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赤い林檎(2)

国王サバトに仕える者の中でもイヴァン・ヴェルナーは少し特異な存在だ。獣人族である点や、どちらかというと貧困層の出身でありながらアズュールの兵士になったという点も特異だが、何より身に纏う空気が他の者とは違う。ティーナはそのことは既に承知したような気になっていたが、今日この時、自分はイヴァンについて何一つ知らなかったということを実感した。

イヴァンが最初に訪れた場所は図書館だった。イヴァンがメディについてサバトにとって脅威になるかもしれないと感じているのなら、メディと深く関わりがあるオズの居場所へと行くことは正しいだろう。だが、問題は図書館に入った時の第一声だった。イヴァンは勢いよく扉を開けるなり、オズに向かってこう言った。


「ちーっす、オズさんってイケメンっすけど、彼女とかいるんすかー? 俺に紹介してくださいっすー!」


日頃オズに「クソヤロウ」だの「下衆の極み」だのと散々な言葉を浴びせていたティーナでさえ、この挨拶には硬直せざるおえなかった。命知らずにも程がある。

そして一秒も経たずに、


「は?」


と、三日間絶食状態の熊のような殺意に満ち溢れた眼差しが飛んできた。

普段の気さくな微笑みはどこへ消えたのやら、オズは表情筋の動きだけで人を殺せそうな顔をしていた。館内の窓ガラスがガタガタと音を立て、この図書館の全てが「誰だか知らんがリディに近寄ろうとする輩は殺す」と訴えている。

以前からオズは稀に突然沸点が低くなることがあると感じていたが、この時ティーナはその条件が「惚れた女の話」だということに気づいた。ティーナ自身もゼオンを傷つけようとする輩が現れると落ち着いてはいられなくなることがあるが、オズはティーナの数倍沸点が低く、怒った時の圧が強い。

「逃げよう」━━ティーナがそう思った時には時既に遅く、深紅の瞳でティーナを捉えた後、オズはティーナに穏やかな声でこう尋ねた。


「こんにちは、ティーナ。こいつ、なんなん?」


不自然な「こんにちは」の圧力だけで、ティーナは心臓発作を起こして死にそうな気分になった。


「いや、知らない。あたしは関係無い。殺すならこいつだけにして」


ティーナは眉間を皺だらけにしながら首を振った。だが当然オズがティーナだけを逃がすような寛大な措置を取るわけもない。ティーナは後ろ手で何度もドアノブを捻って押したが、扉はうんともすんとも言わなかった。どうやら扉に鍵をかけられたようだった。

ポッと現れたイヴァンにリディを本気で奪い取られることなど有り得ない。更に言えば、オズにとってイヴァンが何かの脅威になる可能性も無い。にもかかわらずこの状況だ。本当にこいつは嵐のような怪物だ━━ティーナはオズを睨みつけながらそう思った。


「あれ、あれ。うわー、勘弁してくだせえ。ちょっとしたジョークっすよう。にしても、そんなに怒るってことは、オズさん彼女さんとラブラブなんっすねえ」


イヴァンがそう言うと、オズは引き攣った笑顔を浮かべながら羽ペンを木の机に執拗に突き刺した。ティーナは頭を掻きむしりながら脳内でイヴァンに向かって「馬鹿野郎」を連呼していた。こうしてオズが激怒するところまで想定した上で怒らせたのであれば、ティーナも「あとは自分でどうにかしてくれ」と安心して投げ出せたのだが、この時ティーナはうっかりイヴァンの首筋に流れる冷や汗に気づいてしまった。

まさかとは思うがこの馬鹿野郎、軽い挑発でオズがここまで怒るとは予想していなかったのか? よくよく考えてみると、この時オズとイヴァンはほぼ初対面だ。イヴァンがオズの事情や性格を把握しているはずがないし、たとえ把握していたとしてもこの一瞬でこれほど怒り狂うとはたしかに予想できないかもしれない。オズの性格をよく知っているティーナでさえ「猛獣でさえもう少し忍耐力がある」と呆れるほどだ。

ティーナは深い溜息をついた後、イヴァンの耳を引っ張りながらオズに言った。


「ああもう、しょうがないな! オズ、こいつはゼオンのお兄さんの部下でイヴァン・ヴェルナーってやつ! 休憩時間中だから人の恋バナ聞きまわって遊んでるとこなの! たったそれだけだし、それ以上のこと何もする気は無いから、さっさと帰してくれないかな!」


