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9 薬と毒

『感謝の典礼』当日がやってきた。


 王宮の大広間は、金の装飾と夏の生花できらびやかに輝いていて、大勢の人が着飾って集まっている。

 司祭さんが祝詞を上げるんだけど、歌のように節がついていて、そこに徐々に楽器の音が加わってうねりになっていくのが圧巻だった。私の凍った心さえ、震えるのを感じる。


 本格的に音楽が始まると、まずはあの色気のある国王陛下と清楚な王妃陛下が息ぴったりに踊った。次に会場の貴族たちのうち女性だけが、その次が男性だけ、そして最後は全員で。


 今日のために落ち着いたブルーのドレスを作ってもらった私は、さすがに緊張しながら女性だけのダンスの輪に加わった。でも、ターンの時にドレスのスカートをつまんで大きく翻す振りがお気に入りだったので、それが成功してからは力が抜けて、落ち着いて踊ることができた。


 あとはオルセードと一緒だから、怖くない。


 男性のダンスは足の動きが中心で、かっちりした動きをしている。皆、夏でも長袖のスーツだったけど、生地がいいらしくそんなに暑くないとオルセードは言っていた。上着が短くて、後ろだけが少し長いのも、夏らしく軽い感じがしていい。


 戻ってきたオルセードが、私に手を差し出す。その手を取ると、彼は上気した顔で少し身を屈め、私の耳元でささやいた。

「綺麗だ」

 こういうセリフをサラッと言ってもうさん臭くないのが、オルセードだ。

「……それはどうもありがとう……」

 夫婦として私も夫を褒めるべきなんだろうかと思いつつ、『正装した夫を褒める』というスキルも経験もない私は黙り込む。オルセードはちょっと眉間にしわを寄せた。

「しかし、そのドレスはやはり肩が出すぎだと思う」


 そんなこと言ったって。

 ドレス店のデザイナーさんが、エスティスの夏用ドレスは見た目が涼しげじゃなきゃいけない、と言ったのだ。でも、私は痩せてるのが目立たないようにしたいし、うっすらとだけど背中に傷跡が残っているので背中は出したくない。

 その結果、ワンショルダードレスを着ることになった。背中は出ないし、片方はひらりとした袖もついているけど、もう片方の肩はむき出しというデザイン。首元が心許なくて、幅の広いチョーカーをつけてはいるけど。


「このくらいは妥協して。私も妥協したから」

「まぶしいのに、見つめてしまう。悩ましいところだ」

 彼は真顔でそう言ってから、ようやく微笑んだ。

「行こう」

 うなずくと、彼は私をさらうように、踊りの渦の中に飛び込んでいった。


 典礼のメインイベントが終わり、オルセードに座って休むように促された私は、飲み物をもらって一息つく。

 メリーはデルスさんと踊っていて、終わってからはサッと離れて別行動になったようだ。デルスさんはどこにいったかわからなくなったけど、メリーの方は王女様やその周辺とのつきあいがあったみたい。それが済むと、すぐに私のところに来てくれた。白のドレスが似合い過ぎて、見とれるしかない。

