『廃遊園地の赤ずきん』
今年最後の投稿です。楽しんでいただけたら光栄です。
※第八回ネット小説大賞一次選考通過作品
1
―――――――――ギシリ。
風に揺れて軋む金属音に琢磨は思わず肩を震わせた。
12月24日のクリスマス・イヴ。色鮮やかなイルミネーションが街を美しく染め上げ多くの恋人たちが甘い睦言を交わし合っているというのに、どうして自分はこんな寒空の下、寂れた廃遊園地に訪れているのだろうか、自問自答を繰り返す。
「杏子、もう10時過ぎたし帰ろうぜ」
自分を連れ回している可愛い恋人に琢磨は速やかに提案をした。あまり知られていない穴場の廃墟が川越市にあると言い出したまでは良かったのだが、まさかイヴの夜に連れてこられるとは思いもしなかった。
「えーせっかく来たのに勿体ないよ琢磨」
ボロボロになった汽車の上で杏子が無邪気に笑った。彼女が動くたび静まり返った園内にギッギッと鈍い音が響き渡る。それが酷く琢磨を不安な気持ちにさせ堪らず恋人を無理矢理その場から降ろした。
「『埼玉おとぎの国遊園地』か。確か廃園になったのって8年前だっけ?」
知らないと素っ気なく返すも杏子はうきうきとした表情で今度は錆びついたメリーゴーランドへと向かっていった。彼女と付き合ってそれなりに経つがどうにもこの『廃墟巡り』という趣味だけは理解出来ずにいた。いつ崩れるとも知れないボロボロの廃材や鉄屑の塊を見て一体なにが楽しいのだろうか?
「そんなものより俺は早く家に帰ってDVDの続きを見たいんだけどな」
昨日2人で見ていたファンタジー映画は主人公の少年が巨大な化け物に襲われたところで止まっている。睡魔に負けたとはいえかなりの序盤で挫折してしまった。
「なあ、マジで帰ろうぜ。こんなとこいたってつまんないし帰りにファミレスにでも寄って温かい食い物でも…?」
気づくと杏子はただ一点を凝視したまま呆然と立ち尽くしていた。両手で口許を抑え何かに耐えている様子にただ事ではないと察し一瞬躊躇するも琢磨はすぐさま彼女のもとへと走り出した。
「杏子!どうした何かあったのか」
肩を掴んで自分の腕の中に引き寄せるとタガが外れたようにガタガタと震えだした。酷く怯えた様子に困惑する。
「た、琢磨…あれ、あれなに…?」
か細い声で彼女が指差した方向にはメリーゴーランドがある。塗装が剥がれ朽ちた回転木馬が想像していた以上に不気味で足がすくんでしまったのだろうか?
「…ん?」
―――――――待て。暗くてよく見えないがメリーゴーランドの支柱に『何か』が座り込んでいるのがうっすらと見える。
ホームレス?いや、人間にしては頭部が異様にでかい。もしかして何か被っているのか?でも、何のために?
琢磨は恐る恐る懐中電灯をかざし正体を突き止めようとした。そして信じられない光景を目の当たりにする。
四肢をだらりと投げ出した人物は何故か狼の被り物をしておりピクリとも動かない。一見すると巫山戯た酔っぱらいが眠りこけているように見えるが、至るところに飛び散った赤黒い飛沫、人物の周りに濁った水溜まり、群がる蠅、鼻につく鉄錆の臭いがこれら全てが異常だと物語っていた。
おいおい嘘だろ?あれは、まさか、まさか―――――――――。
耳を裂くような杏子の悲鳴が闇夜に谺した。
2
神田神保町から首都高速5号池袋線と関越自動車道を経由し、車に揺られること約1時間30分。私と先生が埼玉県川越市池辺周辺へ到着した時には既に午後1時を回っていた。
川越市は江戸時代、親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で『小江戸』という別名でも知られている。周りには城跡・神社・寺院など歴史的建造物が数多く点在し、国から『歴史都市』に認定されている。随所にみられる名所には季節を問わず多くの観光客が訪れる市内でも有名な観光スポットだ。
とは言え、なにも散策MAP片手に古き良き日本文化に触れるのが目的ではない。悲しいかな、例のごとく殺人事件の捜査のために訪れたのだ。
事件の関係者が警察署に集まり事情聴取を受けているそうなのでそのまま真っ直ぐ向かうはずだったのだが、予定を変更して私たちは純喫茶『la mer』で空腹を満たしつつ事件の簡単な概要を聞いていた。その原因は乗車して間もなく先生が爆睡してしまったうえ起きたら起きたで「腹が減って力が出ない」とかどこぞのヒーローみたいな我侭を言い出したせいだ。
店内は木の温もりが溢れ静かに流れるクラシックも相まってとても居心地が良い。長旅の疲れが取れそうだ。
「もう一度聞くぞ。遺体はどういうわけか狼の被り物を被ったまま死んでいたんだな?」
先生は大盛りのオムライスをパクつきながら川越警察署の土師警部に質問をした。
「えぇ、全くもってイカれた犯人でしょう?せっかくのクリスマスだってのにこっちはたまったもんじゃありませんよ」
50代後半の中年警部の眉間に見事な縦皺が刻まれる。いかにもヤクザのボスといった風体である彼の威圧感が更に増した。
それにしても、狼の被り物…。なんだろうかこの既視感。似たような事件を何処かで聞いたような…。
「俺の記憶が正しければ前にも同じような事件があった気がするんだが」
「それは22日に起きた東京都あきる野市での事件ね」
警視庁捜査一課の桐生櫻子警部が優雅に足を組み直し、その反動で大人の色香醸し出すワンレングスカットが左右に揺れた。彼女の言葉で私は思い出す。
「あぁ、そうだ『狼殺人事件』だ。新聞の見出しにでかでかと載ってましたよね。確か今回と同じように現場が廃遊園地で遺体の頭に狼の被り物が被せられていたんでしたっけ。じゃあまさかこれは同一犯による連続殺人事件なんですか?」
なるほど、だから警視庁と川越警察署の合同捜査となったのか。納得だ。
「その可能性は非常に高いわ。あきる野市でも川越市での事件も遺体の状態が犯人しか知り得ない装飾が施されていたからね」
「装飾?」
先生の眦がぴくりと上がった。
「土師警部、申し訳ないのだけど先にこちらの事件から話しても良いかしら?出発点から説明した方が分かりやすいと思うので」
強面警部はスパゲッティをラーメンのように啜りながら「えぇ、もちろんですとも」不器用に笑った。
「それじゃあお言葉に甘えて。被害者の名前は喜多川智則、68歳。職業は黒磯製作所って小さな町工場の作業員で5年前に廃園した『東京ワンダーランド』の観覧車に凭れるようにして亡くなっていたわ。血痕の量からみて被害者はこの廃遊園地で殺されたことに間違いないわね。第一発見者はこの廃遊園地の管理人で死亡推定は12月22日の午後9時から11時の間。死因は腹部を刺されたことによる出血性ショックの失血死。凶器はまだ見つかってないわ。で、ここからが本題なのだけど摩訶不思議というか奇妙奇天烈というか、被害者は狼の被り物を被っていた以外に腹部を切り裂かれていて何故か石をごっそり詰め込まれていたのよ。これはマスコミにも流していない非公開の情報よ。この時点で模倣犯による凶行という可能性は除外されるわ。死亡解剖の結果、切創の深さや傷口の状態からみて被害者を刺殺したのも腹部を切り裂いたのも同じ裁ち鋏だと分かったわ。これがあんたを連れてきた理由。専門家としての意見が聞きたくてわざわざ神保町の自宅にまで拾いに来てあげたってわけ。感謝しなさい」
「誰が感謝するかバーカ!」
子供みたいな悪口を吐いているぼさぼさ髪の男性は鬼頭宗一郎、35歳、職業は犯罪心理に長けた専門学者でもプロファイラーでもなく推理作家だ。彼は相談役と称して警察から捜査協力を依頼されることがある。大半は彼の義姉である桐生警部からだが、その推理力が評され噂を耳にした他の部署からもしばしばお声がかかるのだ。(出不精なので本人は嫌がっているが)
紹介ついでに言うと私の名前は九重千紘、15歳。どこにでもいるごく普通の男子高校生でとある事情から先生の元で助手としてお世話になっている。と、言っても助手とは名目ばかりで、ようは面倒臭がり屋で出不精な彼の代わりに身の回りの世話や資料集めをする所謂ただのパシリである。
「…鋏が凶器」
狼が、鋏で腹を切り裂かれて、石を詰め込まれて、死んだ。んん?この内容、どこかで聞いたことがあるような…。
「赤ずきんです」土師警部だった。
「川越で起きた事件の第一発見者が遺体を見つけた直後、逃げる人影を目撃していたんですが」
「それが『赤ずきん』だったと?」
「はい。遠目からでしたが確かにフードを被った赤いコートの人物だったとしっかり供述しています。嘘をついているようには見えませんでしたし嘘をつく理由もありません。信用に値する確かな証言と言えます」
「赤ずきんが狼を殺す、ね」空になった皿にスプーンを放り投げた。「非力な少女も随分と逞しくなったもんだな。しかもグリム童話の方ときたもんだ」
「グリム童話の方?と言うと他にも似た話があるんですか?」
土師警部が尋ねると先生は「あぁ」と気怠そうに答えた。
「グリム童話が出来るよりもずっと前、100年以上前にペロー童話集ってのがあってな。それ以前の話としてスウェーデンの民話やフランスのメルヘンなんかの類話が確認されているんだが…そこは面倒臭いから省略する。で、そのペロー童話集では赤ずきんと婆さんが狼に食べられて物語が終了なんだよ。猟師も出なけりゃ救いもねえ、『親の言う事を聞かず見知らぬ奴の話に耳を貸しその挙句寄り道までしたのだから悪い狼に食い殺されても仕方がない』って教訓付きでな」
土師警部が途端に渋い顔をする。
「いくら教訓とはいえ嫌な話ですな。では猟師が登場したのはグリム童話から?」
「いんや、ルートヴィヒ・ティークの赤ずきんだ。ペロー童話で登場しなかった猟師を出し狼を撃ち殺すことに成功したが結局赤ずきんも婆さんも食べられたきり救出されていない。2人が生きたまま救出されるというエピソードを追加したのはグリム兄弟なんだ」
先生が赤ずきんの成り立ちについて講義をする中、私はどうしても我慢できず彼に耳打ちをした。
「先生、これはまさに推理小説でよくある『見立て殺人』ってやつですよ。猟奇殺人犯VS名探偵の戦いの火蓋が切って落とされましたね」
