年下彼氏
「あのさ……今夜、空いてる?」
退社後、会社のエントランス付近でばったり会った先輩に、声を掛けられた。
「えっ?」
思い掛けない言葉に、思わずきょとんとしてしまう。
「俺も、珍しく早く上がれたしさ! お前の話も、色々聞いてやりたいし……」
いつもは残業で、まだオフィスにいるはずの、2つ先輩の彼。
仕事では色々お世話になってるし、よく相談にも乗ってくれる人だ。
……でも、この誘いに応えることは出来ない。
とはいえ、饒舌に言葉を続ける先輩の言葉を遮ることも出来なくて、私は苦笑を浮かべたままダラダラと一緒に歩きつつ、会社のエントランスを出た。
と、不意に聞こえてくる声。
「……カナ」
幅の広い、階段の下から。
――私の恋人が、真っ直ぐな眼差しで、私の名前を呼んだ。
『年下彼氏』
「え?」
咄嗟に反応したのは、隣にいる先輩だった。
突如現れて私を呼び捨てにした男の子を、まじまじと見ている。
「……こんばんは」
一方、階下の彼――リョウは、涼し気な顔をしてこちらを見上げ、先輩に声を掛けてきた。
「……えっと、彼は……?」
「あはは、彼氏です……」
「え?!」
先輩は容赦なく大きな声を上げた後、もう一度ぐるりと向き直ってリョウを見る。
茶色のさらさらした髪に黒のジャケットを羽織り、スキニージーンズをブーツインしている彼は、シンプルな格好にも関わらずモデルのような雰囲気を醸し出していた。
今日はプラスαで、ブランドのモノグラムが入ったマフラーを緩く巻き、黒い縁のスタイリッシュなメガネも掛けている。
「どうも」
にこり。
普段私の前では、絶対そんな愛想の良い顔しないクセに……リョウは、爽やかに先輩に微笑み掛けた。
「そうなんだ……」
先輩は小さな声でそう言うと、少し眉を寄せる。
「年下?」
「はい、まだ大学生で」
「ふうん……」
そうこう言っている間に、私たちはリョウの目の前までやってきた。
先輩はなぜか挑戦的に、リョウに話し掛ける。
「カワイイ彼氏だね」
「いつもカナがお世話になっています」
「……」
何だろう、この不穏な空気……。
先輩もリョウも、あんまり目が笑っていない。
何となく、変な汗が出てきた。
「では、失礼します」
ただ苦笑いをして焦っていた私の代わりに、リョウがさらりと告げてくれる。
「あぁ、カナ!」
「あ、はい?」
「また、今度ね」
「え? は、はい……?」
そう言い終わるか終らないかのうちに、リョウは私の腰に回した手にぐっと力を入れた。
「わっ」
思わずよろけそうになりながら、必然的に前に歩き出す。
先輩の視線を後ろに感じながら、数十秒間、リョウと共に無言で歩いた。
角を曲がると、腰に回っていた手がすっと無くなり……
「チッ」
短い、舌打ちが聞こえてくる。
「……あのー」
冷や汗をかきながら、そっと隣を見上げてみれば。
「超めんどくせー……何あの野暮ったい男」
「……」
一応大人数のオフィスでも、ベスト3に入るくらいは人気のある先輩だ。
しかもリョウから見れば、4つも年上の人。
にも関わらずこの言い草なのだから、肝が据わっているというか何と言うか……。
「やっぱりお前、シュミ悪いんだな」
「そんなんじゃないよ……」
「ま、どうでもいいけどさ」
リョウはちらっと私を見て、ため息をつく。
「お前に必死にアプローチするってことは……ほんっと、色気の無い低レベルなオフィスなんだろうなぁ。可哀想に」
「ちょっと!」
仮にも彼女の私に、何て事を言ってくれるのだろう。
普通学生なら、2つも年上の、しかもOLの彼女だなんて、もっと喜んでくれるものじゃないの?!
