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ある休日の記憶(中編)

イヴァンが紹介したレストランは、こぢんまりとしていたが、落ち着いた雰囲気の店だった。柑橘系の香りが漂う個室の中、ゼオン、ディオン、シャロンの三人は話に花を咲かせながら料理を口に運ぶ。サラダ、前菜、スープを終え、店員がメインディッシュを運んできた。

ゼオンの目の前に焼きたてのハンバーグが出される。ゼオンはフォークとナイフを持ちながら、まじまじと目の前の料理を見つめた。ハンバーグ自体は見慣れているが、ソースが普段食べているデミグラスソースとは違う。野菜を摩り下ろしたものと、サラサラとした液体がハンバーグの上にかけられていた。慣れない料理にナイフを入れてよいものか迷っていると、唐突にシャロンが声を上げた。


「んー、美味しい! 初めて入るお店だったけど、けっこういいじゃない!」


満面の笑みでハンバーグを頬張るシャロンを数秒見つめた後、ゼオンはようやくハンバーグにナイフを入れた。ハンバーグを一口頬張ると、肉汁と、仄かに酸味のあるソースの味がふわりと広がった。


「…………」


無言で肉を噛み締めて飲み込み、次の一口を頬張る。すると、シャロンがゼオンの顔を覗き込んで尋ねた。


「ゼオン、どう? あなたの好みには合いそうかしら」


ゼオンはどう答えればよいものかわからず、視線をあちらこちらに泳がせた後、ぼそりと呟いた。


「……悪くはない、と、思う」


「よかったぁ! 独特の味付けだけど美味しいわよね。ほら、どんどん食べて! あ、お肉切ってあげるわ!」


「別にいい、それくらい自分でできる」


「そう、切りづらくない? 七歳ってもっとこう、色んなことを親とかにやってもらう年頃かと思っていたけれど……」


ゼオンは黙々とナイフとフォークで肉を切り分けては口に運んだ。シャロンの言葉を思い返しながら、ゼオンは自分の小さな両手を見つめた。なぜ肉を切り分ける程度のことを親にやってもらわなければならないだろう。そのようなことをぼんやりと考えていると、正面に座っているディオンが二人の様子を見つめながら言った。


「どうやら、二人共お気に召したようだな。今度、イヴァンに礼を言っておくよ」


「是非そうしてちょうだい。それにしても……」


シャロンはディオンの皿をじっと見つめた。シャロンとゼオンがメインディッシュにハンバーグを選んだのに対して、ディオンはメインディッシュに魚のムニエルを選んでいた。


「肉は全てを解決するって言ったでしょ? ディオンももっと肉を食べなさいよ!」


「なっ、魚の何が悪い! 脂質も控えめだし、骨も丈夫になるし、栄養面において優れた食材だろう!」


「魚には情熱が足りないわ! もっと肉を情熱的に食しなさい!」


「魚にも情熱はある!」


ゼオンは無言で肉を食べながら唖然としていた。考えてみれば、シャロンとディオンのやりとりをこれほど間近で見る機会はなかなか無かった。この二人はいつもこのようなくだらないやりとりばかりしているのだろうか?

ゼオンがシャロンとディオンの様子をじっと見つめていると、視線に気づいたディオンがこちらを覗き込んだ。


「ゼオン、どうした?」


「いや、別に……」


最後に三人でご飯を食べたのはいつだっただろう。これが初めてだったかもしれない。もしあったとしても、三人だけではなく他の大人も同席していただろう。これほど和やかな食事の時間は初めてだった。ゼオンはなんだか急にくすぐったいような複雑な気持ちになり、目の前のハンバーグを少しずつ大事に食べた。

皿の上のハンバーグが無くなった頃、店員がデザートのチョコレートムースを持ってきた。早速スプーンで触れてみると、何の抵抗も無く赤茶色のムースにスプーンが沈み込み、口に入れると濃厚な甘みと仄かな柑橘系の香りが広まった。


「どう、ゼオン、美味しい?」


シャロンが嬉しそうにゼオンに尋ねた。


「……まあ、悪くはない」


「よかった。あ、よかったら私のあげましょうか? ゼオン、これ食べたかったんでしょう?」


「……別に、いらない」


ゼオンはシャロンにジトッとした目を向けた。今日のシャロンはやけにゼオンに甘い。シャロンがゼオンを見つける度に世話を焼くのはいつものことだが、だとしても少々度が過ぎるように思った。