オズの蛇のような瞳がティーナを捉える。ティーナの首筋にも冷や汗が流れる。事情を説明したところでオズが素直に二人を解放するとは限らない。ティーナはイヴァンの耳に爪を立てながら、オズの次の一言を待った。すると、オズはにやりと嗤って問いかけた。


「ははぁ、若いってええなあ。そこの負けヒロイン連れて恋バナ大会たぁ、ええ趣味しとるやんか」


ティーナは今すぐオズの顔を踏みつけてやりたい気分だった。ゼオンの想いは尊重したいし、キラが心優しく素敵な女の子だということは知っているし、ティーナは二人の今後を応援している。しかし無関係の第三者に「負けヒロイン」呼ばわりされて笑顔を保っていられるほどティーナの心は広くなかった。


「あ・の・ねぇ、随分好き放題言ってくれるじゃん」


「事実や。ってか、ありゃ負けて当然やわ。端っから勝負投げてた癖に、いざ事実を突きつけられたら逆ギレたぁ、惨めやなあ」


「うっ、るさいなあ! ほんっと最低! あたしは確かにゼオンのこと好きだけど、ゼオンがあたしのこと好きにならないってことはこの村に来る前からわかってたことだから!キラと競うとかそういう話に勝手に持ってくのやめてよね!」


とうとうティーナは憤慨して怒鳴り出した。実はティーナには以前から我慢ならなかったものがある。ゼオンがキラに想いを寄せていることは構わない。キラがゼオンに好かれていることも構わない。しかし、ティーナは二人を取り巻く第三者たちの態度が気に入らなくて仕方が無かった。特にオズのような、他人の恋心を遊び半分で弄ぶような輩は大嫌いだ。


「はは、そらぁもっと惨めやな。お前、あいつと二人っきりで旅してても自分のものにできひんほど甲斐性なしやったん?」


「それは、お前がゼオンのこと何もわかってないから言えるんだよ。ゼオンは、『恋』とか『愛』とか、そういうものを拒絶してるから」


「拒絶、か。たったそれだけやろ?」


背筋に悪寒が走った。先程まで怒り狂っていたはずのオズは、いつのまにか不気味な笑みを浮かべながら真っ赤な林檎を齧っていた。そして、なぜかティーナとイヴァンにも一つずつ林檎を投げ渡す。オズは柔らかい林檎を掌の上で転がしながら、一口ずつ違う場所を、虫食いのように齧った。


「『恋』も『愛』も拒むんやったら、形を変えて刷り込んでやればよかったやないか。例えば、『恩』とか。元々お前は尽くしたがりなんやから、たった一言刷り込んでやればあいつは簡単にお前のものになったと思うんやけどな──『受けた愛は還すものだ』……ってな」


ティーナは自分の掌の上に置かれた林檎をじっと見つめた。オズは妖艶に囁く。


「あいつは純粋や。受けた恩を拒めへん。少しずつ少しずつ、『受けた分だけ還すモノ』って呪いとセットで染め上げてやれば、あいつはお前だけのモノになったはずやで。先にあいつと出会ったのはお前なんやから。……そういうのは、お気に召さへん?」


オズの語る偽りの『愛』は、聞いているだけで吐き気がしそうだった。ティーナはすぐに掌の上の林檎を手放して言い返した。


「そんなのは『愛』じゃない。あたしは認めないし、そんな気持ち悪いモノ、ゼオンに押し付けたくない」


「なんや、残念。お前はガキ共の中やとまだ薄暗い話もできそうに見えたんやけど、結局まだまだガキってことか」


オズの顔から途端に笑顔が消えた。そしてティーナが手放した林檎を貪り喰ってはつまらなさそうに窓の外を見つめていた。ティーナは唇を噛んだまま俯く。自分の決断に後悔はしていない。たとえゼオンが自分のものにならなかったとしても構わない。ティーナは今、自分がオズの語るような卑怯な手段を取らなかったことに心の底から安堵していた。ただ、同時にこのようなおぞましい発想をする人がゼオンの周りに溢れていることが恐ろしくて仕方が無かった。