「シオン、とっても素敵だったわ! 今までで一番よ」

「ありがとうメリー、あなたのおかげです」

とにかくひとつ、新しいことをやり遂げた。そう思うと、達成感がじわりと胸に広がる。

メリーも嬉しそうだ。

「うふふ、私が教えたのよって他の人に自慢したいくらい! でも、武官殿と一緒に踊るとさらに素敵ね」

「俺も楽しい時間を過ごすことができた。ありがとう、ディメリア殿」

 オルセードはきちんと彼女にお礼を言い、

「少しシオンをお願いしてもいいだろうか」

と言いおいてから私に向き直った。私は先に言う。

「仕事でしょ」

「ああ。こういう時にしか揃わない人たちもいるし、初めて会う人もいる。少し話をしてくる」

 そして身を屈め、

「典礼が終わってしまったのが残念だ。また、君と踊りたい。夜通し踊っていたい」

とささやいてから私の頬にキスをして、少し離れた窓際の方に歩いていった。数人の男性がそこでお酒を飲みながら談笑していて、オルセードを迎え入れる。


 メリーはまた「うふふ」と笑って言った。

「武官殿の踊りは、性格が出ますわね、やっぱり。きっちりされていて。でも、男性だけで踊ったときより明らかに、シオンと一緒の方が色気があったわ」

 そして彼女は、ちょっと私の顔を伺うように続ける。

「それにしても本当に、武官殿は深くあなたにご執心なのね。見ていると何だか心配になってしまうの……少しシオンと、その、温度が違うようで」

 一瞬、言葉に詰まってしまった。

 メリーはあわてたように付け加える。

「ああ、でも安心した部分もあるのよ。武官殿があなたを縛り付けている様子がないから。よかったわ」


 ……見る人が見ると、わかるのかもしれない。私とオルセードが互いに向けている感情の、温度差が。二人の間に、一線が引かれているのが。

 変わった『夫婦』だ、ってことが。


 私は微笑む。

「結婚するまでに色々あったから、まだまだお互い、手探りなんです。でも、大丈夫だから」

 私たちの状態を『大丈夫』とは言わないのかもしれないけど、穏やかに過ごせているのは確かなのだ。

このまま、こんな風に、エスティスの日々は過ぎて行くんだろうか。

それとも……


 メリーが口調を変えた。

「ごめんなさいね、別の話をしましょう。といっても武官殿のことなのですけれど。先日お話をしたとき、私の故郷ティグシアに興味を持って下さって、色々聞いて下さったのよ」

「そうですか。そういえば私も、メリーから聞いたティグシアの話をオルセードにしたことが……」

「話題にしていただけて光栄だわ」

 メリーは嬉しそうだ。


 彼女は知らないことだけど、オルセードは仕事をしながらも、私と彼がいずれ住む国を選ぶために情報を集めている。もしかしたら、ティグシアも候補に入れているのかもしれない。メリーみたいな人たちがいる国なら、私も興味がある。移民が多くて、余所者にも寛容なのだそうだ。


 私はもう一度、オルセードのいる方を見た。

 彼が話をしているグループは、比較的若い男性が多い。その中にいつの間にか、デルスさんもいた。

 デルスさんは髭の口元をほころばせて笑いながら、何かオルセードに話しかけている。


 オルセード、イヤミとか言われてないかな。私は、そのつもりはなくても結局、あの人を焦らした挙句に誘いに乗らなかった……という形になってしまったから。

 誘われたことを、教えておけばよかっただろうか。そうすればオルセードも、デルスさんと話すときに心の準備をしたりとか……余計な心配かな。


 デルスさんが使用人さんを呼んだ。使用人さんが持ってきたトレーからグラスを二つ取り、一つをオルセードに渡す。二人は軽くグラスを上げて、それぞれ飲み干した。

「あら嫌だ、あの人、武官殿と仲良くなろうというのかしら。シオンに振られっぱなしで負けたような気になっているのでしょうから、挽回するつもり?」

 呆れたように言うメリー。

「夫にはちょっと子どものようなところがあって、負けず嫌いなんですの」

「でも、メリーとデルスさんだったら、メリーの方が勝っていそう」

「もう、シオンったら。真顔で冗談を言わないで?」

 冗談じゃなくて、割と本気なんだけどな。

 メリーは微笑んだ。

「ああ見えても、政治家としてはなかなかなのよ。彼を見初めて私との結婚を持ち掛けたのは、私の家の方ですもの。エスティスとティグシア、両国の架け橋になってくれている。私も夫の同志として、協力は惜しまないわ」