「姉貴はなんでそんなに俺に構うんだ?」


「そりゃあ構いたいからよ。こんなにゼオンを甘やかせる機会なかなか無いもの」


ゼオンは全く理解できずに黙り込んだ。すると、ディオンがこう言った。


「それに甘やかすと言うほどでもないと思うがな。七歳の子供相手ならこんなものじゃないか?」


「ほらぁ。それにゼオンは大人しすぎるのよ。七歳なんて、本当ならもっと我儘で他人を困らせる年頃だと思うんだけど、ゼオンってば何でも一人でやっちゃうんだもの」


「椅子やテーブルの高さとお前の身長や手の大きさを考えると、あのハンバーグはたしかに切りづらかっただろうしな。あと、年下の子供には優しくするものだろ」


ゼオンはますます黙り込む羽目になった。世の七歳の子供は他人のデザートを奪い取り、人にハンバーグを切り分けさせているのか? 子供は大王様か何かなのか? もしゼオンが父や母にそのようなことを頼もうものなら、鞭打ち程度では済まないだろう。たとえこの手が小さくとも、自分のことは自分でやらなくては生きていけない。シャロンとディオンが語る七歳の子供像が自分の日常とあまりにもかけ離れていたため、ゼオンは空の皿を見つめながら数十秒押し黙った。


「……わからない」


沈んだ瞳の子供の顔が空の皿に映っていた。



◇ ◇ ◇



「せっかくだもの、街を歩いてお買い物しましょう!」


食事を終えた途端、シャロンはそう言って、ゼオンとディオンをアズュールの人混みの中へと引きずり込んだ。ゼオンが「やめろ、面倒くさい」とか「帰る」とかシャロンに文句を言う一方で、ディオンはもはや悟りを開いたかのような表情でシャロンに腕を引かれていた。

アズュールの城下町には一般市民から派手に着飾った貴族まであらゆる階級の人がいた。人の声が何重にもこだましてゼオンの耳に入ってくる。声は途切れることはなかったが、不思議と不快には感じなかった。屋敷にいるときや、ハイドランジアの街にいる時とは違って、ここの雑音にはゼオンへの否定の言葉が一切入っていない。話の内容は、昼食を食べた店の看板娘が可愛かっただとか、最近肌が荒れるだとか、あそこの店の服が欲しいだとか、くだらない話ばかりだ。人々はゼオンには見向きもせずに通り過ぎていく。誰に認められることも否定されることもなく、ただ雑音の中を歩き続ける時間が続いた。

このまま、透明人間みたいに人混みの中に溶けて消えてしまえればいいのに──そう思った瞬間、


「ゼオン、こっちよ」


シャロンが手を引いて、


「迷子になるなよ。アズュールは人が多いからな」


ディオンが背中を押した。ゼオンは黙って頷き、二人と共に歩き続けた。


「きゃー、見て! あのブランドの服、買っちゃおうかしら! あっちはゼオンに似合いそうじゃない? 行ってみましょうよ!」


通りの中心から端の方へと移動すると、シャロンは早速通りに並ぶブランド店を指して声をあげた。どうして女という生き物は買い物が好きなのだろう。シャロンはゼオンの手をしっかりと握ったまま、同じ道を何度も行き来しては、店頭に並んだ服をうっとりと見つめていた。ゼオンが困った顔をしたまま黙り込んでいると、ディオンが石膏像のような穏やかな表情を浮かべたままポンポンとゼオンの肩を叩いた。「これが姉さんだ、諦めろ」と言われているようだった。


「ゼオン、ディオン、ついてらっしゃい!」


シャロンは突然そう言って、ガラスと黄金でできた扉の中へと入っていった。ゼオンとディオンが仕方なく後に続く。店内には赤やピンクや水色の色鮮やかなドレスが並んでいた。どのドレスにもぎっしりと宝石が縫い付けられており、派手好きのシャロンらしい店選びだと思った。シャロンがウキウキしながら店内を見て回る一方で、ディオンは店内の商品を見るなり渋い表情で呟いた。


