第6話 生徒指導室の暇人
九条先生とのひと悶着からしばらく。
生徒指導室というサンクチュアリを手に入れた俺は悠々自適な学校生活を送っている。
エアコンは付いているし、ソファーもある。何より、何故か置いてあるコーヒーメーカーでコーヒーも飲み放題。
控えめに言って最高だ。
まあ、相変わらず友達の一人も出来てはいないのだが。
最近は怪人も出ないし平和そのものだ。
この調子で音信不通な毎日を送っていくことも悪くないかもと思っているのだが気掛かりなこともある。
それは。
バンッという音と共に生徒指導室のドアが勢い良く開く。
「邪魔するぞ~」
そういいながら入って来るのは九条先生だ。
俺がここを利用する時は必ずと言っていいほど部屋に来る。
一人になりたくて来ているのに全くもって邪魔だ。
ゆっくり寝てもいられない。
「先生って暇なんですか」
「そんなわけないだろ。こうして君に会いに来ているのも仕事の一つだよ」
「仕事?」
「ああ、メンタルケアっていうね」
「俺、別に病んでる訳ではないんですが」
「そんなもの見ればわかるよ。でもな、一人になりたいなんて言う生徒。往々にして何かしら問題を抱えてるものだろう。それをほかっておく先生もいないものだよ」
「仕事熱心なんですね」
「そりゃ、私は優秀な先生だからね」
「本当はサボりたいだけなんじゃないですか。ここ人来ないですし」
「それもある」
あるんかい。
ちょっと関心して損した。
「まあ、君を心配して来ていることに偽りはないよ。ちょっと調べたが君、友達いないだろ。部活にも入っていないな」
「まあ、そうですね。不本意ですが」
「あの化け物じみた身体能力を生かしてみたらどうだ。サッカー部なんていいんじゃないか?」
「遠慮します。そもそもスポーツってタイプじゃないので」
スポーツなんか始めたら、冗談抜きで大惨事だ。
俺の身体能力は、怪人形態でなくとも常人の数倍。下手をすれば誰かを怪我させるどころか——死人が出る。
体育の授業でも細心の注意を払って動いているおかげで、今や俺は“運動音痴”扱いだ。
「そうか……似合うと思ったんだけどな」
「いや、絶対に無理です」
そんな押し問答を続けていると——
ガラッ。
またしてもドアが開いた音がして、俺はそちらに視線を向けた。
そこには、一人の女生徒が立っていた。
「九条先生、いらっしゃいますか?」
「ん? おお、旭野か。どうした?」
……旭野。
あの子、旭野っていうのか。
肩まで伸びた黒髪は艶やかで、動くたびにさらりと揺れる。
涼しげな目元に形のいい唇、整った顔立ちは誰が見ても文句なしの美人だ。
ただ、その目にはどこか鋭さがあって、気の強さがにじんでいる。
綺麗なだけじゃない、きっと簡単には流されないタイプだ。
……うん、関わると疲れそうなタイプだ。
「先生、今月の防犯週間について、ご相談がありまして」
「おや、防犯週間。……ああ、そんな話もあったな」
「生徒会でも何度か話し合いをしたんですが、最近の状況を踏まえて、SNSの利用に関して注意を促すべきではないかという意見が出まして」
「SNSかい?」
「はい。先生、先月の“中学生連続誘拐事件”を覚えていますか? あれも、SNSでのやり取りがきっかけだったという噂が広まっていますよね」
「ふむ……なるほど。確かに、それなら警戒しておくに越したことはないか。で、私は何をすればいい?」
「生徒指導の先生として、全校集会でSNS使用に関する注意喚起をしていただけないでしょうか。それと、啓発ポスターの添削、それから校内でのSNS利用状況の監視や調査のサポート....」
「な、なるほどね……」
九条先生は腕を組み、そのまま沈黙に入る。
表情は真剣……というより、どこか困ったような、渋い顔。
おそらく、「思ったより面倒だな」とでも思っているのだろう。
「……ひとまず、生徒会側の意見は理解したよ。私ひとりじゃ手が回らないから、明日の職員会議で話を上げてみることにしよう」
「ありがとうございます、助かります」
旭野は綺麗に頭を下げた。
けれど、顔を上げたそのときにはもう、九条先生のほうではなく――俺の方を見ていた。
……俺、見られてる?
