Ep.1
「お母さん、行ってくるね!」
「レイ、気を付けるのよ、最近は山賊も……」
「大丈夫大丈夫!山賊なんか怖くないわよ!じゃあね!」
空が青く染まり始め、草木達が目を覚ます頃。
心配気な母に笑顔で手を振って、私は家を飛び出す。
金色の髪に、尖った耳。この世界では珍しくもない、いわゆるエルフである私は、今日もいつも通り街へ向かう。お仕事の時間だ。
「ようレイちゃん、今日もお仕事かい?」
「ノーグおじさん!おはようございます!頑張ってきます!」
「いつも通り元気だなぁ、レイちゃんの笑顔はエルザ村一の癒しだよ」
がははと髭の生えた大きな口を開けて笑うのは、いつも畑をいじってるノーグおじさん。
このエルザ村一の人気者である。
私達とは昔からの付き合いで、何かとお世話になっている。
「またまた、そんな事ないですよ!」
「あるんだよ、レイちゃんみたいな可愛い子なら特にね。あ、そうそう」
ノーグおじさんは近くにあった巾着袋を私に差し出してきた。
「お仕事の合間にでも食べな。お握り、作りすぎたんだよ」
「えっ、こんなに!?ありがとうございます!」
「いやぁ作りすぎたからね、どうせならレイちゃんにあげようかと思ってたんだ、お仕事、頑張ってね」
「はい!」
私はノーグおじさんに手を振り、その場を後にした。
ノーグおじさんの優しさに感謝しながら、私は上機嫌で道を歩く。きっと私の為に用意してくれていたのだろう。そう思うと自然と笑みが零れた。
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日が暮れる手前まで、その仕事は続く。
村を離れ、少し離れた街まで向かい、そこで街の外壁工事をしている。街の外には魔物が蠢き、外壁がないと魔物が侵入してきてしまうのだ。だが、魔物は夜しか出てこない為、昼間勤務する私達は魔物に襲われる心配はない。毎日魔物が飽きもせず外壁を壊してくれるおかげで、私も職を失わずにすむ上、街自体の財政も良いため、稼ぎも良い。正直私はこの仕事が気にいっている。
「レイちゃんお疲れ!今日の報酬ね」
先輩でありリーダーのクルト姉さんが、膨らんだ頑丈なシルクの袋を差し出してきた。
私はその中身を見て驚愕し、喜びと困惑の顔でクルトさんの顔を見つめた。
「これ、いつもの稼ぎより多くないですか!?ど、どうしてこんなに……」
「レイちゃんさ、外壁工事してる連中の中じゃ一番若いし、エルザ村だっけ、また遠い所から毎日通ってるのに誰よりも頑張って仕事してるからさ、これはおまけ」
皆にはナイショだよと言うように唇に指を当ててウィンクするクルト姉さんを見て、私は感謝に溢れた。きっと私の家がそれだけ裕福じゃない事を知っているのだろう。これだけの稼ぎなら、私の3日分の稼ぎはあるだろうか。
「ありがとうございます!大切にします!」
「今日はお疲れ、また明日よろしくね!」
クルトさんははにかみながら手を振ると、街の中へ消えていった。その優しさに感謝し、私は今夜の献立を頭に思い浮かべながら、市場を目指した。今夜は美味しい晩餐が出来そうである。
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「ただいまー」
「おかえりなさい、レイ」
「おねーちゃんおかえり!」
帰宅して早々元気よく私の胸に飛び込んできたのは、私の妹、アイだ。元気溌剌、天真爛漫。私の自慢の妹で、今はこの村の中の学校に通わせている。
その向こうでは、暖炉のそばで椅子に腰掛けながら編み物をする母がいた。私達は小さい頃に父をなくし、母はそのストレス等で体が弱ってしまった。今では走る事はおろか、歩く事も楽に行えなくなったらしい。
なので私が稼ぎ手になるしかない。多少はルーグおじさんからの差し入れもあるが、それだけじゃ食べ盛りの妹は満足しないだろう。
この家族の笑顔が私の元気の源であり、生きがいでもあるのだ。
「お仕事お疲れ様。珈琲、今入れるわね」
「大丈夫よお母さん、じっとしてて。それより聞いてよお母さん、今日は稼ぎをおまけしてもらったのよ」
「あら、こんなに沢山……。良かったわね、貴女の頑張りが認められたのよ」
「えへへ、そうかな?待ってて。今夜ご飯作るから」
「オムライスがいいー!」
「だーめ。今日は野菜炒めよ?」
むすっと頬を膨らませたアイを見て微笑みながら、厨房に食材を並べる。こんな生活が何年も続けば、自然と花嫁修業も出来るものだ。
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「今日も疲れたなあ……。」
私はベッドの上で伸びをし、窓の外の月を眺める。今日も月はピカピカと輝いていて、何も考えていなさそうだった。