「うわ、なんだこの派手な服は……」


すると、シャロンは頬を膨らせながらディオンに指をさす。


「なによ、豪華絢爛で素敵じゃない? ほら、あっちに紳士服のコーナーもあるわよ。あなたも見てきたら?」


「遠慮しておくよ。俺はもっとシンプルで、布地にこだわっていてシルエットがしっかりしている服のほうが好みだし……」


「もう、これだからディオンは……だからあなたは地味なのよ。もっと己を開放しなきゃダメよ」


「俺は普通でいいんだよ……」


ディオンが不満そうに呟く一方で、ゼオンは落ち着かずに店内をきょろきょろと見回していた。クロード家に生まれていながら、店で服を見ることに慣れていないというのも不思議な話だ。ゼオンは自分で服を買う自由を与えられていなかった。なので、一つの建物の中に服だけ並んでいる様子が物珍しくて仕方が無かった。すると、シャロンは子供服のコーナーへとゼオンを連れていった。


「じゃあ、ゼオンの服を見ましょ! どれがいいかしら」


「いや、俺は……」


「うーん、このゴシック風のコートとかゼオンに似合うんじゃない? ネクタイを付けて……きゃー、似合ってるわよ!」


そこからは着せ替え大会の始まりだ。シャツ、ネクタイ、コート、ズボンにパジャマまで、シャロンはありとあらゆる服を持ってきてはゼオンに着替えてくるように言った。言われたとおり着替える度に、シャロンは目を輝かせて「きゃー」と声を上げ、様々な服を見比べては難しい顔をして考え込み、「色違いも見てみたいわ!」と店員に命じて店じゅうの服を持ってこさせた。

ゼオンには、シャロンがなぜ自分のものでもない服をこれほど楽しそうに選んでいるのか理解できなかった。すると、シャロンの後ろでディオンがぶつぶつと呟いた。


「いや、だから派手なんだよ……。デザインが妙に退廃的だし装飾が多すぎる。ゼオンはもう少しシンプルな服の方が似合うだろ」


「それはあなたの好みでしょ。たまにはとびっきりかっこよくて可愛い服をゼオンに買ってあげたっていいじゃない。ゼオンってば、いつも使用人達が買ってきた何の面白味も無い服ばかり着てるんだもの。もっとオシャレの喜びを知るべきよ」


「まあ、服を買うこと自体には反対しないけどな、デザインが……」


どうやら、シャロンはゼオンにこの店の服を買い与える気でいるらしい。ゼオンが反射的に「別にいい」と言おうとしたところで、脳裏にクロード家の屋敷と、父と母と、シャロンが選んだ服を着た自分の姿が浮かんだ。悪い予感がした。


「いや……姉貴、それはやめたほうがいい。服は……こう、一目見ただけで姉貴たちが選んだものだって屋敷の奴らにバレる。俺だけじゃない、姉貴も兄貴も……危険だ」


ゼオンがそう告げると、シャロンの表情が曇り、ディオンは眉間に皺を寄せて数秒ほど考え込んだ。


「姉さん……それはゼオンの言う通りかもしれない。姉さんの気持ちはわかるが、ゼオンを危険に晒してしまうことになる」


ディオンがそう言うとシャロンは数秒黙り込み、俯き、最終的に選んだ服を全て店員達に返した。


「そう……ね、ゼオンが傷つくきっかけを増やしてしまったら、何の意味も無いもの。仕方ないわよね……」


シャロンは片づけられていく服たちを悲しそうに見つめていた。その様子を見ているとゼオンも心が痛んだ。なぜ同じ家に生まれたはずなのに、二人とゼオンの間にはこれほど差があるのだろう。なぜ、二人とゼオンが関わることは許されないのだろう。二人が名門クロード家の子として輝かしい実績を上げ、豊かな生活を送る一方で、なぜゼオンは自分で服を選ぶことすら許されない生活を送らなければならないのだろう。

シャロンが落ち込んでいると、ディオンがシャロンに優しく声をかけた。


「ほら姉さん、そんな顔するなよ。順番が違うだけだ。まずは俺達から父上に、ゼオンの扱いを変えるよう説得するんだ。その後に、沢山服を買ってやればいいだけだ」


「でも、お父様はこのことについては聞く耳持たずって感じだわ。絶対無理よ」


「なら、次は使用人達を説得しよう。一応俺達は雇い主の家族にあたるからな、無視はできないだろ。お洒落な服とまではいかないだろうが、冬場は毛布やコートを増やしたり、夏場は半袖のシャツを多めに買ったりくらいはしてくれるさ。いくら屋敷の奴らがゼオンに冷たいとはいっても、病気をしたり命に影響があるようなことになれば家の名前に傷が付く。それは避けるだろう」


