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帰らぬ翼(第二次丹作戦)

二式大攻出撃せよ ~海軍大攻隊空戦記~ 収録

伊吹飛曹長(当時)の手記より抜粋 (注1)

 昭和二〇年四月、戦況はもはや尋常の言葉では言い表せないほど悪化していた。

 思えば、あのマリアナ沖の決戦が日本海軍の咲かせた最後の徒花だったのであろう。足掛け一週間に及んだ海空の戦闘は前進部隊の栗田司令長官が旗艦と運命を共にし、宇垣提督が戦艦部隊を反転させたその瞬間に決してしまったのだ。

 あと一歩、もはや戦艦大和の前に立ちはだかるべき米軍の駒は真珠湾の死に損ないである旧式戦艦群とC3貨物船改造特空母しか無かったのにもかかわらず、サイパン橋頭堡を目前にして未だ戦闘力を残した五隻の戦艦は反転。サイパンの友軍は連合艦隊の来援を信じたまま一月の抗戦の後に玉砕し、南雲長官の決別電を最後に沈黙した。


 そして、米国にはこの損害から立ち直るだけの工業力があったが、本邦にはその力はなかった。このようなことは日本のエリートを任ずる海軍首脳のお歴々なら予めわかっていたであろうになぜ、との念を拭い得ない。

 列挙するならば、マリアナ沖海戦から半年の間に新たに我が方の戦列に加わったのは大和型戦艦『信濃』、空母が戦時急増型の『天城』『乗鞍』のみ。対して米軍には戦艦が四隻、空母は小型のものを含めれば両手の指 でも足りないほどとまさに天と地、月とスッポンほどの差であった。

 残された艦艇の修理も、米軍の空母が続々と戦列に復帰する頃になってもまだ多数の艦艇がドックで修理中であった。もっとも、修理が済んだとしても空母の腹を満たすだけの艦上機は無かったのではあるが。

 このような調子であるから、昭和十九年十二月から始まったフィリピンの戦いは陸軍と海軍基地航空隊が中心となって行われた。

 この戦いで再建途上の海軍航空隊は三度壊滅。陸軍中心に行われたルソン決戦も制空権を喪っては時間稼ぎ以外の何物でもなく、比島周辺の制海権を喪失。細々と維持されてきた南方資源地帯との海上通商路が完全に途絶する。

 海軍の損害も大きく、未だ出撃に耐えない戦艦空母の大型艦はもちろん小型艦も航空隊も比島攻防で打撃を受け、いよいよ帝国海軍は刹那的な戦術をとるに至る。


 操縦者そのものを誘導装置とした、技術と戦力の差を精神力と肉体の犠牲によって補わんとする特攻作戦である。爆弾を固縛した零戦による体当たり戦法や人間魚雷『回天』など様々なものが計画・実施されたが、その中でも私の愛機である二式大攻が関わった作戦を述べようと思う。


 第二次丹作戦と命名されたそれは、米軍機動艦隊に対する泊地攻撃作戦であった。

 先年の十月頃から米空母は赤道に程近いウルシー環礁を根城として我が方に対する出撃を繰り返していた。この環礁は南北に長い広々とした潟湖を有しており、米海軍はそこに補給艦や工作艦などを持ち込んで根拠地としていた。さながら空母の巣とでもいった風だった。

 当然、我が方も黙って見ている訳にはいかず攻撃を計画する。

 だが、ウルシー環礁の周辺には補給切れで機能しない基地しか残されておらず(だからこそアメリカはウルシーを空母の泊地に選んだのだが)、航空攻撃は事実上不可能であった。そのため、潜水艦による攻撃が企図された。

 昭和十九年十一月から断続的に行われた潜水艦発進の人間魚雷『回天』の攻撃により、艦隊補給艦『ミシンネワ』ほか数隻を撃沈破したものの本命の空母には傷ひとつつけられなかった。そればかりか、米軍も警備を強化したため回天の母艦となる潜水艦が接近できず、次々と撃沈されるようになった。