私は思わず膨れて、そっぽを向いた。
「これでも、少しはモテるんだよ? ……ほんのちょっとだけど」
「へぇ」
「本当だよ?!」
「そういうことは、俺よりモテてから主張するんだな」
「そこを基準にするな!」
――そう。残念ながら、彼は非常にモテる。
私が大学4年生のとき、1年生だったリョウとは、卒業までの半年間だけ学内恋愛が出来た。
それはもう、彼女の私が隣で歩いていても「リョウくん!」と黄色い声が飛んでくるレベルで……
モテレベルから言えば、彼の方が断然格上に違いない。
「じゃあ、何で私と付き合ってるのよ……」
「あぁ?」
思わずぼやいた私の言葉を、ばっちりキャッチするリョウ。
「よく言うよ、俺がいなきゃ生きていけないくせに」
「……」
かなり腹が立つけれど、まぁ、間違ってはいない。
成績トップで入学したリョウは、同学年の子たちと適当に付き合いつつも、自分のやりたい学業のために、すぐに進んだ行動を起こすタイプだった。
で、彼が気に入った教授の研究室に、ゼミ生として私が所属していたのが始まり。
最初は、「熱心な新入生だなー」とくらいしか思ってなかったんだけど……。
『あれ、教授いない……? でもまぁ、カナさんが見られたからいいや』
『今日の格好、俺好みですね』
『年下って、アリですか?』
――リョウを一人の男として意識するまでに、それほど時間はかからなかった。
その当時はまだ、実は前の彼氏と付き合っていたのだけれど……リョウの容赦無いアピールの数々のお陰で、あっという間に彼のペースにのまれてしまったのだ。
『カナさん、浮気性の彼氏なんか別れなよ』
『うん……でも……』
『意味無いよ。だってさ……』
『え?』
『既に、俺のこと好きでしょう? いいよ、付き合おっか』
……一体、どこで立場が逆転したんだか。
いつの間にか、向こうが「付き合ってあげる」くらいの上目線となるバランスで、私たちはカップルとなった。
「もう冬だね、寒いぃ……」
「そんな格好してればな。いい歳して……ちゃんと防寒くらいしろよ」
「マフラー貸して?」
「無理」
再び膨れる私。
こんな意地悪で、憎まれ口を叩くクセに……いつの間にかもう、付き合いは2年以上になる。
来年の春には、リョウも社会人だ。
「そうそう、今年のクリスマスは、もしかしたら仕事が入っちゃうかも……」
「あぁ? 大した役職じゃねぇだろ。お前一人が休んだくらいで、会社は痛くも痒くもないはずだけど」
「こら!」
まぁ、否定も出来ないけど。
「ギリギリ、25日の夜なら少し時間とれるかも……」
「俺は25日バイトだから」
「ええぇっ」
普通、学生のリョウが社会人の私に、予定を合わせてくれるもんでしょう!
あまりのショックに、半泣きになる私。
「そっか……そうなんだ……」
クリスマスに、会えないだなんて……。
ただでさえ最近仕事が忙しくて辛いから、クリスマスくらいはと内心楽しみにしていたのに。
しょんぼりと肩を落として俯いていると、ものすごく嫌そうなため息が聞こえてくる。
「ったく」
「……」
「……わかったよ。空ければいいんだろ、25日の夜だな?」
そう言いながら、携帯に予定を打ち込むリョウ。
それを見て、思わず私は顔を綻ばせた。
「空けられるの? ありがとう!」
「うるせぇ。静かにしろ」
「なんでっ?」
結局、何だかんだ言いながらも、リョウは結構私の為に色々してくれる。
口は悪いし、基本Sっ気満載だけど……
在学中だって、ミス・ユニバースの隣に引っ張り出されてちやほやされようが、文化祭に来ていたテレビ局から声が掛ろうが、リョウが私を傷つけることは決して無かった。
不安が大きくなる頃にはちゃんと一緒にいてくれたし、今日みたいに、しょっちゅう学校帰りに会社まで迎えに来てくれる。
「今日、何でメガネなの?」
「コーディネート上、必要だったから」
「視力良いよね?」
「ダテだし」
「……それ、高いやつじゃない?」
「買うなら、いいヤツだろ」
「……ダテなのに?」
「安物は似合わねぇ顔なんで」
「出た! そういうセリフ、ファンの子たちにも聞かせてやりたいよ」
「やめとけ。女子の夢を壊した罪で、地獄行きになるぞ」
「あなたって人は……」
普段は、超が付くほどいい人ぶっているクセに。
私と一緒にいるときは、本当にあくどいことこの上ない。
呆れてため息をつきながら、ちょこちょこと隣を歩く。
足の長さの違いで、リョウのスピードについていくのは大変だ。
「カナ」
「ん? ……っ?!」
顔を上げた瞬間、突然アップになる顔。
びっくりして目を見開いている間に、唇がぱっと触れてきた。
「ちょっ……」
すかさず抵抗しようと声を上げた瞬間、もう一度触れ合う唇。
私の言葉を飲み込むように、さらに強く押し付けられる。
後ろにバランスを崩しそうになると、リョウの両手にしっかり頭を押さえこまれ、身動き出来ず、ひたすらキスに応えることになってしまう。
「ん……」
――待って。路上で本キスですか。
今更キスで照れることなんて無かったけど……これはさすがに恥ずかしい!
