赤い林檎(3)
「はあ、酷い目に遭った……」
美味しい林檎をいただいた後、ティーナとイヴァンはうなだれながら図書館をあとにした。
キラとゼオンの、一見初々しい片思いのように見える関係に潜む別の側面──その話を思い返しながら、ティーナは「知りたくなかったなあ」と呟く。ティーナは勿論ゼオンに恋心を抱いていたが、同時にキラにも一種の憧れを抱いていた。二人のやりとりを傍で見るたび、ティーナは少し寂しい気分になると同時に、「この二人の関係が誰にも穢されることなく続いてほしい」と願ってきた。誰にも触れてほしくない聖域だった。
「キラちゃんたちも大変っすねえ。悩める若者っすねえ」
「はぁ、そうだね。でも、だからってあたしたちがどうこうできるものでもないし、あたしのエゴで変に茶々入れるのも良くないとおもうんだよねえ……」
「外野は見守るしかない。結局そうなっちまうわけっすけど……」
イヴァンの言葉が途切れる。ティーナもオズが残した言葉が頭の中で引っかかっていた。「そないな時間が残っとるかな」──と。あれはどういう意味だろうか。ティーナが考え込みながら歩いていると、突然イヴァンが足を止めた。
「あ……」
急に間の抜けた声をあげるので、イヴァンの視線の先を見ると、金髪でショートカットのスタイルの良い女性が見えた。ティーナはにやりと微笑む。ルルカだ。さすがに本命の姿を見つけると、イヴァンも少しは照れるらしい。
「本命のご登場だよ。ほらほら、声かけなよ」
「言われなくても声かけるっすけど、何か?」
「へーへー、たのしみだなあ。あ、そういえばあんたって、いつルルカのこと好きになったの? そんなに親交深めるほどの関わりあったっけ?」
これはティーナが密かに気になっていたことだった。ティーナたちがイヴァンと初めて出会ったのは、サラ・ルピアの復讐が実行される直前だったが、その時既にイヴァンはルルカのことが気になっていたようだった。それ以前からイヴァンとルルカに関わりがあったとしか考えられないが、ルルカからイヴァンの話が出たことはない。
「十年前にちょっとね……。ま、ルル嬢は覚えてなかったみたいっすけど」
イヴァンは軽い調子でそう言ったが、表情は寂しさを隠しきれていなかった。その時感じ取った「寂しさ」はティーナにも覚えがある。このような時、「似た者同士って嫌だなあ」と感じる。
「ところで、ルル嬢と話してる子って誰っすか?」
早速ルルカに話しかけようとした時、イヴァンはルルカと共にいる少女を指した。鮮やかな水色の髪の少女がルルカと話していた。くるんと巻かれた髪、穏やかな声色、大きな瞳──あの少女には見覚えがある。たしか、キラの友人の一人、リーゼだ。
「珍しい組み合わせだなあ。何があったんだろ?」
ティーナとイヴァンは早速二人のところへと向かった。
「ルルカー、クルクルちゃん! 二人が一緒にいるなんて、どうかしたの?」
「クルクルちゃん……?」
三人が一斉にリーゼのあだ名について聞き返した。
「そ、髪の毛クルクルしてるからクルクルちゃん!」
「あはは……リーゼっていうんだけどな……」
「まあー、細かいことは気にしない! ところで、二人は何をしてたの?」
そう尋ねてみたが、その理由は一目瞭然だった。リーゼは巨大な杖を抱えていた。銀色の柄で、杖の先には黄金色の宝石が付いている。そう、キラの杖だ。
「キラが忘れ物しちゃって……大事な物なんでしょ? 届けてあげなきゃって思って……」
「キラ……そりゃあちょっとないでしょ……この状況で……」
ティーナとルルカは揃って頭を抱えた。どおりで珍しくルルカが足を止めるわけだ。いつどこに刺客が潜んでいるかもわからない状況で、杖を手放すのはあまりにも危険だ。
「んんー、それでキラを捜してたってわけか……しかたないな。あたしも一緒に捜すよ」
そう答えた矢先に、ルルカが中央広場の方角を指した。
「その必要は無いみたいよ」
キラとゼオンが並んで歩いていた。やっぱり、今日も一緒だ──ゼオンに告白してからしばらく経ち、ようやくこの光景を安心して受け入れられるようになってきた。早速、リーゼはキラに駆け寄り、杖を手渡した。その間に、ティーナはゼオンに話しかけた。
「きゃっわーん、ゼーオーン! 今日も世界で一番かっこいいよ!! ところで、どこ行ってたの?」
「診療所。なんかあいつが、一度行っておいたほうがいいって言うから。あいつ、どうして最近やけに俺の体調のことばかり気にするんだろう……」
「…………それはキラが正しい」
先日判明したゼオンの味覚の異常といい、近頃ゼオンの身体に頻繁に異常が起こる。ティーナは横目でキラを見つめた。つまり、キラはゼオンの体調のことに気を取られていて杖を忘れてしまった──ということらしい。キラは杖を受け取ると、ティーナとゼオンの傍にやってきた。
