年上彼女(at Halloween)
「なぁリョウー! 頼む! ほんの一時間でもいーから……っ」
「嫌だ。無理」
「お願いだよ! お前の代わりなんていねぇんだって」
……だろうな。
俺の目の前で懇願しているのは、同じ大学に通う友達。
強いてランク付けをするならば、見た目A、経済力A、学力Bってところ。
まぁ、一言で言えばモテる。
けれど残念なのは、究極に女を見る目が無いってことだ。
「頼むよぉ!」
「……俺さ」
ちなみに自惚れているわけじゃないけれど、俺は学力までAマルって感じかな。
だって、それに見合った努力もちゃんとしているし。
そして何より――
「大事にしてる彼女がいんだよね。だから合コンとかそういうの、マジで無理」
世界で一番イイ女が、俺の彼女だ。
……アイツには絶対、こんなこと言わねぇけど。
『年上彼女』
「え……何、リョウって……そういうタイプだったの……?!」
「うん。有名だと思うんだけど」
衝撃を受けたといわんばかりに目を見開く相手に、思わずため息を吐く。
合コン、コンパ、グループデート――明らかに男女の出逢い、更にはその関係の発展を目的としたイベントに、俺は絶対に参加しない。
理由は簡単だ、大抵俺が一番モテるから。
そこにいる女の誰にも絶対靡かない、という前提で参加するのは、相手にとっても失礼な話だろうし。
何よりその場で「脈アリ」だと勘違いされて、嫉妬の矛先がアイツに向くのは絶対に避けたい。
アイツが駆け引きとか女のバトルとか、そういうので勝てる姿とか想像つかねぇし……。
(まぁ、泣いて縋ってくる姿は見たい気もするけどさ)
ただアイツは、年上のプライドとかそんなくだらない理由で、ここぞと言う時に頼ってこない頑固なところがあるから。
そんなつまらない状況になってもウザイし、面倒事は最初に避けておくに限る。
「えー……イイ男で、あんな死ぬほどモテんのに……! もったいねぇ!」
「んな事言ってるから、ロクな女が捕まらねぇんだよ、佐藤」
「酷ぇ! ちなみに俺、普通に田中だからね!」
知ってるし。わざとだし。
俺には及ばずとも、あんだけモテるのに……この残念な性格が、他人事ながらマジで泣けてくる。
まぁ、そこが面白いから友達してんだけどね。
「クソー! 合コンもガン無視でスルーのくせに、彼女に困らないお前が羨ましいぜ……」
「困らないっつーか、俺も必死なんだよね」
「は? 必死?」
「俺の彼女、スゲー鈍感だし。天然記念物並みの純キャラだから、ナイトやるのも一苦労でさ」
「……」
まるで珍獣を見付けたとでも言うような顔に、俺はふっと笑いを漏らす。
「え……リョウがベタ惚れな感じ……?」
「猛プッシュして堕としたくらいですから」
「いつも飄々とした俺様で、常にモテ率200%のリョウが?!」
「その肩書きはよくわかんねぇけど、まぁそういうこと」
「クソーッ、何だよ! 中身も一途で良い男アピール?!」
「お前のそのすぐに『モテる』に結び付ける発想が、女にがっついてる感があって引くんだけど」
「!」
ショックで固まっている佐藤――じゃなくて田中を置いて、スタスタと俺はキャンパス内を横切っていく。
ちょっとひと気のある場所を歩くだけで注がれる、無数の視線。
御曹司、読者モデル、学力トップ……
名前も顔も知らない人間が、俺に近付いてくる理由は色々あるのだと思う。
どのジャンルにおいてもそれなりに努力はしているし、やるからにはトップクラスを目指さないと気が済まない性格なのが、影響してしまっているのかもしれない。だけど――
一人だけ、例外がいた。
俺が自分からそう言うまで、肩書きなんてどうでも良いと言わんばかりに興味すら示さなかった女が、たった一人だけ。
『年下って、アリですか?』
自分から攻めなきゃいけない恋は、正直初めてだったんだ。
大学に入学してから半年。
俺の周りにいる女は、みんな思う存分に「大学生」を謳歌していて。