一瞬、久しぶりの真面目なキスに心を奪われそうになりつつも、慌ててリョウの胸を押して合図した。
「……んだよ」
「いや、それ私のセリフだから!」
不機嫌そうに離れたリョウに、赤くなった顔がバレないようにうつむく。
「何でここで……」
「今、したくなったから」
「そんな自由な!」
「誰も見てねぇよ、一応場所選んでるだろ」
言われて周りを見渡せば、今いる並木道には誰もいなくて、道路の車もまばらだった。
「ま……まぁ、そうだけどさ」
「だろ?」
なぜか、偉そうに返してくるリョウ。
何となく、私が悪いみたいな空気になってくるから不思議だ。
「でも……、ちょっと久しぶりだったね」
「お前が忙しいフリばっかしてるから」
「フリじゃないって!」
「よく言うよ」
そう言いながら、リョウはするりと自分のマフラーをとって、私の首に掛けてくれた。
ふわっと、男モノの香水の香りがする。
出逢ったときからずっと変わらない、すごく安心する香り……。
「貸してくれないんじゃなかったの?」
「暑くなったから、持ってろ」
……絶対に、嘘。
さっきキスした時、自然に触れ合った手と手。
その際に私の冷たい手がリョウの体温を奪ったことで、きっと、後ろめたくなったのに違いない。
「ていうか、お前隙だらけなんだよ。そのうち犯されんぞ」
「普通に暮らしてれば、そんなこと有り得ないし……」
「どうかな」
メガネ越しに、ジロリと私を見下してくる。
「とりあえず、さっきのバカは最低限しか関わんな」
「さっきの……あぁ、先輩?」
私が聞き返せば、ため息を吐くリョウ。
「のん気なもんだな」
「どうして?」
「あのテの奴はやめとけって。カナは男をたぶらかせるほど、経験無いだろ」
「いや、たぶらかさないから」
「俺がいる以上、たぶらかすか、突き放すか」
リョウはそう言って、私に向き直った。
「男に対しては、どっちかしか出来ないだろうが」
……そういうもんなのかな。
私は「ふーん」と言いながら、とりあえず頷く。
「気にしてくれてたんだ?」
「うざ。だから女って嫌なんだよ」
そう言いながらも、リョウはちゃんと、言葉にしてくれた。
「……会社ん中までは、助けに行ってやれないんだから。ちゃんと、自分の身くらい守れよな」
「……うん」
「お前は俺のだって、忘れんなよ」
「……」
私が思わず赤面しているというのに、スタスタと涼しい顔をして歩いて行くリョウ。
全く、学生だろうが年下だろうが、全然敵いっこない。
「あ、ちなみに」
不意に振り返ったリョウは、ニヤリと笑った。
「さっきキスしてたとき、アイツの車隣通ったから」
「え? ……ええぇ?!」
いやいやいやいや!!
一応、あの人先輩ですからーーー!!!
「絶対わざとでしょう?! 誰も見てないとか言っておいて!」
「たまたまだよ。あの男がタイミング悪いんだろ?」
「どんだけ目ぇいいの! このダテメガネ!」
「誰に口利いてんだよ、ここで犯るぞ!」
一見完璧な学生も、一応綺麗どころを目指しているOLも、仮面を剥がせばこの通りだ。
焦る私を置き去りにして、リョウはスタスタと歩き出す。
「置いていかないでよね!」
「嫌ならちゃんと付いて来い」
私は寒さを凌ごうと、リョウの腕をとって、身を預ける。
結局何だかんだ言いながらも、振り払わずにはいてくれるのだ。
――本当は、年下なのに、先輩に向かって行ってくれたことがすごく嬉しかった。
ここぞという時、リョウはちゃんと「俺が彼氏だから」って、きちんと示してくれる。
離れ離れで、身を置く環境も全く違う……でも、だからこそリョウのことを、もっと愛しいと思えるようになった。
意地悪だけど、時間が許す限り、側にいたいと思う好きな人。
――すごく、大切な人。
「クリスマスプレゼント、奮発しろよな社会人」
「何が欲しいの?」
「車」
「無理だって!」
fin.