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WHO ARE YOU?  作者: 影の光
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第二話 図書館の塵、歴史の灰

第二話 図書館の塵、歴史の灰



場一 「昼休み――華やかな鳥籠の食卓」


正午の鐘が鳴る。


その音とともに、帝国高等学院の教室は慌ただしく動きはじめた。生徒たちが一斉に机の引き出しや鞄から弁当を取り出す。この学校の弁当は――それ自体がひとつの展示だった。


漆塗りの重箱。京の職人が削り出した木箱に収められた三段の弁当。蓋を開ければ、松葉の上に載せられた鯛の塩焼き、玉子焼き、細切りの牛蒡の煮物、銀色に艶めく白米の上には紅い梅干しがひとつ。ある生徒の弁当からは洋風のサンドウィッチと果物が現れ、「これはロンドンから取り寄せたジャムだ」と誇らしげな声が上がる。別の生徒は銀のフォークで食事をしていた。


昼休みの教室は――小さな社交場だ。


弁当の格が会話の格を決め、重箱の漆の文様が家格を物語る。生徒たちは笑い、語らい、互いの弁当を見比べながら、その中で見えない序列を確かめ合っていた。


そんな喧騒のただなかで――ただ一人、動かぬ者がいた。


窓際、一番後ろの席。


神楽真理は弁当を取り出していない。机の上には何もない。椅子の背に身を預け、目を閉じている。腕を組んでいるわけでもなければ、眠っているわけでもない。ただ――目を閉じたまま、どこか遠くに沈んでいた。


彼の脳裏をよぎっているのは、今朝の登校途中に見た光景だった。


電車が銀座方面へ折れる曲がり角。背広姿のモボやおかっぱ頭のモガたちが闊歩する大通り、その一本裏の路地。車窓の向こうに見えたもの――板壁にもたれかかるように座り込んだ男。襤褸をまとい、空の椀を膝に載せ、ぼんやりと空を見上げていた。


その傍らには子供がいた。


裸足の、痩せた子供。


その子は、電車を見ていた。車内の乗客たち――洋装、着物、日傘――そうした華やかなもの一切を見つめていた。だがその目には、恨みも悲しみもなかった。


ただ――見ていた。


まるで、理解できぬものを見つめるかのように。


真理は、その眼を覚えている。


今、この教室で繰り広げられている漆塗りの弁当の宴と、あの路地裏の空の椀。


同じ時刻。

同じ街。

同じ空の下。


真理の眉間が、かすかに寄る。目を閉じたまま。


教室の中では、何人かの生徒がちらちらと真理のほうを窺っていた。


「神楽の坊っちゃん、今日も昼食を召し上がらないのか」

「話しかけてみるか?」

「……やめておけよ。さっき数学の時間に見ただろう。次元の違う人間に何を言うんだ」

「でも同じ学生じゃないか……」

「近くにいると空気が違うって、感じたことないか? 俺だけか?」


誰も近づくことができない。


近づいてみたい気持ちはある。だが――足が出ない。


神楽真理という存在のまわりには、目には見えぬ境界がある。それは真理自身が引いた線ではない。周囲の者たちが勝手に作ったものだ。あまりにも美しく、あまりにも秀でていて、あまりにも静かなものの前で、人が本能的に覚える――距離。


その時。


教室の一角で、話し声が大きくなった。


「聞いたか? また満州のほうが騒がしいらしいぞ」

「父上が仰っていた。大陸経営が本格化すれば、途方もない商機が開けるって」

「軍のほうでも相当押しているらしい。朝鮮に続いて満州まで――大日本帝国の版図がさらに広がるんだ」

「やっぱり我が国が西洋列強と肩を並べる日も近いな!」


誇らしげな声。熱を帯びた眼差し。


この学生たちにとって、植民地の拡大は胸の高鳴る話題だった。それは父たちにとっての事業機会であり、家の繁栄であり、帝国の栄光なのだ。


真理の目が開く。


静かな眼が――そちらを向く。見ているわけではない。ただ、聞いているだけだ。けれどその静かな瞳の奥で、何かが冷たく沈んでいく。


唇がわずかに動く。ほとんど音にならない。自分にしか聞こえない声で。


「……くだらない」


真理は鞄を手に取る。


席を立つ。弁当も、本も取り出さぬまま。鞄ひとつだけを持って、教室の扉へ向かって歩き出す。


教室が、ふと静かになる。視線が彼のあとを追う。


廊下へ出ようとしたその瞬間、一人の生徒が声をかけた。


「なあ、真理。顔色が良くないが、何かあったのか?」


その顔には、紛れもない本気の心配があった。この学校で神楽真理に気負わず声をかけられる数少ない生徒の一人。善い少年だ、と真理は知っている。


真理は、軽く首を振った。


何も言わずに。


そして歩き出す。廊下へ。昼休みの校舎は賑やかだ。各教室からは笑い声がこぼれ、校庭のほうからは球を蹴る音が響いてくる。真理はその喧噪のまっただ中を、まっすぐに歩く。誰も彼に声をかけない。規則正しく響く彼の革靴の音だけが、廊下を細く長く伸びていく。


