穏やかな森の色
+茜色の続きからの話です。番外編からきた人はそのことを留意して読むといいと思います。
「どうでもいいけど、二人だけで通じ合うのはやめてくれないか?」
「「やだ」」
「もうやだぁ」
再び私とお母さんに叩きのめされる夏樹。
聖奈がしょんぼりした彼の後ろに回り、励ましている。
「どんまい」って。笑顔がぎこちないのが辛い。辛すぎる。
「さて、と」
「今日はおとなしく寝ることにしましょうか」
「お母さん、ご飯食べたか?」
「夏樹が作ったのなら食べるわ」
「・・・・・・なんか軽く作ってくるよ」
若干呆れ顔で台所に向かう夏樹。
そのあとをしばらく見ていたお母さんは急に聖奈に視線を移した。
「お嬢さんは、お泊り?」
「あ、はい」
「ならいいわ。もうお休み」
時刻は午後十時。小学生が寝るような時間帯だ。
そのため、聖奈が困惑している。なにか失礼したかな、と目が語っている。
「お母さん。聖奈は私たちとは違うから早寝しなくても大丈夫だよ」
「あら、そうだった。眠くなるまでテレビ見ててもいいわよ。那都琉はもう寝なさい」
「はいはい」
記憶の整理を必要とするから、常人よりも早寝遅起きが普通。
寝起きが悪いのは低血圧なのもあるけれど。
テレビに興じる時間そのものが少ないので、辛いと思ったことはない。
火サスとか、オチまで見れないからいつしか見なくなった。
事件の真相はわかるんだけど、人間ドラマは予想できないままだ。
「那都琉が寝るなら、私も寝るわ」
「了解。お休み、お母さん。ちゃんとご飯食べてね」
「わかってるわ。おやすみ」
「おやすみなさい」
私のことを気遣ったのか、居心地が悪いからか。
聖奈は眠くもないはずなのに、付き合ってくれた事が素直に嬉しい。
例え自分本位な理由だったとしても、だ。
部屋に着いて真っ先にベッドへ近づき、掛け布団をめくる。
「一緒のベッドでいい?」
「うん」
「電気は消して大丈夫?」
「うん」
「じゃぁ、お入りー」
いそいそ、と先に布団の中に入っていく聖奈。本当に可愛い。
聖奈がベッドに入ったのを確認して、照明を消した。
暗闇の中を勘だけを頼りに歩いて、ベッドに向かう。
布団に触った。同時に聖奈の手の感触。
「ここよ」
「ありがとう」
聖奈が開いたままにしておいてくれた隙間に入り込む。
ほんのり温かい。このままじゃすぐ眠ってしまうそうだ。
「私ね、聖奈に伝えなきゃいけないことあるんだ」
「なぁに?」
「『例え血のつながりがなかったとしても、赤の他人でも私は那都琉を愛しつづける自信がある。
那都琉を守るためなら、自分の命だって惜しくないもの』だっけ」
目の前にいる聖奈が、溢れんばかりに目を開いた。
何かを言わんとしているのか、口はわなないている。
今私が言ったのは、平行世界での聖奈が言ったことだ。
なんてことのない世間話のように。自分の今までを、他の聖奈にもさせるために。
私はそれほどまでに、大事に大事に、想われていた。
こんなにもしょうもない存在の私に、彼女は自分の全てを掛ける気だった。
「思い出せたかな?自分のこと」
目の前の、聖奈に問う。
単純に記憶を失った後にしては、おかしい。
どうして、聖奈の喋り方とある程度同じなのか?誰も教えてなどいないのに。
一人称の「あたし」からは到底想像できないものなのに。
「貴女は”お姉ちゃん”の方だよね?」
医師の診断の曖昧さ、あれがきっかけだった。
そこから芋づる式に、色々気になった。
医者がヤブだったら気にならなかった程度のものだけれど。
聖奈が使っていた話し方はどうしたって、現代っ子が使うものじゃない。
周りの誰だって使ってない言葉使いを、記憶喪失の人が使うか?
