人間ベクトル
夜9時。
ある哲学者の子供たちが退屈そうにテレビを見ていた。
かつてテレビはネットに押されて消えるとまで言われたが、持ち前の資金力を活かし、面白いネット上の動画投稿者を買い叩く事で延命を続けた。
動画配信サイトはそれに対抗し、日々広告でテレビへの抗議を繰り返した。
負け犬の遠吠えを聞くより、適当にテレビを流してた方がまだいい。
ネットがテレビを侵食する時代が来ると騒がれたものだが、政治的なやり取りならまだテレビの方が上手いらしい。
どうやら、この番組は未来について取り上げているようだ。
AI研究者が、AIにより量産される良質と謳う小説、映画、音楽を紹介した。
どれも人工知能学者が行った実験上では、一般的な作家や監督が作るものを凌駕していた。
何が凌駕しているんだか、と虚無主義めいたワードが意図せず口走った。
「では、ここでAIが作った最新の音楽を体験してもらいましょう!」
威勢のよい掛け声とともに、配信予定らしい音楽が流れた。
ボーン、ジャラン、ジャラン、ボーン。
かつてのヒット曲を寄せ集め、劣化させたような音楽だった。
とりあえず知的に見える要素だけを寄せ集めた、フ○ンス現代思想のような底の浅さ。
プロレフィードという言葉を連想した。とりあえず量産される、信念も何もない娯楽。
もしこんなAIなんとかが浸透すれば、今まで人類が築き上げた文化は……と憤りを感じ、逃避するかのごとくチャンネルを変えようとスピーカーに命令を出そうとした。
その瞬間だった。
「今日の大物ゲスト! 1時間で10の本を読み、100の未来を見る男、未来学者の因知木教授!」
因知木と名乗る男は、まるで自分が未来の命運を握ってると思い込んでいるかのような態度で現れた。
哲学者は彼をじっと見た。
どこかで見覚えのある無個性な顔。
何十人何百人見たか分からない「未来学者」という肩書。
代わり映えのない取ってつけたような未来感というシグニファイアを与える服装。
AI音楽と似たような陳腐な雰囲気を漂わせる男は、自信げに訴えた。
「我々は様々な心理的問題と対峙している。
例えば、こちらの感情を全く理解してくれない家具。
服を着たい時でも、毎日自分のコンディションを考えて選ばなければなりません。
人間関係においては顕著でしょう。
周囲と一体化する事の難しさ、感情の伝わらなさ、私達は日々人間関係で疲弊しつつあります。
もし仮に、それらの問題――食器から人間関係まで――を解決出来る方法があるとしたら?
これから紹介するムービーは、我々の心理的問題の全てを解決した未来の理想図です」
因知木教授が、どうせマーケティング目的だろう映像を流した。
映像の中で、一人の男が眠っていた。
部屋には他にも誰も居なかったが、辺りは朝の出勤前のように騒がしかった。
コーヒーが沸かされた。
ロボットによってパンが焼かれ、バターが塗られた。
カーテンが開き、音楽が流れた。
食器が自動的に取り出され、全ての食事の準備が終わった頃を見計らったのごとく、男が目覚めた。
「未来の技術はあらゆる家事から貴方を開放し、適切なタイミングを見計らって提供します。
この男性は毎日出来たてのトーストとコーヒーを楽しめます」
ロボットのような冷たい女性のナレーションが流れた。
次に映し出されたのは職場の環境だった。
男性の目にかけられたARグラスは、職場の人間の心理状態を全て数値化し、隣には取るべき対処法が表示された。
画面の端には「場の心理状態」「貴方がすべき行動」が常に表示された。今は比較的環境が良く、男は職場で使われているAIのメンテナンスを割り振られていた。
「本来ならAIが行うべき仕事なのですが、最終的な決定は人間にしか下せません。何故ならばAIは責任を負えないからです」
男性の仕事は「AIのメンテナンス」「ロボットのメンテナンス」が大半だった。
しかも、その内どれも実態は決定を下すのみ。
AIが責任を負う為の代替として人間が使われているだけなのは明確だった。
仕事が終わり、帰宅した男を迎えたのはAIによる押し付けがましい娯楽だった。
今日は仕事が多かったのか、ヒーリング効果の高い音楽が流れた。
ARではAIにより今日の気分に合わせ生成された映画が流れた。
3Dプリンターで今日のメインディッシュが印刷された。どうやらステーキらしい。
「3Dプリンターを用いる事により、最高級の食材を簡単に再現することが出来ます」
