3 白昼の騒乱
動きやすいワンピース姿に、つばの広い帽子をかぶり、私はネビアと一緒に町に出かけた。この帽子も、こちらの日差しから身を守れるようにとオルセードが贈ってくれたものだ。
チェディスから海を越えているこの国だけど、人種や言葉はほとんど変わらない。でも、やはり文化はかなり違うので、町をぶらぶらしているだけで全てがもの珍しく見えた。
ネビアはこの町生まれのこの町育ちだそうで、私が書店に行きたいというとすぐに案内してくれた。二階建ての、割と大きな書店だ。さすがに日本の書店よりは本が少ないし、一冊がお高いけど、いかにも上流階級な格好をしたお客さんがそこそこ入っている。
「ネビア、何か可愛い動物の絵がたくさん載ってるような本はない? 一冊選んでほしいなって。私はここで、小説を選んでるから」
「かしこまりました!」
ネビアは張り切って二階に上がっていく。お屋敷には癒し系の本がないから……ネビアならちょっと変わった面白い本を選んでくれそうで、楽しみだ。
私は一階に残り、小説の棚で何冊かパラパラめくってみた。結構、哲学的な内容が多いかも……
「本がお好きですか?」
いきなり、声をかけられた。
振り向くと、紳士的な身なりをした面長の男性だった。鼻下と顎に少し生えた髭のせいで、かなり年上に見えるけど、もしかしたらオルセードと同い年くらいか、少し下かも。
「あ、はい」
「突然失礼、黒髪が目に留まって……チェディスから来られた武官殿の、奥方では?」
あれ、髪色はもう知られてるんだ。黒髪、割と珍しいらしいし。
「はい」
「やはり。私は、エスティスの西の領地を預かるもので、デルスと申します。議員を務めているので、王都に滞在していることが多いですがね」
簡単な自己紹介を聞きながら、「本当にいきなり距離を詰めてくるんだな」と少し驚く。オルセードの言った通りだ。領地持ちということは、貴族だよね。爵位とかはわからないけれど。
デルスさんは微笑んで続けた。
「我が家は、武官殿の公邸から近いんですよ。大きな図書室が唯一の自慢なのです、ぜひ見にいらして下さい」
「ありがとうございます、いつかぜひ」
「今日は武官殿はお仕事で?」
「はい」
ひたすら短く答えて、あまり話が続かないように……と思ったのに。
「そうですか。では、これからいかがですか? 今日は妻もおりませんし」
は?
え、待って。黒髪を見て、私がオルセードの妻だって気づいて声をかけてきて。今日はオルセードはいない、あちらも奥さんがお留守。で?
……まさか、ダブル不倫のお誘いじゃないよね。周りに人もいるところで普通に言ってるし。ナンパされた経験もなくて、よくわからない。
混乱してしまった私は、その場しのぎの断わりの文句を言った。
「ええと、用事を済ませて家に戻らないと」
「そうですか、ではお時間のある時にぜひ。ご連絡をお待ちしていますよ」
割とあっさりとデルスさんは言って、ひょいと私の手を取り、軽く唇を当てた。髭の感触……ちょっと苦手だ。
デルスさんがスッと店を出て行ったところへ、ネビアが本を抱えて戻ってきた。
「シオン様、これ! 面白い本ありました! ……どうかなさいましたか?」
「ううん。あ、これ表紙、爬虫類? 意外と可愛い」
私はそれを手に取りながら、内心首を傾げていた。
何だったんだ、一体。
本の会計を済ませて、店を出る。
「シオン様、他にご用は?」
「ううん、何も。そろそろ帰ります」
ちょっと出歩いただけで声をかけられるとは思わなかった。本当はどこかでお茶くらい、と思ったけど、帰った方がよさそう。
「では、あちらの方から帰りませんか? 少し遠回りですけど」
ネビアは私を案内したくてたまらないようだ。
遠回りくらいは、いいかな。
私はネビアに頼んで、髪を帽子の中にうまくしまい込んでもらってから、歩き出した。
道の途中に石造りの門があり、その先の町並みは少し変わっている。何だか見覚えのある雰囲気……
門をよく見ると、文字が彫り込まれている。
「『小チェディス』……?」
「はい! ここは、チェディスから移り住んできた人々が店を連ねているあたりなんですよー。恋しい食べ物とかがありましたら、ここで買えます! シオン様をご案内したいと思ってたんです!」
「そ、そう」
私にとって、チェディスは恋しい場所でも何でもないんだけど、ネビアは知らないからな……
それでも一応チラチラ通りを眺めながら、私たちは緩やかな上り坂を歩いていった。久しぶりの外出だから、いい運動だ。
しばらく歩いた所で、進行方向がざわざわし始めた。
「何でしょう。ちょっと、見て参ります」
私を道の端の日陰に案内してから、ネビアが小走りに去っていく。その後ろ姿を目で追っていると……
いきなり、私とネビアのいる場所の中間あたりの脇道から、男が飛び出してきた。着崩した軍服はこちらの国のもの、手にはその辺で拾ったかのような金属棒。
「待て!」
同じくこちらの軍人さんが、剣を抜きながら男を追って走ってくる。男が往来の真ん中で向き直り、追っ手との間でギン、ギィン、と武器がぶつかり合った。
こっちに移動して来そうだったので、急いで後ずさる。と、靴の踵が石畳に引っかかった。
「うわ」
靴が片方脱げてしまった。わっとっと、と下がってしまってから戻ろうとした瞬間、軍人が吹っ飛ばされて私のそばの壁に激突する。驚いて身体をひねると帽子も落ちてしまい、髪が背中に流れ落ちた。
男は警戒するように、血走った目であたりをギロリと見回す。さすがに怖くて、私は靴も帽子もあきらめて建物の陰に隠れた。
ネビアは? さっきから姿が見えないけど、巻き込まれたりしてない?