毎日遅刻してでも完璧に巻かれている髪、ツヤツヤしたピンク色の爪、複数人集まると咽返るような香水の匂い……誰を見ても、ほとんど同じだと思った。
みんな自己アピールに必死で、あわよくば外見の良い男とどうこうなって、そのステータスに大きなプラスを加えようと。
互いにギブ・アンド・テイクな関係を作りたがり、牽制し合い、時には蹴落とす。
変わり映えしない日常の中で、俺は暇潰しのように勉強に励んでいた。
成績は常にトップを維持していたから、イレギュラーにも1年で研究室の出入りを許されたりして。
それから通い始めたゼミは、わりと落ち着いた先輩が少人数所属しているだけのものだった。
そして、そこでアイツに……カナに出逢ったんだ。
初めて見た時の印象は、「まぁ綺麗めで、純っぽい人」。
夜になると風の冷たい季節になっても、平気で肩を出している同級生の女たちとは対照的に、彼女はよく薄手のカーディガンを羽織っていた。
緩やかに流れる髪は、ほんのり茶色く染められているものの傷みは少なく、矯正もパーマもかかってない自然なストレート。
肌は元々綺麗らしく、化粧はしているけどいわゆるナチュラルメイクってヤツで。
健康的にふっくらとした唇が、逆に常に臨場体勢のグロスや口紅を纏っている女友達よりも色っぽく見えた。
『初めまして』
思わず声を掛けた俺に、彼女はきょとんとした顔をこちらに向けて。
『……初めまして……?』
その「誰?」と思っているのが聞こえてくるような顔を見て、あぁ……この人は俺の周りにはいないタイプの人間だと思った。
『最近研究室入りした、一年のリョウです』
『……あぁ、知ってる! そういえばそんな話聞いてた』
よろしくね、と資料ファイル片手に微笑むその瞳に、俺は生まれて初めて他人に見惚れてしまって。
そのファイルを抱える細い指――薬指にシンプルなシルバーリングがはまっているのを見て、言葉で言い表せないような重い感情を抱いた。
3つ年上の、卒業間近な先輩。
俺を目の前にしても、そこら辺の誰かと何一つ違わないという顔をする人……
その、透明感のある彼女の世界を、心から欲しいと思った。
一目惚れ、というのとはまたちょっと違って。
見た目も、雰囲気も、物腰も、考え方も……一緒の時を過ごせば過ごす程、何もかもが新鮮で、それでいて酷く安心出来て。
『リョウは、本当は繊細なんだね。なのに頑張り屋さんで、すごく偉い!』
そうやって、無垢な表情で頭を撫でてくる彼女を、俺だけのものにしたいと思った。
今まで他人に……いや、何かに強く執着したことなんて無かったんだ。
だから俺にとって、彼女の存在は強烈過ぎるくらいで……
『カナさん、浮気性の彼氏なんか別れなよ』
今までやったことのない、攻めの恋愛をした。
カナが、欲しくて欲しくて……
心臓が焼き切れるような毎日だった。
「……カナ」
金曜日の、夜19時半。
案の定定時であがれなかったカナは、ヒールの危なっかしい足取りで、エントランスから飛び出してきた。
「リョウ!」
俺の顔を見付ければ、回りに花が見えるくらいの笑顔を咲かせて。
(……ったく、いつまで初々しいんだよ。)
ツッコミを入れながらも、そんな反応にいちいち優越感を感じている自分もいる。
「ごめんね、どうしても終わらせなきゃいけない仕事があったの……」
「わかってるよ、お前トロイしな」
「酷っ! それ酷いよリョウ!」
「はいはい、いいから行くぞ」
歩き出す俺の腕に、ふわりと控えめに絡んでくる手。
他の誰かなら不愉快なだけなのに、どうして相手がカナだとこうも違うのだろう。
「あっ、そうだ! ねぇ見て見てリョウ」
突然はしゃいだ声でそう言うと、カナはシンプルなバッグの中をガサガサと漁る。
前面にモノグラムが出てるようなバッグじゃなくて、裏地とベルトにさり気なくロゴが入っているブランドもの。
俺の友達はみんな、どうせ奮発して買うならどこからどう見てもブランド……と自慢出来るデザインのものばかりをチョイスしているけれど。