 同志、か。そういう夫婦って素敵だな。

 私たち夫婦は、ちゃんとした夫婦なのかどうかさえ怪しいけど。なんて、比べる方が変か。


 そんなことを思いながら、もう一度オルセードを見たとき――


 オルセードが、一歩よろけるのが見えた。


 あれ? と思って見ていると、オルセードはいったん口元を押さえ、そして周囲の人たちに何か断ってから男性たちの輪を抜けた。私の方には来ず、なぜかバルコニーの方へ出ようとしている。


「メリー、私ちょっと」

 私はソファから立ち上がってメリーのそばを離れ、男性たちに足早に近寄った。男性たちは楽しそうに笑っていて、外へ出ていくオルセードに一人が声をかける。

「武官殿、今日は早く帰った方がいい」

 デルスさんは私に気づいてちらりとこちらを見ると、クックッと笑いながらバルコニーの方に視線を戻し、呼びかけた。

「奥方がおいでですよ。明日は武勇伝を聞かせて下さい」


 ……一体、何の話?


 彼らの横をすり抜けて、バルコニーに出る。オルセードは手すりに手を突いて、じっとしていた。

「どうしたの」

 声をかけると、オルセードはハッとしたように振り向いた。額に汗が浮いている。

「気分が悪いの?」

 近寄ろうとしたとたん、オルセードが一歩、下がった。


 えっ?


 オルセードは目をいったん強く閉じ、そして外に視線を向けながら言った。

「済まないシオン、急用ができた。今夜はそばにいられない」

「……そうなんだ。どこか行くの?」

「ああ。でも、それほど長くは、君を一人にしない」

 彼はちらりと私の方を向いて微笑み、

「ディメリア殿と一緒に帰ってくれ。気をつけて」

と言うなりバルコニーから庭に通じる外階段を下りていった。庭園から、王宮の正面の方へと去って行く。


 初めて、オルセードに近づこうとして避けられた。

 何だか驚いてしまって、私は数秒間そこに立ち尽くした。

やがてすうっと、心から冷たさが上ってくる。頭の芯まで上って、冷静になる。


 オルセードは普通じゃなかった。何かおかしい。


 振り向いて、バルコニーから広間に戻る。だいぶ酔いの回った男性グループに話しかけた。今日は術水をつけてきているから、細かい内容も伝わるだろう。

「今、何かあったんですか?」

「いやいや、ちょっとした遊びです」

 デルスさんが悪戯っぽく言う。

「あんまり武官殿が堅物で真面目なので、私たちの遊びに引き込んで本性を見せてもらおうかとね。さあシオン殿、早く武官殿と一緒にお帰りになった方がいい」

「ごめんなさい、どういうことかわからないんですが……私にも何か関係が?」

「武官殿もシオン殿も恋人はいらっしゃらないそうだから、お二人でどうぞ、楽しんで下さい。何なら、シオン殿も飲みますか? 酒に混ぜてあります。ああ、害はないですよ」


 ようやく、私は悟った。

 媚薬とか、そういう類のものだ。こっちには合法の薬があるって、前にオルセードから聞いたことがある。


 彼は気づかずに、それを飲まされた。

 彼なら絶対に、飲まない薬を。


 頭の芯が、凍り付くように冷える。

 オルセードは私を守るために、私のそばを離れたんだ。


 低い声が、口から出た。

「……あなたは、あの人に何をしたのかわかってない」

「え?」

 酔いにトロンとした目で見返してくる議員さんに、私は一歩近づく。彼にしか聞こえないように、ささやく。

「薬に酔わされて私に何かしてしまったら、彼は自分を許さない。オルセードは私の騎士、私の許しなく、勝手に彼の上に罪を重ねないで」


 私はすぐに身を翻すと、絶句しているデルスさんを置き去りにしてメリーのところに戻った。

「メリー、私、もう帰ります」

「シオン? どうしたの、何かあった?」

 メリーは不安そうだ。

「まさか、夫が何か」

「いいえ」

 私は冷たく笑みを浮かべた。


「ただ、やっぱりこちらの恋愛は、私たちにはちょっと毒が強すぎるみたい」

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