「ティーナちゃん……」


ティーナの横で、イヴァンが林檎を手放すことも食べることもしないままぼそりと呟いた。すると、今度はオズの視線がイヴァンの方へと向いた。


「そういやおまえ、イヴァン……やったっけ。お前、歳、いくつ?」


「え? 21歳っすけど」


ティーナは思わず「えっ」と声をあげてイヴァンの横顔を見た。顔立ちが幼いのでティーナと同い年くらいかと勘違いをしていた。21歳ということは、ティーナより5つも年上だ。


「ふぅん、せやったら、ガキ共みたいな配慮はいらへんな」


オズはにやりと嗤ってパチンと指を鳴らす。すると部屋の奥から二つの椅子が床を滑りながら現れて、イヴァンとティーナの目の前で止まった。どうやら、「座れ」という意味らしい。二人は渋々出された椅子に座る。


「んで、イヴァン。お前さっき、俺に彼女がどうやらこうやら言うとったけど、お前はどういう奴が好みなん?」


どうやら、オズはティーナを虐めることに飽きたので、ターゲットをイヴァンに変更したようだった。ティーナは標的が移ったことに僅かに安堵する反面、イヴァンにオズの純度100パーセントの意地悪を受け止めさせなければいけないことに後ろめたさを感じていた。

イヴァンは時折困った顔で掌の林檎を見つめながらオズの質問に答えていった。


「そうっすねー、やっぱ美人がいいっすね。んで、出るとこ出てて、締まるとこしまったスタイル良い人が好みっす!」


多分ルルカのことだ。


「思ったよりはっきり言う奴やな。外見の話やったら、髪の長さとかは?」


「うーん、ロングもショートも好きっすねー。どっちも捨てがたいっす。あ、できれば色素薄めの色の髪とかだといいっすねー」


これもルルカのことだ。ティーナは疲れ果てて、また溜息をついた。


「へーぇ、せやったら、性格とかは?」


「気が強いけれど、ちょっと女の子らしい可愛いところもあるといいっすねー。あ、オズさんはどういう性格の子が好みなんすか?」


ティーナはこの状況でイヴァンがオズに質問を返したことに少し驚いた。こいつ、意外と強い。すると、オズの口元がにやりと釣りあがった。


「俺を飽きさせへんやつ」


「はー、イケメンにしか許されない台詞っすねー。あ、そうだ、オズさん。巨乳派、貧乳派どっちっすか? 俺は巨乳派!」


その質問にティーナは度肝を抜かれた。もしかすると男性同士ではよく出る話題なのかもしれないが、普段ティーナの身の周りでは女性の胸に関する話など全く出てこないので唖然としてしまった。


「せやなあ。無いよりかはあるほうが好きやけど、無いなら無いでそれをネタにしてからかう楽しみがあるしなあ。どっちもどっちやわ」


オズもオズで、どこか楽しそうにその話に乗っていた。ティーナを置いてきぼりにしたまま、オズとイヴァンは女の話で盛り上がり始めた。


「好きな部位」


「指先。あと、顔」


「かーっ、お上品なこと言うっすねー。あと、顔は美人の場合だけっすよね?」


「あと鼠径部から太腿の内側にかけてのとこ」


「突然何言ってるんっすか。俺はやっぱ、女性のおっぱいは夢いっぱいだと思うっす!無限に押してたいっす!」


ティーナは数分前にイヴァンに僅かでも同情したことを後悔した。ティーナは頭を抱えながら、ひたすら感情を無にして男性二人の話を聞き流した。ティーナはジトッとした目つきでオズを睨みながら考える。先程、オズはイヴァンに対して年齢を聞き、「ガキ共のような配慮はいらない」と言っていた。つまり、普段ティーナたちお子様の前では自分の欲望の話は封印していたというわけだ。ティーナはますますオズのことが大嫌いになった。


