攻撃目標敵戦艦2(第二次ソロモン海戦)
陸攻八機からなる索敵隊が飛び立って一時間強、今度はわが木更津空の出撃だ。プロペラが回され、両舷四つのエンジンが快調に始動した。爆弾倉の薄い扉を踏み抜かないように用心しながら爆弾の安全ピンを静かに引き抜く。
操縦席につくと、僚機の機長が右手を挙げて出発準備よしを知らせてきたのでこちらも手をあげて答える。各機の準備が整ったと確認し、頭の上に設えられた小さな神棚に武運長久を祈った。
飛行隊長の原少佐直属である第一中隊、落合大尉の第二中隊に引き続き、わが第三中隊が発進する。目指す戦場はガダルカナルよりさらに向こう、直線距離で往復二五〇〇キロの彼方である。当然ガ島往復でさえギリギリの零戦が飛べる距離ではなく、戦闘機の護衛はない。陸攻ですら攻撃装備では往復出来るかどうかと言えばどれほど遠距離かわかるだろう。
道中はいたって平穏な飛行だった。高度は三三〇〇メートル、わが三中隊の九機は原少佐率いる一中隊の右後方二〇〇〇メートル付近を飛行している。
飛行隊長の原少佐は飛行艇の出身で、飛行艇乗りらしく温和で紳士的な人物だった。当時の海軍部内での一般的な評判として、パイロット地上員問わず陸上機や戦闘機のような小型単座機ほど元気のいい暴れん坊で、水上機や大型機ほどおっとりした紳士であるとされていた。陸攻でも野中一家のようなちゃきちゃきの勇み肌という例外が無いわけではないが、概ね穏やかな人物が多かった。それと比べても原少佐は落ち着いた人物だったが一方で大変な健啖家でもあり、何でも美味しそうに食べる人だった。木更津に来る前は空技廠でテストパイロットをしていたといい、まさに大攻を知り尽くした人物といえる。
昼前、ガ島北方に差し掛かり、接敵も間近と予想される時間となった。だが所々に浮かぶ積乱雲以外は特に代わり映えの無い穏やかな飛行が続く。自機のエンジン音だけが響き渡り、海面は不気味な静かさを湛えている。
副電信員の田尻二飛曹が紅茶を入れてくれた。魔法瓶から出したての紅茶から湯気が立ち上る。そうだ、今のうちに昼飯にしよう。まだ昼には早いが、腹が減っては戦にならぬ。
交代で少し早い食事が始まった。航空糧食には兵も士官もなく、皆同じものを食べる。今日の糧食は大きな握り飯が二つに卵焼きと昆布巻き、さらにこれまた魔法瓶に入った熱々の豚汁。主計員の心遣いが全身に染み渡るようだ。これから始まる戦闘のことなど忘れたように皆一心に糧食を平らげた。
間も無く進出距離が六五〇カイリに達し、そろそろ索敵隊も進出限界点を超え復路に入った頃合いかと思っていると、主電信員の灰原上飛曹が何やら鉛筆を走らせている。その姿に私はピーンと来た。敵情報告に相違あるまい。
≪敵空母見ゆ、南緯八度三〇分、東経一三五度五五分、一一〇〇≫
待ちに待った敵発見の報告だ。敵艦隊はスチュワート諸島付近にいる!
だが、この電報はラバウルから転電されており一時間も遅れていた。直ちに編隊は針路を南東に切った。前方に見える積乱雲、あの向こうに敵艦隊が居るに違いない。わが木更津空の大攻二十六機は積乱雲を右手にかわしながら敵艦隊を探し求める。
そうしている間にも続々と敵情が舞い込んでくる。どうやら敵艦隊は二群に分かれており、それぞれに空母が一隻ずつ。片方には戦艦も含まれており、東方へ進んでいるらしい。
ご両名、戦艦は頂きますよ。そう心の中で呟く。というのも、出撃前の打ち合わせで目標について定めたとき、三中隊は戦艦がいた場合には戦艦を目標とすると決めていたのだ。
なぜなら、先に述べた通り一中隊、二中隊は魚雷を積んでいるが、わが三中隊は爆弾である。それも、新型の一五〇番五号爆弾だ。この全重一五〇〇キロの爆弾は大攻の為に開発された専用の徹甲爆弾で、詰められた炸薬はなんと五〇〇キロ。艦艇用の酸素魚雷とほぼ同じ炸薬量を誇る戦艦殺しだ。これを各機二発づつ積み込んでいる。
ただ、欠点も存在する。戦艦以外の目標に投下すると、その貫通力が過大となり船底を突き抜けて海中で爆発してしまうおそれがあるのだ。更に、投下高度が高すぎると衝撃に耐えられず自壊してしまうという曰く付きの代物だという。なんともやくざな話だが、新兵器とはそういうものだろう。とりあえず、戦艦に対して高度二五〇〇から三〇〇〇メートルで投下すれば米新鋭戦艦の二五五ミリアーマーをぶち抜くことができる、ということさえ分かっていればよいのだ。
とまれ、今回は戦艦がいるのだ。もし戦艦がいなければ、二〇〇〇メートルで侵入して雷撃隊から敵の目を逸らす囮になろうとか、空母に対して至近弾や過貫通であっても炸薬が五〇〇キロも入っていれば何かしらの損害は与えられるだろうとか考えていたが、どうやら無駄になったようだ。
積乱雲を回り込むと、眼下に二つの輪形陣が姿を現した。米機動艦隊だ。空母を中央に配し、巡洋艦らしき艦と駆逐艦がそれを護るが如く取り囲んでいる。距離は三万メートルといったところか。
先頭の指揮官機が大きくバンクを振った。全軍突撃せよだ!