「興奮してんじゃねえよ馬鹿野郎。世間を騒がせたいってクソみたいな動機の劇場型犯罪かもしんねーだろうが。急いては事を仕損じるだけだ、んなことも分かんねえのか馬鹿野郎」
2回も馬鹿呼ばわりされ渾身のデコピンを食らう。酷い。何もそこまでしなくていいじゃないか。
「ところで2人とも。4年前に起きたあきる野市での無差別殺傷事件って覚えてる?」
藪から棒に桐生警部が尋ねてきた。それは、もちろん覚えている。忘れたくても忘れられない、今から4年前の6月6日、あきる野市南ノ川商店街。そこで惨劇は起きてしまった。突如として奇声を発した男が通行人を包丁で次々と襲撃し死者8人、負傷者及び重傷者14人を出す史上最悪の通り魔殺傷事件にまでなった。日曜日で昼間の人通りが多い時間帯だったのが災いし事件現場はさながら戦場のような血の海だったとニュースで報道されていた。
「確か犯人は駆けつけた警察官に取り押さえられて現行犯逮捕されたんですよね」
しかし何故、今このタイミングで昔に起きた通り魔事件の話をするのだろうか?不思議でならなかった。
「その犯人が喜多川智則なのよ」
「え?」
一瞬、彼女が何を言ったのか理解できず固まるが、先生は納得したように黙ったまま頷いた。
「遺族側は死刑を求めたが心神喪失、心神耗弱の状態で責任能力がなかったっつーことで結局無罪になったんだよな。思い出したぜ」
「えぇ、でも心神喪失者等医療観察法に基づき喜多川は社会復帰を目指して指定された治療病院施設に収容されたのよ。でも、あれは弁護士に言われてやった『演技』だと私は今でも思っている」
私はギッと唇を噛み締める。
「…なんですか、それ。罪に問われなかっただけじゃない、たくさんの人を殺して、傷つけて、心に深いトラウマを植えつけておいて何が社会復帰ですか。自分は安全な病院でぬくぬく過ごしていたくせに、あんまりだ」
「そうだな」先生はくたくたのネクタイで黒縁眼鏡を拭きながら「だが、その喜多川は殺された。因果応報、目には目を歯には歯をとは言うが、そうなると犯人は必然的に通り魔殺傷事件に関係した人物が高いんじゃないか?おい、喜多川の収容期間は?」
「約3年よ」
3年、たったそれだけの年月で獣は野に放たれ自由を手にしたのか。遺族や事件に関わった人達がその間、どんな想いを抱いて生きてきたか、私なんかには到底想像もできない苦痛だ。
「それと、あんたに言われるまでもなく遺族のその日のアリバイはとっくに調べはついているわ。でもあの事件以来、其々つらい記憶を封印するように遠くへ引っ越して行ったのよ」
「じゃあアリバイは…」
「画然としたものだったわ。そもそも遠く離れた地からじゃ喜多川は殺せないわね」
だったら一体誰が殺したというのか。若者によるホームレス狩りだったとしても手が込みすぎている。必ず何か理由があって『赤ずきんの狼』を被害者に演じさせたに違いないのだが。
「喜多川に殺された8名はどんな方々だったんですか?」
土師警部が質問する。桐生警部は手帳を捲り粛々と読み上げた。
「当時の記録を見ると亡くなったのは主婦の蕨野友香さん、サラリーマンの佐々城彰宏さん、高校生の羽海野友海さん、安曇康隆くん、貴島景吾くん、小学生の片山葉月ちゃんと美月ちゃん姉妹、金物屋を営んでいた四十万十蔵さんよ。あと、目撃者の証言だと羽海野さんは襲われていた葉月ちゃんと美月ちゃんを身を呈して守ってくれていたみたいなの。警官が急行したときには姉妹に覆い被さるようにして亡くなっていたわ」
桐生警部の話を聞いているうちにまるで自分が実際にあの惨劇の舞台にいるような恐ろしい錯覚を覚えた。
目を瞑ると被害者たちの劈くような断末魔が今にも鼓膜を突き破ってくるようで酷く胸が苦しい。沈痛な面持ちで全員がファイルを凝視する。
もしも、このファイルに載っている関係者の中に喜多川を殺した犯人がひそんでいて結果、逮捕できたとしよう。そのとき私は本当に心の底から事件解決を喜ぶことが出来るだろうか。先生の助手として正義の鉄槌をくだせるのだろうか。言い知れぬ不安が猛禽の爪と化し容赦なく私の体を切り刻んだ。
「大変長らくお待たせいたしました。食後の珈琲とココアです」
明るい口調のまま黒髪をざくざくにカットされたボーイッシュな女性が現れる。すらりとしたモデルのような体躯は綺麗と言うよりは宝塚で男役を演じるような凛々しさが漂っていて格好良い。
彼女の登場と珈琲の芳醇な香りのおかげか暗雲とした雰囲気が一気に和らいだ。
「ありがとう周防オーナー。あぁ、ココアはこちらの方にお願いします」
「かしこまりました。いつもご利用ありがとうございます。ごゆっくりお寛ぎくださいませ」カップを配り完璧な角度の会釈をして彼女は軽やかに去っていった。
「相変わらず珈琲が飲めないお子様舌のままなのね、あんた」
「るっせぇな。あんな不味くて苦い泥水、飲めるわけねえだろ」
それは珈琲を愛飲している方々に大変失礼です先生、謝罪してください。それに泥水と言いましたがあなたは飲んだことあるんですか?というツッコミは速やかに珈琲と一緒に飲み込む。(言ったら最後、何百倍の暴力となって返ってくるからだ)
「うふふ、それにしても土師警部。オーナーととても良い雰囲気でしたがいつもこの喫茶店をご利用しているんですか?」
土師警部は照れ臭そうに後ろ頭を大袈裟に掻いた。
「いやぁ、お恥ずかしいところをお見せしました。この喫茶店は路地裏で営業しているからか穴場でしてね。私みたいな中年親父が人目を気にせずゆっくり寛ぐにはもってこいなんですよ。それと、もうひとつの理由は」珈琲を指差して「これです」
シンプルな白を基調としたソーサーには角砂糖と小さいミルクピッチャーが1個づつ乗っていた。
「あら懐かしい。今時よくあるコーヒーフレッシュじゃなくてミルクピッチャーなのね」
「レトロな喫茶店ならではってね、つい嬉しくて寄ってしまうんですよ。あぁ、砂糖が足りなければテーブルの上にあるシュガーポットから足して下さいね」
警部は自慢気に指導する。
「ありがとうございます。あれ、でも土師警部のソーサーには角砂糖もミルクピッチャーも乗っていませんよ?」
乗せ忘れてしまったのだろうか?だったらすぐに持ってきてもらわないと。私は呼び出しボタンを押そうと手を伸ばした。が、
「あ、これでいいんだよ。私は珈琲を飲む時はブラックなんだ」
警部にやんわりと制止される。
「このお店はね、オーナーと知り合いもしくは常連客になると客の好みに合った形で珈琲を提供してくれるんだ。常連客の証というか称号というか、そんな感じのものさ。どうだい、ちょっとした優越感を味わえるだろう?」
ふふんと得意気に鼻を鳴らした土師警部はそれはそれは美味しそうに珈琲を味わう。怖い顔をしているのでなんとなく近寄り難かったが思わぬ可愛いらしい一面に少し距離が縮まったような気がした。
「ちなみにさっきからミルクピッチャーミルクピッチャー連呼しているが海軍型ミルクピッチャーっつーのが正式名称だからな。お前ら間違えんなよ」
5個目の角砂糖をココアに投入し終えた先生が徐に言う。
「どうして海軍型っていうんですか?」
「諸説あるが、もともと海軍が波で揺れる船上でもカップが倒れないようにしたところからこんなしもぶくれした形を『海軍型』と呼ぶようになったんだそうだ」満足気に一気にココアを呷った。
「あんた、本当にくだらないことばっかり知っているのね。そうやって人の揚げ足をとって細かいところをグチグチネチネチ突いてくるのがあんたの真骨頂ってやつなのかしら」
「お前マジでいい加減しねえと泣かすぞコラ」
「やれるもんならやってみなさいよ。そのときは暴行容疑で豚箱に叩き込んでやるから。喜びなさい変態作家」
「誰が変態作家だ、この毒舌捻くれパワハラ女。だからいまだに独り身なんだよ」
「そっくりそのままお返しするわよ、妄想根暗男」
互いに悪罵の浴びせ合いをしている光景が土師警部の目にどう映ったのか甚だ疑問だが、あろうことか「いやあ、血が繋がっていなくともやはり姉弟。仲が良いですねえ」などと喜びの声を上げる。子猫の戯れ合いに見えたというのか?いやいや、そんなまさかな。
「さて、と。随分と長居してしまいましたね。そろそろ署へ向かいましょうか」
会計伝票を持ち勢いよく立ち上がった。
「すみません土師警部、お時間をとらせてしまって」
「いいんですよ。こっちの事件については最初ここへ来たときにさっくりとお話しましたし、あとは車内で細かな補足を織り込んで説明させていただきます。あぁ、金の心配はせんで結構ですよ。皆さんの飲み食い代はしっかり経費で落としてみせますので」なんとも頼もしい笑顔だ。
喫茶店を出ると冬の重い冷気が木枯らしとともに吹き荒れ、私たちの体温を奪っていく。震えながら携帯で天気情報を確認すると気温は10°にも満たなかった。これは確実に雪が降るだろうな、と呑気に考える。
急いで車に乗り込み、暖房をフルパワーにした私たちは目的地である川越警察署へと発進した。
3
「被害者の名前は我妻英司、22歳。川越文学館大学、人文学部の4年生です。12月24日の午後10時40分頃、『埼玉おとぎ遊園地』で廃墟探索をしていたカップルがメリーゴーランドの近くで彼の遺体を発見しました。先程話したとおりこちらもあきる野市の事件同様、頭部には狼の被り物を被り、断ち鋏で腹を切り裂かれ石を詰められていました。殺害現場も然りです。死亡推定時刻は24日の午後8時から10時30分の間。凶器は見つかっていません」
300mほど進んだところで運転していた土師警部が待ちきれないとばかりに切り出した。混雑していなければ約15分から20分弱ほどの距離なので少しばかり急ぎ足となっているようだ。
「『赤ずきん』を目撃した第一発見者でしたっけ。死亡推定時刻と発見時刻に大差がないから逃げ去った赤ずきんはやっぱり犯人の可能性が高いですね。それにしてもそのカップルはとんだ災難に見舞われてしまいましたね。かわいそうに」