自分に合うものを、大切に長く使いたいから……と、新発売の商品には目もくれず、ずっと欲しかったというこのバッグに真っ直ぐ手を伸ばしたのを覚えている。
誰にも何にも穢されることなく、自分の領域を保つ。
ふわふわしてるくせに、そういうところはしっかりしていて……時々、自分が年下であることに焦りを感じるんだ。
きっとカナは、そんなの考えたこともないんだろうけれど。
「……ほら!」
差し出されたカナの白い手の上にあったのは、小さなチャームの付いたピアス。
左右デザイン違いのもののようで……一つは紫色のラインが入った黒い帽子が、もう一方はオレンジ色の……あぁ、カボチャに顔が描かれたものが先端にぶら下がっている。
ハロウィンモチーフだ。
「何それ」
「休憩中にちょっと時間が余って、ぷらぷらしてたら見付けちゃって」
「お前、ピアス開いてねぇじゃん」
「……」
いやいや、そんな悲しそうな顔されてもね。
「でも、可愛いでしょ? 結構作りが丁寧だし……」
「まぁ、お前は付けられねぇけどな」
「もうっ、リョウの意地悪!」
ぱしっと腕を叩かれるけど、別に俺は間違ったこと言ってねぇし……。
「私もそう思ったけど、ほら、これキャッチタイプだから……」
言いながら手の平で転がし、唇を尖らせるカナ。
「フックタイプだとダメだけど、これならプッシュピンみたくコルクボードに刺せるかなぁって」
言われて思い出すのは、何度か遊びに行かせてもらったことのあるカナの実家の自室。
基本ナチュラルテイストな家具の中に、カナのお気に入りの写真やポストカード、アクセサリーが飾られているコルクボードがあった。
何でもあそこは、季節やイベントによって飾るものを変えているらしい。
「……相変わらずヒマだな」
「違うよ! 季節を感じたいんだよー」
不服そうに言いながら、チラリとこちらを見上げてくるのが視界に入り、俺もカナを見下ろした。
「それにさぁ」
ちょっと言い淀み、ふと伏せられる視線。
本人は計算してないんだろうけど、こういういじらしい仕草を見せる時は、大抵俺の話をするときだ。
「10月は……リョウが、付き合おうって言ってくれた月だよ。あの時も、街がハロウィンの飾りで溢れてた」
「……」
そうだった。
たった半年程度しか、カナと共に大学に通える時間は無かったけれど……その始まりは、10月だった。
だけどカナと違って俺は、そんな街の風景なんて全然覚えていなくて。
覚えているのは、出逢った頃の控えめな、でも品のあるカナの服装とか。
柔らかい表情とか、俺を初めて名前で呼んでくれた声だとか……
思い出せば思い出す程、俺の視界のほとんどはカナに占領されていたのだと思い知らされるようで、苦笑せざるを得ない。
「……そういえば、そうだったな」
精一杯の強がりでそう言えば、「でしょ?」と明るく頷くカナ。
まったく、フェアじゃない。
どれだけ俺が引っ張ってるように見せ掛けても、結局は俺の方がベタ惚れだという事実に変わりは無いのだ。
「なぁ、カナ」
「んー?」
すっかり暗くなった街の灯りに反射して、柔らかな光を放つ瞳に見入れば、そこには俺だけが映し出されている。
「メシ、ウチで食わねぇ?」
無性に、カナに触れたくて。
早く、カナ以外の存在をシャットアウトしてしまいたい。
人より要領よく勉強もバイトもこなしているせいか、どうしても時間を持て余してしまう俺。
だけどカナは、社会人だから。
俺のエゴで、夜更かしさせたり無理なデートに引っ張り出すことは出来なかった。
「……いいよ。何が食べたい?」
俺のそんな気持ちを汲み取ったのか、穏やかに微笑んだカナは再び俺の腕に手を絡めて、尋ねてきた。
「……ステーキ」
「リョウ、だったら外食にしようね」
「じゃあ蟹……」
「リョウ!」
「しょうがねぇなぁ。じゃあ――」
最終的にリクエストしたのは、何てことの無い和食。
初めてカナがウチに来た時に、作ってくれた手料理だった。
俺は、本当に自分でもうんざりするくらい甘え下手で。
格好つけたり、相手を翻弄したりするのは得意なくせに、上手く寄り掛かることが出来ない。
