姑は元嫁の趣味を応援します
「別れようと思ってるの」
サナさんは、私にそう告げた。
突然のことに、私は言葉を失った。
「え」
ようやく絞り出した一言はあまりにも間抜けで、自分の人生経験のなさを痛感する。こんな時なんて言えばいいんだろう。一人息子のもとにお嫁に来てくれたサナさん。私はサナさんが大好きで、今日もこうして2人でランチを楽しんでいた。
「うちの息子に何か不手際があったかしら?」
恐る恐る私は聞いた。
「不手際といいますか、考え方の違いですね」
サナさんは可愛らしい声で、そう言った。
「私が小説を書いているのはご存知ですよね?」
「ご存知も何も、ファンよ、私はサナさんの」
つっかえつっかえ、私は答えた。サナさんの小説は素晴らしい。
もともと私は文章を読むのが好きだった。作家買いするタイプの私は好きな作家さんの本は必ず買った。
サナさんも小説が好きだった。その事実に、私は飛び上がらんばかり喜んだ。だって、私の夫も息子も活字を全く読まないんだもの。家族と好きな小説の話をするのは、私の夢だったから。
「ありがとう」
サナさんははにかんだ。
「思い出すわね、あの日のことを。私、厄介な活字オタクだから。サナさんが小説を読むって聞いて楽しくなっちゃって、それで自分の部屋の大好きな小説の棚をサナさんに見せたの」
「私もよく覚えてます」
「だって、私の本がそこにあったんだもの」
そうなのだ、私はサナさんに出会う前からサナさんの本を買っていた。それは私の大好きな作品の二次創作、すなわち同人誌だった。私は喜びすぎて、所有の同人誌まで見せてしまったのだ。
「運命感じちゃったわ」
「どうして気づかなかったのかしら、同人誌を買ったとき、私サナさんから直接本を買っていたのに」
「そういうものですよ」
サナさんは私をかばってくれる。
「私も気が付きませんでした。だからこそ、お義母さんの部屋で私の本を見つけた時は驚きました」
サナさんはふふふと笑った。
私はサナさんのファン。これまでも、そしてこれからもサナさんの小説を読み続けたい。そして、サナさんが気持ちよく小説を書き続けられるようにサポートしたい。
「でもシロウさんは、それがダメみたいで」
シロウは彼女の夫の名前、すなわち、私の息子の名前。
「えぇ?」
「シロウが、あなたの趣味にいちゃもんを?」
「シロウだって、毎週バイクでツーリングに出かけてるのに」
「そうなんですよね」
「夫婦で好きなことをする、そういう生活をする約束の結婚だと思っていたんですけど、私が小説に打ち込みすぎるのは、ダメみたいで」
「それはおかしいわよね」
「シロウはどんな感じでダメって言ってたかしら?」
詳細を聞いてみる。
そうすると、これはもう離婚するしかないなという内容のすれ違いだった。
シロウはバイクは生産的な趣味だと言う、友達もできるし楽しいし。
しかし、小説は非生産的な趣味だと言う。もうここからシロウの主張はおかしいんだけど。小説は形に残るし、インターネットに閲覧するユーザがたくさんいるから、友達もできるし楽しい。
サナさんがどんなに説明しても、シロウは理解しないらしい。ごめんなさいね、あの子、アウトドア派を気取っていて、オタクのことちょっと見下してるのよね。
「お互い一目惚れみたいな形で付き合ったから、趣味が全然合わなくて」
「初めてサナさんとシロウが会ったときの話、私すごく好きだけど」
だけどそうよね。時間が経つと一目惚れの魔法は溶けてしまうのかしら。
私は目がぐしゅぐしゅしてきた。
「お義母さん」
サナさんが私を見る。
「泣いてます?」
「ちょっと泣けてきちゃった」
「もうこうして、サナさんが貴重な休日に、絶好の小説執筆日和に、私とランチを食べてくれることもなくなるのね」
「こんなことなら、もっとサナさんを家に呼べばよかったわ。もっとたくさんしゃぶしゃぶやればよかった。小説の話もたくさんしたかったし、新しいハンバーグ皿を買ったのよね。でも、もう新しい食器を買っても誰も褒めてくれないわ。さなさんがいなくなったら」
「離婚はします」
サナさんの決心は揺らがないみたいだ。
「でも、私はフタエさんと、また会いたい」
フタエは私の名前だ。
「えっ、いいの?」
「私と、小説も書けないおばあちゃんと、また遊んでくれるの?」
「私もこんなに物語の好みがあうのはフタエさんが初めてなんです。フタエさんと、さよならするのは悲しいです」
「じゃあ離婚しても、また遊びましょう」
サナさんの表情がぱっと明るくなった。
サナさんは、前のめりになりながら言った。
「喜んで!」
それからまあまあいろいろあった。
サナさんとシロウは離婚して、その後ふたりは別々の人と結婚した。
シロウはソファにもたれかかりながら、スマホをいじっている。
「束縛がひどいんだよね」
シロウは今のお嫁さんに不満があるらしい。
「無趣味すぎるんだよ。何かあいつにも趣味があればいいんだけどさぁ、いつも家にいて帰りを待っていられると困るんだよね。連絡も頻繁だし。」
「ふーん」
いやシロウあんた前のお嫁さんに趣味があった時は、その趣味をやめるように言ってたじゃないのよ!と、突っ込んでもいいのかもしれないが、そんなことを言っても伝わらないだろう。めんどくさいからやめる。
「あんたのことが、それだけ好きなんでしょ」
「重いんだよね」
シロウは、スマートフォンの画面をスクロールしながらコーヒーを飲んでいる。
視線はスマートフォンに落としたまま、片手間に食事をついばむ。
季節に合わせた色の食器にも、新しいコースターにも、いけてある花にも興味は無いようだ。
「そういえば、私の好きな作家さんの小説が映画化するのよ」
「お仕事しながら頑張って書いてらして」
「へー」
「生産的で良いじゃん、うちのも、そういう才能があればさぁ」
いや、何言ってんだか。あんたの元嫁の話よ。
と言いたいところだが、今それを言っても仕方がない。
シロウは私の交友関係に興味が無く、私に何も期待していない。
それは私も同じだった。シロウにして欲しいことも、共有したい事も無い。私は幸せだし、夫もシロウも幸せそうだ。家族全員が不干渉で勝手に人生を楽しんでいる。
それよりサナさんの事を考えましょう。
今度のお祝いは何にしようかしら?
サナさんったら何をあげても、こんないいものもらいすぎですって言うのよ。
それで気を遣ってプレゼントを倍返ししてくるから嬉しくなっちゃうのよね。
この間の旅行は楽しかったわ。取材旅行って名目で、あの時の旅行先の街並みが新作小説に反映されていて、私嬉しくなっちゃったもの。
サナさんは今、小説を書くのを楽しんでいる。
そのことの方が私にとっては重要だった。
とても喜ばしいことね。