「何が災難だよ。廃墟っつーのは大体は私有地だ。なら不法侵入したほうが悪いに決まっている。バカップルには良い薬になったんじゃねえか、ヘッざまあみろ」
またこの人はそうやって憎まれ口を叩く。確かに先生のいうことは正論だけど少しは他人を思いやるという気持ちを持てないのだろうか。だから他の作家先生や出版社の方々から『黒い悪魔』とか『鬼の皮を被った鬼』とか『自動暴言発言機』などという不名誉極まりない通り名を命名されてしまうんだ。
「いま会議室で被害者と特に関わり合いが深かったサークルメンバーの6名に話を聞いている最中です。といっても我妻さんは3週間前にサークルを辞めさせられていたので元サークルメンバーと言ったほうが正しいですかね。先生方には是非とも聴取に立ち会ってもらいたいんですよ」
辞めさせられた?それはどう言う意味だろうか。古い型の車だったため暖房の効きが悪くかじかんだ手をさすりながら考える。車窓を覗くといつの間にか県道15号線へと入っていた。
「我妻英司は幼い時分からかなり傍若無人な振る舞いをしてきたみたいで悪い仲間とつるんではカツアゲ、傷害、万引きと警察の厄介になることばかり起こした問題児だったんです。父親が金融会社の専務なのをいいことに様々なツテやコネを使って大学に進学できたのは良かったんですが、本人の性格はそう簡単には変わらなかったみたいですね」
「悪いお仲間のアリバイは?」
「酔っ払ったサラリーマン連中と乱闘騒ぎを起こして警察署内でこってり絞られていましたよ」
内容が内容だがこれ以上ない確固たるアリバイだ。仲間内でのいざこざで、という推理はありきたりだったみたいだ。
「辞めさせられたっつーのはサークルメンバー達との諍いがあってのことだよな。原因はなんだ、女か?」
「それも理由のひとつです。『古都散策同好会』というサークルは1年~4年生男女合わせて総勢50名ほどのサークルなんですが、聴取で聞いたところによると彼は常にちょっかいを出してくる、虫の居所が悪いと平気で人を蹴ったり物を投げつける、卑猥な言葉を並び立て女生徒の嫌がる反応を楽しむ、酷い時は気に入った女生徒に対し無理矢理関係を迫ったり暗がりに連れ込もうとする等、日常的に迷惑行為を行っていたんです。しまいにゃメンバー同士で集めていた活動資金を自身の飲み食い代に当てたという被害も発生して強制退部へと踏み切ったんだそうで。教師陣もほとほと手を焼いていたみたいですよ」
「女性の敵というかガキよね。しかも小学生のクソガキ。そんな男、辞めさせて当然だわ」
助手席に座る桐生警部が憤慨する。それには私も大いに賛成だ。しかし、
「殺害するには動機が少し弱くないですか?やり返すならともかくとしてさすがに殺すまではいかないんじゃないかなと僕は思うんですけど」
「馬鹿だな九重」私の頭をぽんぽん叩きながら「こういうのは相手の捉え方次第なんだよ。やってる側が巫山戯ただけという軽い認識だったとしてもやられた側がいじめと認識すれば、それはもう立派ないじめなんだ。よく言うだろ『やった方はすぐ忘れるがやられた方は絶対に忘れない』って。まぁこの場合、積もりに積もった恨みつらみが一気に爆発ってのも十分に有り得るだろうがな」
あぁ、その気持ち分かるなー物凄く分かるなー、今まさに。なおも私の頭を叩き続ける推理作家を見つめながらうんうん頷いた。良かったですね先生、私が寛大な心の持ち主だったことに感謝してください。
「おい九重、お前なんかくだらねえこと考えているだろ」
「いやーなんの事だかさっぱりですね。そんなことよりもさっき言っていた『被害者と特に関わり合いが深かったサークルメンバー』というのはつまり『被害者から特に嫌がらせを受けていた、もしくは明確な動機があるサークルメンバー』と解釈しても良いですか?」
「あぁ、良いよ。取り分けその6名からぷんぷん臭ってくるんだ」
ベテラン刑事の勘というやつか。右斜め上から押し潰されそうなぐらいの威圧的な視線を感じるがしれっと交わし無視を決め込んでやった。
「あ、そうそう。言い忘れていたわ」
パンと手を叩き助手席に座る桐生警部が振り向く。
「検死官の話によると、2つの事件に使用された凶器は間違いなく同じ裁ち鋏であると断言できるのだけど1件目と2件目で切り裂かれた腹部の傷口に大きく違いがあるそうなの」
「具体的にどう違うんだ?」
「1件目は深くバッサリと力任せに大きく裂かれていたけれど2件目に関しては傷口も浅く面積も狭かったという報告よ」
と、いうことは犯人が喜多川智則を殺した際にどこか怪我をしたか痛めたかして、我妻さんの時にはうまく力を込めることが出来なかったのかもしれない。これは犯人を探し出す際のいい手がかりになりそうだ。そうこうしていると車がゆっくりと徐行し止まった。いつの間にか着いたようだ。
土師警部は運転席から降りるやいなやぐるりと回り込み助手席、後部座席のドアを開け「さあさ、どうぞ此方へ」と署内へ案内する。その仕草はさながらドラマや漫画で目にする執事のようだ。(まあこんなおっかない顔の執事はいないだろうが)
エレベーターで3階まで上がり一番隅にある会議室のドアを開けると関係者である6名の若い男女がパイプ椅子に座っていた。取り調べであれこれ痛くもない腹を探られたであろう面々は一目で分かるほどに疲弊し、殺気立っていた。思わず先生の背後に隠れる。
「いいかげん解放してもらえませんか?お話することはもうないんですけど」
ニットセーターを着た男性が抗議する。それに白いカーディガンを着た女性、ミニスカートをはいた女性が続けて同調し立ち上がる。
「そうですよ、同じ質問ばかりでもううんざりです」
「あたしたちなにも悪くないもん。むしろ我妻先輩の被害者だし」
「八月朔日さん、高良さん、轟さん。そうおっしゃらずもう少しだけお付き合い願います」
困り眉の土師警部が諌止する。
「そうそう。もう少しだけいいじゃないかお前ら」
肩まで伸びた長髪の男性が好意的な態度を示す。パーカーのポケットに手をつっこみながら「いいよな?」メンバーに目配せをした。
「結果は同じだと思いますが俺は構いませんよ」
「おい瀬尾」
「いま来た人たちが何者なのか気になるし、それにこんなこと滅多にない貴重な体験じゃないか」
「お前はどうしていつもそう楽観的なんだよ」額に手を当てがっくりと項垂れる。
「私も別に構いません」
「中条ちゃんも?」
ミニスカートの女性が目をぱちくりさせる。
「私だって根掘り葉掘り聞かれるのは嫌よ。でも早く帰って休みたいの」
「中条先輩、風邪気味ですものね。大丈夫ですか?」
「そんなに酷いものじゃないから平気よ。ありがとう和帆」
黒髪の大和撫子然とした女性に花柄のワンピースを着たショートヘアーの女性が身を案じる。言われてみれば黒髪の女性の顔色が若干悪いように見える。
「じゃあ満場一致というわけでいいよな。警部さん、そちらの男性と少年の紹介をお願いできますか」
桐生警部は頷き警察が協力を依頼する相談役とその助手とだけ簡潔に紹介してくれた。毎回の事だが自身の義弟と言わないあたりが彼女らしい。
「相談役ね、昨今の推理作家はそのような裏家業もこなすものなんですか?」
「あぁ、いえ普通の推理作家はこんなことしません。日本中探してもたぶん先生ぐらいじゃないですかね」
カーディガンの女性が皮肉めいた言い方をするので私は訂正に入った。世の中の推理作家は実は探偵業も営んでいる、なんてミステリーファンとしてそれはそれで大変おいしい展開なのだがごく一般の作家先生方に変な噂でも立ってご迷惑がかかったら申し訳ない。
次に土師警部が6名の略歴について説明してくれた。
左隅に座っているニットセーターの男性が八月朔日冬馬さん、22歳、人文学部の4年生。スポーツをあまりしないタイプなのか肌が白く華奢な体つきに見える。だが先程のしっかりとした話し方から彼の芯の強さが窺えた。
その隣が高良悠里さん、19歳、人文学部の1年生。幼さが残る顔立ちに緩く巻かれたロングヘアーが可愛らしい印象を与えるが、私たちの動向が気になるようで伏し目がちな表情を時折覗かせた。
アイドルのような白いリボンにポニーテールの女性が轟花梨さん、21歳、家政学部の3年生。ミニスカートから見えるすらりとした生足は艶かしいというよりも風邪を引かないだろうかと心配になってしまう。お洒落は我慢という言葉があるがそのせいで体調を崩してしまっては元も子もないのに。
そして中央に座る長髪の男性は瀬尾晃さん、22歳、薬学部の4年生。古都散策同好会の発足者でありメンバーのムードメーカー的存在だ。しかし警察署に連れてこられ事情聴取を受けているにもかかわらず子供のように興味津々といった表情であたりを見渡す彼はとんでもない天然なのか、はたまたそういう風を装っているのか、謎だ。
右端に座っているのが中条寿々枝さん、21歳、家政学部の3年生。烏の濡れ羽色の艶やかな髪に揃えられた前髪のラインがキリッとした目元を強調している。典型的な和風美人だ。土師警部の情報によると彼女はミス・川文大(川越文学館大学の略)で3年連続優勝に輝いているらしい。この容姿なら当然の結果だ。
その隣で不安気な表情を浮かべミス・川文大に寄り添っているのが雪江和帆さん、19歳、人文学部の1年生。クラシカルなゴブラン生地のワンピースはとても冬らしく似合っているのだが全体的に色合いが暗めで煌びやかな中条さんに比べると少々地味である。しきりに右腕をさすっているのは寒いからか、それとも…。
「痛いのか?」
私の疑念を察したように先生が雪江さんに尋ねる。聴取で既に聞かれていたようで「棚から土鍋を取ろうとして変な方向に腕を曲げてしまったんです」ぽそぽそと覇気のない声で説明をした。そう言われてはこちらは口を噤むしかない。私は速やかにメモを取る準備にとりかかった。
「我妻先輩、生きていても死んでいてもあたしたちに迷惑かけるなんて本当に最悪だね。犯人なんて探さなくても良いんじゃない?寧ろ犯人を褒めてあげたいぐらいだし」
「どうせ恨んでいる人間しかいないものね」轟さんと中条さんが故人を痛烈に批判した。生前の彼は後輩に冷罵を放たれるほどに奸悪な人間だったのだろうか?
