酸っぱい檸檬色
私はバイトをすることにした。
やってみたかった、というのとお母さんの負担をなるべく減らすためだ。
お母さんはパートをしていたのだ。
私達の生活費を出していたのはお父さんだけれど、お母さんはその負担を減らそうと頑張っていたらしい。
基本的に健気なんだよなー。
「・・・・・よしっ」
駅の近くの探偵事務所。
放課後から終わりまで働くことになっている。
私の力を使えば簡単ってまででもないけれど。
それなりに使えると思ってもらえている。嬉しい。
所長さんと私が常時いるようにしている。他にも人はいるんだけれど調査担当らしい。
夏樹もバイトをしている。ファーストフード店で。
シフトがそこそこうまく取れるとかで、長谷部と仲良くやっているそうだ。
そして、
ぷるるるうるる
「おぅ、なんか、バイブレーション激しっ」
っぴ。
「もしもし?」
『もしもし、いつ帰って来れる?』
「わっかんなーい。何時も通りかな」
『そう。ならいいわ。晩御飯カレーだから』
「まじで?!」
『だから、ちゃんと寄り道せずに帰ってきなさいよ?』
「うん!」
っぴ。
聖奈はまだ我が家に住んでいる。
精神状態が安定するまでは、という条件で預かることになったのだ。
それは記憶障害とかの問題から発展したものだったけれど。
前々から前兆はあったらしい。
そう言った意味では、聖奈も里子だ。
ついでに聖奈の両親が仕事の都合で遠くに転勤になったというものある。
聖奈が来てから私の部屋は狭くなったけれど、その分楽しい。
毎日がお泊まりみたいで。
私の持っているモノが少なくてよかったなぁ、としみじみ思う。
部屋の荷物の内訳は、私の三割・聖奈の七割となっている。
バイトに出て歩いている私達の代わりに、家事全般をしてくれている。
本当に助かる。
「がんばろう」
私一人じゃなにも、変わらないけれど。
皆で一緒になって頑張ってみれば、何かが変わるかもしれない。
自分の口からは到底言えないような綺麗事。
今回だって、ほとんどお母さんの力だし。私何してた?
誰かを救うには、私はまだ力が足りない。
トントン、ガチャ。
「きましたー」
「よく来たな、新人くんよー」
「早速依頼でもあるんですか?」
「いいや?」
「・・・・・・・・お茶淹れますね」
探偵事務所といっても大体の依頼が失せ物とか、探し人。
浮気調査に関しては私無双。なんてったって聞こえるんだから。
これ以上なく強いと思う。
因みに、情報網を張る意味で調査担当が多めに配分されているらしい。
依頼を受けることにつなげるためにも情報はあった方がいい。
知名度とか解決率を上げることで集客につなげる方針だ。
とぽとぽ。
「どうぞ」
「おう、ありがとー」
因みにさっきから会話しているこの人は、所長さん。
でも他に人いないから基本的にこの人と私だけで仕事をしている。
「那都琉ちゃんはさー」
「はい?」
「恋人とかいないの?」
「いたらどうするんですか?」
「うーん。『お前なんかに娘はやらん!』って言ってみるかぁ」
「やめてください」
頭の中はブラックボックス。私はシュレディンガーの猫状態。
見えないって、なんにも。
ものすごく楽しいけどさ。この人成人、私高校生。
会話レベルをも少し底上げしましょうよ。
「所長さんこそ、恋人はいないんですか?」
「俺ぇ?いるように見える?」
「全く」
「うわ、悲しー。こんなに可愛い子がそばにいるのにー」
「はぁ?」
「俺と付き合ってみない?」
「やです」
「えーコンビ組んだ仲じゃーん」
「それはそれ、これはこれです」
何を言っているのかわからなくなってきた。
お茶の苦さと渋さが舌から抜けていく。
舌だけが仕事しているぞー。他の部分も働けー。
「つまりは、いないってことですよね」
「今はいないだけだー」
「来世までいないといいですね」
「えナニナニ。来世になったら付き合ってくれんの?」
「覚えていたら、で」
「うっひょーい」
来世まで記憶の持ち越しってできるのだろうか。
できたらこの人のこと速攻で忘れよう。危険人物。
覚えていたらめっちゃ絡まれそう。いやだ。
ガチャ。
「すみません」
「あ、依頼ですか?」
「・・・・はい」
私が入った瞬間『今日の依頼はなんだろなー』とか歌っていた所長。
依頼ですよ、美女からの。
そう思って突っついたら、既に姿勢を正して待っていた。早業。
「どんな依頼でしょうか?」
「探して欲しいモノがあって」
探し物、とメモをする。
メモしなくても私は大丈夫なんだけれど、所長がうるさい。
君の記憶は本当に正しいのか?と前すごく怒られた。