「……それは、そうだけど」


ずっと俯きっぱなしだったシャロンが、僅かに顔を上げてディオンの方を見た。すると、ディオンは婦人服のコーナーを指した。


「だから、今日のところは姉さんが自分に似合うと思う服を買っていけばいいんじゃないか? この店の服が好きなんだろ?」


そう言うと、ようやくシャロンの頬が僅かに緩み、婦人服コーナーへと歩き始めた。牡丹の花飾りをあしらった若紫色のカーディガンに、胸元にダイヤモンドが輝く純白のドレス、海のように深い青色の帽子など、色とりどりの服がシャロンを出迎えた。


「……うん、そうね。じゃあ今日はそうするわ。よーし、オーナー! この私に一番似合うドレスを持ってきなさいな!」


シャロンは背筋を伸ばし、満面の笑顔でオーナーに片っ端から服を持ってくるように告げた。まるで雲に隠れていた太陽が再び顔を出して輝きだしたかのようだった。ゼオンは急に活き活きとしはじめたシャロンを少し離れたところで見つめていた。すると、ディオンがそんなシャロンを見つめながら笑った。


「やっぱり、このくらいうるさいほうが姉さんらしいよな」


ゼオンはディオンの横顔をじっと見つめ、


「……クソ兄貴のくせに生意気だ」


ディオンには聞こえないようにぼそりとそう呟いた。そうしてる合間にもシャロンの周りには店中のドレスが運ばれてきていた。シャロンはそれらを次々に手に取り、また眉間に皺を寄せながら真剣に鏡を見つめている。胸元が大きく開いたドレスや腰のあたりまで深いスリットが入っているドレスまで試着してくるものだから、先ほどまで笑っていたディオンが急に青ざめてシャロンに言った。


「いや、姉さん、もう少しこう、肌を隠してくれ! 見ているだけで寒くなる! あとゼオンの教育にもよくない!」


「あら、あなたの言う通り、私に似合う服を選んだらこうなっただけよ。せっかく恵まれた身体に生まれたのだから、素材は生かすべきじゃない?」


「女性は身体を冷やさないようにしっかりと着込んだ方がいいとおもうけどな。あと、肌は極力見せない、もう少し清楚なデザインの方が魅力的だと思う」


「もーう、男はすぐそう、『わたし、わるいことなんてしらないんですぅ』みたいな清楚系に飛びつく! 女はそんな都合の良い生き物じゃないのよ。もっと己を開放するのよ!」


ゼオンは女を都合の良い生き物だと思ったことはなかったが、服のデザインに関してはディオンの意見に賛成だった。というのも、露出の多いデザインの服は────母を思い出すのだ。母は元から服と呼んでよいか戸惑うほどに胸元や脚を大胆に露出した服を好んでいたが、ゼオンに暴力を奮う時は大抵いつにも増して過激なデザインの服を着ている。なので、露出の多い服を着た女性を見るたびに一瞬身構える癖がついていたし、どちらかというと極力露出が少ない服の方が恐怖を感じずに済むのだった。ゼオンが深いスリットが入ったドレスから目を逸らしていると、シャロンがぐいぐいと顔を近づけて問いかけた。


「ねえ、ゼオンはどっちのドレスがいいと思う??」


シャロンは鏡の前で様々なドレスを当てながら笑っている。シャロンは右手に青、左手に赤のドレスを持ち、ゼオンの答えを待っていた。青のドレスはマーメイドラインの落ち着いた雰囲気のドレスで、胸元が大きく空いていた。一方の赤のドレスは薔薇の花弁のような形のスカートをしており、太腿が見えるほどに丈が短かった。どちらもゼオンの趣味からは大きく外れていたが、今日買うべきものは「シャロンに似合う服」だ。だとすれば、自分の趣味は無視するべきだろう。

考えた末に、ゼオンはこう答える。


「赤かな。こう、姉貴は……赤ってかんじだ」


「そう? たしかに、赤は情熱的で素敵よね! よしっ、じゃあ赤にするわ。オーナー、こちらのドレスをいただくわ!」


そう言った途端、店員達が会計の準備を始め、店のオーナーはドレスとセットの上着や手袋などをシャロンに見せていた。シャロンは上着を見てまた迷い始めていた。これは時間がかかりそうだとゼオンが思っていると、ディオンが言った。