巡航速度で飛行していた大攻隊が弾かれたように加速する。一中隊と二中隊は必殺の雷撃をお見舞いすべく緩降下に入った。わが三中隊は戦艦とおぼしき艦のいる群を目指す。わが隊が向かう群れには落合大尉の二中隊も降下してゆく。原少佐の一中隊は単独攻撃を仕掛けるつもりらしい。
しばらくすると、敵の上空でキラキラと光るものが目に入った。敵の直掩機だ、と思ったがどうも様子がおかしい。こちらに向かっているという動きではないのだ。むしろ、明後日の方向に翼を翻したような動きに見え、ひどく混乱しているようだ。編隊もいくつもに分かれてしまっている。
そのまま進んでいくと、ようやく様子が分かってきた。あの動きは混乱しているのではなく空戦機動だったのだ。後で知ったことだが、先の索敵隊からの無電を傍受した南雲機動艦隊はすぐさま攻撃隊を発艦させ、空母『翔鶴』『瑞鶴』を発進した戦爆連合およそ四十機がほぼ同時刻に敵艦隊に殺到しつつあった。これに対し、敵の直掩隊は大攻隊より艦上機隊を先に発見しそちらに向かった。その後に母艦からの無線電話でわが大攻隊に気付いたが、既に戦闘に入った機もあって誘導がうまく行かなかったと思われる。この時はそのような細かい事情にまで思い至らなかったが、うまく母艦隊とタイミングが合って、水平爆撃、急降下爆撃、雷撃の三方向同時攻撃となったことはわかった。まさに天祐我にあり、だ。
目の前に黒いもやが生じた。
と見るや機体がガクガクと揺さぶられ、ドダン、ダダンという炸裂音が響く。対空砲火だ。空いっぱいに高角砲の弾幕が広がる。わが軍の対空弾幕とは段違いで密度が高く、空を覆い尽くさんばかりだ。とはいえ、各高度から一斉に襲い掛かるわが海鷲に照準を絞り切れないでいるようだ。時折近くで敵弾が炸裂すると、機体がぐらぐらと揺すられ火薬の匂いが機内にまで吹き込んでくる。時折する金属音は何かしらの破片が機体に命中した音だ。臍の下に力を入れて恐怖に耐える。部下の前で無様な姿を晒す訳にはいかない。
「みぎー、みぎー、ちょいみぎー、もどせー、よーそろー」
機内電話から偵察員の指示が聞こえる。それに合わせ、操縦輪を握る伊吹兵曹が機の針路を微調整していく。
爆撃照準を行う北上主偵察員は爆撃の特修生を卒業した爆撃手で、爆撃照準については格段の技術を持っている。この特修爆練を出た偵察員と、その指示に従い水平飛行をする操縦員の息がぴったり合えば、例え高度五千メートルからであっても狙った位置から十メートルも外さず爆撃を命中させるだけの腕を持っているのだ。水平爆撃はチームワークだ。彼の誘導に従い、この中隊全機が編隊爆撃を行う。彼の照準如何が爆撃の成否を決めるのだ。各機の操縦員はわが長機と同じように水平に飛び、同じタイミングで爆弾を落とす。ちょうど戦艦の斉射と同じように敵艦の未来位置にその散布界で網を被せるのだ。だが、この一五〇番爆弾と同じ重さの徹甲弾の炸薬重量は僅かに数十キロであり、爆弾の投下数は戦艦の斉射数の倍ということを考えればその威力は計り知れない。
「爆弾倉扉あけー」
ガラガラと音を立てて十メートルを超える長大な爆弾倉下面を覆っていた扉が巻き上げられ、腹に抱いた大型爆弾が露になる。この扉付き爆弾倉も本機から採用された新式のもので、これ以前の機体では爆弾や魚雷は全てむき出しで搭載されており、大なり小なり空気抵抗を生じていた。以前乗っていた中攻など胴体の外側に吊るしていたのだ。その証拠に、爆弾倉扉を開けると空気抵抗で速度が落ちるのを感じる。陸攻隊などはいつもこのまま飛んでいるのかと思うと同情を禁じ得ない。
間も無く投下だ。敵艦は眼下に迫り、もうわが愛機の鼻先に隠れて直接姿を見ることはできない。視界の右側に激しく対空砲火を撃ちあげる巡洋艦が見える。艦全体から炎を噴き上げるように弾幕を作り上げてある。目標はどうやら我々ではないらしいが、識別表で見た覚えがない。もしかしたら新型の防空艦だろうか。何にせよ、撃たれ続けるのは恐怖以外の何物でもない。下からは機銃弾とおぼしき火箭も飛んで来だした。焦燥感に胃の下あたりがチリチリするのを感じながらその時を待つ。
「投下用意!」
ついにその時が来た!
