5 王宮庭園の出会い
あずまやは木製で、緑の屋根がついていてとても可愛らしい。私とオルセードが住んでいる公邸もナチュラルで女性的なイメージだけど、このあずまやもそんな感じだ。
あずまやの周りをぐるりと一周して眺めていると――
「これは、シオン殿ではないですか」
聞き覚えのある声がした。
はっ、と振り向くと……
デルスさんだよ、何なのこのお約束。さっさとあずまやの中に入っていればよかった。
「こんにちは」
とにかく挨拶をする。
スーツに近い服装のデルスさんはもう一人、別の議員さんらしき人を連れていて、その人に私を紹介した。
「チェディスの駐在武官オルセード殿の奥方だよ。私たちは家が近所で、よくお会いするんだ。ですよね、シオン殿」
よく、って、まだ一回しか会ってませんけど。
オルセードの話を踏まえると、この議員さんは私の恋人に立候補したがっていると考えられる。もう一人の人に、何かアピールしたいのかもしれない。
私はそう思いながら、薄く笑む。
「はい、先日、書店でばったり」
一応、「本当にばったり会っただけだからね」という意味を込めている。
「今日はどうなさったんです?」
「夫の用事で来ました。彼を待っているところです」
『夫』を持ち出してみたけど、デルスさんは全く意に介さない。
「そうですか、お忙しいですね。ああ、明日か明後日なら、ご都合はいかがです? 我が家で楽しみませんか?」
うーん……困った。明日明後日は忙しい、とその場限りの返事をしたところで、では違う日にと誘われてしまうだろう。きっぱりと断る方法、何かないかな。
そのとき、涼やかな声がした。
「あなた」
あずまやに近寄ってきたのは、綺麗な栗色の髪をアップにまとめた女性だった。私よりはたぶん年上で、身体に沿ったワンピースドレスを着ているので、すらりとしているのに出るところは出ている羨ましいプロポーションがはっきりとわかる。
デルスさんが小さな声でつぶやいた。
「ディメリア」
「王女殿下の講義に少し早く着いてしまって……お庭を散歩していましたの。まあ、こちらの方はもしかして」
女性は私に目を向ける。
デルスさんの奥さん? それなら、ストッパーになってくれるかもしれない。
私はサッとその女性に向き直った。
「初めまして。チェディスから参りましたシオンと申します」
「やっぱり、オルセード殿の奥様ですのね!」
ディメリアと呼ばれたその女性は、にっこりと笑った。王女殿下の講義、と言っていたから、エスティスの王女様の家庭教師なのかな。すごい。
「私、デルスの妻のディメリアです。オルセード殿をお待ちなの? よかったら、それまで私と少しお話しません? ああ、あなた」
ディメリアさんはデルスさんに目を向けた。
「お仕事はよろしいの?」
「あ、ああ。そろそろ行くよ」
デルスさんはもう一人の人と、そそくさと立ち去って行った。
助かった。今の様子だと、もしかしてデルスさん、奥さんに頭が上がらない……?
「あの、ご近所なのにご挨拶していなくて、すみません」
二人であずまやの中のベンチに腰掛けながら言うと、ディメリアさんはにっこりと笑った。
「いいえぇ! あまりお身体が丈夫でないとお聞きしましたわ、エスティスの気候はいかが?」
「チェディスは寒かったので、私にはこちらの方が合っているみたいです」
「それはよかったわ!」
ディメリアさんは笑みを深くして、続けた。
「夫が声をおかけしたみたいで、ご迷惑をおかけしていないといいのですけど」
一瞬、なんて答えようか迷ったけど、私はこう言った。
「お断りしてばかりで、何だか申し訳ないです」
「まあ、どうか気になさらないで」
ディメリアさんは少し、身を乗り出した。
「シオン、とお呼びしても?」
「はい」
「私のことはメリーと呼んで下さいね」
ディメリアさん――メリーはフレンドリーだ。私の着ているエスティス風のワンピースドレスを褒めてくれたので、地元出身のメイドが親戚の店を紹介してくれたのだと話すと羨ましがった。
「私にもぜひ教えていただきたいわ。ねぇ、ずうずうしくお誘いしてしまおうかしら、夫ではなく私が我が家にご招待したいのですけれど……いかが? 夫のいないときがいいわ、女性同士の方が心おきなくすごせますものね。オルセード殿がお嫌でなければ、ですけれど」
ちょうどその時、議員会館の方からオルセードが近づいてくるのが見えた。
「シオン、こちらは済んだ。これはディメリア殿、ここでお会いするとは」
メリーが立ち上がったので、私も何となく立ち上がる。彼女はオルセードに言った。
「奥様をお借りしておりましたわ、オルセード殿。そろそろ行かなくちゃ……シオン、またぜひ」
「はい、ぜひ」
メリーは小さく手を振って、議員会館の西の方へと去っていった。
「ディメリア殿と一緒だったのか。デルス伯爵という人の奥方だ。俺たちの公邸の近所に屋敷がある」
オルセードが言うので、私はうなずいた。
「うん、そうなんだってね」
ほんとは旦那さんの方とも知り合いだけど、ややこしいことになるといけないので言わないでおく。そのうちバレるんだろうけどね。
「落ち着いた雰囲気なのに、華のある人だね。ちょっと、しゃべり方が変わってる」
「隣国のティグシア出身らしい。資産家の娘で、夫が議員になるのをずいぶん助けたとか」
詳しいな、オルセード。
ふーん、そういうことなら、奥さんの方と仲良くするのもいいかも。あの旦那さんが奥さんに頭が上がらないなら、私が奥さんと仲良くしていれば、私には声をかけにくくなるんじゃないかな。メリー、感じのいい人だったし。
「オルセード、ディメリアさんに家に誘われたんだけど、行っても構わない?」
「もちろん構わない。とにかく、男性と二人きりにならないでくれれば」
オルセードはそんな風に言うと、私の手を取った。
「前に話したように、この国の男性には気をつけてほしい」
「わかってる」
私は答え、そして何となく聞いた。
「オルセードはどうなの? 女性に誘われたりとかは」
別に、「あなたこそモテるんでしょ妬けちゃうわ」的な、恋愛の戯れで聞いたわけではない。私がどう思っていようと、オルセードがイケメンなのはたぶん事実だ。だから大変じゃないのかなと純粋に疑問で聞いたんだけど、彼は思い出すような表情になった。
「誘いはあった……と思う。しかしその後どうしたかな……済まない、覚えていない」
……さらりとスルーされて記憶からも消去されてしまった女性たちがいるらしい……
彼は私をじっと見つめる。
「とにかく、女性から誘いがあっても断るだけだ。俺の心は一つ、分けられるようなものではない。君だけのものなのだから」
私を見つめる彼の視線は、私の心の奥まで気持ちを届けてくる。
もし、オルセードがこんな風に女性を見つめたら、その女性はイチコロだろう。
こうやって、オルセードの視線をずっと受け止めていれば、私は今よりもっと、この人のことを好きになるんだろうか。
『普通の夫婦』になりたいと思うくらいに……
じっと見つめ返していたら、オルセードは切なげに眉を寄せ、何か言い掛けて――
不意に、私の頭を抱えるように引き寄せた。額に唇が触れ、それからその唇は鼻の横に何度も触れながら降りて、私の唇を探り当てる。
言葉にならない気持ちを、オルセードはこうして何度も、キスで伝えようとする。私はいつも、そんな彼のキスを受け止める。
あずまやと、庭園の木々の作る濃い影の中で、私たちはしばらくの間、寄り添っていた。