「もし、男性が寂しさを感じたら、答えは簡単です」
ナレーターの声に合わせ、男性の隣に人気らしいバーチャルアイドルが現れた。
「今日も一日お疲れ様です。一緒に映画を見ましょう」
何度聞いたか分からない台詞を、彼女は男性の頭に手をやりながら機械のごとく流した。
「以上の通り、未来の人間は自分で考える必要性が無くなります。寂しい時はいつでもアイドルが居ますし、あらゆる苦痛から逃れる事が出来ます」
「こんな素晴らしい未来がそこに迫っています! 是非御社に出資を!」
冗談じゃない。
いつから人間はロボットに使われるようになったのだ。
この男によると、未来の人間はAIの決定の代用品――AIが足りないもの補うかのように、実態を人間に宿すかの如く――として働いていた。
最新テクノロジーにより、人間の心理状態が数値化された。
もしこの映像が確かならば、人類は踏み込んではいけない領域を……。
数値化される事自体はそれなりに大きな問題だ。
数値以外の可能性を全て切り捨ててしまう。今の科学が100%正しいという前提の元に動いてしまう。我々にそんな権限はない。
しかし、それ以上の――下手したら社会を崩壊させかねないような――巨大な数値化には問題が潜んでいた。
もし人間が数値化された時、我々は人間を「特定のパラメーターの集合」としか見られなくなる。
理由は簡単だ。
人間は目の前の別の人間に対し、感情の推測や相手を不快にしないように言葉や内容を選ぶ。目の前の人間に対し任意のアクションを行った際の'真の'予想が誰にも出来ないからだ。(予想出来たと声高に主張すれば別かもしれないが)。
もし仮に'真の'予想がAIに出来たとしたら、人間を思いやる必要性がなくなる。
つまり、人間が他の人間を思いやる事が出来なくなる。
もしAI推測出来ないような巨大な問題(政治など)に直面した時に、思いやりを放棄した人間が果たして満足に出来るだろうか。
親は子にいつまでも餌を与え続ければ、巣立ちが出来なくなってしまう。
AIはいつまでも餌を与えるような親だ。
また、人間の娯楽がAIが選ぶ未来にも賛同は出来なかった。
自らの手で選べないのは、人間にとっては不安の種となりうる。
人間、自分の意思で決めたものはある程度の納得が出来るし、諦められる。
最終的に自省の問題に持ち込めるから。
しかし、AIや他の人間などという外部装置で選択した場合、自省の問題に持ち込むのが難しく、必然的に問題を他者に求める事になる。
AIかもしれないし、AI開発者かもしれないし、赤の他人かもしれない。
少なくとも怒りが自分に向かわない以上、あまり良い問題にならない事は自明だった。
AIは人間を幸福にするものではない。
人間の思考力を奪う。
思考力を奪われた人間は力を失う。
力を失った人間は原因を他者に求める。
その他者はAIかもしれないし、開発者かもしれないし、私達かもしれない。
この重大な問題を出来れば認知して欲しい。せめて、あの凡庸な未来学者に人間の心が備わっていれば。
哲学者は未来学者に残る寸分の心を信じながら、手紙を書いた。
「計算機屋はそうだ、計算機を使う為だけに、人間の動きを数字に'再定義'し、数字以外の働きを無意識に切り捨てる。
すなわち、人間をベクトル演算するだけの機械とみなしている。
|人間を機械とみなす思考《機能主義》は正しかろうが、そうでなかろうが、人間を不幸にする原因にしかならない。
正しければ、人間は己がベクトルで代替されるちっぽけな存在である事を悟り、自らの力を捨てるだろう。
力を捨てた人間は、己の多大な錯誤の因子を他者に求める。自省する力を失ったからだ。
間違っていた場合、機能主義はそれ自体が内包する窮屈さにより人類に見捨てられるだろう。
かつての|行動主義心理学《人間を関数と捉える心理学》のように」
「AI化によって人間の心はどうなるでしょうか。貴方は、AIに人類に未来を託せますか? シンギュラリティを信じますか?」
陳腐なテレビの問いに、哲学者は一言「ない」とだけ答えた。
人工知能は、行動心理学の時代の「人間=関数」という考え方を引きずっているように見えるのです。(厳密には行動主義と機能主義は違うのだが)。
この考え方は面白みに欠けるし、窮屈です。
だからと言って、窮屈なこと以外には問題点があまり無いのが厄介なのですが。
腐っても科学的だし。