「ってー!」
北上兵曹の鋭く叫ぶ声と共に、後ろからパスッ、パスッという爆弾が解き放たれた音が聞こえた。一挙に三トンも軽くなった機体がぐわっと浮き上がる何とも言えない感覚に襲われる。列機も投下に成功したようだ。そのまま右にバンクをかけつつ増速、空域を離脱する。
「アッ!」
尾部銃座の方から短い叫びが聞こえた。弾着にはまだ早い。すわ中隊機に損害が、と思わず頭を振って列機の無事を確かめるが、全機ぴったりとついて来てくれている。では下か、と首を捻ると、まさに胴体から炎をたなびかせた大攻が緩い円弧を描きながら飛んでいるのが眼下に見えた。ヨークタウン型空母に雷撃を敢行した二中隊機だろう。
ほうき星のように尾を引いた大攻はそのまま弧を描いて飛び、いましがた投弾した敵戦艦に機首を向けるとそのまま真っすぐ吸い込まれるように煙突付近に突入していった。長大な両翼がちぎれ飛び、突入機の燃料タンクに残っていたガソリンが一気に燃え上がる。誰の機だろう。美しい、壮絶な最期だ。
そうして味方機の最期を見届けていると、突如として敵戦艦を灰色の水柱が包み込み、艦橋と煙突の間あたりと前部主砲塔の間から黒い爆発煙があがった。やった、命中だ!
中央部からちろちろと火の手があがり、白い煙がもくもくと広がっていく。撃破は確実だろう。弾着写真も撮れたことだろうし、引き上げるとしよう。そう思って敵艦から目を離そうとした瞬間だった。
突如として敵戦艦の居たあたりから真っ黒な煙柱が立ち上った。なんだ、と訝しんだ刹那、凄まじい轟音と共に衝撃波が機体を揺さぶった。艦の弾薬庫に火が回ったのだろうか。思えば、最初の白い煙は水蒸気爆発だったのだろう。高温高圧のボイラーが破壊され浸水すれば、如何に巨大な戦艦と言えどひとたまりもあるまい。急速に傾いていく艦橋がますます濃くなる煙に紛れて見えなくなる。あの様子では生存者も少ないことだろう。
私は伊吹兵曹から操縦を受け取ると、機首を帰投コースに乗せた。後方に遠ざかりつつある敵艦隊からはいくつかの噴煙が立ち上っている。天まで届かんばかりのキノコ雲を噴き上げているのは件の戦艦だろうが、輪形陣の中央に陣取る空母も二隻とも傾いているように見える。片方は炎上しており、駆逐艦が横づけしようと近づいていた。また敵戦艦が小爆発を起こした。もう手のつけようがないのか、護衛の艦も遠巻きに見守るしかないようだ。
敵艦隊の対空砲火も下火になり、その射程圏外に逃れ出たとみられる。あるいは単に逃げる機を深追いしなかっただけかもしれないが、とかく無事に攻撃を完了した。僚機を見渡してみても、中隊全機が健在である。何機かは胴体や翼に弾痕が目立つが、編隊に遅れず追従しているところをみると飛行に差し支えはないらしい。あれだけの弾幕を潜り抜けて損害なしとは運のいいことだ。そう安堵したその時だった。
突如として耳障りなブザーの音が鳴り響く。敵機来襲の合図だ。
「五時方向、やや上方にグラマン!」
やって来なさった、送り狼だ。母艦をやられた仇討ちにやって来たらしい。おそらく帰る家をやられて怒り心頭なのだろう。まっすぐこちらに迫って来ている。
さあ、合戦用意。皆が機体各所に設けられた銃座に一斉に取り付く。こちらには直援の戦闘機がない以上、自分の身は自分たちで守るより他ない。ここまで無事に来たのに今更喰われては堪らないと、わが中隊は編隊間を詰めて防御火力を集中させる。互いの銃座の死角を補いあい、射撃できない空隙を潰すのだ。
敵機は相変わらず右斜め後ろから迫ってくる。数は十機程度か。彼らはわが大攻の銃座配置を知らないらしい。今敵機には尾部、後部上面、後部右面の三つの銃座が指向しており、これはわが大攻が最も火力を発揮できる位置だ。