「確かに、あいつのせいで元は100人以上いたメンバーが半分も減っっちまったしなぁ。古都散策同好会会長としてはかなりの痛手だよ」
「あいつの親父が大学に融資しているからってでかい面してお山の大将気取りだったからな。挙句、その日その日の気分で無関係の人間に暴力を振るう始末だし、俺としてはあいつがいなくなってくれて清々してるんだけどな」
聴取という名の愚痴大会に発展してしまい土師警部が咳払いをして話を戻す。
「我妻さんがどんな人間性をしていたのかはよーく分かりました。私が聞きたいのは具体的に皆さんが我妻さんからどんな被害を受けていたのかということです」
各々顔を見合わせ誰から話すかタイミングを見計らっているらしい。先生は事態を静観するために壁際へと移動し、トレンチコートのポケットから棒つき飴を取り出した。彼は何か考え事をする際に飴を舐める癖(本人は糖分補給作業と呼ぶ)があるのだが、私のポケットや斜め掛け鞄にまで予備の飴を突っ込むのだけはやめてもらいたい。
「悠里は我妻先輩から毎日のように言い寄られていたよね」
柔らかいトーンで轟さんが高良さんに話しかけた。告発するというわけではなく単純に後輩が言いにくそうにしていたことへの助け舟を出したようだ。
「…はい、優柔不断な性格だったから強く押せば自分の女に出来るとでも思ったんですかね、行き先々で待ち伏せされて不愉快極まりなかったです。それが日に日にエスカレートしていって、ある時バイトの帰り道に我妻先輩が現れて無理矢理路地裏へと押し倒されたんです」
それはかなりの大毎ではないか。一歩間違えば警察沙汰になりかねない。暗がりへ連れ込まれそうになった被害者というのは彼女のことだったのか。
「非常に申し上げにくいのですが、ご無事でしたか?」
「えぇ、忘れ物を届けに来てくれた八月朔日先輩が助けてくれたので」
「高良とは同じ居酒屋で働いているんです。女子更衣室に家の鍵を忘れているから同じ大学の先輩である君が届けてあげてくれって店長に渡されたんですよ」
彼女にとっては不幸中の幸いである。しかし自責の念に駆られた高良さんは顔面蒼白になる。
「本当にすみません、私が鍵を忘れなければ八月朔日先輩を巻き込まずにすんだのに。迷惑かけてばかりで自分が嫌になります」
「気にするな。もともと我妻からは目をつけられていたしあの一件が全てってわけじゃない。それに鍵も返せて高良も助けられてついでに先輩として格好良いところも見せられたわけだし俺としてはある意味結果オーライだ」
真顔で気障な台詞を吐く八月朔日さんに呆気にとられていた高良さんはあれよあれよと耳まで真っ赤になってしまった。なんとも可愛らしい反応に笑みが溢れる。
「悠里は物静かな読書家タイプだからね。あたしはその逆、誰とでも関係を持つような尻軽女に見られてたみたいで断っても断っても「カマトト振るなよ」とか言われてずっとホテルに誘われてたんだから。さすがに身の危険を感じたから不審者が出没するってもっともらしい理由をつけてお父さんに送り迎えしてもらってたよ」
自分の父親に体目的で大学の先輩から狙われているとはさすがに恥ずかしくて言えなかったはずだ。思い出すのも悍ましいと激しく頭を振り吐き棄てるように言った。
「俺らはどっちかってーと僻みに近くなかったか?」
瀬尾さんが八月朔日さんの肩に手を置き意見を求めた。
「人当たりが良く周りから厚い信頼を寄せられている瀬尾が煩わしかったのか常に難癖つけられていたよな『薬学部のイケメン』」
「そういうお前こそ、事あるごとにあいつに噛み付かれていたじゃないか。試験やレポートでA+を叩きだす『人文学部の秀才』」
気のおけない仲である2人は互いに皮肉り合いながらも確かな友情で結ばれているように感じた。そんな彼らが羨ましかったのか憎かったのか悔しかったのかは定かではないが、我妻さんが古都散策同好会に入り嬉々として度重なる嫌がらせを行っていたということは理解した。八月朔日さんと瀬尾さんはまるで世間話をするようにさらりと言っているがこれがほぼ毎日行われていたとすると気が狂ってしまうぐらいつらかったはずだ。想像しただけでもうんざりしてしまう。
「でも試験で俺がカンニングをしたとあいつが下らないデマを流したときはさすがに肝が冷えたけどな。理事長に呼び出しくらったときはもうおしまいだと思った」
「あぁ、ひと騒動あったもんな。でもお前は模範的な学生で教授たちのお気に入りだったからすぐに誤解も解けて一件落着したから良いじゃないか。俺なんか好意を持った女の子に我妻が余計なことを吹き込んだせいで告白も出来ないままフラれた感じで終わっちまったし、同好会の資金を着服しているって変な噂まで立っちまったんだぜ」
「それだってすぐに疑いが晴れたじゃないか。あと言っておくが、俺は別に教授連中に気に入られるようなゴマすりをしていたつもりはないからな」
「引っかかるなって。今のは良い意味で言ったんだよ、良い意味で」
そんなやり取りを先生は真面目な表情で見つめていた。少しは事件解決に向けてやる気を出してくれたのかと安心したのもつかの間「九重、くだらん青春ドラマに見飽きたんで帰って良いか?」などと抜かしてきたのでグーで脇腹を力の限り小突いてやった。全く、真面目にやりなさい。
「私たちはその、少し特殊な理由で…」
雪江さんの瞳に怯えたような鈍い光が広がった。まるで逃げ場を求める草食動物のように双眸を忙しなく動かしとかく落ち着きがない。
「私たち愛し合っているんです。勿論、人として先輩、後輩としてではなくきちんとした恋人として私は和帆を愛しています」
それに気づいた中条さんが先に重い口を開いた。突然の告白に一瞬度肝を抜かれたがあぁやっぱりな、とストンと胸に落ちる。最初から彼女たちが纏う雰囲気は幻想的というか耽美というか、他の人たちには決してない甘美な危うさがあったのだ。
「あなた方の関係を知っているのは?」
「ここにいるメンバーと我妻先輩です。あの人、このことを周りにバラされたくなければ俺の女になれってしつこく脅してきたんです。今の今までなんとかはぐらかしてましたがもう限界でしたし正直なところ、我妻先輩が亡くなってホッとしました。別に私は言い触らされようがそのことで大学を辞めさせられようが一向に構わなかったのですが、和帆とご実家の方々にご迷惑がかかってしまっては申し訳ないので」
「脅されて困ることが雪江さんにはあったんですか?」
はい、と沈んだ声で返事をした。
「…私の実家が雪江流という由緒ある華道の家元なんです。世間体や噂話が第一の職種なので我妻先輩にそこを突かれました。「俺の言われたとおり金を持って来い。そうすれば黙っててやるし中条にも手は出さない」と逐一金を脅し取られていたんです。それだけじゃなく私たちのことを「気持ち悪い」と罵ったんです。他人に迷惑をかけているわけではないのにどうして、あ、あんな下劣な人に私たちが、貶されなければならなかったんですか?人の弱味につけこんで愉悦に浸る先輩の方がよっぽど気持ち悪い…っ」
興奮し悔しさから涙を流す恋人を中条さんが手を取り優しく宥めた。高良さんと轟さんも駆け寄り苦し気に嗚咽を漏らす雪江さんの背中をそっとさする。
煮ても焼いても食えない男でしたよ、中条さんは忌々しそうに吐いた。
「成程、あんたらには我妻を殺す十分過ぎるほどの殺害動機があるわけだ。誰が殺ったって不思議はないな」
場の空気が一瞬にして凍りつく。皆、怒気を孕んだ険しい目つきで先生を睨みつけるがすぐに薄笑いへと変わった。どういうことだ?
「確かに鬼頭先生の言う通り、俺たち全員には我妻を殺す理由があります。でも理由だけで実際には殺してなんかいません。いや、殺せないんですよ。絶対に」
瀬尾さんのやけに自信に満ち溢れた物言いに今度は先生が睨みつける番となる。
「確固たるアリバイがあるのよ。同好会のメンバー全員で24日の午後7時から11時過ぎまで川越市内の宴楽香って居酒屋で飲み会をやっていたの。監視カメラにもバッチリ映っているし店員の証言もあるわ」
「飲み会以前のアリバイは?」
「学生ですからね、其々専攻する学科できちんと授業を受けていました。教授や同級生にも確認は取れているはずですよ」
桐生警部が黙って頷いた。
「店から廃遊園地までどれくらいかかるか調べたのか?」
「もちろんよ。徒歩で30分、車もしくはバイクで20分ってところね」
「飲み会で途中抜けた奴は?」
「時間が経つにつれ少しずつ人数も減っていきましたが今ここにいる6名は最後まで残っていましたよ」
「抜けたとしてもお手洗いに行くぐらいだし長い間、顔を見なかった人なんていなかったよね」
先生は黙り込み飴をガリガリ噛み砕いた。『殺せないんですよ。絶対に』瀬尾さんの言葉が頭の中で反芻される。仮にこっそりと居酒屋を抜け出せたとしてもその姿が必ず出入り口の防犯カメラに映っているはずだし他の客の目にも止まるはずである。しかしこの様子では望み薄だろう。
「もういいでしょう。これ以上は体力的にも精神的にも疲れ果てました」
「お腹空きましたしね」
待ってましたと言わんばかりに突如として轟さんが挙手をする。
「じゃああの喫茶店に行こうよ。オーナーが素敵でデザートが美味しい…えっと」
おや、轟さんが言おうとしている喫茶店というのはもしかして、
「la mer、ですか?」
「知っているの?」
大きな目をぱちくりしながら雪江さんが聞いてきた。女性が泣く姿は見ていてとてもいたたまれない気持ちになるので泣き止んでくれて本当に良かった。
「はい。警察署へ来る前にちょっと小休止していたんです。あそこ良いですよね、お洒落だし落ち着くし」
「なにより女性を連れていくと「こんなお店を知っているなんて瀬尾くんたらセンスあるわ」と非常に喜ばれる」
プレイボーイの彼らしいコメントである。
「へぇそんなに人気のあるオーナーがいる店があるのか。知らなかった」
「あれ、八月朔日先輩行ったことないんですか?」
中条さんが意外そうな声を上げる。
「お前の家の近くだから看板ぐらい見かけたことあるんじゃないか?」
「無いな」断言した。「喫茶店とか進んで自分から入ったりしないし、小洒落た店ってなんか苦手なんだよ」
「えぇ勿体ない!そこのオーナー、本当に恰好良いんですよ。背も高くてキリッとしていて仕事ができるうえお店で出しているデザートは全部フランス仕込みのオーナーが手作りしたものなんですって」
轟さんが楽しそうに語る。かくゆう私もあの店の虜になった内の1人なのであの居心地の良さを是非とも八月朔日さんに堪能してもらいたい。土師警部ももげる勢いで首を縦に振り轟さんを応援しているように見えた。人間とは自分の好きなものを他人に教えてあげたくなる性分なのだ。
「お前らも同じ女性としてそのオーナーの女子力を見習った方がいいんじゃないか?」
「あぁ、爪の垢を煎じてってやつか」
