海軍七六一空の死闘3(マリアナ沖海戦)
三話連続投稿の第三話分になります
ご注意下さい
翌二十日朝、七六一空搭乗員集合の声がかかる。そういえば空襲がなかったと話していると、案内の兵が一昨日から空襲が途絶えているという。一昨日といえば航空総攻撃が開始された日と一致するので、我々の攻撃で敵機動部隊もグアム空襲どころではなくなったのだな、と嬉しく思った。
指揮所前に集合すると、その場で平田大尉より情況の説明があった。
現在、敵機動艦隊はどうやら撃滅したものの、上陸船団とその支援部隊はまだ戦力を残しているらしい。しかし、我が方の機動艦隊はもはや戦力を残しておらず撤退しつつあるとのことだ。そこで、空母の前衛となっていた戦艦部隊を夜間のうちに前進させ、敵船団と橋頭堡を主砲で叩く作戦に移ったという。
現地の五二一空は、残る銀河四機すべてをもって攻撃隊を編成すると決定した。今からペリリューに帰還していては戦機を逸する。そのため我々もこれに呼応して出撃可能な五機で攻撃隊を編成し敵艦隊を叩く。なお、現地にK魚雷は存在しないため通常の1トン航空魚雷を抱えての攻撃となる。
そう言って搭乗割が張り出された。やはり大攻のベテランを中心に編成されているようだ。私も指揮官機に名前があった。僚機はといえば二小隊長機に下田少尉の名前があった。少尉はこの部隊が大攻の初搭乗で、一時期私が指導教官役を仰せつかり同乗して訓練したことを覚えている。小兵で童顔だったせいか下士官兵の間にも自然に交わり、めきめきと技量を伸ばしていったのが印象深い。
解散が命じられ、搭乗員は機体へと駆け寄っていく。出撃に漏れたものも手伝って、乗機の兵装を点検する。けして整備員を疑うではないが、大攻に慣れない彼らに任せきりにはできない。爆弾倉扉の開閉や発射機構など重点的に確かめた。
その後、攻撃隊員のみが再度集合し大尉を中心に車座になる。標的や攻撃法の最後の打ち合わせのためだ。
「いいか、この際狙うのは一等大きい戦艦。それもなるたけ無傷のヤツだ。全機の集中射撃で必ず一隻喰うぞ!」
久方ぶりの肉薄雷撃だ。思えばK魚雷が配備されてから大攻隊では通常雷撃の訓練はほとんど行われていない。ソロモン戦での損害の多さを考えれば当然だが、それだけに実戦で雷撃を行ったことのある搭乗員は貴重だ。五機のうち操偵両方が実戦で雷撃したことのあるペアは我々だけだった。大尉と目が合い、大きく頷かれる。攻撃成功は我々の双肩にかかっていると思うと武者震いがする思いだった。
そして、私は三度敵艦隊へと向かうこととなった。連日の酷使にもかかわらず快調なエンジン音に整備員への感謝を抱きつつ、十機にも満たない攻撃隊はグアムの大地を蹴った。
変態は電探覆域を避けて低空を進撃する。機首の風防越しにはスマートな陸爆の後ろ姿がよく見えた。巡航速度が相当違うはずなのに四発の大攻が追従できているということは、あちらが足並みをあわせてくれているのだろう。
時おり、銀河の後部銃座についた乗員から信号が送られてくる。一度など、サイダーのビンを取り出して掲げるのでこちらもサイダーを出してきて戦果祈願の乾杯と洒落こんだ。ついぞ直接話すことはなかったが、銀河隊の面々はみな気のいい人達だったように思う。
出撃から二時間あまり、前方に黒煙が立ち上っているのが見えた。ただちに編隊は黒煙の根本へと舵を切る。ここは島から離れた海上であり、それは明らかに攻撃を受けた艦船から立ち上るものだと認められるからだ。
どうやら銀河隊は増速したらしく、徐々に我々は引き離されていく。こちらも速度を増してはいるし、エンジンの馬力は倍あるのだが、図体の差はいかんともしがたい。
そうこうしているうちに、戦場が眼下に納められる位置までたどり着いた。舵をやられたのかひとところをぐるぐると回り続ける駆逐艦、構造物がめちゃめちゃになって行き脚を止めた巡洋艦――恐らく高雄型――、まっぷたつになって波間に没しつつある重巡クラスの米艦。混乱と煙に包まれた戦場がそこにはあった。