だからカナのように、自然な流れで甘えさせてくれるような雰囲気は、俺にとって中毒性の高いものだった。
「ねぇ、リョウ」
「なに」
「好きだよ」
「知ってる」
「うーわー!」
知ってるよ。
だってこの俺が、必死で繋ぎとめ続けている相手なんだから。
「カナ……」
「え? んっ」
玄関の扉が閉まった瞬間、カナを壁に押し付けて唇を重ねた。
いつも、口には出さないけれど。
きっとこれからも、なかなか素直には言えないけれど。
「ちょ……リョウ」
「黙って」
今夜は、金曜日だ。
今ならキスマークを付けても、カナに迷惑はかからない。
「い……っ、もう、リョウってば」
カットソーを少しずらしながら、鎖骨下あたりに強く吸い付く。
子供じみた行動だということは、重々承知の上。
それでも、一番大切なものに自分のものだと証を付ける行為は、何とも心地良い魅惑の味がするもので……
「リョウ……?」
「……」
もう一度、柔らかな唇を喰い尽くすようにキスを重ねてから、ようやくカナを解放する。
ここ二週間くらい、会社が繁忙期だったとかで碌に電話すら出来なかった。
最近何だかずっとイラついていたのは、多分カナのせいだ。
「……腹減った」
「うん、すぐ作るね」
玄関の灯りをつければ、カナは一足先に俺の部屋へと入って行く。
……扉は、閉まった。
これからはきっと、俺しか知らないカナになる。
たったそれだけの事が、無性に俺の安定剤になるんだって……きっとカナは、全然わかっていない。
「あ、リョウそのストール似合うねぇ」
暗かったから気付かなかったよー、と穏やかに告げられる声を聞きながら、俺は靴を脱ぎ捨てた。
今日、朝から皆にツッコまれ続けた新作のストール。
俺が身に着ける目新しいものを、周りの人間は毎日不躾なまでにジロジロとチェックしてくる。
俺と近い存在になるために、俺に話し掛けるキッカケを作るために。
だけど――
「リョウ、疲れてる?」
細い指が、優しく俺の目の下を撫でる。
「……疲れてるように見える?」
「んー……わかんないけど、なんとなく。ちょっとだけ、クマっぽくなってるよ」
本当に俺を想って、俺のために言葉を掛けてくれた人間が……一体何人いただろうか。
「カナ」
「んー?」
ぎゅっと、もう一度抱き締める。
カナは何も言わずに、腕を伸ばして俺の頭を撫でてくれた。
「……最近、忙しくてゴメンね?」
「ムカつく。カナなんかいなくても、会社的にはほとんど何も変わんねぇのに……」
「ちょっと、リョウ!」
「多分俺の方が仕事出来るし」
「……否定出来ないのが、すごく悔しいんですけど」
俺だけの、カナでいてよ。
どんなに忙しくても、俺と同じくらい……俺に焦がれてくれたらいいのに。
「おいしい?」
「普通」
「えっ、そこはお世辞でも『うん』って言う所だよ!」
「うっせーな、じゃあ普通においしい」
「んー……? まぁ、いっか……?」
首を傾げながらも、のん気に笑うカナ。
「ねぇ、リョウ」
「なに」
「ハロウィン当日は、カボチャのお料理作ってあげるね」
「どうぞ、ご勝手に」
「リョウ、冷たい! リクエストはー?」
「和食」
「ええぇ! ……か、カボチャの煮物とか?」
ハロウィンのイメージがー……と、頭を抱えるカナ。
バカだよな、ほんと。
俺結構偏食なのに、お前の料理は残したことねぇじゃんか。
リクエストなんて無視したって、お前の作ったもんなら食うに決まってんのに。
「……カナ」
「なぁに?」
「じゃあ、今度どっか連れてってやるよ」
「え?」
「ハロウィンやってるカフェとか。周りが何か言ってた気がするし……」
「本当?! やったぁ」
ほんと、ズルイ奴。
お前は、色んな事に興味があるけど……俺が興味を持つのは、お前を介して見えるものばかり。
なぁ、カナ。
お前も少しは、俺に夢中になってる?
「ねぇ、リョウの部屋も飾り付けとか……」
「無理」
「何で!」
「目が疲れる原因は、お前一人で十分だから」
「ちょっとー!」
fin.