瀬尾さんと八月朔日さんの軽はずみな発言に「あんまりだ」「酷い」など女性陣から激しい叱責が飛び、おもいがけず反感買ってしまった男性陣が微苦笑を浮かべながら謝罪をする。
その後、足りない脳味噌をフル回転してみたが結局難攻不落のアリバイに攻め落とす攻略方法を見出せぬまま事情聴取は程なくして終了となった。会議室に取り残された我ら敗残兵のもとへ若い刑事が手土産を持ってノックとともに入室してきた。桐生警部はそれを笑顔で受け取ると勢いそのままに目の前の机へ豪快に広げ始めた。写真だ。
「これがあきる野市、そっちのが川越市での現場写真よ。持ってくるように頼んでおいたの」
何十枚とある凄惨な現場を写したものの中で一際異彩を放っていたのがやはり遺体周りの写真だ。幼稚園のお遊戯で使うようなファンシーさがやけに目立つ狼の被り物は、幼い子供が見ても怖がらないようわざと形を崩してデフォルメにしている製作者の優しさが汲み取れる。しかし被害者の血でべったりと赤黒く濡れた着ぐるみは恐怖を増長させ、今や畏怖の権化と成り果てていた。
「それぞれの事件で使われた狼の被り物は別物なんですね。これって一般的な店でも買える品物なんですか?」
もしかしたらこの被り物から犯人へと辿ることが出来るかもしれない。淡い期待を抱き私は質問をした。
「残念ながら非売品さ。廃遊園地に残された着ぐるみの頭部を利用したみたいで不特定多数の指紋は採取できたけども同好会の6名とは一致しなかったよ」
ですよね。分かりきっていたこととはいえガックリと肩を落とす。いや、まだだ。諦めるにはまだ早い。
「遺体に何かトリックを仕掛けた跡はなかったですか?例えば衣服が濡れていたとか、皮膚が焼けていたとか、腕時計が止まっていたとか、使用用途が不明の機械やテグスが転がっていたとか」
どういうことだ、と警部たちは険しい顔をする。しまった、一人突っ走ったせいで説明が不十分となってしまった。
「九重、お前が言いたいのはこうだろ。もしかしたら遠隔操作トリックを使って6名のうちの誰かが我妻を殺し鉄壁のアリバイを手に入れたんじゃないか、とな」
「遠隔操作?」
「衣服が濡れていたなら氷、皮膚が焼けていたならドライアイスを使ったトリックの可能性がある。また腕時計は犯行時間を偽装することも出来るし、機械やテグス、ちょっとした電気系統の知識さえあれば遠隔操作で我妻を殺す立派な殺人マシーンが制作できる。いまじゃネットで簡単に爆弾や毒薬の作り方が出回るご時世だからな」
さすが推理作家、鬼頭宗一郎先生。話が早くて助かる。そう、私はそれが言いたかったのだ。たとえその場にいなくてもトリックを使えば遠く離れた相手を殺すことが出来る。どんな方法かはまだ解明できていないが先生の手により白日の下に曝されるのも時間の問題だ。とすると我妻さんだけに留まらず喜多川智則を殺した犯人もやはり例の通り魔事件に関わった遺族や関係者の線が濃厚となるのではないだろうか。
「盛り上がっているところ水を差すようで悪いけれど、現場には何一つとして遺留品は残されていなかったわ。衣服も濡れていなかったし、そもそも被害者両名ともに腕時計なんてしていなかったもの」
私の推理は桐生警部の丁寧な説明によって粉々に粉砕された。名探偵よりも先に謎が解けたと意気揚々としていただけに非常に恥ずかしい。汚名挽回するため聴取内容を記した手帳にかじりつくが特に気にかかる箇所もなく早々に万策尽きてしまった。
「あきる野市での殺人事件に進展はないのかよ」
苛立っているようでせっかく口に入れた新しい飴をガリガリ噛みながら彼は尋ねる。
「もう一度喜多川の周辺、通り魔事件の関係者を洗い直しているところよ。でも前にも言ったけれど新たな発見にはまだ至ってないのが現状ね」
「御託はいい。調べたところまででいいから話せ」
喜多川に命を奪われた遺族のその後を重点的に調べたという桐生警部は手帳に目を走らせ詳細を述べる。かいつまんで説明するとこうだ。
事件後、蕨野さんのご主人と娘さんは彼の実家である沖縄に移住しており現在は小料理屋を営んで暮らしている。経営状態ははっきりいって芳しくはないがご両親とお子さんに支えられて日々奮闘しているらしい。佐々城さんの奥さんも北海道にある実家に戻った後いい人にめぐり会えたらしく数年後に再婚をした。今はその再婚相手とともに牧場を経営し豊かな自然に囲まれて暮らしている。姉妹を失った片山夫妻は事件後すぐに離婚し元夫は群馬で印刷会社、元妻は東京で清掃員として働いている。しかし月に何度か食卓を囲み現在のお互いの近況を話しては亡くなった子供たちの思い出に浸っているとのこと。四十万さんの奥さんは長年連れ添った夫を亡くしたショックですっかり茫然自失となり体調を壊して入院。長期にわたり病院で治療を受けていたがその後、夫を追うようにして肺炎で亡くなった。夫妻の間には子供が一人もいなかったのできっと一人で淋しかったことだろう。羽海野さんは立て続けに両親を病気で亡くしていたので大学生の兄と2人で親の生命保険を切り崩して細々と暮らしていた。しかしたった一人の家族である妹を失った悲しみから逃げるように学業とバイトを複数掛け持っていた兄は過労で倒れそのまま亡くなってしまった。安曇さんの両親は秋田県で老舗旅館を経営している妻の叔母の誘いで転居を移し、現在は夫婦共々住み込みで働いている。貴島さんの母親は息子が亡くなったことをどうしても認めることができずついには精神を病んでしまい現在も精神科病院に入院している。度々見舞いに訪れていた夫もまともな受け答えができない妻に精根尽きたらしく毎月の入院費の支払いだけはするもののぱったりと足が遠のいてしまった。
「綻びが出ないか、再度念入りに裏をとっているわ」
とりあえずあきる野市での事件は管轄である桐生警部に任せて情報を待つことにしよう。遺族の中に犯人がいないことを祈りながら。
「もうこんな時間ですか。意外とかかってしまいましたね」
会議室の壁掛け時計を仰ぐと既に午後7時を回っている。凝り固まった肩を解しながら、さてこれからどうしようかと思案していると、
「勝手ながらこちらでホテルを予約しました。殺人現場を周るのは明日にして、今日はそちらでお休みになってください」
今からお送りしますので、と立ち上がった土師警部を私は慌てて引き止めた。これ以上警部に我らのお守りをさせてしまっては本当に申し訳がたたないし、捜査に支障をきたしてしまう。
「いえいえお構いなく。場所さえ教えていただければそれくらい歩いていきます。ですからお2人はどうぞ捜査に戻ってください」
「いいじゃねえか、お言葉に甘えようぜ」
いつの間にか窓の近くに移動していた先生が億劫そうな声で異議を唱える。またこの人は我侭を言って。
「コラ、またそうやって楽しようとする。駄目ですよ、先生はただでさえ物臭で引きこもりなんですからしっかり歩いて基礎代謝を上げないと」
すぐにお腹が無様に突き出ただらしないおっさんになってしまいますよ。先生の助手として、ファンとして彼のそんな堕落した姿なんぞ絶対に見たくない。何としてでも阻止しなければ。
そんな私の決意を知ってか知らずかガシガシと豪快に頭を掻いた先生は顎でしゃくり窓向こうを指した。
「あ」
四角く切り取られた向こう側は一面の銀世界に覆われ、しんしんと降り続ける真綿が私の視界を純白に染め上げた。
「メリークリスマス、九重」
4
翌日、ビジネスホテル『トラベルハート・川越』へ午前9時きっかりに訪れた桐生警部、土師警部と共に川越市の『埼玉おとぎ遊園地』、あきる野市の『東京ワンダーランド』双方の殺害現場を見回った。
丹念に丹念を重ねた視察を行ったがどちらの現場も警察や鑑識が隅々まで舐め尽くしたあとだったこともあり思っていた以上の成果は得られなかった。
「ったく、巫山戯やがって。ただ単に靴が濡れただけじゃねえか畜生」
根を上げた先生は悪態を吐きながら車中へ逃げ込むと体を震わせた。私はこの事態を見越して斜め掛け鞄に入れていた替えの靴下を取り出し彼に手渡した。
「現場に来れば何か分かるかと思いましたが」
「無駄足を踏んだだけだったな」
履き替えながら先生が合いの手を入れる。
一夜にして積もった雪は踏むと小麦粉を潰したような音が鳴り、廃遊園地に美しい白化粧を施した。朽ちた灰と輝きを放つ白のコントラストはまるで生と死を表しているように酷く対照的である。
「ところで土師警部はさっきからどうなさったんですか?」
心ここに在らずという様子で携帯を見つめては不自然にそわそわとしている。誰かからの連絡を待っているみたいだ。
「それがね」困った顔で土師警部は話した。「昨日、お2人をホテルへ送ったあと川越文学館大学というフレーズが妙に引っかかったんで資料庫にこもり大学自体を調べてみたんだよ」
「大学を、ですか?」
先生は話に加わらず鉄骨が剥き出しになったジェットコースターを見つめていた。
「過去の事件と今回の事件で何か繋がりがあったんですか?」
「さすが桐生警部、大当たりです。そうなんですよ、実はですね――――――――」
突如、けたたましく鳴り響く携帯の着信音にどきりと心臓が跳ね上がる。
「噂をすればなんとやらです。ちょっと失礼」
興奮気味に鼻を鳴らし対応する強面警部の表情が見る見るうちに陰鬱になっていく。どうしたというのか。
「ここはもう調べ終わりましたので良いですよね?車を出します」
昨日の安全運転とはうって変わり荒々しく急ハンドルを切った車は駆け抜けるように廃遊園地を後にする。シンボルである観覧車が米粒大にまで小さくなった頃、「私の記憶していたとおりでした」土師警部はほうと頭から抜けるような声を出した。
「3年前の丁度今頃、1人の女子大学生が川越文学館大学の屋上から飛び降り自殺を図ったんです。頭蓋骨陥没に脳挫傷、内蔵破裂でほぼ即死の状態だったそうです」
浮き彫りになった神聖な学び舎の闇が狼殺人事件とどんな繋がりがあるのか、先生も興味を惹かれたのか「それで?」と急かすように続きを促す。
「自殺したのはこども学部の4年生で駒沢つぐみさん当時22歳。友人から聞いた話だと彼女は誰にでも優しく接し朗らかで誰からも愛されるタイプの女性で、将来は保育士になるのが夢だったそうです」
希望と夢に溢れた人がどうして自ら命を絶つ必要があったのか。桐生警部も違和感を覚えたようで理解できないと眉間に皺を作る。
「彼女は幼少時代のトラウマが原因で鬱病を患っていたんです。メンタル面も非常に脆くなり定期的に心療内科へカウンセリングに訪れていました。で、そのトラウマというのが結構壮絶な内容でして、彼女が10歳の時に目の前で両親が飲酒運転の車に轢き逃げされ不幸にも亡くなってしまったんです。それだけでもショックなことだろうに当時7歳の弟と遠方にいる親戚へ別々に引き取られていったんです。さすがに育ち盛りの子供を2人一緒に、とはいかなかったんでしょうな。その後、引き取り手の意向で駒沢さんは親戚と同じ苗字を使っていたんですが実は彼女、旧姓がなんと八月朔日というんですよ」
――――――え?