幸いなことに、上空に敵機の姿は見られない。もっとも敵機がいたとしてもこの視界の悪さではお互い発見は難しいだろうが、例え少数だとしても僅かな手勢にとっては脅威となる。なんとしても見つかるより先に見つけようと総員目を皿のようにして獲物を求める。
黒く霞んだ海面に目を凝らすと、ひどく乱れた航跡の中に整然とした隊列を保ったまま砲戦を続ける戦隊が目に飛び込んできた。巨大な戦艦二隻を先頭に、巡洋艦級四隻が続航している。この距離では詳細がわからないが、獲物がいるのはあちらに違いあるまい。ぐっと機首を巡らせ緩降下で加速しつつ編隊は戦艦群へ近づいていく。
もやを突っ切り、艦の詳細が見下ろせる位置まで接近した。接近すると艦級がはっきりわかる。
手前側の艦隊は帝国海軍の前衛部隊だ。後方から、日本戦艦最古参たる金剛型の二隻、長らく連合艦隊旗艦として親しまれた『長門』に『陸奥』。そして、三万トンを超える戦艦すら小さく見えるような巨大な新鋭戦艦二隻が先頭を走っていた(後に世界最大最強の戦艦『大和』『武蔵』と知る)。
対する奥側は米艦隊はノースカロライナ型の四隻(実際はサウスダコタ型)と細長い巡洋戦艦(アイオワ型)が二隻。この両艦隊が互いに砲火を交えつつ並走していた。
上空から見たところ、すでに戦闘開始から時間が経っているらしく幾らかの艦は煙を噴いていた。我が方の先頭を進む最新鋭戦艦はその巨体に違わぬ防御力で敵弾を弾き返しながら敵戦艦を痛めつけているが、後方に位置する金剛型の一隻はもと巡洋戦艦の装甲の薄さが祟って既に半身不随の有様だった。既に三番砲塔はめちゃくちゃに壊され原型を留めておらず、四番砲塔も砲身が天を仰いだまま止まっている。どうやら敵の巡洋戦艦二隻から集中射撃を受けているようで、行き脚が止まっていないのが幸運といった様相だ。
私の目には、このまま行けば勝ちそうな先頭同士の戦いに水を差すよりも俊足の老嬢を救うのが得策に見えた。
果たして、指揮官の考えも私と同じようだった。攻撃目標、敵五番艦。なるたけ無傷で一等大きい敵戦艦への集中攻撃だ。「突撃準備隊形ツクレ」を意味するトツレ連送を電鍵が叩いた。
五機は敵味方識別の連続バンクを振りながら一気に降下した。戦艦同士の饗宴が水柱の回廊をつくるなか、いよいよ超低空雷撃を敢行するのだ。
我々の列機が左に、下田少尉の機が右に緩くバンクを切り離れていき、編隊が大きく扇形に別れた。砲戦を続ける戦艦列の味方側、四番艦の戦艦『陸奥』の前後からの侵入だ。二番機三番機は増速して左前方に占位している。これを鶴翼の陣と呼ぶ。鶴が翼を広げたように両翼が前進した陣形で敵艦を挟み込むように飛ぶ。我が機は隊長機のため真ん中だ。
各機が十分に離れたのを見計らって、「全機突撃セヨ」を意味するト連送が発令された。各機さらに高度を下げつつ、今度は広げた扇の先から骨に沿うように突撃を開始した。もちろん要の位置には目標の敵艦が居る。
そうこうしている間にも敵艦との距離はぐんぐん近付いている。爆撃やK魚雷のときは爆撃手が照準から投下まで行うが、今回は雷撃なので測的や方位角の読み上げなど補助的な役目となる。距離四万、このまま行けば発射角九〇度の理想的な発射ができそうだ。
どうしてこんな事になるかといえば、敵艦は現在わが艦隊と砲戦の真っ最中だからだ。戦艦が砲撃する際には針路と速度を一定に保つ。そうでなけでば砲撃の諸元が狂ってしまって命中が見込めないからだ。だが、一定の速度で一方向に進む目標など演習の的と変わらない。
ペラが海面を叩きそうなほどの低高度を、菊の御紋を真横に見ながらすり抜けた。距離は三万を切った。遅ればせながら爆弾倉扉を巻き上げ、鈍く光る航空魚雷を露出させる。少しでも同士討ちの危険を減らすためだろう。この海域まで米重爆が攻撃範囲に入れているとは聞かないが、念のためだ。
慌てたように敵艦の高角砲が火を吹くが、砲戦の損害により数を減らしているうえに舷側より下を飛ぶ大攻を撃つには俯角が足りず脅威とはならない。だが、久方ぶりの対空砲火に晒される数分は地上での数時間にも思えるほど長かった。
永遠とも思える数分の後、距離一五〇〇を叫ぶ声がした。当然自分の声なのだが、それに気付いた時には既に最初の魚雷が機を離れていた。