ただでさえ言いにくいのに。
那都琉って名前を呼ばれたとき、何処かに記憶があるのだ、と思った。
けれど先程の伝言を伝えたときの彼女の焦り方を見れば、答えは簡単。
世界というものはこうも簡単に混ざってしまうものなのだろう。
「違うの、私のせいじゃない!」
「知ってるよ」
よく考えてみれば、わかることだった。
平行世界で家族だったことが、全く関係ないなんてことあるはずない。
ストレスで聖奈が壊れかけていたのも、知っていた。
直ぐに結びつかなかった、私が悪いのだ。
早急に伝言をしていればもっと早く解決していたのに。
「私はただ、呼ばれただけなの。私の声より少しだけ高い声で『たすけて』って」
聖奈が助けを求めた結果、混ざり合いが発生した。
おそらく元の聖奈は、深層心理のほうに引きこもっているのだろう。
”お姉ちゃん”の方は少し複雑だ。
きっと彼女は”那都琉”のことを忘れようとしていたのだろう。
引き込まれた時に、聖奈の中にある「那都琉」に繋がる記憶を仕舞ってしまったのだろう。
ついでに嫌な記憶も。そうした結果、何も残らなかったのだ。
残っていたのは自分の記憶だけ。喋り方や歩き方、好きなもの。
たった一つだけの鍵を付けたまま、外に向かわされていた。
聖奈が助けを求めた理由は勿論、いじめだろう。
今じゃ仲良くなったけれど、困惑していることも確かだ。
それによって無意識にまた助けを求めてしまったのかもしれない。
──今は仲良くしているけれど、またいじめられたらどうしたらいいの?
そう、思ったのだろう。
一緒になって仲良くしていた私には到底言えないことだろう。
彼女は人のことを何よりも優先してしまうから。
とても、優しい子だから。
「ごめんね、聖奈
もう大丈夫だよ、私がそばにいるから、聖奈のことをきちんと守るから。
誰かのために、自分を犠牲にしなくていいんだよ」
だから戻ってきて。
引きこもっている聖奈に、届くことを祈りつつ語りかける。
「私は、もう要らないの?」
「・・・・・・・・・・」
消えそうな声で、”お姉ちゃん”が訊いてくる。
少しの間逡巡して、でもはっきり応えた。
「うん。だって私はもう、守られるだけの存在じゃない。
そして貴女も守るだけの存在じゃない。今はお互いにとって不要なのは間違いないよ」
「・・・・・・・・そう、よね」
「でも、これで完全にお別れじゃないと思うよ」
「なんでそう言えるの?」
「だって、つながっているから。私の世界とお姉ちゃんの世界。きっとまた会えるよ」
今こうして再び見えることができたように。
この先の未来に会える可能性は無限大にある。
そう言ったあたりで、眠気に負けた。
徐々に消えていく意識の中、ぎゅぅっと聖奈を抱きしめ続けた。
「さようなら、那都琉」
また、お別れの言葉が聞こえたけれど、聞こえないふりをして眠った。
「これからもずっと、愛しているわ」
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「那都琉、那都琉。朝よ、起きて!」
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「うー、じゃないの。朝よ。起きなさいってば!」
無理やり布団を引き剥がされ、カーテン全開にされた部屋を見る。
眩しくて目が開かない。そうだ、寝てしまおう。
「こら、二度寝しないで!」
「まだ明るいじゃん・・・・」
「朝は明るいの!」
「無理ー無理ー」
「朝ごはん作り終わるまでは待っていてあげたんだから、もうだめ!」
着ていたパジャマを脱がされ、適当な私服に着せ替えられる。
お気に入りの服だったので、ちょっとだけ起きる気になって目を開けた。
やっぱり眩しい。視界が真っ白だ。
「おはよう、那都琉」
「おはよう。みあ」
「やり直し」
「おはよう、聖奈」
眠くて、舌がうまく動かないかっただけなのに。
言い直したらちゃんと言えた自分に拍手。
ワーパチパチ、ウレシイナー。
「ねぇ聖奈。朝ごはん、何?」
「あたし特製フレンチトースト。甘さ控えめにしてあるわ」
「ひどい。甘さがなかったら唯の卵パンじゃん」
「うるさいー、那都琉は甘いもの食べ過ぎよ」
顔を洗って来い、と私を立ち上がらせて、背を押す聖奈。
お帰り、と口先だけを動かした私は、洗面台に向かった。
あまりにも唐突で、理不尽だけれども。
これは、普通の人には見えないし、知ることができないもの。
私たちだけが、認識しているものなんだ、と思う。
普通の人の日常から遠く離れているし、辛いことばっかで、いいこと少ないけど。
これが私達の日常。そう考えることにした。これ以降は深く考えない。
普通ってなんだよって突っ込んで考えると面倒だから。
今日も、明日も、あさっても。
きっと私は、笑って生きていく。
悲しいことがあっても、
辛いことがあっても、
大切に思っていた人と別れても、
私は泣かない。いや、泣けない。
だから、笑うしかないだけなんだけれども。
まぁいいや。ほかの人には理解できないことだから。
他の誰かが私の心をそのまま理解なんて、そもそも無理だから。
鏡を見て、笑う練習。
うん、しっかり口角が上がっている。笑えている。
大丈夫、大丈夫。
「那都琉ーまだー?」
「今、行くよ」
これが私の日常だから。