「八月朔日ってあの、八月朔日さんですか?」
「非常に珍しい苗字だし同姓同名の可能性は低いかなと駒沢さんの自殺事件を担当していた当時の仲間に確認したところ見事ビンゴだったよ。駒沢つぐみさんと八月朔日冬馬さんは正真正銘、血の繋がった実の姉弟だ」
先生は人差し指を土師警部に突き出す。
「だから何だって言うんだ?2人が姉弟だったからって我妻殺害の動機にどう結びつくっていうんだよ」
「いやあ鬼頭先生、それが大いに結びつくんですよ」興奮冷め切らぬまま土師警部は捲くし立てる。
「周りの聞き込みをしていた捜査員の話だと素行が悪い男子大学生が1人、よく屋上に入り浸っては訪れた生徒に絡んでいたそうなんです。屋上には運動サークルが利用する洗濯場や駒沢さんが所属していた園芸サークルのプランターも置いてあったので皆、行かないわけにはいかなかったんですな。そうこうしているうちに起きた自殺騒動で警察が最初にその不良男子大学生に事情聴取をしたんですが隠れてドラッグを摂取していたらしく見事にラリってましてね。それが原因で大学内に「理性を失った彼が駒沢さんを殺したんじゃないか」という噂が盛大に流れました」
「ははぁん、その疑われた男子大学生ってのが我妻英司だったわけか」
だらしなく締めたネクタイをくるくる回しながら楽しそうに言う。
「十分黒に近かったそうですが物証も目撃者もなく逮捕までの決め手に欠けました。結局、彼女が重篤な病を患っていたこともあり若者によくある将来を悲観しての自殺として処理されたんです」
私は数日前に見たニュース番組を思い出す。
自身の健康問題も一因するが、日本にはマジョリティにとって生きやすくマイノリティには生きにくいという傾向が強くあり、「未来が見えない」「自分は必要とされていない」と閉塞的な考えから軽率に死を選ぶ若者が年々増加の一途をたどっている。未来を担うはずの彼らがその未来を憂いてしまうだなんて悲劇以外のなにものでもない。同じ若者として若年層の死因第一位が自殺、なんて虚しい社会は払拭されて欲しいと切に願う。
―――――いや、待て待て。もしも我妻さんが駒沢さんを殺したという噂が本当だったとしたらどうだ?実の姉を殺された八月朔日さんには立派な動機が出来上がるではないか。それに彼は昨日の聴取の時にこの重要な事実を言わなかった。どうしてだ?余計な疑いがかかるのが嫌だったのか、駒沢さんとの関係を知られたくなかったからか。故意か無意識か、どちらにしても彼に直接聞けばすぐに分かることである。
決心したところでカーナビから目的地周辺を告げる機械の声が聞こえてきた。
「もう少しで川越文学館大学に到着します。この時間帯ならまだ大学内にいるかもしれないので八月朔日さんに事情を聞こうかと思いまして」善は急げ、ということか。
しかし県道51号線に入ったあたりで不意に車を車道脇に停めドタドタと走り出してしまった土師警部に私は目を白黒させた。何が起こったのか分からず追うべきかまごついていると推理作家と敏腕警部も続くように走り出し私は完全に置いてけぼりを食らう。ワンテンポ遅れて慌てて車を飛び出した。(自分でも情けなく思える程の逡巡ぶりである)
どうにか追いつくと警部は瀬尾さん、高良さん、そして八月朔日さんと真正面から対峙していた。
「…なんの用ですか警部さん」
不機嫌なオーラを一切隠すことなく八月朔日さんは吐き捨てるように言う。さっさと帰れ、彼の表情はそう如実に語っていた。威圧的な態度に思わず尻込みをする。
「付きまとわれるのは迷惑なんですが」彼の隣に立つ高良さんも喧嘩腰だ。
「高良も八月朔日もそんなこと言うなって。で、どうしたんですか警部さん。俺たちこれからla merに行くとこだったんですけど」
相対するように瀬尾さんが人懐っこい笑みを見せる。こういうところが女性に好感を持たれるんだろうな。
「おや奇遇ですね。私たちも丁度向かう途中だったんですよ。お聞きしたいこともあるので是非とも私たちもご一緒させてください」
嘘だ。私たちは喫茶店など向かっていなかった。こんな子供がつくような戯言を言って更に機嫌を損なわせてしまっただろうかと心配するがいちいち相手にするのが面倒臭かったようで「どうぞ」と短く答えた。
喫茶店のドアを潜ると相も変わらずセンスの光る西洋音楽が私たちの耳を優しく撫でる。店員に案内されるまま一番奥の大人数テーブルに無言のまま座りホットミルクと珈琲をオーダーする。はっきり言って物凄く居心地が悪い。入店して早々自宅が恋しくなった。
「確かに、自殺した駒沢つぐみは俺の姉です。入学して数ヵ月後に廊下でばったり会って、本当に驚きました」
しれっと彼は言った。少しは悪びれてくれてもいいのに、と思ってしまう。
「どうしてそんな大切なこと、最初に言ってくださらなかったんですか?」
「故意に隠していた訳じゃないですよ。単に聞かれなかったので言わなかっただけです。あまり気分の良い内容ではないですからね」姉の自殺した話なんて、と彼は自嘲気味に笑った。
「あんたらも八月朔日の姉の件は知っていたのか」
棒つき飴を齧りながら質問をする。友人2人は静かに頷いた。
「俺たちだけじゃなく八月朔日と近しい人間なら知ってると思いますよ。こいつ何年ぶりに姉に会えた!と泣きながら報告してくれましたから」
「何度か駒沢先輩と古都散策同好会の数人とで飲み会もしましたからね。確かに病気のことでたまに辛そうな表情を見せてはいましたが、綺麗で優しくて皆に分け隔てなく接してくれました」
「そうそう、気配りもできてあの少し儚げな感じがまたたまらないんだよな」
「お前が言うとなんか嫌だな。姉さんを穢された気持ちになる」
「なんでだよ。そこは素直に喜んどけよ」
彼らの駒沢さんに対する印象は土師警部から聞いていた本人像と一致する。と、同時にわけが分からなくなった。多くの人に愛され、長年会えなかった生き別れの弟に再開できたというのに鬱病がつらかったとはいえ、ある日突然飛び降り自殺なんて本当にするだろうか?私には考えられなかった。
「で、この話題を出したってことは姉の復讐目的で俺が我妻を殺したと疑っているんですよね」
仇敵を見つけたみたいに冷え冷えとした声だった。
「殺害動機としては上々だろう」
「上々?はは、馬鹿馬鹿しい。第一姉が自殺だと結論付けたのはあなた方警察じゃないですか。それを今更、塞ぎかけていた人の傷口を抉り出すだけじゃ飽き足らず犯人扱いなんて、職務怠慢も甚だしいですね」
お冷を酒のように一気に仰ぎグラスをテーブルへ叩きつけた。それを合図に2人も怒涛の如く加勢に入る。
「そんな信憑性の欠片もない噂を真に受けて八月朔日先輩が我妻先輩を殺したと、そう言いたいんですか?遊んでいないでもっときちんと捜査をしてください」
「警部さん、俺たちは善良な市民なんであなた方の捜査には全面的に協力します。義務ですからね。ですが、根拠もなしに友人を犯人扱いするのだけは我慢できません」
容赦のない批判に桐生警部と土師警部はたじたじだ。そして決定的な一言を発する。
「そもそも私たちにはれっきとしたアリバイがあるじゃないですか」
それだ。
喜多川智則殺害、我妻さん殺害に関しても両関係者には魔法を使わない限り到底覆すことのできないアリバイがしっかりと保証されている。動機が動機なだけに疑うには十分な要素だがごく自然なので私たちが付け入る隙がないときたもんだ。もしかしたら通り魔事件、自殺騒動にも全く別の因果関係を持つ人物による犯行なのではないだろうか。そうなってくると容疑者は無限に増え、また絞り込むのに相当の労力と時間を要することになる。
「お待たせいたしました。珈琲とホットミルクです」
救世主、もとい周防オーナーが花が咲いたような眩しいスマイルで軽く会釈をした。
彼女の登場に「この人だ」「この人か?」と八月朔日さんと瀬尾さんの話し合う声がかすかに聞こえる。やっと名物オーナーを紹介できたことに満足したようでとても嬉しそうだ。
「ホットミルクはこちらの方で、他全員は珈琲です」
土師警部の説明を頼りにコトリと慎ましい音を立てながら1人1人目の前にカップが置かれていく。
先生はスタンバイしていたようでシュガーポットから角砂糖をぼとぼと投入し棒つき飴で掻き回し始めた。彼の異常とも言える行動に私を除く6名は絶句してその場に固まる。(いつも一緒にいるので私は見慣れている)
甘党もここまでくるとただただ恐ろしいだけである。糖尿病にならないよう血糖値やカロリーに気をつけて食事を作っていてもこれではまるで意味がない。当分、お菓子や揚げ物系統は禁止して彼の嫌いな海藻類オンリーの献立でも考えるか、そんな物騒なことを目論んでいるとは知る由もなく推理作家は激甘のミルクを美味しそうに啜った。
「あら八月朔日さんのカップ、ミルクピッチャーが1個多いわね」
「え?」
彼女の言葉通りソーサーには空になったミルクピッチャーが2個乗っかっていた。近くにいた周防オーナーは自身の失敗に血の気を失ったような青白い顔をした。
「も、申し訳ありません!すぐに取り替えて参りますので少々お待ち頂けますでしょうか」
「あぁ、わざわざすみません。ではお願いします」
深々と頭を下げたオーナーはカップを受け取り厨房へと駆けていった。
「八月朔日先輩、気づかなかったんですか?」
「気づいていたけどもう2個とも入れた後だったし別に気にしてなかったからまぁ、良いかと思って黙っていた」
しっかり者のイメージが強いが少しばかりずぼらな面もあるようだ。
「そういうのは店のためにもきちんと指摘してあげた方が本当の優しさってものなんですよ。瀬尾先輩もそう思いますよね」
しかし瀬尾さんはそれどころではなかったようで瞳をキラキラと輝かせていた。
「なあなあ、それよりも今の見たかよ。オーナーは格好良くて美人なだけじゃなくドジっ子という能力も持ち合わせていたのか。なんだよそれ卑怯だろ。そのギャップにもう俺の心はノックアウト、一発K.Oだ」
「お前本当にああいう年上の女性が好きだよな」
惚れたのか。プレイボーイは今日も今日とて名に恥じぬ恋多き青年であった。ここにでかいハリセンでもあれば思いっきりツッコんでいたことだろう。