「あんたたちさ……せめてそういう話はあたしのいないとこでしてくれないかな……」


すると、オズは怪訝な顔をしてティーナに言う。


「何をいい子ぶっとんねん。キラやルルカならともかく、お前ならこういう欲望はまだわかる方かと思っとったけどな」


「欲望への理解云々以前に、あんたたちは男で、あたしは純情乙女なんですけど」


「せやけど、お前かてゼオンが嫌と言っても見たいものとか触れてみたい場所とかあるやろ? 実際やるかどうかは別として」


うっ、とティーナは否定しきれずに口籠る。首とか、腰とか、背中とか……喉元まで湧き上がってきた欲をグッと飲み込み、ティーナはオズを鼻で嗤って強がった。


「ま、まあ、そりゃああたしも全く興味無いわけじゃないけど、妄想だけに留めているんだって」


以前、ゼオンの部屋に盗聴・盗撮用魔法具を仕掛けたことは棚に上げて、ティーナはさも自分が無罪であるような顔をした。

すると、二人の話を聞いていたイヴァンが怪訝な顔をした。


「ゼオン君って、こういう話しないんっすか?」


ゼオンはこんな下品な話しない! と、ティーナが怒鳴るよりも先に、オズが眉間を皺だらけにして言った。


「しないんやわー、これが。あいつ何なん? 年頃の青少年としておかしいやろ。ティーナ、あいつキラのパンチラとか着替えとか見たりしないん?」


ティーナは咄嗟にイヴァンが持っていた林檎を奪い取ってオズの眉間に投げつけた。キラとゼオンに対してあまりにも失礼だ。おまけにティーナに対するデリカシーも無い。ティーナが怒り狂っていると、イヴァンがまた口を挟んだ。


「ティーナちゃんたちに気を遣ってるんじゃないすか?」


「せやったらまだええんやけど、なんや違うような気がするんや」


ふと、ティーナはオズのその一言が引っかかった。確かに、「違う」かもしれない。

そもそも、ゼオンは思ったことはそのまま口に出してしまう性格だ。どちらかというと、ティーナたちを気遣っているというよりは、そもそも異性のそのような話は一切考えていないと捉えたほうが自然だった。


「というか、ゼオンたぶん、そういう話……嫌いだとおもう。もうなんかこう、口に出しただけで軽蔑されそうなくらい」


ティーナがそう呟くと、オズとイヴァンはとても哀れなものを見る目をした。


「えー、人生の半分損してるっすねえ」


「せやろ。あいつおかしいわー、あいつ何なん?」


ここに来た瞬間は世界滅亡五秒前のような緊迫感だったはずなのに、お前たちは一体いつの間に仲良くなったんだ。ティーナは梅干しのように顔を皺だらけにしながら呆れ果てていた。


「なんでっすかね。ディオンの旦那もそういう話しないっすけど、単に慣れてないのと周りに気を遣ってるだけで、口に出しただけで軽蔑されるほどじゃあないっすよ」


「女に関するトラウマでもあるんか、あいつ」


そういえば、ティーナが初めてゼオンと出会った時、ゼオンは「これだから女は嫌なんだ」と言っていた。「昔、『愛』と称して身勝手な自己愛をそこらじゅうに押し付けて回る奴がいた」とも言っていた。


「……あるかも、女についてのトラウマ」


ティーナがそう言うと、オズとイヴァンは顔をしかめる。


「意外っすね。ゼオン君、そんなトラウマができるほど経験豊富には見えないっすけど。童貞っぽそう」


「俺も最初そう思っとったんやけど、あいつ本当に童貞か?」


「というと?」


「プラトニックすぎて、なんや違和感あるねん。むしろ童貞のほうがこういう話に興味持ちそうちゃう?」


ティーナはもはや諦めてがっくりと肩を落とした。


「いや、ほんとそういう話、あたしのいないとこでしてくれない…?」


その時、イヴァンがティーナにこんな疑問をぶつけてきた。


「だとしたら、俺、一つ気になるんっすけど。ゼオン君って、キラちゃんが好きなんっすよね。どうやってキラちゃんに対する『好き』のモチベーション保ってるんっすかね」


「さっき、こいつが言ってたけど、ゼオンはほんと『プラトニック』ってかんじだよ。キラの明るくてまっすぐな性格が好きで、キラが笑ってくれるだけで嬉しい。それだけで十分。って、そういうかんじ。」


「でもキラちゃんに振り向いてもらおうと積極的にアプローチするわけでもなく、キラちゃんもゼオン君にはっきり気があるわけでもないし、キラちゃんからアプローチしてるわけでもないんすよね? しかもゼオン君ってば、キラちゃんに自分のこと好きになってもらおうとはしないのに、いざキラちゃんに何かあったら命がけって感じじゃあないっすか」


