年下彼氏2(on X'mas)
「君は、今日は居残りね。書類整理を頼むよ」
一瞬、頭が真っ白になった。
幻か何かと対面しているようで、上司の言葉が上手く処理出来ない。
「ど……どうしてですか?!」
何とか声を振り絞って尋ねれば、意地の悪そうな無精髭顔が、悪魔のような微笑みを見せる。
「まったく……まだ2年目のくせに。クリスマスに定時で上がろうなんて、考えないことだな!」
そう言い捨てると、彼はバタンと嫌味な音を立てて、会議室を出て行った。
一人、その場に残される私。
(うそでしょ……)
私はこの悲惨な現実を前に、呆然と立ち尽くした。
『年下彼氏 Ver.X'mas』
(有り得ない……)
ここ何日、一体どれ程残業したことか。
今日定時で上がるために、お昼だって連日デスクでカ○リーメイトをかじる程度だった。
すべては、今日のため……今夜、リョウに会うためだった。
(どうしよう……)
あの部長……いくら自分が、最近不倫がバレて離婚させられ、慰謝料を払う身になって恋人にも逃げられたからって。
他人の恋路を邪魔する権利は、どこにも無いはずだ。
(でも……腐っても上司、なんだよな)
はぁ、と深いため息を吐く。
泣きたくなってきた。
リョウに、何て言えばいいんだろう……。
茫然自失状態になっていると、不意に携帯が鳴った。
慌ててポケットから取り出せば――
「リョウーっ」
『あ? 何だよ、どした?』
携帯の画面に出た恋人の名前を見て、思わず半泣きになる。
「ほんとにほんとにごめん……!」
『んだよ、ちゃんと話せ』
私はしょんぼりしながら、今さっき発生した悪夢について説明する。
その間リョウは黙って、私の話を聞いていた。
「どうしよう、今日せっかくディナー」
『あのさぁ』
不意に、遮られる会話。
「え?」
『何で部長が、お前が彼氏持ちで、今日もデートだって知ってんだよ』
「……」
……確かに!
私は本当に仲の良い同僚二人にしか、リョウの話はしていないはずだ。
その子たちが、部長にバラしたとは到底思えない。
じゃあ、誰が……
「カナ、いたいた!」
「わっ……先輩?」
突然会議室の扉が開き、先輩が現れた。
私は携帯を耳に当てたまま、目を見開く。
「今日、俺もカナと居残りだってさ……よろしく!」
「?!」
『やっぱりな……クソ男』
驚く私をよそに、電話の向こうでぼそりと悪態をつくリョウ。
……そうだ。
私に彼氏がいるって知ってて、それを部長に告げられる位置にいる人の中には、この先輩も含まれる。
『……俺が何とかする。トロイからって、襲われんなよ?』
「え……えっ?」
次の瞬間には一方的に電話を切られてしまい、ショックを受ける私。
何とかするって言っても……一体どうやって?
大学生のリョウが、会社に拘束されている私をフォローすることなんて出来るのだろうか。
困惑して携帯を見つめていると、先輩が歩み寄ってきた。
「もしかしてー、例の彼氏だった?」
「え……」
「残業って聞いて怒っちゃったの?」
「そんなんじゃ……」
「まぁ、学生さんには理解し難いかもね?」
爽やかな笑顔が、今ばかりは悪魔のように映る。
私は小さくため息をついて、困惑しながら先輩を見つめた。
「先輩……どういうつもりですか?」
「何が?」
「部長に告げ口したの、先輩ですよね」
「まさか。たまたま君の話をしていた時に、たまたま部長が側を通り過ぎて行ったってだけだよ」
にこっと笑って、先輩は私の瞳をのぞき込む。
「……怒った?」
「それなりに」
私は書類を抱え、部屋を出ようとドアに手を伸ばす。
「ねぇ、カナ」
不意に、遮られる手。
ドアノブにかかった私の手の上に、先輩の手が重なる。
「こ、困ります」
咄嗟に引っ込めようとしても、強く掴まれた手は振りほどけない。
「そんなに俺じゃ、嫌?」
「私にこんなちょっかい出さなくったって、先輩を好きな子なんて沢山いるじゃないですか!」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
私はもう一度勢い良く手を引っ込め、数歩後ずさった。
「……俺がどんなに誘っても、全然なびいてくれないんだもん」
先輩は、じりじりと歩み寄ってくる。
先輩が一歩近付いてくる度に、私は同じだけ後ろに足を運ぶ。
「おまけにカナが夢中なのは、あの生意気なガキなんでしょ?」
トン、と背中が壁にぶつかる。
――途端に、恐怖を覚えた。