ふと、私は違和感に気付く。月の隣、蒼い彗星のようなものが見えた。ただの星だろうか?それにしては大きい気がする。いや、大きくなってきているような気がする……。
「……私も疲れてるのかしら。星が大きくなる訳ないじゃない。寝よう……。」
私はカーテンを閉め、ベッドの傍のランプを消し、眠りについた。また明日もお仕事だ。のんびり星を眺めている時間はない。
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だが、その蒼い「星」が私の人生を大きく狂わせる事を、私はまだ知らなかったのだった。
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「お母さん、行ってくるねー!」
「行ってらっしゃい、レイ。今日も頑張ってね」
「はーい!」
母に手を振り、家を後にする。
ふと空を見ると、昨日見た蒼い星が少し大きくなっているように感じた。
なんなのだろう?あの星は……。
不思議に思って、近くにいたノーグおじさんに聞いてみた。
「ねぇねぇおじさん、あの空の星、なんか大きくない?」
「星?そんなの見えないけどなあ」
「えっ?あるじゃない、あんなにはっきりと」
私は蒼い星を指で指して示したが、それでもノーグおじさんは見えないそうだ。見えない?あんなに大きいのに?もう私が疲れて幻視が見えているとしか思えない。
「そう、なんかごめんなさい、変な事言って」
「おう、大丈夫だぞ、あんまり疲れてるなら少しは休めよ、飯くらい呼べば作ってやら」
「おじさんに迷惑かける訳にはいかないです、でもいつか頼らせてもらいますね!」
私は笑顔で手を振り、おじさんの畑を後にした。蒼い星の事は気にかかったが、思い詰めても仕方がないと思い、仕事に向かうことにした。
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悲劇は、昼がちょっと過ぎた頃に起きた。
その悲劇は、私からあらゆるものを奪っていった。
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街に危険を知らせる警報が流れ初め、私はハッとして顔を上げた。この街で警報が流れるのを聞いたのは初めてであり、何が起きたのかとその警報に耳を済ました。
「――緊急連絡、繰り返す、緊急連絡、謎の彗星が接近中、街に被害が及ぶ可能性あり、住民はすみやかに大聖堂に集まって、避難してください。繰り返します――」
私は空を見上げた。仕事に夢中でまったく気にも止めていなかったその蒼い星は、もうあきらかにこの地上に向けて落下してきていた。もうじきに衝突するだろうか。私は慌て、真っ先に母と妹の顔が浮かんだ。あの二人は大丈夫だろうか。彗星の衝突を喰らえばまともに生きている事は出来ないはずだ。この街の聖堂には聖王トレモの力が宿っており、この聖堂は絶対に壊れることはない。ここにさえ連れてこれれば……。
だが、それよりもおかしなことが起きていた。
街の人々が皆、避難どころか、逃げる素振りも見せないのだ。
どこを見渡しても誰も焦った様子は無く、空に浮かぶ蒼い星を気に止める様子もなかった。
私は不審に思い、近くにいた住民に声をかけた。
「あの、すいません、さっきの警報、聞こえましたよね?」
「あぁ、聞こえたよ」
「じゃあどうして避難しないんですか……!」
「いや、だって、彗星なんてどこにも見当たらないじゃないか。誰かがふざけてスピーカーを使ったとしか思えないよなあ。」
「えっ……?」
何故だろう、何故私以外には見えていないのだろう?あんなに大きく輝いているのに何故?なら私が見ているのは何?この警報は?あの星は?
困惑している私を置き去りにして、自分勝手な星は今にも落下しようとしている。
「どうしよう、これは悪い夢……?それとも現実……?なんなのよ、私には、私にはわからない……。」
悩みながら立ち尽くす私を、街の人々が不思議そうに眺めていく。だがやはり誰も空の星には気付かないまま、私の横を通り過ぎていく。
「どうして……!?誰もなんで気付かないの……?私がおかしくなっちゃったの……?」
困惑していた私を、青い光が覆った。瞬間、私はあまりの爆風に吹き飛ばされる。彗星は無情にも、私達の世界を壊していった。私と話していた住民は既にもう吹き飛んでいた。そして現状が全く理解できない私の意識は、呆気なく遠ざかっていった。
こうして、私の楽しかった世界は終わった。
終わりはあまりにも呆気ないな、と思った。
だけど、何故だろう。
あの爆風で吹き飛ばされ、体を強く打ち付けてなお、
私はまだ生きていた。