歩きながら――再び、唇が動く。今度は少しだけ、音になった。だが、なお自分だけに向けた声だった。


「人そのものは……悪くない」


一歩。

また一歩。


「腐った環境が、すべてを蝕んでいくんだな」


廊下の窓の向こうに校庭が見える。桜の下で笑い合う学生たち。その先に校門があり、その先に街があり、そのまた先に――朝見た、裸足の子供がいる。


「……醜い」


場二 「図書館――塵の中の聖域」


帝国高等学院の図書館。


本館西端に建てられた、二階建ての独立棟である。西洋風のアーチ型玄関に、樫材の両開き扉。中へ入れば――静寂が壁のように立っている。天井まで届く書架が左右に並び、二階は回廊となってそれを取り巻いていた。天窓から差し込む光が空気中の塵を照らし、その塵がゆるやかに旋回しながら落ちてゆく。古びた紙と革装丁の匂いが、空気に深く染み込んでいた。


昼休みの図書館は――無人だった。


当然だ。


この学校で昼休みに図書館へ来る学生はいない。この時間は社交の時間であり、序列の時間である。書物の中へ身を埋めることは、その競争から自ら降りることを意味する。誰もそんな選択はしない。


ただ一人を除いて。


真理は図書館へ入る。最奥の閲覧席の脇の椅子に鞄を置き、書架のあいだを歩き始める。


指先が本の背をなぞっていく。ひとつ、またひとつ。


西洋思想の棚。コントの実証哲学、スペンサーの社会進化論、ミルの『自由論』。真理の視線が流れる。すでに読んだ。


科学の棚。ニュートン力学の解説書、ダーウィン『種の起源』の邦訳、近ごろ欧州からもたらされたアインシュタイン相対性理論の入門書。真理の歩みは止まらない。


医学の棚。独逸医学書、解剖図譜、伝染病研究。通り過ぎる。


文学の棚。夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介。通り過ぎる。


そして――片隅。帝国主義と植民政策に関する書物が並ぶ一角。真理の足取りが、ほんのわずかに緩む。福澤諭吉『脱亜論』。大東亜経営論。西洋列強の植民地比較研究。


真理の目は一度だけそこを撫で、そして通り過ぎる。


興味を惹く本はない。


すでに読んだものか、読む価値のないものか、そのどちらかだ。


真理は書架の突き当たりへ辿り着いた。図書館の最奥、二階へ続く階段脇の壁際。そこに――壁から落ちたらしいものが床に置かれている。


ポスターだ。


かつては壁に貼られていたのだろう。接着が弱まり、剝がれ落ちたらしい。真理は腰をかがめ、それを拾い上げる。


大日本帝国陸軍省発行。

プロパガンダ・ポスター。


旭日旗を背に、軍服姿の兵が大陸へ進軍していく意匠。その下に記された文句は――


「八紘一宇、大東亜の曙を拓く」


真理は、その紙面を見つめる。


表情が――変わる。


それは怒りではない。熱い怒りなどでは決してない。そこに浮かぶのは軽蔑だ。冷たく、深く、古びた軽蔑。まるでこのポスターが語る未来の、その行き着く先をすでに知っている者の目。


「しばらくは続くだろうな」


ポスターを見つめたまま、真理は呟く。


「……ずっと」


その瞬間――


悲鳴。


真理の目が大きく見開かれる。耳ではない。頭の内側で鳴り響いた。幾千、幾万もの悲鳴が、一瞬にして押し寄せる。男の悲鳴、女の悲鳴、子供の悲鳴。焼ける匂い、崩れ落ちる音、砲声――それらすべてが重なり合い、刹那のうちに真理の意識を貫く。


手が震える。


ポスターが指のあいだから滑り落ち、床へ落ちた。紙の軽い音が、図書館の静寂の中では妙に大きく響いた。


真理の顔は蒼白だった。額には冷や汗が浮かび、呼吸が一拍だけ速くなる。彼は震える手をもう一方の手で押さえつけ、どうにか鎮める。


これが初めてではない。


前にもあった。


いつからなのかは分からない。だが、時おり――こういうものが聞こえる。説明のつかないもの。ありえないはずのもの。まだ起きていないはずのものの音が。


呼吸を整えながら、真理は言う。


「……ここも、終わりか」


場三 「図書委員――鶴目奏」


「そうですか」


背後から――声。


真理の肩が、わずかに強張る。振り返る。


「真理さんは、終わると思っていらっしゃるのですね」


彼女が立っていた。


書架の間の通路の先。天窓の光が、片方の肩を照らしている。袴姿――この学院の女子部の制服だ。海老茶色の袴に白い上衣。黒髪は腰まで長く流れ、前髪は額の上で端正に揃えられている。目は細く長く、口元にはいつも微笑がかかっている――そんな顔立ち。