それ以来メモを携帯するようになった。負けず嫌いなもので。
「それは一体何ですか?」
「・・・・・・・・・ストーカーです」
「はい?」
「それは警察とかの方がいいんじゃないんですか?」
「見えないんですよ。私から」
「ストーカーですもんね」
「彼氏がすごい心配していて、普通じゃない状態なんです」
「??」
「とにかく、彼氏については見ればわかるので、ストーカーを探してください!」
彼女はパニックなのか、言っている事がめちゃくちゃだ。
とにかくストーカーを探せ。そう言っている。
彼氏が正常じゃないってどういうことなんだろう。
「ちょっと、離れてよー」
「いいじゃん。いつ何時襲われるかわからないんだよ?」
「今はいらないでしょ!」
「いるもん!」
「いらないの!」
こういうことか。
彼女の後ろから追跡してわかった。
彼氏、べったべったしている。彼女と彼氏の影が一体化している。
なんだあのバカップル。と思ったが、彼女の方は嫌そうな顔をしている。
「所長。帰ってもいいですか?」
「大丈夫だ、俺も帰りたい」
因みに私たちはバカップルの後ろから、カップルのフリをして追跡中。
今のところ不審な人はいない。
人通りのそこそこ多い道だから分かりにくいけれど、意識的にバカップルについている人は私達以外にいない。
「ストーカーなんていないんじゃないんですか?」
「うーん。でもなぁ」
彼女ははっきり言った。
見えないストーカーがいる、と。その根拠ってなんだったのだろうか?
手紙をもらった?家にあったモノがなくなった?
後ろから足音聞こえた?
「彼氏がストーカーってオチじゃないんですか?」
「・・・・・ありえそう」
彼氏に手を引かれ、人通りの少ない道に逸れるバカップル。
時間を置いて私たちも着いていく。
「・・・(あっ)」
「(いた)」
すると私達のすぐ前に出るように、バカップルに着いていく男が居た。
まさか、コレがストーカー?
所長さんと目配せをして、三人に着いていく。
「・・・・・・・・・・」
見ている限り、先程の男は電柱で身を隠しながらバカップルに着いていく。
私たちは人のこと言えないけれど、怪しすぎる。
これじゃぁストーカーと言われても文句言えない。
例え、同じ帰り道だとしても。
『どうしよう、あのバカップルまたいるよ』
酷い話だ。
バカップルがいるから帰りづらいだけだ。
追い越そうにもあの横を通りたくはない。
いつまでも真後ろにいれば、怪しい人認定される。
彼に出来る最善は、見つからないように後ろからゆっくり帰ること。
つまりは、そういうことだ。
「一応あの人呼び止めて話を聞きましょう」
「そうだな」
学生さんを後ろからちょん、と指で突っつく。
驚いたようすだが、親指で後ろの方を指差すとおとなしく付いてきた。
「あのバカップルの所為で僕家に帰るまでが辛くて辛くて」
もう一度言おう。酷い話だ。
彼女がストーカーだと思っていたのはただの学生さん。
しかも通学路が見事にバカップルと同じ道だっただけだ。
連絡先を教えてもらい、別の日に話をする約束をして別れた。
「あー。世の中って複雑だな」
「そうですね」
次の日、休日出勤。
彼女と学生さんをお呼び出し。
お互いにそれぞれ事情を説明し、納得してもらった。
今後は帰り道を変えたりなんだりすることで解決したようだ。
「これで解決ということでいいですか?」
「はい、ごめんなさい」
「いやその、僕はこれからこういうことがないならいいです」
「ありがとう」
ふわっと微笑む彼女は普通に可愛かった。
うわー、こんな可愛い人っているんだな。
聖奈の方が私好みだけれど。
「円満に終わってよかったですね」
「あぁ、そうだな」
どさくさに紛れて私の肩を抱く所長。
その手を払い除けてお茶の準備をする。
「つめたーい」
「なんとでもどうぞ」
「ぶーなんで?そんなに俺じゃダメなの?」
まるで本気で私のことを気にかけているかのように彼は言った。
心から思っているのはわかった。
心の声と一致しているみたいだから。
でもダメだ。
「悪いですけれど、私は子供作りたくないんで」
お母さんは私の子供まで気にかけてくれた。
でも私はそんなことできない。
見えない未来の責任まで背負いきれない。
「・・・・あのー」
「なんですか。展開が早い?すみませんねー生きている時代が違くて」
「いやいや、そうじゃなくて」
一拍おいて彼は続けた。
「本気で考えてくれたんだなぁって」
手が滑ってお茶が彼に降り注いだ。
まるでどこかのバカみたいな叫び声が事務所に響いた。




