まずは始まりから
久しぶりの投稿です
自意識、あるいは自我というものがいつ生じたのか。
思い出せる最も古い記憶は、どこかの家の神棚にいるところからだ。
当時の『自分』は、小さな『達磨』だった。
神社できちんとした祈祷をうけたものではなく、素人が手慰みで作った、何の変哲もないありふれた、ただの置物。
なのにその家の主は、『自分』のことを大切に扱ってくれていた。
『○○に似た良い子よ、かわいい子。どうかあれをまもってくだされ、無事に帰して下され』
○○が誰の名で、それがどういう人物なのか。
当時の『自分』には全く分からず、また、わからなくても構わなかった。
その名を呼びながら、主は朝に夕に、神棚に参るたびに、祈りの言葉を呟きながら『自分』をなでてくれる。それだけが重要であり、それが『自分』にとってのすべてだった。
だから、だろう。
祈祷もうけていないのだから邪を払うどころか、何の力もないはずの『自分』が、おぼろげながらも『何かを思う』ことができるようになったのは。
『いい子』と言われれば、いい子になりたいと思う――何をもって『いい』と判じるのかはわからないけれど。
『かわいい子』と撫でられれば、かわいくありたいと思う――染料と墨で描かれた顔は、どう頑張っても『かわいい』表情など作れないとしても。
『守っておくれ』と願われれば、それが誰のことかもわからぬながらに『そうしたい』と望むようになっていく。
神棚から動くことができない『自分』だったが、墨で描かれた目には辺りが明るくなり、また暗くなる様子が映っていた。
明るくなるのは日が昇ったからで、暗くなるのは日が没したからだとしったのは何時だっただろう。
昇った日は、必ず沈み、また昇って、沈む。
日が昇るのが『朝』で、沈んだのちが『夜』。
その繰り返しを『時』というらしいが、成長も老いもない置物には、まったくもって縁のない代物であり、特に気にする必要はないと思われた。
主の体が次第に小さくなるのも、あれほど願われた『○○』がいつになっても現れなかったことも不思議に思ったこともない。
ただ、そこに在る。
その頃の『自分』は、おそらくだがとても幸せで。
その在り方が、ずっと続くと『思って』いた。
けれど。
ある日――ある夜、というべきかもしれない。
『いい子』と言われ、『かわいい子』と撫でられ、『守ってくれ』と願われる時以外は、ぼんやりと、曖昧模糊とした世界に揺蕩っていた『自分』を急き立てる『何か』があった。
何事かと、辺りを見やれば――一面の紅。
朝、ではない。朝ならば、主は寝床から起きだして、汲みたての清水と緑の榊を神棚に供え、『自分』をなでてくれるはずだ。
火事だ
逃げろ
早く
どこからともなく聞こえてくる声の、そのどれもが初めて聞く言葉で、全く意味が分からない。
主は――布団と呼ばれるものにくるまったまま、動かない。
何もわからず、けれど、何かをせねばならぬことだけがわかる。
それを『焦燥』と呼ぶのだとは、ずっと後になってから知った。
『何か』が何で、どうすればよいのか――禍々しい『紅』が主のそばまで来るのをただじっと、手も足もなく、ただ『見る』ことしかできない『自分』に『何』ができるのか。
気が付いた時には、ずんぐりとした胴体の下に細い足が生えていた。
その足で、神棚から飛び降りる。
その足で、主の元へと走り寄る。
「いいこ、かわいいこ、いいこ、かわいいこ」
動かぬはずの墨で描かれた『口』から、何百、何千回と聞いた言葉がでていた。
足だけではなく、胴体の両側からやはり細い手が生えて、それで主の体に触れていた。
小さな達磨の細い手で、何度も主の体を押し、叩き、引っ張る。
「いいこ、かわいいこっ、いいこっ」
それ以外の言葉を知らず、ただそれだけを繰り返しているうちに、主が大きく息を吐いた。
ごほ、げほ‥‥‥ぐっ‥‥‥ごほごほっ。
そして、目を開け――自分のそれと、主の眼が合い――。
「ばあさんっ、生きてるかっ!」
何者かが戸をけ破る勢いで飛び込んできて、布団ごと主を抱えて、現れた時以上の速さでどこかへ消えていった。
次に気が付いた時。『自分』は冷たい雨に打たれていた。