「そうだけど……」


ティーナは口ごもってつい黙り込んだ。自分から身を引いたことについて後悔してはいなかったが、キラとゼオン、二人の関係を見ているとティーナは時々やりきれない気分になっていた。いつまで経っても、二人の仲が進展しない。それどころかキラもゼオンも、まず自分の想いにも相手の想いにも向き合っていないように見える。あたしは何の為に自分から身を引いたのだろう──ティーナは時々そう思ってしまうのだった。

すると、イヴァンは恐ろしいことを言い出した。


「なんかこう、偶像崇拝みたいっすね。アイドルみたいな扱いっていうか、『恋』とか『愛』というより、こう、『信仰』みたいな感じっていうか……」


ティーナは思わず立ち上がって、イヴァンに怒鳴った。


「ちょっと、ゼオンになんてこというの!」


「違うっすか? いや、俺、ティーナちゃんみたいに、本音を言うと相手に対する欲はあるけど、相手の意志を尊重して抑えてるってのはわかるんすよ。相手に他に好きな人がいるから身を引くのもわかるんっす。健全な発想だと思うんすよ。けど、ゼオン君の恋愛を邪魔する人、誰もいないっすよね? なのにどうしてそんな『ただ笑ってくれるだけでいい。キラの幸せを護る為ならなんでもする。見返りなんて他にいらない』なんて自己犠牲的すぎることしてるんっすか? 」


「え、そんなの……」


ティーナは何も答えられなかった。「一途で純粋」と言えば聞こえは良いが、こう矛盾を指摘されるとその一途さが一種の歪みのように見えてきた。


「そもそも、ゼオンの恋愛を邪魔するどころか、周りがみんな『ゼオンがキラを意識するように誘導してた』はずやで。してへんかったの、多分ルルカだけや」


オズのその一言に、ティーナはまたカチンときた。そう、オズの言う通りだ。おそらくキラもゼオンも気づいていなかっただろうが、オズを含め、この村の人々はすぐにゼオンがキラに対して気があることを察知し、事あるごとにゼオンの想いを指摘してはからかい、二人が両想いになる前から「ゼオンはキラにとっての佳い人」であるかのように扱っていた。村人たちは単純に若者たちの青春の一コマを見つけてほほえましい気分になっていたのだろうが、ティーナとしては複雑な気分だ。村人たちはきっと純粋に「このまま二人が結ばれて幸せに過ごしてくれるといいなあ」と考えていたのだろう。

その中でも特にゼオンを頻繁にからかっていたのがオズとセイラだ。だが二人がゼオンをからかっていたのは、村人たちのように二人の関係を応援していたからではない。ティーナは歯ぎしりしながらオズを睨みつける。


「それについては、ほんとあたしはあんたに100万回文句を言いたいんだけど。あんたがゼオンを誘導してたのって、絶対村のみんなみたいに純粋にキラとゼオンを応援してたわけじゃないよね? ぜーったい、ゼオンにキラを護らせるための打算だったよね?」


「失礼やなあ。打算は50%くらいやで。残り半分は、単純にあの猫のじゃれ合いみたいな生ぬるい関係がおもろかったからやって。……ま、今となっては、ちょいと後悔しとるけどな」


「後悔? あんたが?」


俄には信じがたい言葉だった。オズは齧りかけの林檎を机の上に積み重ね、遊びながら話し始める。


「せや。俺かてあの『猫のじゃれ合い』みたいな関係の歪みに気づいたのはつい最近なんや。さっき、イヴァンが恋愛というより『信仰』って言うたやろ。それ、キラが偶像化しとるから成立するんやで」


「……言いたいことは山ほどあるけど、なんでそれであんたが後悔するの」


「そらお前、自分が知らず知らずのうちに生贄を捧げる為の祭壇の一部にされてたら、気分悪いやん?」


ティーナは全く意味を理解できずに首を傾げた。一体どこから生贄やら祭壇やらという単語が出現したのだろう。それがキラとゼオンの恋とどのような関係があるのかさっぱり理解できなかった。


「案外、お前がゼオンを奪い取ったほうが平穏やったかもな」


オズはそう言ったが、ティーナは全く喜べなかった。


「よくわかんないけど……あんた、ゼオンのこと物みたいな扱いするから本当に不愉快」


「さあて、本当に物扱いしとるのは誰やろなあ」


オズはそう言ったあと、レティタを呼んでローズヒップティーを人数分淹れるように頼んだ。ティーナは目の前に出されたローズヒップティーを一口喉に流し込む。熱く酸っぱい液体が胃の中に広がった。「恋バナ」というお題で、初っ端からここまで胸糞悪い話をぶつけられるとは思っていなかった。