鶴目奏。


真理の表情がわずかに和らぐ。警戒ではない。もっと、それ以前からある馴染みの色だ。


「なんだ……鶴目か」


奏は微笑みながら歩み寄ってくる。その足取りは軽い。まるでこの図書館そのものが彼女の領分であるかのように、書架のあいだを滑るようにやって来た。


「やっぱり、今日もいらしていたのですね。真理さん」


彼女は足元に落ちていたポスターの前で足を止める。身をかがめ、それを拾い上げ、軽く埃を払ってから眺める。


旭日旗。進軍する兵士。

『八紘一宇』。


奏の笑みは消えない。だが、その笑みの質が――ごくかすかに変わる。ただ明るいだけの笑みではない。何かを理解している者の微笑だ。


「真理さんは、終わると思っていらっしゃるのですか?」


ポスターを手にしたまま、彼女は言う。


「でも、いまの日本はとても成功しているではありませんか」


真理はまっすぐに彼女を見る。


「お前も、それはあまり好きじゃないだろう」


奏の笑みが――一瞬だけ、本当の笑みになる。社交用の仮面ではなく、心から出たものへと変わる。


「そうですね……私も、あまり好きではありません」


ポスターを近くの書架の上へそっと置きながら、彼女は続ける。


「江戸の時代は戦がほとんどありませんでしたでしょう。だからでしょうか、戦争というものはあまり好きになれなくて」


ひと呼吸。


「でも、どうして終わると思われるのですか?」


彼女が――近づいてくる。


一歩。

また一歩。


狭い書架の通路の中で、その顔が真理の顔に近づく。天窓から降る光が、二人のあいだの空気を照らしている。塵が、その光の中でゆっくりと回っていた。


奏の眼が、真理の眼を覗き込む。


好奇心。

純粋な、学問的でありながら、それだけでは済まない好奇心。


真理は――


うろたえる。


あの冷ややかな顔に、初めてひびが入る。瞳がかすかに揺れ、視線が下へ落ちる。彼女の顔が近すぎる。息が触れそうなほどの距離。真理の耳朶が、ほのかに赤く染まる。


帝国高等学院随一の天才。森教授すら驚嘆させた少年。世のあらゆるものに超然としているように見えるその少年が――ただ女の顔が近いという、それだけで動揺していた。


真理は半歩だけ後ろへ退き、小さく咳払いをひとつする。


「……破綻はするだろうが」


声を整えながら言う。


「完全に滅びるわけじゃない」


奏の目がきらりと光る。好奇心が、火のように燃え上がる。


「それを、どうしてあなたが分かるのです?」


真理はしばし沈黙する。


答えを選んでいるのではない。

本当の答えを――言えないのだ。


だから、その代わりになる言葉を探している。


「……ただの勘だ」


奏は――噴き出した。


笑い声が、空っぽの図書館に響く。書架のあいだを伝って返ってくる反響。彼女は手で口元を押さえながら、それでも目尻に涙が浮かぶほど笑った。


「本当に……変わった方ですね」


場四 「それぞれの時間――それぞれの文字」


奏は図書委員だった。


昼休みの図書館は、本来、整理と新刊配架のための時間である。午後の授業が始まるまで、生徒の立ち入りは禁じられている。


それでも奏は――真理だけはこっそり中へ入れていた。


理由を尋ねれば、彼女はきっとこう答えるだろう。


「規則を破るのは良くありません。でも、本当にこの図書館を必要としている人を締め出すのは、それ以上に良くないでしょう?」


真理は閲覧席に腰を下ろす。

鞄を開く。

そして――本を取り出す。


それは学校の図書館にある本ではなかった。真理が自分で持ち込んだ本である。


西洋の学術書でもなければ、帝国主義の論考でもない。科学書でもない。


その本は古びていた。


革表紙は擦り切れ、紙は黄ばんでいる。表紙には、日本では使われていない文字が記されていた。


いや――欧州のものでもない。


真理はその本を開く。


そして読み始める。


彼の表情が変わる。


それは教室で見せる無表情でもなければ、図書館へ入ってきた時の冷ややかな色でもない。あのポスターを見ていた時の軽蔑でもない。


今、神楽真理がページを追うその顔には、まるで別のものが宿っていた。


子供のような無垢。


瞳は微かに輝き、口元にはかすかな愉しげな気配が浮かぶ。視線は速く文字を追っているのに、そこには明らかな喜びの律動があった。もはや名門の十六歳の少年には見えない。


文字を覚えたばかりの子供が、世界の秘密をひとつずつ見つけていく時のような、そんな顔だった。


その一方で、奏は書架のあいだで仕事をしている。返却本の整理。新刊の配架。貸出帳簿の更新。手際よく、慣れた手つきで作業を進めていく。そして思っていたよりも早く仕事を終えた。


