第4話 微睡のなかで
蜘蛛怪人の一件がひと段落して、ようやく俺の生活にも“日常”が戻ってきた。
ただ、全てが元通りになった訳ではない。
実際、今回の件で行方不明になったのは七人。そのうち、戻ってきたのは――たった一人。
残りの六人は、今も見つかっていない。
もっと早く動けていれば。もっと上手く立ち回れていれば。そう思わずにはいられない。
責任なんて大人びた言葉を口にして、自分を無理やり奮い立たせてきたけど、叔父さんの代わりなんて……本当は、分不相応だったのかもしれない。
それでも日々は進む。
このまま怪人退治にすべてを捧げるべきなのか、それとも……と悩むくらいには、俺もまだ“子供”なんだと思う。
高校デビューは蜘蛛怪人のせいで盛大に爆散したけど、始業からまだ一ヶ月。青春を巻き返す余地は、ギリギリ残っている――
(それなのに...)
場所は学校の屋上、給水塔のそばにある、ちょっとしたスペース。
そこに俺はゴロンと寝転がって、空をぼーっと見上げていた。
この数週間、勇気を出して誰かと話そうと頑張ってみた。
けど、いざ人前に出ると
言葉が出てこない。
会話が続かない。
そもそも、相手の顔がまともに見られない。
……俺って、ここまでコミュ障だったのか。
そういや、最近ちゃんと話した相手なんて、館山さんくらいしかいなかった気がする。
人生しょぼすぎるだろ俺。
「はぁ……」
大きなため息をついて、体を捻り、仰向けになった。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まりかけている。
その色がやけに優しくて、気づけば俺は、まぶたを閉じて微睡みに身を委ねていた——
◇
車のエンジン音に合わせて、体がかすかに揺れている。
ぼんやりした意識の中、前方の座席の間から、母さんの顔が見えた。
なんだか、すごく久しぶりに見た気がする。
(……母さん?)
運転席には、きっと父さんが座っているんだろう。
母さんは、助手席から身を乗り出すようにして、運転する父さんに話しかけていた。
「ねえ、どこに行くの?」
「とにかく……この街を離れる」
「そんな簡単に出られるの? ……ねえ、本当に大丈夫なの?」
母さんの声は、不安でいっぱいだった。
「光太郎がこっちに向かってる」
「光太郎さんが?」
「ああ。昨日、連絡を取った。あいつには試作機をいくつか渡してある。……奴らに対抗できるかもしれない」
「試作機って……あの?」
「そうだ。いざというときのために渡しておいた。……まさか、実際に使うことになるとは思ってなかったけどな」
「そう……」
「不安か?」
「当たり前でしょ! 春人だって……ようやく友達ができたって喜んでたのに……!」
「……そうか」
父さんの顔は見えなかったけど、たぶん——悲しそうにしていたと思う。
「春人は……いい子だ。きっと、これから行く場所でも友達はできるさ。あいつなら……」
「そうやって、また無責任なこと言って……」
「……本当に、すまない」
父さんがそう呟いたとき、母さんは何も言わなかった。運転席と助手席の間に、沈黙が落ちる。
それは、まるで覚悟を認めたような、あるいは諦めに近い静けさだった。
「春人、起きてるか……?」
父さんの声が、ふいに響いた。ミラー越しに目が合った気がして、ぼくは黙ってうなずいた。
「……お前のことは、絶対に守る。何があっても」
前を向いたまま、父さんがぽつりと呟いた。
「もう少しで山を抜ける……そこまで行けば――」
言い終わる前に、それは起こった。
前方から突如として差し込んできた、異様に低くて眩しいライト。道路脇の林をなぎ倒して、黒い塊が斜めに突っ込んできた。
――大型トラック。
「っ……!!」
父さんが咄嗟にハンドルを切った。しかし、トラックは迷いなく車体の側面へ突っ込んできた。
次の瞬間、車が宙に浮いた。
金属がひしゃげ、ガラスが砕け、世界が回転する。母さんの叫びが遠く聞こえ、ぼくはシートベルトに締め上げられながら、視界が黒と赤に塗り潰されていくのを見ていた。
重たい衝撃と共に、車は路肩に激突し、ひっくり返ったまま動かなくなった。
静寂。
耳がキーンと鳴っていた。吐き気がする。身体のあちこちが痛い。足も腕も動かない。冷たい液体が額を伝っている感覚——たぶん、血だ。
(……母、さん……?)
助手席のほうに目をやる。母さんはシートに身を預けたまま、動かなかった。
(と……さん……)
運転席にいた父さんが、歯を食いしばるようにして顔を上げた。血まみれの手で、何かを探している。
「……春人……絶対に……」
かすれた声と共に、父は胸ポケットから小さな金属製のケースを取り出す。それを必死に開け、中から取り出した細長い筒のようなものを、ぼくの首筋へと押し当てた。
「……生きろ……春人……っ」
刺すような痛みが走る。目の前が白く染まり、体の奥に何か熱いものが流れ込む感覚。
(っ、は……あ……!)
息が戻った。視界が少しずつはっきりしていく。
けれど、父さんはもう動かなかった。
(……っ、やだ……!)
かすれる声で叫ぼうとしたとき、足音が近づいてきた。
ジャリ、ジャリ、と、砕けたガラスや砂利を踏みしめるような音。
現れたのは——ヒトの形をした“何か”だった。
スーツのようなものを身にまとっているが、体の関節は異様に曲がり、手の甲には骨のような棘が突き出ている。顔の中心には赤い光を放つ仮面のようなものがあった。
「まだ、呼吸がありますね。運がいい」
どこか丁寧な声。けれど、そこに感じるのは殺意だけだった。
「しかし、その運もここまででしょう。恨むなら貴方の父を恨んでください」
その“何か”が、ぼくへと手を伸ばした――そのとき。
不意に、その腕が止まった。
風の音も、足音もなかった。ただ、ぬるりと影が差し込むようにして、何者かがぼくとそれの間に立っていた。
「やめておけ。……そいつは、俺が預かる」
低く、静かな声だった。
ゆっくりと、男は振り返る。黒いロングコートの裾が微かに揺れる。片手には装着型の金属機器。それがかすかに光を帯びていた。
(……光太郎、さん……?)
静かな夜。瓦礫と血の臭いの中で、たったひとり、彼は春人の前に立っていた。
◇
――ハッと目が覚めた。
視界に飛び込んできたのは、夕闇に染まりはじめた空。いつの間にか日が沈みかけていて、あたりはじんわりと薄暗くなっていた。
ポケットからスマホを取り出して画面を確認すると、時刻は午後六時をすでに回っている。
「……やば」
どうやら、ここで一時間近く爆睡していたらしい。確かに、なんだか妙な夢を見ていた気もするが、目が覚めた瞬間にはもう内容なんて綺麗さっぱり忘れていた。
最悪な夢だった――そんな気がするだけだ。
「とにかく、急いで出ないと……」
このままじゃ、校舎の外に出るタイミングを完全に逃してしまう。学校が閉まったあとに見つかったら、面倒なことこの上ない。
そう思って、俺は立ち上がり、給水塔の側面にある小さな窓に手をかけた。ギィ、と音を立てて開けると、そのまま勢いよく身を乗り出して、校内へと飛び降りる――
……その瞬間だった。
「あ?」
俺の目の前にいたのは、目をまん丸に見開き、くわえた煙草を半分落としかけている教師だった。
「……あー……」
完全に、不意打ち。
夕焼け空と煙草の煙が混じる中で、俺と先生は数秒間、お互いに固まったまま、沈黙を守っていた。