「俺さ……結構プライド、傷付いたんだけど」
顔の横に手をつかれ、身動きが出来ない。
息を止めて目を見開けば、先輩は、化けの皮を完全に脱ぎ去る。
「ねぇ、キスくらいしようよ」
「い……いやっ!」
思わず渾身の力で先輩を押しやり、逃げようともがくものの、呆気なく先輩に押し戻されてしまう。
そして。
「んんっ」
無理矢理、キスされた。
人生最大の不覚だ。
「……そんなに怖がらなくったって、いいのに」
ニヤリと笑う先輩を涙目で睨みつけると、私は今度こそ先輩をすり抜けて会議室を出て行く。
しばらく会社の通路をパタパタと走った後、とぼとぼと歩き出した。
(サイアクだ……)
いつもリョウには、自分の身は自分で守れっていわれてたのに……
(ごめん、リョウ……)
大きな罪悪感が胸をキリキリと痛めつけ、息苦しくなる。
思わず零れ落ちてきた一粒の涙を慌てて拭うと、その場に立ち尽くした。
それにしても仕事……どうしよう。
これから改めて先輩と二人きりになるなんて、絶対に無理だ。
どう部長に言い訳をしようか考え込んでいると、不意に前方の角から大きな声が聞こえてきた。
「ハハハハ、そうだったんですね! いや、通りで素晴らしい部下だと思いましたよ!」
最初に姿を現したのは、先程の意地悪な顔が嘘だったかのように、満面の笑みを浮かべている部長で。
不思議に思いながら立ち止まったものの、続けて角から出てきた相手に、私は仰天する。
「な、なん……っ!」
言葉を失っていると、部長も私に気付き、目を見開いた。
「あぁ、いたいた! 探したよ!」
猫撫で声で近寄ってくる部長にも驚いたけど、何より、その隣……
部長の隣を悠々と歩いていた、リョウの姿に驚いた。
「まったく、社長の甥っ子さんと親しかったなんて! ちゃんと話してくれないと、困るじゃないか」
「え?」
思わず、リョウの顔を見る。
彼は涼し気な顔で、肩を竦めた。
「しかも、あのお得意先のA社の社長さんのご子息! まったく、君って人は……」
えぇと……それは、私も初耳なんですけど……?
「カナさんは、自分の力で何でも試したい人なんですよ。僕が勝手に押し掛けちゃっただけで……迷惑だったかな」
誰? とツッコミたくなるような、完璧なキャラ作りで笑うリョウ。
「まさかまさか! 我が社の見学だなんて、光栄な限りですよ!」
「それなら良かったです」
私の代わりに答えた部長に、リョウは軽く頷く。
「今夜は、身内だけでクリスマスパーティーがあるんですけど……カナさんは、まだしばらくお仕事なんですか?」
何にも知らないふりをして、無邪気に微笑んで尋ねる彼。
部長は慌てて私に目を合わせ、まくし立てるように早口でしゃべった。
「いえいえ! 今日はもうそろそろ上がるって話だったんですよ! ほら、お待たせしてはいけない。早く支度をしておいで!」
「あ、は……はい……」
すごい剣幕でそう言われて、私はオフィスに荷物を取りに行く。
(リョウって……この世の中で、何か敵わないことってあるのかな……)
本当に、心底味方で良かったと思う。
私が言うのもなんだけれど、絶対に敵には回したくないタイプだ。
上着を羽織ってバッグを掴むと、早々にオフィスを後にする。
「お待たせしました」
「あぁ、では良い夜を! リョウくん、またいつでもぜひ! 社長に宜しく伝えて下さい」
「わかりました。どうも」
見たこともない、薄気味悪ささえ感じる部長に見送られ、私たちはエントランスの方へと歩き出した。
そしてエレベーターまでの廊下の、曲がり角に差し掛かった瞬間――
「あ……」
運悪く先輩と、鉢合わせた。
「……まさか、A社のご子息だったとはな」
吐き捨てるように、呟いた先輩。
「ただの物好きかと思ったけど……なんだ。カナってこう見えて、金重視のタイプだったんだ?」
嘲笑うかのような先輩に、私は顔をしかめて、リョウの方をちらりと見た。
「大概にしろよ、負け犬」
「ちょっ、リョウ!」
「……何だと?」
突然啖呵をきったリョウに、私は息をのんだ。
「確かに俺の方が、あと数年でお前の収入を上回る」
リョウは腕を組んで、鋭く先輩を睨みつける。
「でも……悪いけどそれを抜きにしたって、頭の出来も見た目も、多分お前より俺の方が上だ」
「っ!」
「だったらカナが俺を選ぶのは、当然のことだろ? 僻むんじゃねぇよ」
こ……この人、言ったよ……!
社会人相手に、言いたいこと全部思いっきり言っちゃったよ……!