「ふええん、ティーナぁ」
ティーナの顔を見るなり、キラは悲しそうな声を出して腕にしがみついてきた。
「うわ、何、どうしたの」
「お医者さんがね、ゼオンの味覚のこと、今のところ手の打ちようがないって……」
「ああぁ……まあ、たしかに普通の医師に任せる分野じゃなさそうだしなあ……。それならそれでしょうがないよ。別の方向から治す方法を探してこう?」
「うん……そうだね。ありがと、ティーナだいすきー」
キラはティーナの手を握りながら微笑んだ。キラの笑顔を見ているとティーナも暖かい気持ちになる。この笑顔を「可愛い」と思う気持ちも「護りたい」と願う気持ちも理解できる。すると、ルルカが少しムッとした顔で、
「キラ、ちょっと……」
と呟いた。ティーナはニヤリと笑う。ルルカは実は寂しがり屋だ。自分だけ置いてけぼりにされていることが悔しかったのかもしれない。早速ルルカをからかおうとした時、今度は別の方向からの視線に気づいた。
「ティーナちゃん……」
イヴァンがルルカからティーナへと視線を移していた。一方、ゼオンもティーナの腕にしがみついているキラをじっと見つめていた。気が付くとティーナは年頃の男子二人が想いを寄せている女子二人に挟まれていた。なんだか、面倒な状況になってしまった。
キラが首を傾げながら言った。
「ティーナ、どうしたの? しわしわの顔してる」
「……ちょっと、人間関係って複雑だなって考えてたところ……」
もしもティーナが男に生まれていたか、女を好きになっていたら、どのような恋愛をしていただろう。ティーナはそう考えながら、美少女二人の間でうなだれていた。
その時、唯一ティーナに重い視線を向けていなかったリーゼがキラに話しかけた。
「あ、キラ。私、そろそろ帰るね。それと、あんまりティーナさんを困らせちゃだめだよ?」
「うん。リーゼ、杖、ありがとうね! 」
「うん、じゃあね」
そう言ってリーゼは立ち去ろうとしたが、なぜか一度立ち止まり、ゼオンの方へと視線を向けた。
「……まあ、いいか」
ほんの一瞬足を止めたあと、リーゼはすぐに立ち去ったが、ティーナはその一瞬の視線の意味が気になって仕方がなかった。
リーゼが立ち去った後、キラ、ゼオン、ルルカともすぐに解散し、ティーナとイヴァンは通りの真ん中に取り残された。広場の方向へと歩いていると、イヴァンが苦笑いしながらティーナに言った。
「『だいすきー』だそうっすよ。ティーナちゃん」
「気持ちは嬉しいんだけどさあ……そういう大切な言葉ってもっと大事な場面にとっておくべきだとおもうんだよねえ……」
「仕方ないっすよ。『みんな大好き』なんっすから」
ゼオンの目の前で安易に「だいすき」を使ってしまうところを見ると、やはりキラとゼオンの仲が進展するのはまだまだ先の話かもしれない。ティーナは空を見上げてみる。空は鈍色に染まり、凍えるような風が吹いていた。このまま天候が悪化すれば、雪が降るかもしれない。
そういえば、ゼオンに告白した日も雪が綺麗だった。他者を想いながら理想の自分を演じてきたティーナにとって、あれは革命の日だった。自分の本音を全身全霊を込めて叫んだ。そして、ゼオンの本心を受け止めた。そして、「どうか愛する人が大切な人と幸せになれますように」と祈った。
その祈りはいつになれば届くのだろう。本当に届くのかな。そう俯きかけていると、イヴァンがティーナに言った。
「でもキラちゃん、以前と比べると、ちょっと変わったかもしれないっすね。確かに『みんな大好き』かもしれないっすけど、みんな『平等に』大好きって感じじゃあなさそうに見えたっす」
「そう?」
「そうっすよ。キラちゃん、なんだかんだでゼオンくんのことすごく心配してるみたいじゃなかったっすか? 大事な杖のこともうっかり忘れるくらい必死だったみたいだし。実は意外と恋が実るまであと少しかもしれないっすよ」
「うーん、どうだろう……。そんな気もするし、でもあたしやルルカでも体調が悪かったら同じように心配する気もするし……」
とはいえ、たしかに以前と比べるとキラはゼオンのことを必死で考えているように見える。『恋』や『愛』とは少しずれているような気がするが、キラにとってゼオンはその他大勢とは少し異なる存在だということは間違いないだろう。ゼオンも『なんで最近俺の体調のことを気にするんだろう』と言っていたし──と考えたところで、ティーナはあることに気づく。
最近、キラがゼオンについて必死になる時はいつもゼオンが倒れたり、体調を崩したり、怪我をした時だ。仲間が傷つけば心配するのは当然のことだが……それは、好きな人のことを考えると胸が高鳴ったり、その人のことを考えるだけで幸せな気持ちになったり、いつもその人と共に居たいと願ったり──そういった相手に恋焦がれる感情とは別のものではないだろうか?