一斉に機銃座が火を噴いた。密集隊形から放たれた数十条の火箭が空を彩る。敵グラマンは射撃にひるんだ様子もなく突っ込んでくる。恐れを知らないのか、分厚い防弾を頼みとしているのか、あるいは舐めているのか。
「撃って来たら知らせろ!」
敵機を見張らせるよう叫びながら操縦輪を握る手に力をこめる。二十ミリ機銃の発射音が断続的に響く。その重い音がなんとも頼もしい。機銃から飛び散った薬莢が機内に散乱して足元でじゃらじゃらしている。
「来ました!」
グラマンの銃口から火が迸る。その瞬間、私は操縦輪をぐっと押し込んだ。胃の腑を持ちあげられるような不快感と共に機が降下姿勢に入る。頭上を先頭のグラマンが十三ミリ機銃のシャワーをバラ撒きながら通過する。と同時にものすごい衝撃が機体を襲った。
しまった、やられたか――誰かが後方で叫ぶ声につられて左を見ると、なんと翼が火を噴いている。
ああ、私も年貢の納め時か、いよいよもって私の番が来たか。ひとたび空中火災が起これば助からない、それが当時の常識だった。
こうしてみると思い出されるのは郷里の姉の顔だ。年の離れた姉だったが努力家で、今は女学校で教鞭を執っている筈だが息災だろうか。白昼夢のように親の顔、きょうだいの顔、懐かしい光景が眼前を走るが、手だけは反射的に機体を降下させる。万に一つでも加速して風圧をかければ火が消えるかもしれないからだ。
ついに私も靖国へ逝くのか、そんなことを考えていると、どこからかサイダーの気が抜けるようなシューという音が聞こえてきた。
「やった! 消えました! 火が消えました!」
操縦員が喜色にまみれた声をあげる。ああ、自動消火装置が働いたのだ。すっかり消火装置のことが頭から抜け落ちて、両親に先立つことを詫びていたのが急に恥ずかしくなった。
左に座っている兵曹と目が合ってしまったので、照れ隠しに敢えて目を合わせてニカッと笑っておく。その後二言三言かわしたと思うが記憶にない。
その後、グラマンをようやく振り切ったわが中隊は発動機に被弾し遅れ気味となった二小隊三番機を労わりながら復路の行程を消化し、ラバウルへと帰還した。
帰還してわが機を外から見ると、突き刺さった高角砲の破片や十三ミリ機銃の大小さまざまな弾痕が合わせて百近くもあり、攻撃の激しさと大攻の打たれ強さを再確認することができた。なかでも、整備員に見せられた自動消火装置の熱電対の溶け落ちた残骸などは、これが身代わりとなってわれらを救ってくれたと思うと感謝することしきりであった。
多数被弾しつつも欠けることなく帰ってきた水平爆撃隊の一方で、敵艦に肉薄攻撃を行った雷撃隊の損害は甚大なものであった。原少佐直卒の一中隊は五機が還らず、二中隊はなんと二機しか還らなかったのだ。未帰還機の中には落合大尉の機体も含まれていた。その最期は一小隊で唯一生還した機の乗員から聞いた話だとこうだ。大尉は敵空母へ先頭を切って雷撃を仕掛け、魚雷二本を空母へと命中させたのち被弾炎上、敵戦艦へと自爆して果てたという。
私と同期だった落合大尉は練習機時代から長く同じコースをたどっていたが、時折「いざという時は主力艦と刺し違えになっても沈めてやる」と言っていた。気負った様子でもなく、普段の落ち着き払った調子のまま言ったまさにその言葉通り、彼は敵艦に突入して刺し違える形で逝ったことになる。
のちに第二次ソロモン海戦(米軍側呼称東部ソロモン海戦)と命名されるこの海戦にて、両軍三隻ずつの空母と基地航空隊が交戦をおこなった。結果として、日本側は本隊と別行動中だった空母『蒼龍』が大破、艦上機十八機と大攻十一機を喪失。引き換えに空母『サラトガ』、戦艦『ノースカロライナ』を撃沈、空母『エンタープライズ』、巡洋艦『アトランタ』を撃破した。この勝利により日本側が制海権を握ったことで陸軍川口支隊四千名のガダルカナル上陸が成功し、半年にも及ぶ泥沼のガ島戦が幕を開けたのである。
(注1)……という設定