初めて見る空は、暗い鈍色をしていた。
質素ながらもきれいに整えられた神棚ではなく、黒く焦げた木と、伸び放題に伸びた草の間の、湿ったむき出しの地面の上に打ち捨てられていた。
何故こんなところにいるのか。
何が起こったのか。 主はどこにいるのか。
すべてがわからず、けれど何とはなしに、もう『あそこ』には戻れないのだけがわかった。
打ち捨てられたまま、雨に打たれ、風に吹かれ、日に灼かれ。
鮮やかだった染料も、黒々としていた墨もすっかりと褪せてしまった頃。
ふと。 あの時のように動ける『自分』に気が付いた。
細い足と細い腕。
それを使って、どうにか立ち上がり、振り向けば。
ところどころが焦げ、白茶けてひび割れた木彫りの達磨が転がっていた。
『自分』とおなじようなモノがいるのを知ったのもおそらくはその頃だ。
長く人に使われ、打ち捨てられ、そのことを恨みに思い、暗闇に蠢くモノたち。
同じようなモノであるが、『自分』とは違うモノたち。
それらとつかず離れず、けれど徒党はくまず。
命のないモノにとって、『時』は意味がなく、それがどれほどの長さ続いているのかもわからぬまま、ゆらゆらとただ存在し続けていた。
妙に惹かれる場所がある。
それがいつからなのかはおぼえていない。
ふらふらと宛もなく、ただ流されるままにあちこちをさ迷い歩くうちに見つけた場所。
あれ以来、『人』と関わりあうこともなく、闇の中で蠢くモノたちとしか接触してこなかった『自分』には、ここがなんという地で、その場所を何と呼ぶのかもわからない。
薄闇に紛れ、物陰からこっそりと窺う目の前を、行き交う『人』が通り過ぎる。
その足が踏みしめるのは土と石ではなく、のっぺりと平坦な黒い何かでできた道。
日が沈み、夜の闇に閉ざされるはずの刻限になっても、明るい街並み。
いつの間に変わっていたのかすら、ただ流されていた自分にはわからなかった。
分かるのは、ただ、そこにいきたいという焦がれるような思いがある、ということだけだ。
不思議なことに、それはどうやら『自分』だけではなかったようだ。
時折、『自分』と同じようなモノが、そこに向かうのを見ることがある。
ふらふらと、まるで引き寄せられるように『そこ』にむかい、『扉』をくぐり――それっきり二度と見なくなる。
そうして、誰に教えられるでもなく、わかるのだ。
『人』のような『死』はなくとも、『自分』達に見合う『消滅』はあるのだと。
『怖い』という『気持ち』はわからないが、『消えたくない』という『思い』はあったから、焦がれる気持ちを押し殺し、近づかないようにしていた。
けれど、ある日。
妙に浮足立った気配がそこここから感じられる、ある夜。
闇に紛れて、常のようにふらふらとさ迷っていたはずが、いつの間にか『そこ』の入り口近くまできてしまっていた。
そして、どういう偶然なのか。
丁度、出入りする人がいたのだろう。
目の前で、『そこ』の扉が開いのだ。
開いた扉の向こうから、温かな風が吹いてくる。
背後の薄闇とはことなる、明るい内部。
小さな小さな『自分』には全てを見通すことはできなかったが、あちこちから感じられるのは木のぬくもりと、生き生きとした緑の息吹。
それに引き寄せられずにいるのは、もう無理だった。
一歩。
閉まりかけた扉の細い隙間から、小さな細い足で、するりとそこへと踏み入る。
「‥‥‥らっしゃい」
低い『男』の声がした。
「ん? ‥‥‥あれ?」
そして、何やら――頭のはるか上で、きょろきょろと見まわす気配がする。
でも、見つけられないはずだ。
『自分』は『人』の目には映らない。
それでも、あまりに明るいこの場所にいるのは、何やら居心地が悪い。
近くに物陰を見つけ、そこへと飛び込む。
慣れ親しんだ薄闇にほっと一息つき、それからやっと、恐る恐る周囲を見渡した。
久しぶりの天井と、壁。
けれど、かつて主と共に在った場所とは全く違う。
主といた家は、こんなに広くはなかったし、これほど美しくもなかった。
そして、何よりちがうのは、そこにいたのは、一目見てわかる『力』ある者たち。
