいいんだよ、困ったときに頼ってくれて、いらなくなったらそのまま捨てられたって。それで陽平君にとって、私がいい子でいられるなら」

「は? え、ちょっと、愛梨さん?」


 愛梨さんはそれ以上何も言わなかった。

 そのまま何事もなかったかのように、いや、愛梨さんにとっては何もなかったのだろうけれど、いつもと同じような時間が流れる。

 俺はどうしてもあの台詞を気にしてしまって些か接し辛く感じる。


「愛梨さん、俺は利害だけで愛梨さんと付き合いたくなんてないですし、そんな関係になるなら、愛梨さんの助けなんか要りません」


 空が徐々に橙色へと遷移を始めたころ、ついに言ってしまった。

 それも、舞奈とのやりとりが未だに尾を引いているのか、強く、切り捨てるように。


 半日も経つのだからいい加減忘れてもいい頃合いだが、如何せん理不尽に感じたところが強く、まだ残っている。

 愛梨さんは引き攣った笑みを浮かべていたが、俺は自分が悪いことを言ったなんて思っていない。


「陽平君にとって私はそんなに頼れない存在かな。私じゃ、陽平君の力になんかなれないのかな。力になれたとか、助けになれたって思ってたのは私の勘違いや傲慢だったのかな。いい人でいたかった、陽平君にとって私はいい人でいたかったんだけど、私はいい人でいられなかった。いい子で、いられなかった、のかな?」


 小さく落ち着いた声が、俺に面倒な地雷を踏んだぞと知らせる。

 しかもその地雷はおそらく、今までに爆発したことがあるものだろう。故に、平常通りなら回避できたのだろう。本当に面倒だ。何に対してかは分からないが、兎に角苛々する。


「ごめんね、私ちょっと出てくる」


 ゆっくりと歩き去って、やがて玄関の扉が閉まる音が聞こえた。

 一人になった部屋で、何の変哲もない普通の天井を見ながら考えていた。

 愛梨さんが悪いわけではない。完全に問題がなかったかと言えば、俺にとってはそういうわけでもないが、悪気があったわけではないのだろう。俺の機嫌があまりいいとは言えなかったのが原因だ。


 じゃあ、その機嫌を損ねたのは誰かと言えば間違いなく舞奈だ。人の話も聞かず、理不尽に怒ってきたのだから、俺でなくとも苛立つ人は多いはずだ。


 では、舞奈が理不尽に怒りだした理由はなにか、それは理久がくれた花なのだろう。理久が何を考えているか、俺には正直分からない。何故花をくれるのか、その行動や思考に何か意味があるのか、或いはゲーム感覚で意味などないのか。なんにしても、花はいらないと一度は断った筈なのにそれでも渡してくるのだから、今回の件において、そういう意味では最も罪深いといってもいいのかもしてない。