ふと閲覧席のほうへ目を向ける。


そして――足が止まった。


あの表情。


真理の顔はこれまで何度も見てきた。教室での冷えた無表情。廊下ですれ違う時の醒めた横顔。図書館で本を読んでいる時の静かな顔。


けれど今のこの表情は、見たことがない。


あまりに幼く、あまりに純粋で、まるでこの瞬間だけが世界で唯一の真実であるかのような顔。


奏は、息を呑む。


それから、気配を殺して書架の陰へ回り込み、そっと近づいていく。室内履きの底が床を擦る音すら、ほとんどしない。


いったい、何を読んでいるのかしら。


彼女は真理の背後まで来た。


そして、そっと肩越しに覗き込む。


目を見開く。


「……何ですか、これ」


真理の肩がびくりと跳ねる。振り返る。


奏の顔が、また近い。


この少女には距離感というものがないのだろうか。


一瞬だけ真理は狼狽えたが、今度は比較的早く立て直した。本を示しながら言う。


「……ヒエログリフ、かな」


奏はさらに身を乗り出して頁を見る。鳥や目、葦のような奇妙な象形文字がずらりと並び、その脇には真理の手による細かな鉛筆の書き込み――訳注が入っている。


「そうだ。これはエジプトの神聖文字」


さらに、その隣には別のページが開かれていた。今度は全く異なる文字体系。エジプトとも違う。楔のような記号。渦を巻くような図形。幾何学的な符号。目にしたことのない、不可解な文字列。


奏の目がきらきらと輝き出す。彼女は近くの椅子を引き寄せ、真理の隣に腰を下ろした。


「真理さんは、こういうものがお好きなのですね」


一呼吸おいて、


「あなた、何にも興味を持たない人なのかと思っていました。ふふ」


真理は本から目を離さずに答える。


「……いろいろ、あるさ。何もないわけじゃない」


奏は首をかしげる。書架の隙間から射す光が、その横顔をなぞる。


「では、歴史にご興味があるのですね」


真理はページをめくる。


そして、静かに、何でもないことのように言った。


「まあな。この時代も、歴史の一頁に過ぎない」


奏の手が止まる。


彼女は真理の横顔を見る。


時折、この人はこんなことを言う。十六の少年とは思えない言葉。重く、遠く、視点があまりにも広い言葉。まるで時代の外から、この時代そのものを眺めているような話し方。


そのたびに、彼女は感心する。


そして同時に、少しだけ怖くなる。


いたずらっぽい笑みが、ふたたび口元へ戻る。


「では――」


彼女は身を乗り出す。


「未来の歴史は、私のことをどう書くと思います?」


軽い冗談だった。


そういうつもりだった。


真理の手が止まる。


ページをめくる指先が止まり、目の動きも止まる。一瞬だけ、呼吸まで止まったように見えた。


そして、彼は動いた。


机の上に開いていた本を、すべて静かに閉じる。ひとつ、またひとつ。整然と鞄へ仕舞い、鞄を持ち上げて立ち上がる。


奏は固まる。


顔には戸惑いが浮かんでいる。


何か、まずいことを言ったのだろうか。


けれど、何を?


たかが冗談ではないか。


真理はそのまま書架のあいだを抜け、図書館の出口へ向かう。奏の脇を通り過ぎる時も、立ち止まりはしない。まともに振り向きさえしない。


ただ、すれ違いざまに――歩みを緩めぬまま、肩越しに一言だけ落とした。


「……哀れな子だ」


それだけだった。


その背が書架の向こうへ消える。図書館の扉が開き、閉じる。足音が遠ざかる。


奏は、ひとり閲覧席に残される。さっきまで真理が座っていた椅子の、わずかな温もりだけがそこに残っている気がした。


彼女の笑みは消えていた。


哀れな、子……?


膝の上で、手がかすかに震える。


怒っているのではない。

悲しいわけでもない。


けれど、たった今、神楽真理が「哀れな子」と言った時、その眼に宿っていたものは――


悲しみだった。


自分一人に向けられた悲しみではない。


この時代に生きる誰も彼もに向けられたような、深く、古く、逃れがたい悲しみだった。


天窓から光が降り続いている。

塵はその中を静かに漂っている。

図書館は、また静寂に戻っていた。


奏は、真理が座っていた席を見る。


机の上に、薄く鉛筆の跡が残っていた。書いては消したらしい痕跡。


彼女は身を寄せて覗き込む。


ヒエログリフの訳注の脇。

その隅に、日本語で小さく書かれていた一文。


――記憶とは、もっとも残酷な相続である。

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