その時、ガガッガガッと、前方から馬の足音が近づいてきた。
妙にごつい蹄鉄をつけた馬の上に、今度は見慣れたチェディスの軍服姿……
げっ。オルセード。私には気づいてないみたいだけど、こんなところで会うなんて。
馬から飛び降りたオルセードは、いつもと変わらない。鞘に入ったままの剣を手に、ほとんど無造作に男に近づいていく。ふと、あの村長の所に私を助け出しに来た時の彼を思いだした。
男はオルセードに気づくと、うなり声を上げて金属棒を構え……え、オルセード、何で剣を抜かないの。
目の前でオルセードが殴られる、と思ったら、胃がギュッと縮んだ感じがした。
金属棒と、鞘から抜かないままの剣。ガッ、と二人の武器が衝突する。しばらくギリギリとにらみ合い、それからパッと離れた。
と思ったら、ドスッ、と音がして、男がよろめいて地面に膝をついた。
一瞬の早業だった。オルセードは男を突き放しながら男の手首に一撃を加え、棒が逸れて空いた鳩尾に鞘の先を突き入れたらしい。たぶん。
うめいて動けない男。さっき吹っ飛ばされた軍人さんがどうにか復活し、オルセードは彼と一緒に淡々と男を縛り上げた。息をつめていた野次馬たちが、ざわざわとし始める。
それからオルセードはふと、道に落ちていた女物の靴に気がついたらしい。靴を拾い上げ、さっとあたりを見回して――
目が合った。
「シオン!」
さっ、と彼の顔が険しくなり、私に駆け寄ってくる。
「シオン、なぜここに! 怪我は? 足を見せろっ」
いきなり私を横抱きにして、すぐそばの花壇に座らせ、裸足の方の足を検分する。私は一応、申告した。
「……靴が脱げただけだから」
緊張が解けたせいか、語尾が震えてしまった。オルセードが心配そうに私を見上げる。
「シオン様!」
人混みを抜けて、ネビアが駆け寄ってくる。
「ご無事ですか!? 申し訳ありません、おひとりにしてしまって……!」
「あ、ネビア良かった、無事だった。オルセード、何だったの今のは」
「こっちの軍隊で、禁止薬物を使っていた奴だそうだ。軍規違反で免職を言い渡されたとたん、隠し持っていた残りの薬を一気に飲んで一暴れということらしい。その後小チェディスに逃げ込み、俺も追っていた」
あ、駐在武官のオルセードのテリトリーなのか、ここは……
「危な……。何で剣を抜かないの」
「こっちの人間を俺が斬ってしまうと、色々と問題が……。それに、剣を持っていない相手に剣で切りかかるのもどうかと思ったまでだ」
「は?」
出たよ、生真面目オルセード。
「命あっての物種でしょ?」
「命が危なければ、その時は抜く」
つまり、この程度は危なくないと判断したわけ? 余裕か。
「心配してくれたのか、シオン」
オルセードは微笑み、そっと私の足に靴を履かせる。
……あの村で、自分を灰かぶりみたいだって思ったけど、今度はシンデレラのようだ。まあ、シンデレラでは王子様が履かせるわけじゃないし、オルセードは王子様ではないけれど。
「……帰る。今日はもうこれ以上はいい……」
ため息をつきながら立ち上がると、オルセードの表情がまた険しくなった。
「これ以上とはどういうことだ。他にも何かあったのか」
「知らない人に話しかけられただけ」
「シオン」
オルセードは断りなく私を抱き上げると、さっさと馬に乗せてしまった。
「帰るぞ」
「ちょ、あなたは事後処理でしょうが」
「……っ……とにかく家までは送る!」
ネビアはそんな私たちを見ながら、拾い上げた帽子を手にしてにこにこしていた。