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11 不自然な夫婦

 けれど、数日後。

 私と出会ってからの記憶は戻らないまま、オルセードは退院することになった。


 オルセードのお父さんがエスティスの駐在武官だった当時の記憶はあるため、自分がその後を継いでエスティスにいるということは、オルセードもすんなり受け入れたようだ。やるべきことはわかっているらしく、少しずつ仕事に復帰している。


 デルス議員からは、非公式ながらお詫びの訪問があった。

 私は同席しないことにしたので――同席して私にまで謝られたら、ものすごく冷たい一言を言ってしまいそうな気がした――様子はわからない。でも、いくらエスティスでは珍しくない薬とはいえチェディスからの駐在武官に勝手に飲ませ、それが怪我に結びついたのだから、議員に非があるのは明らかだ。ちゃんと謝ってくれないと困る。


 議員が帰った後、私はオルセードの私室をノックして声をかけた。

「君か、入ってくれ」

 オルセードはすぐに扉を開けてくれたけれど、今の彼にとっては私もデルス議員と同様、見慣れない人物だ。彼がわずかに緊張しているのが伝わってくる。

「ううん、ここでいい。デルス議員と会って、どんな様子だったのか気になって」

「ああ……その、きちんとした謝罪を頂いたと思う。全面的に自分が悪いとおっしゃっていた。大ごとにはしたくなかったので、今後の付き合いで報いてくれとお伝えした」


 大ごとにしてもいいくらいだと思うけど、チェディスを巻き込んで国際問題になったら困る。まさか本国から「帰ってこい」とまでは言われないと思うけど……

 オルセードも含みのある言い方をしたわけだから、『貸し』にしたということだろう。


「それと」

 オルセードは言葉を選ぶ素振りを見せてから、続けた。

「……君にも、申し訳なかったと伝えてほしいとのことだ。『人付き合いを重要視するエスティスの人間が、武官ご夫妻のありようを察することができなかったとは、鈍いにもほどがある』と、反省しきりのご様子だった。俺には、どういう意味なのか完全には理解できなかったが」


 ……夫婦のありよう、って、私の『オルセードは私の騎士』発言についてのことじゃないかな。特殊な形の夫婦にちょっかいかけてごめん、っていう意味だよね、たぶん。一体、どう思われていることやら。


「よかった。議員ともめ事になったら大変だって気になってたんだけど、ちゃんと謝ってもらえたなら、それで……。突然ごめんなさい、じゃあ」

 彼に背を向けようとすると、オルセードが一歩こちらに踏み出した。

「待ってくれ、その……君には済まないと思っている。妻を忘れるとは」

 私は足を止め、もう一度オルセードに向き直った。


 医師とも相談して、私が妻であることはオルセードには隠さずに伝えてあった。調べればすぐにわかることだからだ。

 オルセードは大きなショックを受けていて、それをずっと引きずっている。彼の性格からいえば当然かもしれない。


 私は微笑みを作った。

「あなたのせいじゃないから、それだけは気に病まないで」

 普通の夫婦なら、夫がこんなことになったら妻は泣くのかもしれない。でも、私は落ち着いているような態度のまま、彼に接するしかなかった。

「いきなり知らない女と夫婦だって言われて、困ってると思うけど、無理に思い出させようなんてしないから。これからも、このまま一緒に暮らしていい?」

「俺の方こそ、頼む。俺を見るたびにもどかしいだろうが、一緒に生活しているうちに思い出すかもしれない」

「そうだね。私もそうなるといいと思ってる。じゃあまた、食事の時に」

「ああ」

 私は今度こそ、オルセードに背を向けた。


 私たちは一緒に食事をしたり、時にはお茶もしたりしている。けれど、エスティスに来てからのことをぽつぽつと話すくらいで、すぐに会話が途切れてしまっていた。

 こんな不自然な状態のうちに、オルセードの記憶が戻ってほしい。

 私の名前を呼ばない、私にキスもしない、そんなオルセードが生活の中で当たり前になることなんてありえない。


 自室に戻ると、ネビアが心配そうに私を見た。

 私、どんな顔をしてるんだろう。



 仕事が休みの日の昼食時、オルセードは食事の途中でフォークを置いた。

「謝罪の言葉もない。妻のことを、いまだに思い出せないとは」


 私も手を止めて、首を横に振る。

「何度も言ってるでしょ、オルセードのせいじゃない。……私のこと、少しは不気味じゃなくなってくれているといいんだけど」

「そんな風に思ったことは一度もない」

 オルセードは強い調子で言った。 

「気づくと、君を目で追っている。君の声に癒される。俺にとって君がどんなに大切な存在だったかは、わかる」

「…………」

「教えて欲しい、俺と君はどんな風に出会ったのか。それからのこともだ。聞けば思い出すかもしれない」

 必死な様子で真摯に言う彼に、私は薄く笑んで首を横に振る。

「話すと、逆に『そうだったかもしれない』って思いこんでしまうかも。記憶を作ってしまうのは、よくないと思う。だから、私からは……」

「しかし」

「私は妻です、って押し付けたくない。オルセードも、あまり思い詰めないで」

 会話が途切れた。


 沈黙を埋めるように、オルセードが口を開く。

「……シオン……」


 久しぶりに、彼に名を呼ばれた。

 ぎこちない響き。


 私は目を逸らしながら、席を立つ。

「何かあったら呼んで」



 食堂から出た私は、庭に出た。いつものように気分転換しようと思ったけど、今日はあまりうまくいかない。


 彼はずっと、不思議に思い続けているだろう――どこの国の出身かもわからない妻、寝室も別の妻。一体何があって、自分はこの人と結婚したんだろう、って。

 ……言えるわけがない。私はオルセードの命を救うために元の世界から堕とされ、劣悪な環境で働かされていたところを彼が捜し当てた――それが出会いだなんて。だって、私は被害者、あなたは加害者だと、もう一度糾弾することになる。


 話せば当然、生真面目で誠実な彼は今の状態に輪をかけてショックを受けるだろう。そしてもう一度、あの日々を辿るように苦しむだろう。

 同じ苦しみをもう一度繰り返させるほど、私は彼を罰したいの? そんなこと、ない。


 でも、思い出せない場合には大きな問題があった。

 このままだと、彼にとっては、任期が終わったらチェディスに帰るのが当たり前ということになる。

 私が帰らないことを理解してもらうには、それなりの説明が必要だ。

 彼は帰って、私は残る? あの腕輪があるから、そうできることはできる、けど……


 庭の木漏れ日を見つめながら、私は乱れる感情を持て余した。

償いながら愛するオルセードと、許さないまま愛する私。どちらかが死ぬまで、一緒にいるのだと思っていたのに。普通じゃない私たちの繋がりは、一度切れたら元には戻らないんだろうか。

 もっと普通な関係だったら、彼は私と夫婦だということもすんなり受け入れられたのかな。でも、普通の夫婦「っぽく」振る舞うなんてできない。私の凍った心は変えられない。

オルセードにあんな呼び方をされ続けるくらいなら、もっと冷たく、固く、凍りついてしまいたい。


「シオン様」

 声がして振り向くと、ネビアが近づいてくるところだった。

「大丈夫ですか、あの……こちらは暑くありませんか」

 口元は笑っているけど、眼鏡の奥の瞳は心配そうに私を見ている。

私は、微笑んだ。

「うん、日陰だから大丈夫」

「あの、お手紙が」

「ありがとう」

 受け取って、開く。


 メリーからの、「会いたい」という手紙だった。

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