「事情はわかんないっすけど……話を聞いていると、ゼオンくんだけじゃなくてキラちゃんにもなんかありそうっすね」


カップの底を見つめながら、不意にイヴァンがそう呟いた。すると、待ってましたと言わんばかりにオズが手を叩いた。


「それな。俺もつい最近までキラのこと、何の歪みも無い無邪気な子供やと思っとったわ」


ティーナは眉をひそめた。


「違うの? あたし、キラはまともな子だと思ってるんだけど」


「神様でもない癖に、黙って偶像してられるやつのどこがまともやねん」


「偶像の話はあんたが勝手に出した例え話でしょ。それに、キラは偶像なんて言うほど受け身な性格じゃないとおもうんだけど」


確かにキラは「アイドル」のように誰に対しても明るく優しく接するし、村の人気者だ。だが、「偶像」とは「神仏をかたどった、信仰の対象となる像」という意味だ。キラは神仏の像のように、他者の好意を受け止めるだけの自己意志の無い少女ではない。困っている人がいれば全力でその人に寄り添い、共に解決しようとする積極性がある。

すると、傍で話を聞いていたイヴァンが口を出した。


「ま、確かにキラちゃんの性格はそうっすけど……、うーん、なんか偶像って言い出したせいでややこしくなってきたっすね。じゃあシンプルに、キラちゃんはゼオン君のことどう思ってるんっすか。ってかまずキラちゃんに好きな人っているんっすか?」


「キラはそういう話、『よくわかんない』って言ってたよ」


「恋愛感情がまだよくわかってないってことっすかね。はー、まだまだ幼いというか、先は長そうっすねえ」


すると、オズがにやりと笑いながら、


「って、思うやろ?」


と更に口を挟んだ。なぜお前は楽しそうな顔をしているんだ。ティーナはそう指摘したかったがグッと抑える。オズは机の上に林檎を沢山積み重ねながらこう言った。


「あいつが好きなのは『みんな』やって。みんなみんな大好き、一人になんて決められへんって。」


たしかに、それはキラらしい回答だ。もしかすると、ゼオンはキラの博愛精神に気づいていたのかもしれない。だから、『みんなが好き』というキラの意志を尊重しようとしているのかもしれない。

だが、オズはその後にこう続ける。


「『その中で敢えて一人、一番大切な人を決めるとしたら?』って尋ねたらな、『一番を決めるということは、その一人を依怙贔屓しているような気がしてできない』やって。『好き』に差を付けることはいけないことなんやって」


「ありゃ、それはまた、変にややこしく考えちゃってるっすねえ」


「せやろ。人なんやから、『好き』に差はあって当然やし、むしろ無いほうが不気味なんやけどな」


キラの「歪み」は、ティーナにとっては雷に打たれたかのように衝撃的な話だった。先程、「偶像」という言葉が出てきたが、相手を勝手に神聖化し、手の届かない尊い物のようにあつかっていたのは、むしろティーナのほうだったのかもしれない。ティーナはキラがそのような歪みを抱えていたことを気づきもしなかった。キラを勝手にゼオンにとっての幸せの象徴のように扱い、キラ自身の感情を考えもしていなかった。それは、ある意味身勝手な崇拝だったのかもしれない。

「人なんだから」──オズの言葉が重くのしかかる。キラは何を思って「みんな平等に好きでいなければならない」なんて苦しいルールを自分に架してしまったのだろう。人は自然と選り好みする生き物だ。ティーナの場合は、ゼオンのことは好きだし、オズのことは嫌いだ。ゼオンに対してオズと同じように接することはできないし、その逆もまた不可能だ。それを無理矢理実行したとしたら、それはきっと恐ろしく苦しい芝居になるだろう。それを続けていたら、自分の人格が歪んでしまうのではないかと思うほどに。