「文句があるなら、年齢以外で、一つでも俺に勝ってから言うんだな」
「……」
「とりあえず、カナにはもう関わるなよ。そこら辺の、派手な性格ブスで満足しとけ。その辺がアンタには妥当だろ?」
リョウは片手で、私をエレベーターに押し入れる。
「今度コイツに触ったら……」
そして自分もエレベーターに乗り込みながら、リョウは最後に言い放つ。
「……また就職活動、することになるから。大人なら、わかるよな」
一瞬の間をおいて、扉が閉まった。
先輩はギリギリと歯を食いしばったまま、青褪めていて……私も同様、ある意味青ざめていた。
「こ……こわっ! 怖いよリョウ!」
「あぁ?」
「どんだけなの! 何でそんな強いの、すごいんだけど!」
「だから、そうだっつんてんだろ? 気付いてないのお前だけだから」
呆れたように呟いて、リョウは不意にキスをしてきた。
そしてぱっと離れた瞬間、エレベーターのドアが開く。
こういうタイミングまで完璧で、心底感心してしまった。
「ったく。何でこんな短い間でも襲われるかな……」
嘆いたリョウに、思わず私はびくっと体を震わせる。
「え……」
「襲われんなよって言ったのに」
「な、なん……なんで?」
「これ」
動揺する私に対し、リョウはまず唇を指差した。
「口紅が褪せてた。あと、イヤリングも片っぽ取れてる」
「うそ、ショック! 気に入ってるやつだったのにーっ」
「……オイ」
リョウは大きくため息をついて、私の手を引っ張った。
「え、え?」
早歩きに転びそうになりながらも、何とか付いていく。
脇道を進んで行くと、カップルだらけの大きな公園に着いた。
イルミネーションがキラキラしていて、思わず目を奪われる。
「うわぁっ、綺麗!」
「切り替え早過ぎるだろ……」
リョウは唯一空いていたベンチにさっさと座り、私はしばらく立ったままイルミネーションの灯りを堪能していた。
「お前ってほんと、今まで無事で生きてこれたのが奇跡だよな……」
「何でよ? こう見えても、会社ではしっかり者だって言われてるんだからね」
「お世辞だろ」
「ちょっと!」
少し膨れて見せたものの、今日の出来事を考えれば、今夜は大人しく引き下がった方が良さそうだ。
私がそっとリョウの隣に腰を下ろすと、リョウはすっと腰に手を回してきた。
「あのさ」
「うん?」
「マジで気を付けろよ」
「え? う、うん……」
「わかってんの?」
「……」
「お前がぼーっとしてて何ともなくても、俺は、毎回相当ムカついてんだけど」
いつもポーカーフェイスのリョウが、珍しく顔をしかめて呟いた。
苛立っているのが、空気でわかる。
そもそも私と一緒にいるときのような言葉遣いで、誰かにモノを言うのを見るのは、実は今日が初めてだった。
そのくらい、先輩に嫌悪感を抱いていたのだろう。
「もう、これ以上他のヤツに触らせんなよ……」
「……リョウ」
かなりレアな、歳相応の言葉。
ヤキモチを妬いてくれたのが嬉しくて、不謹慎ながら、私の頬は熱った。
イルミネーションの光しか無い、暗い場所で良かったと思ってしまう。
「ごめんね……次は、絶対無いようにするから」
「あったら、冗談抜きでアイツのクビ飛ばすから」
そう言い放ち、再び重ねられる唇。
柔らかく温かい感触が私の唇をとらえ、そのまま強く押しつけられたり、咥えられたり……次第にその動きは激しさを増し、唇を開かされ、リョウの舌が器用に私の中に入ってきた。
「んんっ……」
何とも言えない快感に全身の力が抜けていき、私は甘いため息をもらしてしまう。
「やば、止まんなくなるかも……」
リョウはかすれた色っぽい声でそう呟くと、そっと私の体を離した。
久しぶりにゆっくり一緒にいることや、慣れない外だということも重なって、胸がドキドキと波打つ。
私が見つめ返せば、リョウも真っ直ぐに私の目を見返してくる。
「……ほんっと、怖ぇ女」
「え?」
「何でもねーよ」
そう言うと、すくっと立ち上がった。
「そろそろ、時間」
「なんの?」
「オイ! 俺がせっかく奮発して、高級コース予約とってやったのに……」
「そうだったー! きゃー、楽しみだね!」
「お前は何でも楽しいんだな。羨ましいよ」
私はリョウの手を取って、歩き始めた。
スキンシップをして落ち着いたのか、いつの間にかリョウの表情も和らいでいる。
バタバタしちゃったけど、今年のクリスマスもこの人と一緒に過ごせて、私は幸せだ。
何でかわからないけど、彼が私に一途であってくれて、すごく幸せ。
来年もこんな風に、手をつないで笑い合っていたい。
「カナ」
「なぁに?」
「ちゃんと車買った?」
「え?!」
「言っただろ、クリスマスプレゼントは新車が欲しいって」
「だから、私の給料考えなさいってば!」
「んだよ、安月給」
「うるさいよーっ」
それでも……きっとリョウは何だかんだ言いつつ、私のあげたものは全部、すごく大切にしてくれると知っている。
――あなたが、すごく好きだよ。
メリー・クリスマス、リョウ!
fin.
次回は、彼氏目線の話となります。