その目つきは冷ややかというか、どこか疑念混じりというか。
とにかく、好印象ではないことだけは確かだ。
「あの、先生。彼は……?」
「ん? ああ、彼か」
九条先生はちらりと俺に目をやった後、すぐ旭野へと向き直り、口元に薄く笑みを浮かべる。
「気にしなくていいよ。生徒指導室の妖精みたいなもんさ。たまにふらっと現れては、ぐーたらして気がつくと消えてる。そんな存在だ」
……なんだそれ。初耳なんだが。
まあ、否定しきれないのが悔しいところだ。
ただ、せめて“妖精”じゃなくて“常連”とか、もう少し人間味のある呼び方にしてほしい。
そっと旭野の表情を窺う。
……ああ、やっぱりダメだ。さっきより露骨に見下した目をしてる。
「つまり……ただの暇人ですね」
「まあ、そんなところかな」
おい先生、せめてフォローのひとつでもしてくれ。
暇なのが悪いわけじゃない。むしろ俺は誇りを持って暇してるのに。
「それでは先生。私は戻ります」
旭野は軽く会釈し、すぐに踵を返す。
このまま静かに帰ってくれれば、それで万事丸く収まる――
「まあまあ、そう急ぐな。どうだ、コーヒーでも一杯? 紅茶もあるぞ」
「結構です。私は暇ではないので」
ピシャリと断るその言い方すらも端正で、隙がない。
けれど、九条先生はニヤニヤしながら言葉を続けた。
「ずいぶん忙しいようだね、生徒会は」
「ええ。文化祭の準備に地域イベントの企画、各部の予算管理など……挙げればキリがありません」
「それは大変だ」
ニヤついたまま、九条先生はゆっくりと頷く。
旭野が怪訝そうに眉を寄せた。……わかる。その反応、俺も毎回してる。
「先生?」
「生徒会はそんなに忙しいのか。ふむ、猫の手も借りたいほどか。であれば――」
そう言いながら、九条先生はすっと立ち上がり、俺の隣に歩み寄ると、トンッと肩に手を置いた。
「彼を使いたまえ」
……え?
「「は?」」
俺と旭野、同時に間抜けな声を上げる。
「いやほら、人手が足りないなら、暇な彼を雑用係にすればいい。資料作成にポスター掲示、なんでもやらせればいいさ」
「赤の他人ですよね?」
旭野のもっともなツッコミに対し、九条先生は首をすくめる。
「まあ、そうだけど、ほら雑用なら顔は関係ないだろ? 私が許可する。役職名は――そうだな、“生徒会・臨時雑用係”ってことでどうだ」
「いやいや、ちょっと待ってください」
あまりにも一方的すぎて、思わず声が上ずる。
この話、俺に相談された部分ゼロなんだが。
「おや、青木。なにか問題でも?」
「問題だらけです。そもそも俺、そんな暇じゃ……いや、暇ですけど」
正直に言ってしまった。
「でも、旭野さんだって、そんな得体の知れない奴を押しつけられても迷惑じゃないですか?」
ここはもう、彼女に断ってもらうしかない。
俺はすがるように旭野へ視線を送る。
どうか「結構です」の一言で終わらせてくれ。
……なのに、彼女は口を開かず、じっと考え込んでいる。
(……あれ? まさか、まさかの)
「どうなんだ、旭野?」
九条先生がたたみかけるように問いかけたその瞬間――
「そうですね。先生がそこまでおっしゃるなら」
――終わった。
俺は静かに、心の中で頭を抱えた。
生徒会の雑用係?どこの地獄だそれは。
旭野はなおも訝しむような視線をこちらに向けてくる。信用ゼロのまま職場(?)が決定してしまったこの状況、どう考えても詰んでる。
「じゃあ、早速だけど。明日放課後、生徒会室に来てくれる?」
「……わかりました」
渋々ながらも頷くと、彼女は「それでは」と淡々と告げて、生徒指導室を後にした。
扉が閉まった瞬間、俺は九条先生に向かって盛大に抗議する。
「なんでですか!」
「いや、ちょうど良い機会だと思ってね。君もずっとくすぶってただろ?」
「くすぶってるとかいうな……」
そう言いつつも、ほんの少しだけ心のどこかがざわついていた。
これが、ただの面倒事になるのか。それとも――何か変わるきっかけになるのか。