「ああそっか、キラちゃん……。『みんな』を平等に好きでいるためには、ゼオン君一人の気持ちに応えるわけにはいかないんっすね」


イヴァンが俯きながらしんみりと呟く。


「そういうことや。しかも多分、『みんな』を平等に扱うために、ゼオンの想いから目を背ける……いや、恋愛感情そのものから目を背けるところまで無意識でやっとる」


「ひえっ」


「な、とんでもないアホやろ?」


ティーナは自分のカップの底を見つめながら「キラ、それで苦しくないのかな……」と考えた。元からキラはティーナよりも温厚な性格なので、ティーナが考えるほど苦痛ではないのだろうか。しかし、キラが本当に神様のように皆を平等に想えるほど、無機質で人間味の無い性格をしているとも思えない。頭の中で「みんな平等に好きでいなければならない」とルールを架していたとしても、実際のところはキラ自身も気づかないうちに愛情の段差ができているかもしれない。そうであってほしい。

イヴァンが溜息をつきながら、


「なるほど、やっぱり二人がくっつくまで、まだまだ先は長そうっすねえ。外野は気長に待つしかないってことっすか」


と言ったので、ティーナも深く頷いた。すると、オズが低い声で呟いた。


「そないな時間が残っとるかな」


そう言うと、オズは机の上に積み上げた林檎の山を崩し、そのうちの一つを齧った。芯だけ残った林檎をゴミ箱に放り投げると、オズは不敵な笑みを浮かべながら呟いた。


「さて、どないしたろか……」


この村に来てから既に半年以上経つ。ティーナは段々オズが何かを企んでいる瞬間がわかるようになってきた。ティーナの脳が警報を鳴らす。これは、ゼオンとキラが危ない──と。ティーナがオズの胸倉を掴もうとした時──奥の部屋からレティタが駆けこんできた。


「ねえ、オズ。そろそろ時間じゃない? ほら、キラのお婆さんに呼ばれてるんでしょ? 密約の改正について相談があるって」


「あ? そういやそうやったか……くそっ、あのババアの相手するのめんどいなあ」


ティーナがオズの胸倉に伸ばした手はするりとかわされ、オズは片手で林檎を一つティーナの頭の上に落としたあと、出かける支度を始めた。ティーナは死んだ魚のような顔をしながら林檎がぶつかった部分を手でさすっていた。


「ほな、俺は出かけるから『恋バナ』はこれくらいで勘弁してな。ほなさいならー」


オズはひらひらと手を振りながら二人を置いて出かけてしまった。部屋にはティーナとイヴァンと、齧り跡だらけの林檎たちが残された。ティーナは机に突っ伏したまま、散らばった林檎を窓に投げて唸った。


「何が『恋バナ』だよ……あんなえっぐい恋バナがあるかよ……」


「それもそうっすし、ティーナちゃん。気づいてたっすか」


「何に?」


イヴァンは窓の外を見つめながら呆然としていた。


「さっきの話、全部キラちゃんとゼオンくんの恋バナであって、オズさんの恋バナじゃないんっすよ……」


もはや怒る気も失せ、乾いた笑いがこみあげてきた。


「イヴァンさ、たぶんオズと初対面だよね。覚えときな、それがオズ・カーディガルだよ……」


イヴァンは苦笑いしながら黙って頷いた。ティーナとイヴァンはしばらく無言で林檎が散らばった机の上を見つめていた。その時、二人の前にレティタが現れ、そそくさとお皿と果物ナイフを運んできた。


「その、この林檎、オズが調子に乗っていっぱい買ってきちゃったんだけど……今、ここ人数が少ないから食べきれなくて……二人共、よかったらどう? あ、もちろん、齧り跡が無い綺麗なやつをあげるわ」


ティーナは取っ散らかった林檎を見つめたまま、イヴァンに言った。


「…………なんかもう、さ、林檎、たべよっか……」


「そうっすね……」


早速、ティーナは果物ナイフと傷の無い林檎を手に取り、丁寧に皮を剥き始めた。皮は薄く途切れることなく円を描いてゆっくり下へと降りていく。赤い皮を全て剥き終えたら、綺麗に八等分し、イヴァンとレティタの皿に三個ずつ、自分の皿に二個、切り分けた林檎を乗せた。


「ティーナちゃん、上手いっすね」


「まあね。これでも料理はたくさん練習したから。それにしてもさあ……」


ティーナは綺麗に切り分けた林檎をイヴァンとレティタに渡した後、机の片隅にある齧り跡だらけの林檎を見つめた。


「林檎はさあ、もっと丁寧に扱うべきだとおもうんだよね」


丁寧に切り分けた林檎は、甘い蜜の香りがした。


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