逃げたいと思う気持ちと、魅せられたままで、もっと近くに居たいと思う気持ち。二つの『思い』がせめぎあい、初めて葛藤というものを知るが、それで状況が好転するわけではない。
できるのは精々がところ、二つの気持ちの間を取って、物陰から見つめることだけ、だった。
「どうしたんです? 店長」
「誰か――何か、入ってきた気がした・・・・・」
「誰か、じゃなくて、何か、ですか」
「ああ」
上の方で、話し声がする。
もう一人も『男』の声だ。
主以外の人とは関わらなかった『自分』だが、人には『男』と『女』の二種類があると知っていたし、長くさすらっていたおかげで話す言葉も分かる。
「気のせい、じゃないですよね、店長だし――あぶりだします?」
そして、片方が口にした『あぶりだす』という言葉が、通常使う意味ではないことも何故かわかった。
もしかしたら。
やはり――ここに来たのは間違いだったのかもしれない。
だが、外に出る扉はもう閉まってしまっている。
尤も、すり抜けることもできなくはない。
固くて小さくて動けない『本当の体』は、とうの昔にあの焦げた木と泥の隙間に置いてきてしまってた。
ここにいる『自分』はその残り香、残響のようなものだ。
そう自覚したから、だろう。
危険が迫っているとわかっていても、ここから逃げ出す気にはなれなかった。
けれど。
「いや‥‥‥お前の力だと、下手をすると消える。俺がやる」
「え?」
明るい室内で、そこだけが薄暗くやや埃っぽい片隅で。
『その時』を待っていた『自分』に、迷う様子もなくつかつかと近づいてきた『人』は、滅の波動を放つのではなく、人差し指と親指で『自分』を摘まみ上げた。
「達磨?」
「の付喪神だな。そこそこ年期は入ってるようだ」
しげしげと見られ、同時に『自分』もその人間を見返す。
これほど近くで『人』と相対するのは、ずっと前、もう何時の事かも忘れた昔、主に優しく頭をなでられていた頃以来だ。
「で、どうするんです? 消さないなら、逃がしてやるんですか?」
「‥‥‥」
つままれた指先から伝わってくるのは、圧倒的な『力』の気配。
その気になれば『自分』など、あっという間に消し去れるだろう。
覚悟を決めていたはずだったが、いざとなれば『滅する』ことへの怖さが湧いてくる。
『自分』の意思とは裏腹に、小刻みに体が震え、細い手足がバタバタと無駄なあがきを繰り返す。
それを、どう思ったのか‥‥‥。
「裏に、たしか‥‥‥置物があったよな?」
「え? ああ、なんかありましたね」
「もってきてくれ」
一人がこの場を離れ、どこかに姿を消す。
そして、程なく戻ってきた時には、その手に妙なものを抱えていた。
「これですよね?」
「ああ。そこにおいてくれ」
ごとり、と音を立てて細長い卓の上に置かれたのは、白に黒と茶で彩色された、かなり誇張されてはいたが、猫を模した物だった。
猫は知っている。
奴らは妖と相性がいいらしく、隠れていてもすぐ見つかる。
しつこく追い回されたこともあり、正直、余り、好きではない。
なのに、その上に移動させられ――そっとおろされた。
これはいったい、どういうことなのだろう?
そんな『自分』の戸惑いが分かったのか、男が言う。
「‥‥‥にたようなもんだろ。居心地が悪くないなら、そこにいろ」
手も足もない達磨と、作り物の猫ならば、ほぼ同じだろう、と。
――同じであるわけがない。
朝に夕に。主が愛しみ、何度も撫でてくれた体と同じなわけがない。
初めて感じる『気持ち』は、きっと同類らがかかえていた『怒り』というものなのだろう。
けれど。
ふとその目尻が緩んだかと思うと、大きな掌が己の頭を優しく撫でていた。
皺深く、細く、頼りなかった主のそれとは違う。
なのに。
気が付けばこくこくと小さくうなづいた己が、その猫に溶けていくのが感じられた。
「いいんですか? 棲みついちゃいましたよ?」
「あのままだと、近いうちに消滅していたからな‥‥‥この中で休めば、少しは回復するだろ」
「‥‥‥なんか、ちょっと意外」
「どういう意味だ」
照れ隠しか、少し強めの声は『前の主』とは似ても似つかないが、それでもそこに込められた優しい想いが感じられる。
そして、改めて新しい『器』を確認してみれば、思いがけないほどになじむ。
