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7 何かできるようになりたい

 公邸に戻った私は、夜になってから、仕事で遅くなったオルセードを食堂で捕まえた。

「聞きたいことがあるんだけど、後で……明日の朝でもいいから、時間をもらえる?」

「今、聞きたい」

 彼は食事中だったけど、微笑んで私の席を手で示す。

「君の話なら、いつでも」


 私は先に食事を終えていたけれど、従僕さんが「お茶をお持ちします」と言ってくれた。

 座りながら『感謝の典礼』について聞いてみると、オルセードは「シオンは行事には出ないで済むようにと思っているが」と前置きをして言った。

「『感謝の典礼』は、この国に住む人々が次の一年も平穏に暮らせるよう祈る、国を挙げての儀式に近い催しだそうだ。貴族は王宮内の聖堂で、町の人々は町の教会前広場で、同時に開催される」

「それって、踊る?」

「ああ。踊りで神への感謝を表現するんだ」

 日本にも確か、踊りを奉納するような行事があった。神事だよね。それってすごく大事そう。

「オルセードはその踊り、知ってるの?」

「ああ。まだ十代の頃だが、舞踊の授業の一環として家庭教師に教わった。チェディスでも有名な踊りだから。……ディメリア殿が『手伝えることがあったら』と言ったのは、シオンにその踊りを教えてくれるつもりなのだと思う」


 オルセードの言葉にうなずいていると、彼は不意に尋ねてきた。

「シオン、ディメリア殿とはいい友達になれそうか?」

「うん、たぶん。今日は楽しかった」

『契約友達』みたいなものだけど、このまま本当に仲良くなれそうな予感が、私にはあった。

「それなら一つ、俺から忠告してもいいだろうか」

 いつものように、オルセードは真摯な表情だ。

「貴族は人間関係に敏感だから、ディメリア殿とシオンが友人づきあいを始めたことは少しずつ広まるだろう。だから、もしシオンが典礼に参加した場合、あのディメリア殿の友人であるシオンが踊っているところを人々が見る、ということになる」

 王女付きのダンス教師であるメリー、その友人が、私。

「つまり、私が踊らなかったり、あんまり下手だったりすると、メリーが恥をかく?」

「もしくは、それほどディメリア殿とは親しくないのだと思われるだろう。親しければダンスを教わっているはずだ、と」


 うわ。もしあの議員さんにもそう思われたら? また私に声をかけてくるとか……?


 オルセードは続けた。

「今後のディメリア殿とシオンの友人付き合いに、何か影響があるといけないから言わせてもらったが、シオンが典礼に参加しないのであればこの辺は気にしなくていいと思う」

 オルセードは相変わらず、私が煩わしい思いをしないようにすることが第一のようだ。

「わかった。ありがとう」

 私はうなずいた。

「ありがとう」と「ごめんなさい」は、今では自然に言えるようになったと思う。チェディスにいたころは突っぱねるようなことしか言えなくて、それもしんどかったのだ。夫婦として力を合わせると決めたんだから、お互いに過ごしやすいようにしたい。


 ディメリアの申し出について思いを巡らせていると、タイミングよく従僕さんがやってきて、冷めたお茶を代えてくれた。

 ふと気がつくと、食事を終えたオルセードが優しい目で私を見ている。

 話はもう済んだから、私は自分の部屋に戻ってもいいんだけど、こうして同じ空間で過ごすことが自然になってきていた。


 ……もしも、今みたいに心が凍っていなかったら。

 日本にいたころの心を持った私がオルセードと結婚していたら、十も年上でかっこよくて頼りになる旦那様に、もっともっと甘えていただろう。

 でも、私とオルセードは、あまりに数奇で複雑ないきさつを経て結婚した。こちらでの世間の『普通の夫婦』からはほど遠い。

 ただでさえ異質な人間である私は、その状態に正直、少し疲れることもあった。


 だから、こうして二人でいる「普通」の時間が、まるで息抜きのように感じられる。

 もしかしたら、オルセードもそうかもしれない。


 許さないまま愛する私と、償いながら愛するオルセード。

 そして、オルセードの命を握っている私。

 逃げ場のない私たちは、どこか張りつめたような均衡を保っている。

 この関係は、永遠? それとも、思いもよらないきっかけで緩んだり――


 ――逆に、切れてしまうことも、あるんだろうか。



 その日の夜、私は一人ベッドの中で、『感謝の典礼』について考えた。

『感謝の典礼』に不参加なら、エスティスの貴族社会における私の印象は今まで通りだろう。チェディスの駐在武官の妻は身体が弱くて行事にはあまり出られず、近所に住む友人とたまに会う程度。

 一方、『感謝の典礼』に参加するなら、ちゃんと踊らなくてはならない。デルスさんに声をかけられるのが嫌だから、というのもあるけど、メリーの名誉のために……そして、これからの私自身のために。

 メリーと話したときに沸き起こった、何かしたい、という気持ちを、今は大事にしたかった。



 翌日、私はオルセードに言った。

「あの……私、メリーにダンスを教わってみようと思う」

「シオン?」

 軽く目を見開くオルセードに、私は言った。

「何か一つ、できるようになりたいの。私は何も持っていないから。そうしたらきっと、次に繋がると思う」

 術水を使っていないから、細かい気持ちは伝わらないかもしれない……そう思ったけど、オルセードは微笑んだ。

「わかった。俺にできることがあれば、何でも言ってくれ」

「別に……あ」

 言っておかなくちゃいけないことを思い出し、言う。

「ちゃんと覚えるつもりだけど、もし覚えられなかったら、私は典礼には出ない。メリーに恥をかかせたくないし」

 デルスさんに、メリーと親しくないのだと思われたくないし。

 と、心の中で付け足しながら続ける。

「男女ペアで踊るものなんだよね? 妻が出ないとオルセードが困るのかもしれないけど、その時は」

「俺の方は気にしないでくれ。シオンは目標のことだけ考えて欲しい」

 そう言うオルセードはすごく、嬉しそうだった。



「シオンに教えていいのね、嬉しい!」

 もう一人、嬉しそうな人が目の前に。もちろん、メリーだ。

 今日もまた、デルスさんのいないタイミングで私はメリーの家に来ている。


 私は彼女に頭を下げた。

「お世話になります。先に、講習代のことなんだけど」

「そんなのいいのよ、嫌だわ、やめてちょうだい」

「ううん、メリーみたいに実力のある人に習うんだから。メリーが今まで努力してきたことに、何も対価がないなんておかしい」

 言い募ると、メリーは顎に手を当てて少し考えてから、言った。

「あの……お金じゃなくてもいいかしら。お願いがあって」

「私にできることなら、何でも」

「では、ダンスを教える代わりに歌を教えてもらいたいの。シオンの、故郷の歌を」

「えっ? 歌?」

「ええ。異国の歌を一曲、歌えるようになりたいの。素敵じゃない? いつかどこかで披露したいわ。歌詞の意味も教えてね」

 メリーはすっかりその気だ。


 歌……どうしよう、いったい何の歌がいいのか……それに、つまりメリーの前でお手本に歌わないといけないの?

 いや、でも、人前で踊ろうっていうのにそれくらいやれないでどうする。


 私はうなずいた。

「わかりました、じゃあ私は歌を教える。あの、少し時間を下さい、何の歌にするか考えるから」

「もちろんいいわ。楽しみ!」

 メリーは両手を合わせ、そして立ち上がった。

「それじゃあ、早速ダンスの練習を始めましょう!」

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