小説の文章について。 ~悪文にならないために注意すべきこと~
自分には巧みな文章が書けると言い切るほどの自信はありませんが、それでも地の文の多い作品を書き、それなりの数のブクマをもらっています。
読まれる作品と読まれない作品の違いを、文章から探ってみました。
このエッセイが参考になるかは作者に(読者にも)よります。
ただ、作者も人間ですので、毎回イメージどおりの(伝わる)文章を書けるとは限りません……(涙)
【おかしな文章の例】(単純な悪文)
読まれる文章と、読まれない文章があります。
文章が変だと、読者によってはすぐに読むのを止めてしまうかもしれないので、基本的なことは理解しておくべきでしょう。
こんな文章はどう感じるでしょうか。
「地球とは異なる世界『イセカーイ』は魔王によって破壊の限りを尽くした」
違和感を覚えないでしょうか。
イセカーイという異世界の名前にではなく、最後の部分です。
「イセカーイは魔王によって破壊の限りを尽くした」では、イセカーイが魔王を使って破壊の限りを尽くした。そんなふうに受け取られかねません。
「魔王によって破壊の限りを尽くされた」
というのが正しいでしょう。
まあ、個人的にはこれだけだと不十分なので、
「魔王の侵略によって破壊の限りを尽くされた世界、イセカーイでは……」
といった感じで、明確に「魔王によって破壊された世界」について話だと説明し、その世界の今後について語られるような内容がつづくのを、「~では」という言葉で示せばわかりやすいでしょう。
訂正前のような、どちらとも受け取れるような文章は悪文です。
* * * *
接続詞や格助詞が変でも違和感が出ます。
「土へとなっていく」
でもおかしくはないかもしれませんが、
「土へと変わっていく」や「土になっていく」、といった書き方のほうが自然に読めます。
【同じ語句を多用しない】(目が滑る文章)
これには自分も書くときに苦しめられます。
あまりに同じ単語や漢字がつづくと、「目が滑る」というふうに受け取られるそうです。
それと同じで「~の様な」という表現を多用しがちです。
作者は場面によっては「~の如く」とか、「~に似た」といった変化をつけるようにしています。
「わき出すような○○のような」
といった書き方も変です。
「わき出す○○のような」
でいいでしょう。
書いているときには気づかないもので、読んでいてはじめて「ん? なんか変だな」となることもあるので、書いたものは時間が経ってから読み直すといいでしょう。
* * * *
次のような文章だと、目が滑るようになるかもしれません。
「広々とした野原まで追い立てられ、○○(主人公)は剣を抜いた。
野盗は野ざらしになった古代遺跡から徒党を組んで○○を追跡すると、野草の生い茂る野原で○○を取り囲んだ」
「野」という漢字が頻出していて、さらに跡という漢字も重なって、画数の多い字が密集しています。
「遺跡」と「追跡」の漢字も似ていて、混乱する読者も出るかもしれません。
こうなると読みにくいと感じるのではないでしょうか。
無駄に細かい描写をしようとするとやりがちです。
削る部分は削り、あるいは細かく表現する部分は、具体性を持たせるといいと思います。
「野盗に追い立てられた○○は剣を抜いた。
古代遺跡に居を構えていた野盗たちに見つかった○○は、森の手前にある草原で賊に取り囲まれてしまった」
おそらくこちらのほうが読みやすく、主人公の状況についての情報もあって、想像しやすいと思います。
【書くべきものを理解して書く】(文章による想像の出力)
たまに内容が伝わってこない小説を見かけます。
そうした作品から受ける印象は、子供が背伸びして、自分には書けない物語を語ろうとしているような感じで、やたらと難しい言葉を使おうと試み、助長で、不自然(抽象的)な文章になりがちです。
なぜそうしたことが起こるか。それは筆力(そもそもの読書歴)が足りていないか、あるいは自分の中で書きたいものが定まっていないせいだと推測します。
いずれにしても、それらの文章には「具体性」が無いと感じました。
背景や心理を描写する文章表現は、文学(文芸)には絶対に必要なものです。
異世界を言葉によって描くにあたって、その世界をどこまで具体化できるか。それを言葉によって伝えられるか。
書き手は場面を想像し、そこにある物を言葉によって伝達する技術が必要です。
この出力ができない人は作者にはなれません。
自身の中で具体化(想像)できないものは、他者に伝えることができません。
登場人物の会話や、お話の展開だけを書いているような作者は、間違いなく生成AIには勝てません。
それでは例文を示します。
「城に入った○○(主人公)は謁見の間に向かい、そこで王様と面会した」
こうした描写はいくつかの理由で稚拙だと言わざるをえません。
城に関する描写が無く、さらには現実問題として、簡単に主人公が城の中に入り、堂々と謁見の間に向かって行き、いきなり王様に会うことができるでしょうか。──衛兵に止められるのがおちです。
城に来た主人公はなんとも思わずに大きな城門を迎え、当たり前のようにずかずかと城の中に入って行ったのでしょうか? 衛兵に呼び止められたり、あるいは大きな城を見て感想は何もなかったのでしょうか?
城を前にした主人公の心理描写があれば、その主人公がどういった立場の人間かもわかるだろうし、そこには読み聞かせるだけのものがあるはずです。
そして城自体の描写の無さ。
記号的な「城」という言葉だけで、作者は何を伝えたのでしょうか。
だれもが知っている言葉をぽんと置いて、それを読んで何を感じ、何を想像すると言うのでしょうか。そんなのは読書ではなく、ただの「確認作業」です。
「城の前に立った○○(主人公)は高い城壁に圧倒され、しばらくぽかんと壁の上を見上げていた。
街を囲む壁よりも高く、いくつもの側防塔を備えた城壁は堅牢で、城門の前には城を警護する番兵たちが待ちかまえていた」
くらいの描写があってもいいでしょう(個人的にはもっと細かくてもいい)。
前半の文章があれば、主人公が城を初めて見たのだろうと推測できますし、後半の城門の描写があることで、城の兵士たちの様子なども理解できます。
生き生きとした世界を描けるか、それこそ作者の筆力が問われます。
作者は記号的な「城」や「ドラゴン」などの言葉だけで、何かを伝えた気にならないでほしい。
読者もそうした記号的な言葉だけで、伝えられた気にならないでほしい。
バトルシーンで武器や必殺技の名前や魔法の名前が羅列されるだけでは(擬態語ばかりの戦闘シーンなど)、なんの臨場感もありません。
まさにそれは記号的な言葉の羅列であって、マンガなら絵があるためにある程度の格好はつきますが、小説では通用しません。
「ドラゴニック○○!」
「か~め~○~め~○──!」
それで喜べるのは小学生まで。
奥行きのある異世界を表現する文章。
文章から世界を想像できる作品こそ、物語として価値があると思います。
そうした文章を楽しむには、それなりの読書歴(慣れ)が必要でしょう。地の文の楽しみ方は、ネット小説だけでは身につかない可能性が大いにあります。