そんなやり取りを先生は、ミルクを飲みながらじっと見つめていた。
3人との会見を終えたあと、警部たちは捜査会議に出席するため川越警察署へ戻らなければならなくなったので会議終了後に再び落ち合う形で私たちは一度解散した。時間がかかりそうだったので私と先生もホテルに戻り連絡を待ちつつ昨日今日で収集した情報を元に推理を開始する。
気分転換に部屋のテレビを点けると今現在私たちが大苦戦している狼殺人事件についての報道が流れていてキャスターが惨憺たる現場の状況を悲痛な面持ちで報せていた。ホテルに到着してから飴を咥えながらずっと無言だった先生に私が思ったことを口に出してみた。
「アリバイ、これはもう揺ぎようのない事実です。だったらこうは考えられませんか?関係者の誰かが殺し屋を雇って2人を殺してもらった」
非現実的に思えるがこの説が私の中で一番しっくりきた。だが先生は首を振り拒否を示す。
「お前の考えることなんざ警察がとっくに調べ尽くしているだろう。だが桐生も土師警部も殺し屋云々とは言っていなかった。つまりは、そういう事だ」
推理小説の読みすぎだとからかわれたが本職の先生にだけは言われたくないですと反論する。
「じゃあ先生はどうなんですか。この危機的状況の中、犯人の目星やアリバイの謎が解けたって言うんでしたら教えてくださいよ」
我侭を言う子供みたいな態度をとってしまった。怒られるかな?と不安に駆られていると鼻でふっと笑う。ガリッと飴が砕ける音がした。
「危機的状況なんて、誰が決めたんだよ」
得意満面に言ってのけた。まさか。
「…もしかして先生、犯人が分かったんですか?」
「まだ大っぴらに言えたもんじゃないがな。しかしはっきりと違和感を感じている奴ならいる」
それがいったい誰なのか問い詰めようとしたところで先生の携帯に着信が入る。ディスプレイを見たとたん顰めっ面をしたので相手は間違いなく桐生警部だろう。面倒臭そうに拡声ボタンを押しポイッとベッドの上に放り投げた。
「2人とも待たせたわね」
まずは捜査会議お疲れ様でしたという旨を伝え、次に先生に否定された殺し屋説を説いてみたが答えはやはりNOだった。関係者の周辺にそんな物騒な痕跡も証拠もなく全員のアリバイの裏付けも完璧だったと教えてくれた。ですよね、と会話が途切れたとき背後から音響信号機から流れる通りゃんせのメロディーが耳に届く。
「いまそっちに向かっているのですぐにでも出かけられる準備をしておいてください」
「何か発見があったんですね」渋る先生にくたくたのトレンチコートを着せながら尋ねる。
「あきる野市での通り魔事件の関係者やその友人に至るまで人海戦術で聞き込みを続けた結果、あるひとつの重要な事実が浮かび上がったのよ。正直、まだ処理が追いついていないぐらいだわ」
こんなにも動揺する彼女は珍しい。相当重大性が高い発見があったことは瞭然たる事実だ。
「殺された羽海野友海さんのお兄さんのことは覚えている?」
「はい、確か大学生で、過労で倒れて亡くなったんでしたよね?」
「羽海野勇海さんっていうんだけど彼ね、どうやら恋人がいたみたいなのよ」
恋人?確かにそれは初耳だが思っていたよりも瑣末な内容に図らずとも肩すかしを食らう。
「どうして今の今までお前ら警察の情報網に引っかからなかったんだ」
「言い訳じゃないけれど羽海野勇海さんは人付き合いが極端に苦手で寡黙な男性だったからか友人と呼べる友人が1人もいなかったのよ。やっと彼の内情が分かる人にぶち当たってくれて本当に助かったわ」
心底ほっとした声に胸を撫で下ろす仕草が目に浮かんだ。
「それで羽海野勇海さんの恋人っていうのは誰なんですか?そんなに驚いているってことは僕たちの知っている人なんですよね?」
「知っているもなにもその恋人っていうのがね――――――――」
5
私たちが再びla merに辿り着いたのは午後6時近くになってからだった。この時間帯になると人気も消え、光が届かない路地裏を闇が支配する。ねっとりと蹂躙する漆黒の中を進むには電信柱からの防犯灯だけでは些か心許なく少し気後れしてしまう。
喫茶店に着くとドアには『臨時閉店いたします。誠に申し訳ありません』の看板がかかっていた。おかしい、まだ営業時間内のはず。嫌な予感で心臓が五月蝿く鼓動する。
「入ります」
土師警部はドアノブをゆっくりと回し店へと入っていく。続けて桐生警部の指示のもと、私たちも彼に続いた。
店内には既に先客がおり、オーナーとカウンターで会話を交わしているようだった。
「またあなた方ですか」
先客――――――八月朔日さんはわざと大きく溜め息を吐いてカップに口つけた。芳醇な香りがするので珈琲だろうか。
彼のことなど眼中に入っていないとばかりに先生は一直線にカウンターの傍まで行き一点を集中して見つめる。
「やっぱりな」納得した顔で言う。「祝杯を上げていたわけか」
「なんだって?」
先生の言葉が癪にさわったのか尖った声で言い返した。
「いきなりなんなんですか?訳が分からないことを言ってないで出て行ってくださいよ」
余裕がないのか口角が引き攣っていた。土師警部がまっすぐ見つめながら詰問口調で話す。
「それなら八月朔日さん、あなたこそ何故ここにいらっしゃるんですか?」
「質問を質問で返されても困るんですが、まぁいいか。本人がいる前でいうのもアレですが昼間の件でオーナーに一目惚れをしたので食事の誘いに来たんですよ。でも見事にフラれたので珈琲片手に話し相手になってもらっていたわけです」
彼の言い分に周防オーナーも「はい」と小さいながらも返事をした。それを真っ向から先生が完全否定する。
「嘘だね。お前は周防をメシに誘いに来たんじゃない。殺人という目標達成の祝杯を上げていたんだ、2人でな。まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に言ってやるよ。八月朔日冬馬、周防美影。お前らが一連の狼殺人事件の犯人だ」
呆気にとられたように先生を見返す。
「何を言い出すかと思えば忘れてしまったんですか?俺は我妻が殺された時間、サークルメンバーと飲み会に参加していたんですよ。それなのにどうやって人目につかないように店を抜け出し廃遊園地で我妻を殺したあとまたこっそり戻ることが出来たって言うんですか?魔法でも使ったというなら話は別ですけど」
「そんな七面倒臭いことする必要は全くないし魔法も使わないでいい。何故ならあんたは我妻を殺してはいないからな。我妻殺しの犯人は周防、あんただ」
ポケットに入れていた棒つき飴で周防さんを指す。
「その逆に喜多川を殺したのは八月朔日、あんただろう?そうやって殺意の対象となる人物を交換し殺害することで完璧なアリバイを手に入れるのが目的だったんだ。じゃないと一発で自分が犯人だと分かっちまうからな」
そうか、交換殺人。推理小説でよく題材となるトリックの1つだけどこの方法ならアリバイがあろうがなかろうが関係ない。彼女が我妻さんを殺したとなるとカップルが見た赤いコートの人影は逃げる途中の周防さんだったんだ。
「ははっ、推理作家ってのは本当に突拍子もない空想を作り出すのがお得意なんですね。オーナーと俺が共犯なんてどっから湧いて出たアイディアなんですか。俺とこの人が出会ったのは皆さんと昼間に訪れた一回きりなんですよ?どうして俺が見ず知らずの女性と人殺しをしなくちゃいけないんですか」
「いいや、違うね。あんたたちはもっと前から知り合いのはずだ。それがバレないように互いにわざと赤の他人のフリをしているだけに過ぎない」
八月朔日さんは不貞腐れた顔になる。
「どうしてあなたがそこまでハッキリと言い切れるのか私には皆目見当がつきません。何か根拠があるのでしたら是非教えてもらいたいです」
私もそれを危惧していた。交換殺人を立証するには2人に直接の繋がりがあったという証明が必要不可欠だからだ。
「周防、あんたに聞きたいことがある。土師警部の珈琲の好みはなんだったか分かるか?」
酷く散漫な質問に周防さんは一瞬固まるもまっすぐ先生を見つめ答えた。
「…そちらのお客様はブラックがお好みと記憶していますので来店なさった際は角砂糖もミルクピッチャーも乗せずに提供しています」
「警部さんの珈琲の好みがなんだっていうんですか。根拠がなんなのかと聞いているんですけど」
八月朔日さんが食ってかかるが先生は涼しい顔で断言した。
「分からねえか?今のが根拠だよ」
「は?」
「この店はソーサーに角砂糖とミルクピッチャーを1個ずつ乗せて客に出すシステムになっている。だが常連客にランクアップしたり、もともとオーナーと知り合いだと口に出さんでも客の好みに応じた珈琲を暗黙で出す隠れシステムが存在する。昼間来たとき角砂糖を1個、ミルクピッチャーを2個乗せたカップを八月朔日の目の前にあんたは置いていたよな。単なる失敗だと思ったが逆に俺はこうも考えた。『最初から2人は知り合いなんじゃないか?土師警部同様、それが八月朔日の好みと知ったうえで敢えて出したんじゃないか?』とな。八月朔日も特に気にした様子もなくさもそれが当たり前のようにミルクを2個入れていたし。今カウンターの上にあるソーサーを見て確証を得たよ。見上げたプロ根性が仇になっちまったな」
カウンターを叩きながら長広舌をふるう。彼の言うとおり空っぽになったミルクピッチャーが2個置いてあった。しかし、駄目だ。それだけでは弱すぎる。
「そんなの証拠でもなんでもないじゃないですか。ただの言いがかりです」
「そりゃそうだ。俺は証拠と言ってない、根拠と言ったんだ」
「屁理屈を言わないでください。人間は万能ではないのですからミスを犯しても何ら不思議はないはずです。言葉尻をとらえて喜ぶだけじゃなくたったそれだけのことで人殺しと決め付けるなんて話が突飛しすぎていませんか?」
「馬鹿野郎、それだけなんて誰が言ったよ」
今度は八月朔日さんへと振り返った。
「昨日の聴取終了後、轟がla merに行きたいと言い出した時のこと、覚えているか?」
「…えぇ、勿論。結局は疲労に負け皆そのまま帰宅したんですが、それがなにか?」