 そこで、海面下がダメなら空中からとばかりに航空特攻作戦が発令された。

 確かに、ウルシー環礁の攻撃半径内には攻撃隊を出せる基地は無かった。だが、帰還を前提としない特攻作戦なら本土からなんとか攻撃圏内に収めることができる。

 かくして、新鋭陸爆『銀河』二四機と七二名の搭乗員が集められた。この陸爆と三機の二式大攻をあわせて梓特別攻撃隊を編成。第二次丹作戦を戦うこととなる。

 なぜこの特攻部隊に二式大攻が加わっているかといえば、銀河の搭乗員が長期の洋上航法に不安を抱えていたからだ。

 もちろん、単座の零戦などとは違い専門の航法が乗り込んでいた。だがそれも一人であり、三〇〇〇キロもの長距離飛行には不慣れであったため目標にたどり着くのが困難とされた。

 そのため、長期の洋上飛行に慣れ(二式大攻の航続距離は最大七〇〇〇キロを越える)、最新鋭の電探を装備した大攻に誘導と戦果確認が命じられた。


 三月十日、早朝の鹿屋飛行場滑走路に二四機の銀河と二機の大攻が勢揃いした。

 既に前日にはトラックより彩雲偵察機が強行偵察を行いウルシー環礁に多数の敵空母が在泊しあることは明らかとなっていた。また、本隊の四時間前に出撃した天候偵察機が刻々と送ってくる気象情報は往路の天候が作戦に支障無いことを伝えていた。

 午前八時、全機発進。四八基の誉発動機が唸りをあげ、次々と飛び立つ。この気難し屋の誉を全機稼働状態に持っていった整備員たちの努力は如何ばかりか。

 しかしながら、採用間もない新鋭機の悲しさ。意気込みだけではどうにもならない機体不調、訓練時間の不足から来る低技量により次々と脱落してゆき、突入二時間前の時点で全体の三割にあたる八機が引き返すかで失われていた。

 その後、夕闇が空を覆わんとする逢魔が時、ウルシー環礁へ到達した梓隊の残存十五機が次々と敵艦へ突入。十二本の火柱があがり、誘導隊の高橋大尉機より「全機突入、敵艦十二撃沈破と認む」との通信があった。

 通信室からもたらされた攻撃成功の報に、残された搭乗員の間からは喚声と万歳が巻き起こったという。

 だが、直後に無線機は高橋大尉機よりのヒ連送を受信、それ以降連絡を絶った。

 その最期の様を、攻撃隊で唯一生還した若林中尉機の偵察員であった上条兵曹の手記から引用しようと思う。


 まもなく行程の半分を過ぎようとしていた。最大七〇〇〇キロの航続距離を誇るわが大攻にとってはその四半にすぎないが、銀河隊にとってはそうではない。もはやエンジンが火を吹こうとも飛び続け、ただ自爆するより他ない。


 思えば既に引き返した五機も無事に帰ることができたのだろうか。この銀河という機体は、三菱や川西といった会社ではなく空技廠という海軍の研究機関が手掛けた機体で、カタログスペックは極めて優秀だがその実欠陥が多く整備の難しいじゃじゃ馬であった。

 数ある欠陥のひとつに爆装するとコンパスが狂うというものがあって、それが大攻の誘導が必要だった理由のひとつなのだが、長駆進撃しての攻撃が本懐である陸攻(正確には陸爆)にそのような致命的な欠陥を残して制式化することそのものがおかしいのだ。


 ちょうど昼時、連合艦隊司令部より入電。巻鮨を片手に電信員から紙片を受けとると、『皇国ノ興廃懸リテコノ壮挙ニ在リ 全機必中ヲ確信ス』とあった。GF司令部からの直々の督励に機内では喚声が巻き起こった。銀河隊も受信できたかと銃座の風防越しに後方を眺めやると、ススーと機体を寄せてきて三人して口を大きく開けて何事か叫んでいるのが見えたので、そばにいた北川一飛曹を呼んでサイダー瓶をを掲げて「お互いがんばりましょう!」と叫び返した。


