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延命

 今日も、この部屋は平和だった。

 窓からは麗らかな春の日差しが差し込み、側ではネコ型の魔物・エルメスが跳ね回っている。人里離れた場所に建てられた研究所──その一室にて、一人の男性が窓の外を見つめていた。


「今日は、天気が良いな」


 雪のような白と血潮のような赤──それは、この世界では「最古の魔法使い」とも呼ばれ、恐れられている人物だった。破壊の神から「アディリシオ」の名を与えられた人間は、椅子に腰掛けながら魔物・エルメスの背を撫でていた。

 すると、背後から少年の声がした。


「所長、呑気なこと言ってる場合やないやろ。もたもたしてたら、今日中に掃除終わらへんで」


「……オズ」


 オズと呼ばれた少年は箒を握りしめたまま口をへの字に曲げた。アディは数秒程考えこんだ後、ようやく今日は研究室の掃除をする予定だったことを思い出した。


「そうか……そうだったな」


 椅子から立ちあがろうとした瞬間、視界がぐらりと斜めに傾いた。


「おい!」


 オズの声がする。バランスを崩す寸前で、アディはテーブルに手をついて体勢を立て直した。


「ったく……どないしたん。珍しいやないか」


 不思議なものだ──アディはオズの様子を見ながら考える。

 この少年は私を殺そうとしているはずなのに、なぜ私を気遣うようなことを言うのだろう──と。


「さあ、わからん。寿命かもな」


「はぁ? 不死身の所長が何言うとんねん。その右目にある蒼い鉱石のおかげで不死身なんやろ?」


「そうだ。よく覚えてるな」


「あんなショッキングな話、忘れるほうが難しいやろ…」


 アディは首を傾げながら顔の右半分を覆う仮面を抑えた。この仮面の下、普通のヒトであれば右目があるはずの場所に、その鉱石は埋め込まれている。メディはこの鉱石を埋め込むことで、アディを「人間」の枠から外し、不老不死の身体を与えた。

 だが、今、僅かにその鉱石の力が弱まっていた。指先の感覚が薄れており、立ち上がると少し視界がふらつく。しかし、これが特別異常な出来事とは思えなかった。

 なにしろ、この鉱石を埋め込まれたのは数百年も昔のことだ。それほどの年月が経てば、どれほど強大な力でも多少弱まるものだろう。


「しゃあないなあ。調子悪いなら、掃除は明日にするか?」


 オズはそう言って箒を片付け始めた。口調は穏やかだったが、目つきはギラギラと刃物のように鋭かった。

 アディはオズの横顔を見て首を傾げる。アディを殺す為に必要なものは全て与えた。理由は不明だが、オズは今もアディに強い殺意を抱いている。それなのに、なぜオズはまだアディを殺しに来ないのだろうか。

 多少不思議に思ったが、さほど興味も無いことなので深くは考えないことにした。それよりも、魔物・エルメスの毛並みが今日もモフモフであることを確認することの方が大切だ。

 アディがエルメスを撫でながら窓際で日向ぼっこをしていると、突然研究室の扉が勢いよく開いた。


「おはよう、アディ」


 少女のような軽やかな声がした。桜の花弁のような髪が舞い、神がアディの背後に降り立った。


「今日も呑気なことやってるわね」


 そう言って、破壊の神・メディレイシアはアディの髪を勝手に手先で梳いていた。普段であれば、この後メディはアディの髪を三つ編みにした後、エルメスを取り上げたり、オズをからかったりする。そうしてひとしきり遊んだ後、風のように去っていくはずだ。

 だが、今日はメディが三つ編みを作り始める前にオズが口を挟んだ。


「呑気やないて。そいつ、調子悪いんやて。さっき立ちあがろうとしたらよろけたんや」


 メディは急に真顔になり、アディの仮面を手で抑えた。


「調子が悪い? そう、そうなの……」


 じっとこちらを見つめるメディを見て、アディは深い溜息をついた。仮面を抑える手が小さく震えていた。


「……用事を思い出したわ」


 そう言って、メディは突然立ち去ってしまった。


「なんやあいつ」


 呆気にとられているオズの隣で、アディは自分の仮面を抑えて俯いていた。この後、メディが何をするつもりなのかは大体予想ができた。


───


 その日の夜、アディは自宅の書斎でこれまでの研究結果をまとめていた。薄暗い部屋の中、ランプの灯りを頼りに言葉を綴る。

 すると、突如指先に痺れを感じ、手からペンが滑り落ちた。指先を見てみると、爪の周辺が黒く変色し始めていた。

 アディはしばらく自分の指先を観察し、変色した部位のスケッチを描いた。これは非常に珍しい現象だ。是非とも資料として残しておきたかった。アディは満足げにスケッチの隣に日付を書き残した。

