風鈴を鳴らす休日(好事百景【川淵】出張版 第二十i景【風鈴】)
可愛いですよね。
ひさびさの連休を目前に、職場の走り屋連中は盛り上がっていた。それぞれご自慢のバイクの写真を、スマホで見せ合いつつ。今回はどの道路を走って、どこを目指すのかと、あーだこーだやっている。
そして、やつらのお決まりの台詞が「風になってくる」だった。
ひと昔まえの走り屋漫画じゃあるまいしとは思いながらも、その気持ちはわからんでもない。
たまの連休だ。心を身から解放するようにして、風になりたくなるのは無理ない話。
かく言う僕自身。バイクに乗りこそしないものの、休日には「風になる」ことを楽しみとしている。
目の前に別のアパートが建っているため、日照どころか風通しまで悪いのが、借り物である僕の棲み処。
2階で、角部屋でもなくて。ベランダ側の奥にある部屋も、窓どころかカーテンまでいつも閉めきっているのだけれど。
その部屋に置かれた事務机には、季節を問わずに吊るしっぱなしの風鈴がひとつ。電気スタンドに紐を結びつけられていた。
閉めきりの窓からは何も吹き込んでこないため、風鈴を鳴らすには僕が指で揺らしてやらなければならない。あるいは、ふざけて息を吹きかけてやることも。
こんなとき、僕は「風になる」のだった。
風鈴とは風に鳴らされる鈴。
転じてやれば、風鈴を鳴らす者は風を名乗る資格を持っているというわけ。
バイクにも乗れない僕が、わざわざこんなものを事務机に吊るしてまで風を気どるなんて。
馬鹿げた話に思えるだろうから、だれかに話したことはないし、まれな来客に風鈴をみつかっても、はぐらかすくらいしかするつもりもない。
風を気どるのもほんのたわむれで、鈴を鳴らすのも気が向いたときだけ。
だけとむしろ、どうやらその気まぐれ、気ままさこそが。 僕にとって「風になる」ってことのようだね。
風鈴からのびる、風を受けるための短冊を指で触れてやると。
もうずいぶんと褪せてしまったポールペンの字で、これをくれた女性が残してくれたメッセージが、まだ読みとれる。
風鈴を鳴らして。
もう昔と呼べるくらいになった彼女との想い出に、のんびりと心を馳せさせてやるのも、僕の休日の楽しみかた。
そのとき。
風になったいまの僕の気持ちが、ふたりの記憶の中を吹き抜けてゆくのは、なんとも心地よくも——やっぱり、いくらか物悲しい。