恐る恐るといった感じで八月朔日さんは探りを入れる。
「あの時の会話はこうだ。『家の近くだから看板ぐらい見たことあるだろう』と瀬尾が言い、『無いな。小洒落た店は苦手で入らない』とあんたが否定した。それにすかさず『勿体ない。そこのオーナーは本当に格好良い。背も高くキリッとしていて仕事ができるうえ店で出しているデザートはフランス仕込みのオーナーが手作りしたものだ』と轟が声を上げた。それに対し瀬尾が『お前らも同じ女性として女子力を見習ったほうがいいんじゃないか』と軽口を叩いて顰蹙を買っていた。そのあと八月朔日、あんたはなんて返したんだっけな。自分で言ったことぐらい若いんだから覚えているよな?」
「いちいち腹が立つ言い方をする人ですね。はいはい、確かに覚えていますよ。瀬尾が話したあとですよね。確か『あぁ、爪の垢を煎じてってやつか』と言って――――――」
ハッとして口を覆う。だがもう遅い。先生は勝機とばかりに一気に攻めたてた。
「『オーナー』、『格好良い』、『背も高くてキリッとしている』、『仕事ができる』これらのワードはどっちかってーと男を強く連想させるものばかりだ。当然、オーナーが女だと知らないあんたも轟の興奮した話ぶりからオーナー=男を思い描いたはずだ。それなのに瀬尾が『同じ女性として女子力を見習った方が』と話したときどうしてあんたは同意の言葉を述べていたんだ?不自然じゃないか、そこは『オーナーは男じゃなくて女なのか』と聞き返すところだろう」
「そ、それだってこじつけに過ぎない!」
動揺して呂律が回っていない彼は苦しげに胸を押さえる動作をした。
「そうです。そ、そもそも私は喜多川って方がどこのどなたなのか存じ上げませんし殺す動機もありません」
「羽海野友海さんと羽海野勇海さん、この2人が喜多川に殺意を抱くあなたの動機です」
周防さんの動きがぴたりと止まった。
「羽海野勇海さんとは将来を誓い合うほど親密な関係だったようですね。妹の友海さんとの仲も大変良好だったと調べで分かりました」
「あなた方の関係性が分かりましたのでいま近辺の防犯カメラを片っ端から見直しています。時間はかかりますがあなた方が2人で会っている姿が必ず写っているはずです。自宅を行き来した可能性も考慮して家宅捜索礼状も裁判所で発行してもらっています。これで発見者が目撃したフードがついた赤いコートや凶器でも出れば万々歳ですがね」
2人の警部が決定打となる台詞を吐いた。たちまち周防さんと八月朔日さんの表情に亀裂が走る。もう殆ど自白したようなものだった。
「かたや喫茶店のオーナー、かたや一般の大学生。だったらメンバーと同じで店に行ったことがあるしオーナーも知っていると言えば良かったんだ。互いに赤の他人を演じなければならないという恐怖観念が強く働き意識し過ぎた結果、真逆の行動をとりボロが出ちまったんだ」
私はあぁ、と嘆息を漏らす。これで何故我妻さんの遺体の傷口だけ浅かったのか合点がいったからだ。非力な女性では成人男性の体を切り裂くのにかなりの力が必要だったはず。あの傷は周防さんなりの努力の賜物だったのかもしれない。
「…仕方なかったんです」
やがて呻くように周防さんが言う。犯人だと認めたのだ。
「友海ちゃんを殺し、勇海さんが亡くなった原因を作った喜多川がのうのうと生きているという事実をどうしても認めることができなかった」
「一体どうやって喜多川を探し出したんですか?」
桐生警部が慎重に尋ねる。探偵を雇うなりネットで調べるにしても一般人には限度がある。
「探したんじゃないです。あいつがのこのことこのお店にやってきたんですよ」
驚いたでしょう?と彼女は、笑った。汚いものをまるで知らない無垢な笑みは冷たい憎悪に塗れていた。
「こっちは一秒たりともあいつの顔を忘れたことがなかったというのに、あろう事か私の顔を見て「マスター、いい女だね。少し多く勘定してやるから俺と楽しまないか?」といやらしい目つきで話しかけてきたんです。信じられますか?ゾッとすると同時に呆れ返りました。あいつは何一つとして変わっていない。罪悪感に苛まれることなく法律に守られて楽しげに暮らしているだけでした」
唇が白くなるまで強く噛み締めた。
「殺人現場が廃遊園地だったのには何か理由があったんですか?」
「思い出の場所だったんですよ」
八月朔日さんはカウンター席に力なく座り込んだ。
「埼玉おとぎ遊園地は俺が家族揃って行った最後の場所で、東京ワンダーランドは周防さんが勇海さんと友海さんと一緒に行った思い出の場所だったんです」
「だから」周防さんが引き継いで言う。「あの遊園地を殺人現場に選んだんです。あいつらにはいかに私たちが大切なものを失ったか、どれほど大切な思い出があの場所に詰まっているのか分からせてやりたかった。狼の被り物なんてあいつらにはお似合いの格好でした」
思い出に溺れて死んでしまえと願った彼らには、その行為こそが自分たちの大切にしていたものを穢してしまったと何故気がつかないのか。矛盾している。殺人を成功することに執着してしまったゆえの盲目か。その時点で彼らの物語は終演を迎えていたのかもしれない。
「すみません周防さん、俺のせいでこんな…」
「自分を責めないで八月朔日くん。私だって間違えてしまったんだもの、あなた1人だけのせいじゃないわ」
「だけど、俺が最初にヘマをしなければ周防さんが疑われることもなかったはずなのに」
「俺はもともと周防が怪しいと踏んでいた」
執筆の片手間に食事を摂るように先生はなおざりに言った。
「喫茶店で喜多川に殺された連中の名前を桐生が読み上げていたときあることに気づいたんだ。本当に漠然とした、それこそ喉に小骨が刺さったみたいな小さな違和感だったんだがな」
「そのあることって?」
「この店の名前と被害者の関連性だ」
喫茶店の名前?関連性?彼の言わんとしていることが理解できず口をへの字に曲げる。
「『la mer』はフランス語で『海』を意味する。羽海野勇海、羽海野友海2人の苗字と名前には『海』が入っていた。女ってのは何かに名前を付けるときは大抵好きなやつや大切な物に縁があるキーワードを入れたがるもんだからな。それにあんたは修行でフランスに滞在していた経験もある。だから自然と頭の片隅に残っていたんだ」
「どう足掻いたところで結果は同じだったのね」
隠し持っていたのかエプロンのポケットから折り畳みナイフを取り出しスっと私たちに振りかざした。照明で妖しく光る刃に私は恐怖する。
「来ないで!」
「馬鹿な真似はやめるんだオーナー!」
周防さんがじりじりと後退る。距離を詰めながら警部たちも追う。
「やめてくれ、周防さん…美影さん!」
「ごめんなさい八月朔日くん。バレようがバレまいが私は最初からこうするつもりだったの」
悲痛な叫びを上げる青年にオーナーは柔らかい笑みを送る。
「アリバイのためとはいえ喜多川をこの手で制裁できなかったのが少し残念だけど、あなたのおかげで私は仇をとることができた。勇海さんと友海ちゃんを失い抜け殻のようになっていた私に復讐を果たすという生きる理由と、死ぬ決意をさせてくれた。ありがとう八月朔日くん」
「そんなこと言わないでください!俺は、あなたにそんな決心を付けさせるためにこの復讐を果たしたんじゃない!全てが終わったら、何もかも終わって落ち着いたら俺と…!」
「本当にごめんなさい」
「美影さん!」
彼女を落ち着かせるため必死に名前を叫び続ける。警部たちも取り押さえる態勢に入っているがタイミングがつかめず焦りの色を浮かべていた。
「あんたが死んだところで何になる。自ら望んで命を絶つことは恋人とその妹だけじゃなく喜多川に無残に殺された被害者たちに対する冒涜になるんじゃねえのか!おいどうなんだ周防美影!」
店内中に先生の怒号が響く。しかし彼女は聞き入れないどころかナイフを下ろすことなくゆっくりと目を瞑り両手を高く上げた。
そこからは、あっという間の出来事だった。一筋の涙を流すと彼女は左胸にナイフを深々と刺し込み、一気に引き抜いた。途端、激しく噴き出す鮮血が辺りを赤く染め彼女は崩れるように倒れ込んだ。
「周防!おいこら逃げんじゃねえ、返事をしろ!くそ!」
先生は自分のトレンチコートを素早く傷口にあて止血を試みるが壊れた蛇口のように流れ続け見る見るうちにコートは血でぐしゃぐしゃになり全く意味をなさなかった。
桐生警部が救急車を呼び土師警部が誘導するために店を飛び出るが周防さんの息はどんどん細くなり目には底なし沼のような深い闇が広がっていた。
赤ずきんとおばあさんが猟師に救ってもらったように彼女の物語も何か違う形でハッピーエンドを迎えることができたはずだった。それなのにどうしてこうなってしまったのか。私はあまりの衝撃で動くことができずただ見つめることしかできずにいた。
「…どうしても許せなかったんだ」
八月朔日さんが周防さんを抱き締めながら噎び泣く。
「姉さんを殺したくせにそれをネタにゲラゲラと笑っていた我妻も、罪もない人たちを殺しといて何不自由なく生きていた喜多川も。無垢な人間を貪り喰らう悍ましく浅ましい狼のようなあいつらを俺たちはどうしても許すことが出来なかったんだ」
数ヶ月前に路地裏で我妻さんが駒沢さんのことを勝手に落ちた間抜け女と罵り楽しげに電話で話していたこと。怒りとショックで頭が真っ白になりバーで勢いに任せ酒を呷っていると同じ傷を負った周防さんに出会ったこと。彼女との出会いは復讐を完遂させるために導いてくださった神の思し召しだと感じたこと、彼はぽつぽつと語りだした。
残酷な真実を知ってしまった若き男女は運命の悪戯を神の啓示と受け取り、悲しい復讐者へと変貌してしまったのだ。
「だったらお前らはその悍ましい狼を狩った正義の猟師だとでも言いたいのか」
返り血に染まった断罪者は温度のない鋭い視線を容赦なく罪人に突き立てた。彼は力なく首を振ると愛しい女性の体を再度強く掻き抱いて、言った。
「だって俺はまた、赤ずきんを救うことが出来なかったんですから」
《廃遊園地の赤ずきん 完》
本当はもっと早く書き終わる予定だったのですが色々と予定が狂ってしまった結果、季節感がずれてしまいました。反省。