 だがそれを言えば、花瓶に生けるため戻ってこなかった、面倒だという理由で省略した俺にも幾らか、いや、もしかすると中々にその比率は大きいのではないか。

 それは罪を擦り付けているだけか。


 全く関係のない愛梨さんにまで伝播させたのは間違いなく俺なのだから。

 これこそ謝らなければならないことだろう。


「帰って来たらなんて謝ろうか」


 誰に聞かれることなく独り言は静寂に飲まれた。

 それから間もなくしてインターホンが鳴り響いて、応じる前に玄関が開かれる。


「やっほーあーちゃーん、来たわよー」


 入ってきたのは七尾さんだった。

 もっとも、知っている範囲でこの部屋の電子ロックを開けられるのは俺の他には、部屋主の愛梨さんと七尾さんくらいだ。


「あら、よーくんしかいないのね。あーちゃんと痴話喧嘩でもしたのかしら」

「痴話喧嘩、ではないですけど、そんな感じですね」

「へえ。それ、お姉さんに話してみるつもりはないかしら?」


 七尾さんの瞳が金色に染まる。話そうが話すまいが知ることは前提らしい。

 読まれるくらいならと、ことの顛末を愚痴を交えて話す。

 相手との関係はややこしくなりそうだったので、故意にぼかして曖昧に伝えた。

 俺が話している間、七尾さんは相槌をうっているばかりで、質問もなにもなかった。


「なるほどね、要約するとこうかしら。機嫌が悪くて八つ当たりしてしまったのを謝りたい、と」

「ええ、まあ、多分そう言うことです」


 第三者からみればその程度の事なのかと溜息が出た。


「話しちゃってもいいのかしら。んー、まあいいわ」

「何の話ですか、流石にどうでもいい話ではないですよね」

「それは保証しないけれど、あーちゃんの話よ」

「え、それ勝手に話していいやつなんですか」


 七尾さんは両手を合わせて満面の笑みを見せてくる。

 なんだろう、この人は言い予感というものの対極の存在なのだろうか。


「知られなければいいのよ。不貞も漏洩も」


 口元を怪しく歪ませたその顔は悪役の物だった。


「この人は……」


 右手を握りしめ、眉間に力が入ってしまう。


「どうせすぐに知られるわ」


 それが当然というように悪者は消え失せ、けろっとした七尾さんが現れる。

 この人の調子には乗せられたくない。面倒くさそうだ。いや、愛梨さんも舞奈も面倒くさいと言えば面倒くさいか。


「それで、どんな話なんですか」

「あーちゃんの頭がおかしいって話よ」


 そう言うと肩を揺らしながらくくくと小さく笑う。


「それただの暴言じゃないんですかねえ」

「まあいいじゃないのそんな細かいこと。それじゃあ話すわよ」


 俺は何も言わずに頷く。


「あーちゃんっていい子だよね、困っていそうな人がいたらたったか走って行くくらいに。聞いた話だけど、いい子であるように、人の助けになれる人になれって育てられたらしいのよ。そこだけ聞けばいい親なんだけど、ちょっと過激だったみたいで、それでいい子であろうとしてるらしいわ。あたしもほんとかどうか知らないけれど、病的に見えることあるからそうなのでしょうね。あーちゃんは意識的か、無意識的か、善行を成せない自分は無価値な人間、存在してはならない人間とでも思ってるんじゃないかしらね」


 まるで、何気ない世間話をするかのように七尾さんは語る。しかし、雑談にしては少々重い内容だ。それ故に言葉が出てこない。

 薄ら笑いを浮かべた七尾さんの顔が目の前まで近づいてくる。


「だから、要らないとか言われちゃうと、あーちゃんどうしちゃうのかしらね」

「まさか自殺――」

「しないわよ多分。それこそ迷惑かかるじゃない。街に困ってる人がいなくても、よーくんはお腹空いて困るでしょうし、自殺なんて単語が出てくるくらいには心配してるみたいだもの。落ち着くまでに時間は掛かるかもしれないけど、日付が変わる前には戻ってくるはずよ」


 よくあることなのか前にもあったことなのか、七尾さんは不思議なほど落ち着いているように、違う、普段通りに見える。


「もし、自殺してたらどうするんですか?」

「あら、拘るわね。その時は仕方ないわね、あたしも後を追うわ」


 何も言えない、というか、何を言えばいいのかわからない。

 二人の関係は本当に友達同士なのか、それとも七尾さんの気持ちが一方通行で重いのか。


「あーちゃんがいないと物足りないわね。あーちゃんの部屋であーちゃんの匂いに包まれながらあーちゃんを感じていようかしら」


 愛梨さんは隠しているだけなのかもしれないけど、多分これは一方通行だ。愛梨さんはここまで問題があるとは思えない。


「よーくん、少しだけおもちゃになってもらえないかしら」


 何を言い出すかと思えばいつも通りの戯言だった。

 俺は目を細め、何も言わず、首を横に振ることもなく七尾さんを見つめる。


「そんな目しなくたっていいと思わない?」


 目を細めたのは軽蔑しているように見えるだろうと思ったから。別に軽蔑しているわけではない。いつもの事だから。

 そんな調子で、俺はなるべくあしらうようにして二人きりの時間を過ごしていた。




 七尾さんの言ったように星が輝けるほどに空が暗くなってしばらくすると愛梨さんは帰ってきた。


「おかえりなさい、あーちゃん」

「うん、ただいま」


 愛梨さんと目が合うが、顔を合わせ辛いのかそっぽを向かれる。

 それでも俺は、謝らなければならない。

 息を吸い込んで唾を飲み込み、拳を握りしめる。


「愛梨さん、さっきはすいませんでしたっ。俺には愛梨さんが……」

 そこまで言って気付いた。

 これは告白に相違ない言葉ではないか。だとするならば完全に浮気であり、七尾さんが口にした不貞そのものになる。


 裏切りにあたり、不誠実な言動だ。どうする、なんと言葉をつなげる。

 考えたところで、貧相な俺の頭では答えなんか出やしない。


「もういいよ」


 愛梨さんの一言で断ち切られる。俺には切れ味鋭い銀色に輝く刀のようにも思えた。

 そのまま疲れたような顔で自室へと歩いて行き、ばたりとドアが閉められる。

 七尾さんの方へ視線を移すと、七尾さんもまた俺を見ていた。

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