 その時、ノックも無しに急に書斎の扉が開いた。アディが入り口の方を見ると、そこにはメディが立っていた。


「……どうした?」


 メディは一瞬でアディの目の前に降り立つと迷わず右目の仮面を剥ぎ取った。理由を聞く間も無く、メディはアディを取り押さえて耳元で囁いた。


「座ってて。すぐ終わるから」


 その瞬間、全身に力が入らなくなり、身動きが取れなくなった。言われた通り椅子に座り込んだまま、メディを目で追う。

 メディの右手にはアディの目に埋め込まれたものとよく似た蒼い鉱石が握られていた。その鉱石が淡い光を放つ度に、アディの右目に埋め込まれた鉱石が熱くなった。

 メディはアディの背後に回り込み、手で左目を隠した。視界が暗闇に覆われ、徐々に意識が遠のいていく。

 アディは小さくメディに問いかけた。


「いつまで、こんなことを……」


 メディはアディの首筋に抱きついたまま、震えた声で呟いた。


「いつまでも。あなたが、幸せになれるまで」


 ──この右目に鉱石を埋め込んだその日から、メディはずっと苦しんでいる。

 メディの言葉に答えようとしても声が出ず、メディの手を退けようとしても自分の手が動かず、アディはそのまま眠りに落ちた。


───


 翌朝、アディは自室のベッドの上で目を覚ました。服装は昨晩のままだ。自室の隣にある書斎に行ってみると、机の上には昨晩描いたスケッチが起きっぱなしになっていた。

 アディは身支度を整えた後、コートと鞄を手に取り、玄関の扉を開いた。すると、扉のすぐ隣にメディが待っていた。


「……調子はどう?」


「調子?」


 その時になって、ようやく昨日まであったふらつきや指先の痺れが消えていることに気づいた。爪の周りの黒ずみも無く、何不自由なく動けるようになっていた。


「そういえば……良くなっているな」


 それを聞いたメディは呆れ果てていた。


「ほんと……他人が確認するまで自分でも気づかないのはどうなのよ」


「それは、まあ……すまない」


 アディは空を見上げた後、数秒考え込み、メディにこう告げた。


「……少し、出かけようと思う」


 この日は雲一つ無い快晴で、日差しがぽかぽかと暖かかった。


「君も、来るか?」



───



 自宅から暫く歩いた場所に小高い丘がある。毎年この時期になると、この丘の周辺の木々は一斉に薄桃色の花を咲かせていた。創造と破壊の神が戦乱を繰り広げていた時代で、このように人気が無く穏やかな場所は貴重だった。


「こんなところに何しに来たのよ」


「花見だ」


 メディはまた呆れ果てた顔をした。


「花見って、大勢のヒトをかき集めて酒とか食物とかを振る舞うものじゃないの? 私がいなかったらどうするつもりだったのよ」


「一人で花見をした」


 メディは頭を抱えて溜息をついた。アディは近場の草原に大きな布を広げると、鞄から水筒とカップを二つ取り出した。


「それに、花見は花を見るものだ。酒も食物も他人も必要ない」


 アディは二つのカップにお茶を注ぐと、片方をメディに手渡した。メディはカップを受け取ると、アディの隣に座った。


「全く、心配して損したわ」


 メディはそう言ってカップのお茶を大事そうに啜っていた。上を見上げると、メディの髪の色とよく似た花弁がはらはらと舞っていた。風の音と、小鳥の囀りだけが聞こえる。この戦乱の世で、このようにのどかな花見を楽しめる場所は、世界中どこを探してもそうそう無いだろう。


「……そういえば、最近はオズやエルメスがいたから、君と二人で話す機会があまり無かったな」


「今更気づいたの? 神を放置してガキと猫ばかり構うんだもの。ほんと、良い度胸だわ」


 メディは膨れ面をしながらジトッとした目でこちらを見つめていた。メディがそのまま暫く動かなかったので、こちらも黙って見つめ返していると、メディは急に逃げるようにそっぽを向いた。


「全く……、罰として今日くらいは私に付き合いなさいよね」


 そう言うと、メディの背から機械と鉱石でできた片翼が生えてきた。黒と紅の鉱石は太陽の光を受けて煌めき、周囲を薄桃の花弁がひらひらと舞う。アディは暫くその光景に釘付けになっていた。


「……綺麗だな」


 そう言うと、メディは少し得意げな顔をしていた。アディは茶を啜りながら考える。今日も、平和だ。自分の視界の範囲内は。

 だが、この平和が何の上に築かれているのか、この視界の外に何があるのか──薄々気づいてはいた。自分の右目を覆う仮面に触れてみる。仮面の下の鉱石が囁いていた。この近くに、この鉱石と類似の力が眠っていると。