「退屈だろうけど少し待っててくれ。姉さんも最近疲れていただろうからな。今日くらいはリフレッシュさせてあげるべきだと思う」


ゼオンは驚いてシャロンの横顔を見つめた。考えてみれば、ゼオンは最近のディオンやシャロンの様子について何一つ知らない。ゼオンが母からの仕打ちに悩んでいるように、シャロンにも何か辛いことがあったのだろうか。上着に手袋、ネックレスにヘッドドレスまで購入してご満悦のシャロンに目を向けながら、ゼオンはそんなことを考えていた。



◇ ◇ ◇



服を購入して店を出た後、シャロンは唐突に「ゼオンはどこのお店に行きたい?」と言い出した。シャロンはゼオンを気遣っているのだろうが、アズュールには来たこともないし、どこに何の店があるかも知らない。いつものように「別にいい」と答えると、シャロンは不満そうに頬を膨らませるものだから、ゼオンは仕方なく周囲を見回して気になる店がないか探し始めた。

だがこの辺りは衣類や装飾品の店が多く、ゼオンの興味をそそる店は無かった。


「もう少しあっちの方に行ってみないか? 服はもう見たしな」


ディオンがそう言い、三人は再び通りを歩き始めた。ゼオンはシャロンに手を引かれながら、両脇に並ぶ店をちらちらと覗く。食料品などの生活用品は勿論、魔法薬や箒、杖など、魔女・魔術師に欠かせない店も沢山並んでいるあたり、さすが魔法使いの国の首都と呼ぶべきだろうか。そうして歩いていると、シャロンが急に立ち止まり、公園の方を指して声をあげた。


「まあ、見て。あれ、何かしら! …薄い生地にフルーツやクリームを巻いているのかしら? ねえねえ、食べてみましょうよ!」


シャロンが見つけたものはクレープの屋台だった。そういえば、屋台のお菓子は最近食べていない。たまにはいいかもしれないな……そう考えていると、ディオンが嫌そうな顔をした。


「ええ……屋台の食べ物なんて衛生的に良くないかもしれないだろ。止めた方がいいよ」


「えー、そのくらい大丈夫よ。屋台といってもアズュールのど真ん中よ? そんなに汚い物売ったりしないでしょう」


二人の会話を聞いていて、ゼオンは首を傾げた。


「もしかして、兄貴も姉貴も……屋台のクレープ、食べたことないのか……?」


「え? ゼオンはあるの?」


ゼオンはコクリと頷く。クロード家の使用人の中には父への忠誠心が厚くゼオンを邪険に扱う者から、そこまで厳しい仕打ちをしてこない者まで様々な者がいる。その中にはゼオンの扱いに疑問を持っている者もいるのかもしれない。使用人がゼオンの部屋の掃除を終えた後、極稀に小銭が一、二枚残っていることがある。ゼオンはそのような小銭を少しずつ貯めて、ある程度貯まった時にこういった屋台でお菓子を買って食べていた。家では録に食事を取れないため、基本的に学校の給食がゼオンの命綱だ。一歩家の外に出ればゼオンもクロード家の子なので、学校の大人達は他の生徒と同じように給食を与えてくれる。そのような生活を送っていたので、屋台のお菓子はゼオンにとっては御馳走だった。

だが、シャロンたちにそのような話はせず、ゼオンはぼそりと一言、


「……一度か二度くらいは」


とだけ言った。シャロンはそれを聞くと、目をキラキラさせながらディオンに言った。


「ほらぁ、ゼオンが大丈夫だったんだから大丈夫よ! 私、イチゴが乗ったやつね! ゼオンは何味がいい? チョコレート?」


「お、おい、姉さん!」


「あ、ブルーベリーも美味しそうね! じゃあディオンはそれにしなさい。そして私はブルーベリーを全部もらうわ。ディオンには生地とクリームだけあげるわね」


そう言って、シャロンは風のようにクレープ屋の屋台へと走り去っていってしまった。ゼオンとディオンはシャロンが走り去った方向を茫然と見つめていた。


「…………なんか、こう、悪かった」


「いや、別に……あれが姉さんだからな。ゼオンが何を言ったとしてもああなってたさ」


その言葉を最後に、二分間くらい沈黙が続いた。


「あー……ゼオン、近くの店でも見るか? ほら、こう、玩具屋とか……」


ディオンは気まずそうな顔をしていた。ディオンはシャロンと違い、良くも悪くも堅実だ。今この瞬間も自分がゼオンと関わることの意味を深く受け止めているだろうし、シャロンほど強気に行動することはできないのだろう。