居心地がよい、とすら感じられた。
まるで、あの神棚にいた時のような。
そして『自分』にこれを与えてくれた『人』を、『器』越しにみれば、つい先ほどまで恐ろしくて仕方のなかった波動すら、今の『自分』には快い。
――いい子、かわいい子、どうかまもっておくれ
流離い続け、もう長いこと思い出すこともなくなっていた、二度と聞くことの叶わないあの声、言葉が聞こえた気がして。
やはりここが『自分』の在るべきところだと腑に落ちる。
そして、『自分』を拾い上げ、撫でてくれ、居場所をくれた相手こそが、新しい『主』であり、この場所が己が守るべきものなのだ、とも。
そう思うのと同時に『自分』が変わっていくのが感じられる。
ずんぐりと丸い体。
黒々とした太い眉と髭、ぎょろりとした目。
全身を覆い、むっつりと引き結ばれた口は朱色。
それが猫の器の中でとろりと溶け、新たな『形』を作り上げる。
「‥‥‥は? え? ちょっ!」
「‥‥‥猫?」
ピン、と立った耳。
縦に長い動向を持つ目。
長いひげ。
白い毛で覆われたしなやかな体には、黒と明るい茶色の斑。
しっかりと地を踏みしめる足が四本。
そして、長い尻尾。
器と同じであり、違う。
いつか見たのと同じ、生き生きとした『猫』の姿。
『なぁん』
「「鳴いたっ?」」
何を驚くことがあるのか。
猫とは鳴くものだろうに?
「ちょ、やばいって! どうするんですか、店長っ、成り上がっちゃいましたよ、これっ」
「‥‥‥予想外だ」
『主』ともう一人が、慌てた様子で話し込み――そして。
「とりあえず、名前ですよ、名前! さっさとつけないとっ」
「そう言われても‥‥‥」
「なんでもいい――ことはないけど、とにかくはやくっ!」
『名』?
『自分』に?
なぜかはわからないが、気持ちが跳ね、『主』をみつめてじっと次の言葉を待つ。
「くっ、かわ‥‥‥じゃない。名前と言われても‥‥‥」
「いっそ、店名とかは?」
「カナン、か? いや、少し違うな。招き猫‥‥‥除災招福、家内安全、安穏無事‥‥‥」
「店長ぉっ」
「うち(カナン)にきた猫‥‥‥そうだな。それが似合う」
そして告げた。
「家穏」
たった一言。
あらたな『主』から与えられたそれが、『自分』の『名』だと認識した瞬間。
『自分』――いや『俺』の世界が変わる。
今まで、薄紙の向こうを見るようだった世界が突然鮮明になる。
どこか曖昧だった『俺』が、はっきりとした輪郭を持つ。
「よかった、間に合った‥‥‥かのん、ね。いい名前、もらったね」
『なぁぅ』
「お? 本人も気に入ってるみたいですよ、店長」
『みぅ~』
「鳴き声も各種あるのか‥‥‥芸達者だな」
呆れたような声音だが、目は優しい。
「まぁ、いい――俺の名は川北拓斗。この店はCANAANだ。気に入ったなら好きなだけいろ。『家穏』」
主の名を教えられ、名前を呼ばれ、頭を撫でられ、うれしくなる。
これほどに浮き立った気持ちになるのは初めてだった。
達磨の頃の手足があったなら、それを大げさに振り回し、走り回りたくなるほど。
そして、ふと、思う。
そういえば、猫というものはうれしい時には喉を慣らし、好いた相手に体を擦り付けるのではなかっただろうか?
ぬるりぬるりと動くさまを思い出す。
けれど、今の自分は固い焼き物で、擦りつけるどころか身動き一つできそうにない。
せっかく手も足もある(ある様に見える)のに、これでは宝の持ち腐れである。
むぅ、と髭が下がり、耳がへしゃりと後ろへ倒れる。
「え? ちょ、かのん?」
主の横の男が何やら言っているが、今はそれどころではない。
もう少しで何かがつかめそうな、そんな感覚に集中し、そして。
「はぁっ?」
くるり、と回転し、音もなく着地する。
白地に茶と黒の斑が散った姿は、器の中で思い描いたものと同じだ。
「なぁ~おぅ」
「お前‥‥‥芸達者にもほどがあるだろ」
完全にあきれ返った主の声に、満足げにゴロゴロとのどを鳴らし、その足元にすり寄り、思う存分体をこすりつける。
『俺』の名前は家穏。
前は達磨で、今は招き猫。 ついでに、猫にもなったようだが、細かいことは気にしないことにする。