 それから飛び続けること数時間、ウルシー環礁を眼前に捉える位置までたどり着いた。薄暮の陽光を背に一五機の銀河が編隊を解く。幸い周囲に敵機は見えない。

 増速し、緩降下体勢に入った各機が翼を振り振り遠ざかっていく。こちらも連続バンクで見送った。すれ違い様の凛々しい敬礼姿を、私は一生忘れられないだろう。

 銀河隊が本懐を遂げてくれることを祈りつつも、見張りの手は休められない。敵もわれわれの空襲圏外だと油断しているのか、環礁の方面は静かに見える。

 機体が傾き、正面に霞んでいた環礁が左にかわっていく。ちょうど環礁が左翼エンジンカウルにかくれようかという頃、空に黒いシミのような靄がかかった。対空砲火だ。ようやく敵はわが攻撃隊の接近に気付いたらしい。

 それに続いてほの暗くなりつつある水平線に火柱がたちのぼった。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 次々あがる火の手はそれぞれが三名の搭乗員達の墓標だ。


 最終的に命中を示す火柱は十二を数え、一番機からGF司令部宛に『全機突入、敵艦十二撃沈破と認む』と発信した。

 四五名の勇士の最期を見届け帰路についた機内では、重苦しい空気が流れていた。誰も彼も一様に押し黙り無駄口ひとつ叩かない。ただ彼らの冥福を祈るほかなかった。戦果を見届けた機は北方に針路をとった。自分たちより年若の者たちを見送っておめおめと帰るのは忸怩たる思いであったが、生還を命じられた以上どうしようもない。


 突然機内が騒がしくなった。何事かと振り返ると、なんと一番機の左舷エンジンから火が出ていた。何があったのかと電信が呼びかけるが返事がない。そうこうしているうちに一番機は徐々に後落してゆく。幸い出火はすぐ収まったようだが、速度は一向に回復しない。


 ようやく一番機から通信があった。発動機不調につき不時着するとのことで、急遽近傍のヤップ島へと向かうようだった。


 だが、翼を振って長機と別れたその直後、我敵機と遭遇すとの通信が入った。見ると、一番機がB-25とおぼしき双発機に後ろに着かれていた。そのまま敵機の機首から曳光弾が奔流のように降り注ぎ、あっという間に大攻の翼が叩き折られてしまっていた。

 その光景にあっけにとられていると、体が急に後ろへ押し付けられるのを感じた。若林中尉が操縦桿を引いて全速で上昇に転じたのだ。


 やがて我が機は雲の中に逃げ込むことに成功した。敵機は暗闇と雲で我が機を見失ったのか、一番機に夢中でこちらに気づいていなかったのだろう。その後も敵機の襲撃を受けることなく鹿屋に帰りつくことができた。


 と、このように、戦争が末期に近づくにつれ機体の不調が飛躍的に増加していた。

 梓隊の銀河があんなに引き返したのも高橋大尉機の落伍も発動機不調のせいであるし、帰還してからわかったことだが若林中尉機の無線機も断線により送信不能となっていた。

 整備員の名誉のために書き添えておけば、これらの故障の原因は整備員諸氏の怠慢などではない。開戦で輸入が途絶えてからというもの、消耗品も電線も塗料も粗悪な国産品を使わざるを得なかった。本邦の工業力の低さ、ひいてはその工業生産品輸出国に戦争を挑まざるを得なくした外交の稚拙さが原因だった。


 それにしても、なぜ生還の見込みの無い特攻機に定数一杯の乗員を乗せて突っ込ませたのか。飛ぶだけなら操縦一人いれば良いところを何故三人の若者を死なせねばならないのか、出撃前にそう漏らした高橋大尉も結局帰らなかった。誘導機をつけるならわざわざ航法担当をむだ死にさせずとも良かっただろうに、と出撃前にこぼした大尉の普段見せなかった渋面が今でも思い出されるようだ。


 だから、という訳でもないだろうが、整列した我々搭乗員の前に覆いのかけられたなにやら寸詰まりの飛行機のような奇怪なものが並べられた。翌四月、集結した大攻隊の基地にてのことだった。


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