「うーん……やっぱり、先、長いんじゃないかなあ」
「ありゃ。そうっすか。俺より二人のことよく見てるティーナちゃんがそう言うなら、そうかもしれないっすねえ」
イヴァンは他人事のようにそう言った。いや、実際イヴァンにとっては他人事だ。むしろ自分と何のかかわりも無い恋愛の話にこれまで興味を持ってついてきた忍耐を褒めるべきかもしれない。
「……というか、あんたさっきせっかくルルカと会えたのに、全然喋ってなかったじゃん」
「だって話せる空気じゃなかったじゃないっすか。ルル嬢はティーナちゃんが取っちゃったし」
「いや、あれは取ってないんだけど……。あたしなんかにムキにならなくたって、ルルカの中の一番はいつだってあんたの大好きなサバト国王様だよ」
「わかってるっすよ。陛下のこと考える度に照れちゃうルル嬢、可愛いっすよねえ」
それはティーナにも共感できた。わかる、可愛い。考えてみると、ルルカがサバトのことを考えている時はいつもどこか嬉しそうだし、サバトへの好意を指摘するとすぐに照れてしまう。あれは非常に健全な片思いだ。ルルカとキラを比べてみると──やはり、ここ最近のキラはゼオンのことを必死に考えているが、キラがゼオンに向ける感情の中には『恋』をする時に必ず伴う喜び、気恥ずかしさ、渇望は含まれていないように感じる。
『恋』ではないのだとしたら、キラは何を想ってあれほどゼオンの為に必死になっているのだろう。
その時、イヴァンが懐中時計を取り出した。
「あ、あとちょっとで休憩終わりみたいっす。暇つぶしもこれくらいっすかね。広場で解散でもいいっすか」
「いいけど……なんか、恋バナって言っていたのにろくな恋バナが無くてちょっと申し訳無い気さえしてきたよ」
「いやいや、いいんっすよ。面白いもの見れたし」
あの複雑怪奇な人間関係を垣間見て「面白い」と表現するあたり、イヴァンもなかなかいい趣味をしている。ようやく広場が見え始め、ティーナがイヴァンに別れを告げようとした時──広場の真ん中にある人影を見つけてしまった。脳が再び警報を鳴らしていた。キラとゼオン、そしてオズが何か話をしているところだった。
ティーナは図書館での出来事を思い出す。あの時、オズは確実に何かを企んでいた。その時、オズとティーナの目が合った。オズは軽くこちらに微笑み、二人を連れて図書館の方へと歩いていった。
ティーナは即座に杖を取り出し、低い声でイヴァンに頼み込んだ。
「……ごめん。あともうちょっとだけ時間取れない?」
「え? いいっすけど、突然杖まで出してどうしたんっすか?」
「あの怪物を止めるには、一人でも人手がほしくて」
ティーナはイヴァンの腕を掴みながらオズたちの後を追った。
図書館の机の隅にあった齧り跡だらけの林檎のことを思い出した。愛する人と憧れの人──二人の関係をオズが面白半分で弄ぶようなら、たとえどんな手を使ったとしても止めねばならない。