「玩具には興味無い。一人でそのあたりぶらぶらしてくる。数分で戻る」


ディオンが止めたが、ゼオンは聞こえないふりをしながら人混みの中に逃げ込んだ。ディオン達から離れてみると、この街が全く違う景色に見えた。人に流されて思った方向へ歩けない。大人達はゼオンの顔を見て何か呟いている。大人の三分の二ほどしかない身長のせいで、行く先どころか空すら人の頭に遮られて視えなかった。

やっとの想いで人混みから逃げ出すと、正面に本屋があった。どうやら商店の並びまでたどり着いたらしい。武器屋にお菓子屋……衣類や装飾品よりはゼオンの興味をそそるものが並んでいた。まずはこの本屋を見て見ようかと思い、窓から店内を覗いてみる。入口付近には、今の売れ筋の本が並んでいた。「サルでもできる! ゼロから始める魔法入門書(対象年齢:六~七歳)」──魔法に関してもう「入門」の領域はとうに越えていたので、特に興味は無かった。「激白! 国王の秘密~王女Fの存在~」──王室関連のゴシップ本らしい。噂話にはうんざりしていたので、これも興味は無い。それから、ゼオンは店内でも一際うず高く積まれた本に目を留めた。「魔法使いルヴァンシュの冒険 四巻」──学校の図書館で三巻まで読んだことがある。悪しき神に故郷を滅ぼされ、自身も身体を改造された少年の冒険活劇だ。主人公ルヴァンシュは所謂ダークヒーローで、悪しき神への復讐を誓うのと同時に、弱者を護る為にも戦っている。三巻は自身を改造した研究者を殺した後、善なる神と巡り合ったところで終わっていた。どうやら新刊が出ていたようだ。ゼオンが窓に張り付いてじっとその本を眺めていると、隣に同じようにその本をじっと見つめている青年がいた。身体は歩いている恰好のまま、顔だけが店内の方へと向いていた。


「……クソ兄貴」


ゼオンが声をかけると、ディオンは我に返った。


「……あ、ゼオン? って、ゼオン! よかった、見つけた。ほら、勝手にいなくならないでくれ。ここはハイドランジアじゃないんだから、はぐれたら帰れないだろう?」


「兄貴、あのシリーズ読んでるのか?」


ディオンはグッと黙り込んだ。たしかにあの本は子供から大人まで幅広い世代に人気があるシリーズだったが、普段現実的に物事を捉えているディオンが冒険小説を好んで読んでいるというのも不思議な話だった。


「いや、こう……結構面白いんだよ。小説として完成度が高いだけじゃなくて、古い伝説とかともつながりがあって、結構考察のしがいがあるというか……いや、なんでもない。どうでもいい話だったな」


何を恥じる必要があるのかゼオンにはわからなかったが、ディオンは咳払いをしながら黙り込んだ。ディオンはこのことについてあまり聞かれたくないらしい。そう思ったゼオンは別の話をした。


「そういや、最近姉貴になんかあったのか?」


するとディオンはますますギョッとした顔をして黙り込んでしまった。どうやらゼオンは話題選びを間違えたようだ。ディオンは気まずそうにこう話し始めた。


「あー……ほら、父上の跡継ぎの話だ」


「跡継ぎは兄貴だろ?」


「それがさ、父上に言われたんだよ。『私はディオンだけではなく、シャロンも候補として考えている』って。『人を惹きつけるカリスマ性は当主にとって必要な素質だ。ただ女だからという理由で候補から外してしまうのは惜しい』って。俺もそうだが、姉さんも自分が当主候補だなんて考えてもいなかったから少し困惑しているんだ」


自分が日々の生活に困っている裏で、そのような話が挙がっていたとは知らなかった。いや、考えてみれば、母が「ディオンを消せばあなたも当主候補になれるかもしれない」と言っていた。あれは、「長男以外でも当主になる可能性がある」という事実が浮上してきたからだったのか。