僅かづつ機首を振りながら一秒間隔で放たれた魚雷は四本。そのすべてが無事着水し、泡を曳いて走り出したことが後部銃座から知らされると機内に喚声が上がった。皆、口には出さなかったが、初めて降りた基地で積み込んだ魚雷がちゃんと走るのか不安だったのだろう。
そのまま低空を飛び、敵艦の前方を抜けた。この瞬間、雷撃を行った各機の進路が交差し、手を伸ばせば触れられそうな距離を僚機が飛び抜けていく。訓練でも最も事故の多い時であり、一瞬緊張が走った。
もちろん歴戦の大攻乗りたちは見事な阿吽の呼吸で巨人機を操り、すばやい身のこなしで互いを避ける。幸いにして、全機無事のようだ。
掌中のストップウォッチが時を刻む。まもなく着弾時刻だ。といっても、機首に陣取る私には遥か後方の敵艦は見えない。後部からの吉報を今か今かと待つ。
発射から一分足らず後、後部銃座から命中の声が上がった。ほとんど回避行動をとらなかったのか、確認できただけで水柱は七本。実に命中率は三分の一にのぼる大戦果だった。敵艦は爆沈こそしなかったものの行き脚をとめて大傾斜しつつあり、撃沈確実と見られた。
大攻全機で集合して編隊を組み直す。眼下に広がる大海戦の結末を見届けたくはあったが、先程から盛んに戦闘機を呼び出しているとおぼしき無電を傍受していたし、魚雷を持たない攻撃機ができることなどあまりないので退避行動に移る。
帰路、ペリリューから出撃した本隊から敵艦隊発見の報が飛び込んだ。戦艦五隻を含む艦隊に対しK魚雷で攻撃を敢行、一発の命中を確認したとのことだった。
こうして、私のマリアナ沖海戦は終わりを告げた。この戦いで日本軍は一線級搭乗員と艦隊機動戦力の過半を喪い、以後の作戦遂行能力をなくしてゆく。
この海戦で戦艦『金剛』『陸奥』、空母『赤城』『翔鶴』『飛鷹』『龍驤』ほか多数が沈没・損傷。特に巡洋艦・駆逐艦の被害は大きく、前進部隊に属して米水上部隊と交戦した巡洋艦九隻のうち六隻、駆逐艦九隻のうち七隻までが失われた。なかでも旗艦であった『愛宕』は水雷戦隊の援護のため先頭に立って突撃し、新鋭巡洋艦『クリーブランド』を撃沈するも巡洋艦『インディアナポリス』『サンファン』の猛射をうけ沈没、司令長官は艦と運命を共にした。戦艦『大和』に座乗する次席司令官は水雷戦隊の壊滅と無傷の戦艦部隊接近の報をうけ戦線突破は不可能と判断、前進部隊全艦に反転を命じた。機関部を損傷し撤退が叶わなかった戦艦『陸奥』は単艦よく奮闘し、同じくビッグセブンと讃えられた『メリーランド』に手傷を負わせるも旧式戦艦群により袋叩きにされ沈没、追撃を諦めさせ殿の役目を果たした。
さらに決戦兵力であった基地航空隊号して一千機も壊滅してしまい、この時点でマリアナへの出撃が可能であったのは我々七六一空を除けば硫黄島の八幡部隊のみであった。出撃が可能であったといっても両部隊とも損耗により機体定数の三割を割り込む程度しか稼働機は残されておらず、サイパンを救う手立てはなくなってしまった。
海戦終了後、グアムで搭乗員の救出と補給を済ませペリリューの原隊に復帰した大攻五機は本隊と合同した。敵部隊を求めて索敵に出動するも会敵せず、サイパン島アスリート飛行場への爆撃を行うも護衛空母より発進したと思われるグラマンの迎撃を受け損害を重ねた。七月十日、わが隊はついに本土へ撤退、同日サイパン島守備隊は総員玉砕し同島は陥落した。
この海戦でわが軍は米軍の新鋭戦艦『サウスダコタ』『インディアナ』『アイオワ』、空母『ヨークタウンⅡ』『バンカーヒル』『カボット』『バターン』『サンジャシント』ほか巡洋艦五隻を撃沈、多数を撃破するもマリアナ侵攻を断念させるには至らなかった。それどころか、半年もしないうちに損害から回復してパラオ、フィリピンへと駒を進めて来ることになる。
それに引き換えわが軍はこの海戦で被った損害を敗戦の日までついぞ回復させる事ができなかった。大攻隊も多くの戦果をあげるも実に五〇機近い損害により当分の間行動不能に陥り、以後マリアナ沖海戦時のような大編隊による機動部隊強襲作戦をとることは無かった。
(注1)……という設定