手に入れた大切なもの
もし私が消えたら、悲しむ人はいるだろうか。
人は生まれてから死ぬまで孤独だ、ととある本にある。
今私が感じている孤独は、その類のものだろう。
これは私が死ぬまで付きまとうことになる。
じゃぁ、もし。
私が死んだら?孤独ではなくなるのだろうか?
想像がつかない。
たった一回きりの現象で、私の感情は左右されるのだろうか。
この体に刻まれた孤独は、そんなにあっさり消えうるものだろうか。
だから、飛び降りるのが怖いのだろうか。
高い鉄塔の先端に立ってみたって、想像がつかない。
このまま落ちればきっと、孤独じゃなくなるとしても。
それでも私は・・・この下に待ち受けている地面が恐ろしい。
「だれか、」
私のそばに、誰もいない。
助けを求める声は、大気中に消える。
一時間は立ちっぱなしの両足が、制御を失って震えだす。
「・・・すけて」
ふらり、と。
傾いた体は地面へと向かっていく。
まるでこの地球に吸い込まれていくように。
「もう、大丈夫だから」と、声がした。
「君はもう、一人じゃないよ」と、慰める声が。
目を覚ましたのは、白い部屋。
あぁ、やはり失敗してしまっていた。
私は地面とハグすることなく、生き延びたのだ。
「あぁ、目が覚めたか?」
男の人の声だった。
さっきと同じ穏やかな声。
「びっくりしたぞ。あんなところに人がいて、飛び降りようとしているなんて」
そういってから、その人は私の頭を撫でた。
「もうあんなことしたら、ダメだぞ」
そういって、私を抱きしめた。
他人の体温が沁みてくる。
冷え切った体と心が、温かくなっていくのを感じる。
私が、欲しかったのは何だった?
孤独がわずらわしかっただけで、他に何も理由なんてなかった。
そのせいで、この人に迷惑をかけた。
からから・・・。
「あ、夏樹―」
「どうした那都琉」
「聖奈が探してたよ」
「・・・・なんで?」
「さぁーね。知らない、訊いてない」
突然開いた扉の向こうから、女の子が入ってきた。
その子はどうやら彼と知り合いのようだ。
明らかに年齢差ありそうなのに、ため口で話しているから。
「俺は行くけど。本当にもうこんなことしちゃだめだぞ」
最後にそう言って私の頭を撫でで、彼は外に出ていった。
私と、入ってきた女の子だけがこの白い部屋に残された。
「あなたさ、」
女の子が口を開いた。
「ばかでしょ」
一分の疑問なく、彼女は言った。
私を真っ直ぐ見据えて、迷うことなくはっきりと。
「慰めが欲しいだけなら、自殺なんてするな」
貴方に、何が分かるの。
そんな言葉が喉までせり上がってきた。
・・・でも、彼女は私の気持ちを分かっているのだろう。
更に見下した目で、私を見た。
「あんたはただ、周りの景色を見て見ぬふりをしているだけ」
そういって、ベッドに寝ている私に近づく。
先ほど彼が居た位置まで来て、もう一度言葉を発した。
「真実を知ることばかりがいいことじゃない。
知らなくていいことってたくさんある。
でも、貴女の場合は違う。貴女自身が幸せになるためにも、知らなくちゃいけない」
そして、とびっきりの顔で笑ったのだ。
「あなたは、最初から一人ぼっちなんかじゃないよ」
からからと、扉の開く音がした。
その扉の向こうから来たのは、お父さんとお母さんだった。
二人とも汗だくで、息も絶え絶え。
こんなにも焦った姿を見たのは初めてだった。
いつだって遠くから手を振るだけの存在の二人が、私の傍に飛んできた。
「なんで・・・仕事は?」
「そんなことより、けがはないのか!?」
「どうして、こんなことしたの?!心配したのよ!」
そんな必死な二人を見て思う。
彼女の言いたかったことは、これだったのかと。
私は一人ぼっちだと錯覚していただけだ。
私から、一人になっていただけだったんだ。
本当は誰もが近くに居たいと思っていたけれど、私が拒否したから遠のいた。
そういうことだったのか。
「心配かけて、ごめんなさい」
**
「珍しいな、那都琉が来るなんて」
「別にいいじゃん。夏樹に関係ないでしょ」
「それにあんないいこと言えるようになったんだな」
「うっさいな。放っておいてよ」
「那都琉にとっては、気に食わない態度の子だったから暴力振るわないか心配したぞ」
「安心してよ、夏樹以外には乱暴しない」
「そんな特別扱いされても嬉しくない」
時計の針はすでに午後7時を回っていた。
もう晩御飯の時間。
「聖奈が、怒りそうだね」
「そうだな。今日も間に合わなかったな」
「時間早すぎるんだよ。授業終わって直帰じゃないと間に合わないじゃん」
「・・・はは、」
「なに?」
「今まで学校サボっていた奴のセリフとは思えないなーって」
「うっさい!」
「いたっ。痛いって!蹴るな・・いった」
私には、到底手に入れられなかった幸せ。
常に傍に居る両親なんて、どこにもいなかった。
今だって、傍に居ることは少ない。
でもこれは仕方のないことだし、それに、今は。
大切な友人がいるから。
私のことをありのまま受け入れて、帰りを待っていてくれる友人が。
だから、寂しくはない。
悲しくもない。
ただただ、幸せで。心地よい。
「さぁーて、かーえろ」
「待てって。俺の黄金の右足が、痛」
「ほら、手繋いであげるよ」
「・・・引きずり回す気か?」
「お望みならば?」
「望んでない、優しく頼む」
このしつこく私に構う、兄だって私の幸せの一部だ。
どうかいつまでも続けばいいな、と思いつつ二回りも大きい手を握った。