 アディ達がいる地域一帯は破壊の神であるメディが支配している領域だ。この鉱石と類似の力──「創造」の力が何の理由もなく眠っているとは思えなかった。


「……メディ、聞きたいことがある」


「何?」


「昨日、君が持ってきた鉱石……何人分だ?」


 メディの表情が険しくなった。メディは叱られる前の子供のように身構えていた。


「それを……知りたいの?」


「……いや、別にいい。興味が無い」


 おそらく、メディは多数の人を生贄としてあの鉱石を生み出したのだろう。そうして蓄えた力を、アディの右目に埋まっている鉱石へと移したのだ。経緯はおおよそ推測できたが、メディを直接追及するようなことはしなかった。生贄となった人への関心は無かった。

 だが一点、気になることがあるとすれば──


「だが……君はいいのか」


「何がよ」


「こんなことを続けていても……先は無いのでは?」


 メディの表情が硬く強張った。アディの命を延ばし続け、世界を破壊し尽くしたとして、その先に何が残るだろう。メディがそのことを考えていないとは思えなかった。


「……それでも、よ」


 メディはアディのコートの裾を強く握りしめていた。そして、一つ一つ確かめるように問いかけてきた。


「あなたのやりたいことはできている?」


「……できている」


「……楽しい?」


「わからない……が、穏やかな日々を過ごせていると思う」


「なら……もっと脆弱な人らしく、ピーチクパーチク笑ったり怒ったりしてよね」


 メディが何のために世界を破壊しつづけているのか。それを考えると、アディはそれ以上止めることはできなかった。


「本当に……私の思い通りになってくれないんだから……赦さないわ」


 メディはコートの裾を握ったまま、俯いて表情を隠していた。


「死に逃げなんて赦さない……絶対に認めないんだから」


 はらり、はらりと花弁がメディの指先に落ちた。アディが上を見上げると、薄桃色に咲き誇る鉄格子の先に、青空が広がっていた。

 ──コートの裾を握る手を振り払うことは、自分にはできない。

 手を掴むことも、拒絶することもできず、アディは夕暮れ時まで花弁の雨を浴び続けることしかできなかった。



 陽が沈みかけた頃、アディは一度研究室に顔を出した。部屋の扉を開くと、昨日まで散乱していた書類が整理整頓されており、床に散らばっていたはずのエルメスの毛が全て片付けられていた。部屋の奥で、オズがエルメスをブラッシングしていた。


「オズ、今戻った」


 すると、オズは鬼の形相でこちらを睨みつけてきた。


「おい……一日中姿眩まして、ええ度胸やないか。俺がこの研究室の掃除、全部一人でやる羽目になったんやで!」


「それは……、まあ、すまない」


 ──不思議なものだ。なぜオズは殺意を抱いている相手の研究室をわざわざ片付けるのだろう。アディは黙って考え込んだが、解は出なかったのであまり深くは考えないことにした。


「そういや、今日は調子はもうええんか?」


「ああ、問題ない。完治した」


 一瞬刃物のように鋭利な視線を感じた。オズの視線だった。だが、今日もオズは実際に殺害を実行したりはしないのだった。

 片付けが終わった部屋をぐるりと見回してみると、机に書類が積まれているのが見えた。


「あー、それは起き場所わからんかったやつや。自分で片付けてくれへん?」


「……いいだろう」


 書類を確認してみると、その中には神の魔術──メディが操る破壊の魔法についてのメモが書かれていた。


「オズ。この書類の中身は見たか?」


「いや、ほぼ見てへんけど……」


「お前にやろう」


 書類を手渡されたオズはぽかんとしていた。


「破壊の魔法についてのメモだ。自分で使えるかどうか試してみるといい」


「は……?」


 呆気にとられているオズを放置したまま、アディはエルメスを抱えて窓辺の椅子に座る。そして、メディのことを思い返した。


 ──やりたいことはできている?


 ──楽しい?


 その言葉、そっくりそのままメディに返してみようかと思った。不老不死の身体を与えられて数百年──この視界の外の出来事を、メディは一人で背負い続けている。


「──おい! 所長! クソ所長!」


 オズの声が静寂を破った。


「なんだ?」


「いや、破壊の魔法のメモて……こんなん本当に貰うてええの?」


「勿論だ。好きにするといい」


 オズは食い入るようにメモの内容を見つめていた。アディは窓の外に視線を向けながら、ぽつりと呟いた。


「……期待している」


 硝子の向こう側で花弁が舞っていた。この眼に映る景色は今日も穏やかだ。破壊の神が世界を捧げて作り上げた、アディただ一人の為だけの平穏。終止符を打つ者は、果たして現れるのだろうか。



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