「兄貴と姉貴が、当主の座をかけて争うのか?」


「俺も姉さんも争いたくはないさ。ただ、親族たちはもうどちらを推すか派閥争いを始めているらしい」


「……大変だな」


「そうだな」


その時、偶然人の流れが途切れて、クレープの屋台の様子が見えた。店の前には行列ができており、ちょうど次がシャロンの番だった。


「多分、今日の姉さんが特にはしゃいでるのは、そういう悩みを発散させたいからだと思う」


「……食事や買い物で問題が解決するわけじゃない。こんなことに意味があるのか?」


「意味があるかどうかより、気持ちの問題だろうな」


ゼオンだけではない。ディオンやシャロンにもそれぞれの問題があり、日々それらに苦しめられている。そう考えると、途端に暗い気分になってしまった。すると、ゼオンの様子を見たディオンがこう言った。


「それよりゼオン、あの本……買ってやろうか?」


あまりに唐突な提案だったため、ゼオンは真顔で黙り込むことしかできなかった。


「ゼオンも読んでいるんだろ、あのシリーズ。新刊は善の神と悪の神の戦いらしい。気になるだろ?」


「……別に、こう…………まあ、少しは」


「それに、本なら一度読んでしまえば、たとえ本自体が傷ついてもその内容は頭に残るしな」


「……どういうつもりだ?」


ゼオンがそう尋ねると、ディオンはゼオンを連れて本屋の中へと入り、「ルヴァンシェの冒険 四巻」を手に取って店員に会計を頼んだ。店員が本を包んでいる間に、ディオンは先ほどの問いに答えた。


「ゼオンももっと楽しもうってことだ。休日は好きなことをめいっぱいするものだからな」


そう言うと、ディオンは包み終わった本を店員から受け取り、ゼオンに手渡した。新品の本は大きくて重たかった。ゼオンは小さな手で本を抱えたまま、包み紙をじっと見つめた。それから、ディオンの顔を見て、おそるおそる口を開いた。


「……その、あり、が……」


その時、シャロンが三つ分のクレープを持って戻ってきた。「ありがとう」の言葉はそこで途切れ、ゼオンはシャロンにチョコレートのクレープを手渡された。


「買ってきたわよー! はいっ、ゼオンはこれね。ほら、早く食べましょ!」


ゼオンはチョコレートのクレープをじっと見つめる。普段は高くて買えないチョコレートアイスとブラウニー入りのクレープだった。早速一口食べようとした時、シャロンがゼオンの本を指した。


「あら? ゼオン、それどうしたの?」


「これは、その…………兄貴が、」


「ああ、それは俺が買ったんだよ」


ディオンがそう言うと、シャロンは目を丸くして驚き、その後にやにやしながらディオンの頬をつついた。


「へえー、あなたがねえ……ふふ、少しはお兄さんの自覚が出てきたってことかしら?」


「そりゃどうも……」


そして、シャロンはディオンとゼオンを抱き寄せ、腕を組んで走り出した。


「よーし、じゃあ二人とも、そこの公園のベンチでクレープ食べるわよ!」


ゼオンはシャロンに引っ張られながら、ディオンへと視線を向けた。この状況ならここでディオンが「クレープを持った状態で走るな」と声をかけるかと思っていたが、なぜかこの時は大人しくシャロンに引きずられて走っていた。だが、不思議と嫌そうな顔はしておらず、むしろ僅かに笑っているようだった。すると、ディオンもまたゼオンへと視線を向けてこう言った。


「ほらな、姉さんだって好きなことをしてる……というか、もはや好き放題してるだろ?」


ディオンがそう言うと、シャロンは公園の隅のベンチへ二人を座らせた。それからシャロンは二人の間に割り込んで座った。


「そりゃあそうよ、だって今日は、折角のお休みなんですものね!」


そう言って、シャロンはイチゴのクレープを一口齧った。やれやれと、続けてディオンがブルーベリーのクレープを齧る。

雲一つ無い青空、姉弟三人の平和な時間。このまま、太陽が沈まなければいいのに──そう思いながら、ゼオンはクレープに乗ったチョコレートブラウニーを頬張った。濃厚な甘みが口に広がり、消えていった。美味しかった。

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